私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

日食が見られるそうです

2009-07-19 09:22:57 | Weblog
 黒日売の「誰が夫」と言った理由をお考えいただいている間、ちょっと又横道にそれます


 今朝の新聞によりますと、岡山地方でも久しぶりに日食(88%ぐらいの)が見られると言うことです。私の72年間に日食を何回見たでしょうか。・・・・・  その中で、一番印象深い日食と言えば、記録に間違いがなければ、多分、大学4年の時の5月か6月に見た日食だと思います。指導教官の手伝いをしながら見た日食観測だったと思います。何のゼミだったかは覚えてはいませんが。
 その日は、朝からその教官は何だか張り切っていました。気圧計だの温度計だの湿度計もあったように覚えていますが、吾々ゼミの学生を指揮して、2、3人ぐらいずつに分けて、日食が始まって以降、刻々の変化する気温気圧湿度などを測らせるのです。
 気象等は専門外の分野でしたが、その助教諭が、どうしてそんな観測をわれわれに手伝わせたのかはわかりません。もしかして、その教官の、こんな日食観測の仕方もあるのだと、教育学部の学生に対する親心からだったかもしれませんが。
 兎に角、刻々に変わっていく気圧計のメモリを私は読み、記録して行きました。面白いように食が進むにつれ気圧の数値が下がります。なんだか興奮気味に数値を読みあげたと記憶していますのです。
 今までそのような科学的な分析を通しての日食観測は始めてなものでしたから、やけに頭の中にこびりついているのでしょう。

 もう半世紀もそれ以上も時間が経過していましたが。兵舎の後にできた俄か教室で、10分間ほどのごく短い時間のたわいもない幼稚な観測が、今でも鮮明に頭の中に残っています。

 そんな日食が22日に見られるとか。今朝の新聞によりますと、ガラス板にロウソクのすすをつけたものや、下敷き等を使ってはいけませんと書いています。昔は誰もがそんな装置で観察していたのですが。

 なお、私の祖母(明治3年生)の話によると、当然明治の世の話になるのですが、どの家も井戸(釣べ)の上には、必ずと言っていいほど、総ての家で、むしろか何かの覆いをしていたそうです。
 太陽が黒くなるのは、永い間に、太陽に居座っている悪い病気を神様が食べて掃除をしておりいるから起きるので、その神様が食べた病気の滓が地上にふり撒かれるからそれを防ぐために覆いをするのだ。だから日食の時には、勿論、人々が戸外へ出てはいけなし、洗濯物などの乾し物は、全部、室内に取り込まなくてはならなかったようです。
 そんなことを子供だけでなく、いい大人も皆、真剣に考えていたと言う話でした。
 それが時代の変化と言うものでしょう。・・・・・科学の進歩とは果たしていいことなのでしょうかね。ロマンがなさすぎますよね。何でしょうかね。