私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―安原備中守知種の寄進した御竈殿

2012-06-30 19:27:29 | Weblog

 この小雪物語で、小雪の舞う熊五郎が主催する全国のやくざの大親分方の一大博打大会を「鳴竈会」と銘打って行うのですが、この「鳴竈」と言うのは一体なんだろうかなと思われたのではないかと思います。

 そこで今日は、又又ですが、このお話を離れて吉備津神社にあるお釜殿に付いてそのいわれを小々説明しておきます。

 このお釜殿は、吉備津神社の長い回廊のちょうど中間辺りに「御竈殿」と古ぼけた看板が懸かっています。釜ではなく、竈と言う字が書かれています。
 この建物が完成したのは、この御竈殿の棟札に書かれている文字から、「慶長十七壬子暦九月・・・」であることが分かっています。この年は西暦に直すと1612年です。今年で、ちょうど400年になります。更に、この棟木には、この御竈殿を建立した人は、早島の住人安原備中守草壁真人知種であること記されています。
 
 この地方の言い伝えによりますと、この知種は、元々、帯江銅山の経営者の一人として、その手腕を発揮していたのですが、どうして石見の国まで手を伸ばしたかと言うことはよく分からないのですが、多分、一念奮発してだと思うのですが、当時、将軍家康もその開発に力を注いでいた江洲石見銀山の開発に、その帯江銅山開発の技術を生かそうと出かけたのではないかと思われます。そして、やがて、石見銀山で一,二番と言われる「釜屋間歩」を発見します。(この間歩は現在のところは公開されてはいません。)その開発の功により、家康より、特別に「備中守」という称号も授かっています。なお、開発した釜屋間歩から上がる莫大なお金の一部を、知種こと安原伝兵衛は故郷の早島の鶴崎神社と吉備津神社に寄進します。その資金によて、その時、1612年、今からちょうど400年前ですが、吉備津神社の御竈殿は建立されます。

 これは私の推量ですが、彼が見つけた石見銀山でもその第一級の埋蔵量を誇る間歩です、その名前も釜屋と言います。ひょっとすると、彼が石見銀山の開発に向かう前に、この御竈殿でその吉兆を占ってもらい、その時にこの竈が大変大きく鳴り、その前途の吉を暗に示したのではないかと思われます。そして彼が見つけた間歩も、この御竈殿にちなんで、わざわざ「釜屋」と命名したのではと思っているのですが。

 明日は、この鳴る竈のいわれを少々ご紹介します。こうご期待!!!! 


小雪物語―喜智からの差し入れ

2012-06-30 09:16:17 | Weblog

 「小雪ちゃん」と呼ぶ声がしたかと思うと、無遠慮に、今朝も、お須香さんがつかつかと部屋に入って来ます。
 「いよいよ今日だね。体調の方は大丈夫。これ、奥様からの差し入れよ。足守の葉田の黍餅です。このお餅を食べると肌が光り輝くと、昔から言われいるそうです。しっかり食べて、しっかり舞って、『光り輝く天女になってください。軽く軽く光り散る、それこそ小雪ちゃんの名前のようにのように小雪になって、舞台いっぱいに舞ってください』ですって、わざわざ足守から取り寄せられたのですよ」
 手渡された紺の風呂敷には、大小の小さい無数の絞り染めされた白い丸が、うねりながら左上から右下へと一筋になって細谷の流れの波紋でしょうか、そんな文様が染めこまれています。
 その包みからはほんのりと黍が芳ばしく匂いたっています。「まあ、いい匂い」と、包みを解きます。お餅の上には、小さく折りたたまれた真っ白い紙がちょこんと置いてありました。小雪は、まず、それを手に取りました。そこには、喜智からのあでやかな女手が滴るように認めてありました。

    浮き沈む 細谷川の 泡にこそ
             流れて留る 淵ぞありなむ   
    皮竹も 若竹となる 谷川に 
             泡の留まる 岸はありけり
                           きち
 
 と、ただそれだけが記されてありました。暫らく、その喜智からの文に目をやったまま
 「何時拝見しても本当に心を和ませてくれる筆でっしゃろか。この皮竹って・・・これってうちのことでっしゃろか。なんでしゃろ。」
 と、今日の踊りの事も何もかにもどこかに消え去ったかのように、谷川を流れのような筆跡をじっと眺めていました。

  「お粂さん、ちょっとお茶お頼みします」
 と、須香さんの声が、この屋の主人粂の声に劣らず高々とお宿全体に響き渡ります。
 「いま、お茶が入ります。このお餅を食べて、奥様が言われる様に光り輝くように踊ってくださいな。きっと目の覚める様な舞い姫になること疑いなしだよ。その奥様も見物させて頂くと言っておられます。今日一日中、わたしが小雪ちゃんの付き人になります。奥様からのご命令なのです。さ、はやく食べて、準備、準備。今日は忙しくなるは」
 と、一人でさも楽しげに、追い立てるように、側から賺します。


小雪物語―ひろげた扇

2012-06-29 10:39:00 | Weblog

 「それだ。」
 と、突然に、菊五郎の声が流れて来ました。息を吸い込み、次に吐きます。そのほんのわずかな時間の中に本当は連続しているように見える踊りの中に大きな壁を生じさせる、それが踊りに於けるへだて心ではないかとうすぼんやりと思うのでした。あれだけ菊五郎たちに練習をつけて貰い、あれでもない、これでもないと、苦しみぬい後にようやくたどり着いた息使いです。その心が最後になってようやく何となく体でつかみとったように思われ、小雪は、もう一度お息を吸い込みそして息を吐きます。心がなんだかすーとしたように感じられます。「これが菊五郎様の言われる息を殺すと言うことかしら」と、再び、息を思い切り吸い込み、今度は、意識して息を大きく吐き出してみました。自然の息使いとは随分と違うように思われます。それでも、息を殺すと言うことは、「本当に、これでいいのでしゃろか」と言う思いがまたもや小雪の心に覆いかぶさるように襲いかかってきます。その途端、胸にあの激痛が押し寄せます。
 痛くて痛くて、自分の身を自分でも処理できません。痛みが通り過ぎるのを待つしかほかありません。その痛みを和らげるようにそっと、そっと息します。息を吐いた後は、何にもしなくても息がすっと胸に入ってきます。その瞬間に、なんだか分らないように痛みも和らいで心が空っぽになって行くようにも思われます。

 それからしばらくして、小雪は明日に備えて早目に自分の部屋に戻りました。 部屋にある小さな飾り棚の上に置いている喜智から送られてきた扇を取り出し、いっぱいに広げます。銀色の空に青の水、その中を一直線になった花びらの群れが無限の彼方に飛び去っているその絵を眺め眺めていましたが、やおら、立ち上がり、花びらが舞扇から舞い散るように、手の先までに己の気が飛び散るようにいっぱいに舞扇をかざします。息が止まったと思った瞬間、舞扇が跳ね飛びます。何もかにも忘我に酔うたかのような気分になったように小雪には思えました。
 それから、その扇を丁寧にたたんで、横になりました。「明日か」と思うと、胸の中に、母が、喜智様が、新之助さまが、林さまが、お須香さんが、万五郎さん、菊之助さまが、次から次へと、京の泉屋かどこかで何時か見たように思う走馬灯の中の絵みたいに、ぐるりぐるりと回りながら、小雪のまぶたの後ろに、浮んでは消え、また浮かんできます。眠ろうとしても眠れません。「うまくいくかしら」そんな思いも一緒になって、小雪の頭の中はごちゃごちゃにかきまわされ、いよいよ目が冴えるのです。
 もう夜も白々と障子に映し出されようとした頃でしょうか、ほんの一眠り小雪はしたように思いました。


小雪物語―菊五郎の総仕上げ

2012-06-28 11:28:44 | Weblog

 流し雛も細谷を流れ、さくらも散り、吉備の小山は目の覚めるような新緑で燃立っています。
 いよいよ、熊五郎大親分の鳴竈会の日が近づいてきています。岡田屋熊治郎一世一代の大行事です。使いぱしりのまだお若い人達までもが「どけどけそこをどけ」と大声を上げて小走りに往来を小忙しそうに行き来しています。
 舞台に舞う女たちも、最後の仕上げにそれぞれ余念がありません。でも、菊五郎のお声はいつもと全く変わらず、ゆっくりと一つ一つを念入りに最後の総仕上げに入っております。そのような稽古を見て、「やっぱり菊五郎と言うお方は江戸の名優だけあって偉いね。大したお方だ。大声一つ出さずにご自分の考えどうりに芝居を動かしておられるじゃあないですか」と、宮内雀どもは噂し合っています。でも、鳴竈会の日が近づくにつれ小雪たち出演するものは田舎のど素人の集まりですから仕方ありませんが、誰もかれもが皆な、緊張しているのでしょう、無口で、なにか体中にぴりぴりとした張り詰めたような気が窺がわれます。
 そのような人々の中で、時は刻々と近づいてきています。鳥居を背にして、大きな仮の芝居小屋が出来上がったと言う事です。小雪は、誰にも気が付かないように、しばしば襲ってくる胸の痛みを我慢しながら、それでも、毎日を、さくらの精の空心を舞出だすよう心を砕きながら最後の稽古にとりくんでいます。
 「明日が済めば、明日が済めば」と、一日一日、ただそれだけを頼りに、厳しいお稽古に打ち込んで来たのです。どうしてもへだて心が此の期に及んでも、なおいっこうにつかみきれません。
 あの日以来、菊五郎はなんにも言いません。ただ、黙って小雪の動きに目をやるだけです。その目の輝きが以前とは幾分違っているようにも思われますが、それがいいのか悪いのかすら小雪には分かりません。何もない空っぽの心を舞う事は「わたしにはできません」と、舞いの中で何度も訴え懸けるのですが、菊五郎は無表情に小雪の体の流れを見つめているだけです。息が邪魔をします。自分の骨が肉が邪魔します。どうやってもその重さをなくすることが出来ません。手や足、指先まで小雪の総ての体からそれを空っぽにする等と言うことは到底出来そうにありません。「どうすればそれを感じないようにすることが出来るのかしら」と、思えば思うほど、また、焦れば焦るほど、余計にその思いが遠くににげていってしまうように思えるのです。菊五郎は「息を殺せ」と、ただ、それだけしか言われません。息を殺せといわれても、息を止めるわけにはいきません。「息を殺す」その方法がいくら考えても考えても、又、いくらやって見ても、やればやるほど、自分の息を殺す事がどんどん遠くに逃げて行くように思われます。まして、笑いながら言われる「天女になりきれ」とは、一体どういうことか少しも分りません。それを追い求め追い求めしているうちに、いよいよ最後の最後の稽古に入ります。
 「誰かうちを子供の時のように、もう一度、空に放り投げてくれへんやろか」
 と、思うのですが、そんなこと出来っこありません。どう仕様もありません。「やっと明日が」とふと何気なく息を吐きました。上げていた扇もそれと同時に自然に下がります。その時です。小雪の小息が、恰も、その舞扇にふりかかったのではないかと思われる様に、あるかないかのようにほんのわずかに軽く動いたように思われます。その動きをじっと見てめていた菊五郎は、短く
「それだ。小雪。・・それだ。」
 と、突然に強く云い切りました。 


小雪物語ー宮内踊り

2012-06-27 10:26:26 | Weblog

 百八つの除夜の鐘が、普賢院の境内から、人々のはらわたを抉るように流れてきます。踊り踊りでこの一年のほとんどを暮らしてきた小雪の20歳がようやくにして終わろうとしています。、年の内に、もう一度さえのかみさまへと思っていたのですが
 「できしまへんでした。かんにんどす」
と、除夜の鐘の聞こえてくる北に向って小雪は両の手をそっと合わせ、足早に通り過ぎて行ったこの一年を静かにおもいやるのでした。
 明ければ二回目の備中宮内でのお正月です。宿の姐さん方と連れ立って吉備津様に人並に初詣にでかけます。その帰りに「どうしてそねんなところに」と危ぶんでいる姐さん方をしり目に、一人で竜神池の小島にあるさえのかみさまに立ち寄りました。頬を切る中山颪の風が祠の側に立つさくらの小枝を揺らして、もがっています。「どうぞ、小雪をお守りください。へだて心がうまい具合いに舞えますように」と、何度も何度も頭を下げました。
 遽しい正月風景も飛ぶように流れていきます。七草粥も済み、一時自分の仕事事で、江戸に戻っていた菊之助が、再び、宮内へ戻ってきて、宮内おどりの総仕上げに掛かります。この頃になると、小雪たちおどりに出演する者にも次第にその全貌が読めだしました。
 40人の姐さんたちによる三味と鼓による「夏のお山」の演奏、豪勢で派手やかな調べがそこらじゅうを流れることでしょう。続いて、宮内切っての喉自慢な豊和姐さんのお歌に合わせた、千両役者大五郎さん振り付けの「なんばん六法」くずしの宮内踊り。優雅に2、30人姐さんたちの手が天に地にと舞います。
 次は、「仲入り」。秋のお祭り
 舞台いっぱいに並んだ姐さんたちの奏でる三味、かね、太鼓の鳴り物入りで、桟敷や舞台そこらじゅうから繰り出す十台の女みこし。「わっしょいわっしょい」と、特別にしつらえた小ぶりの御輿に積んだ酒肴が会場に配られます。
 それが済むといよいよ後半、まず、「春のしらべ」。板倉の絵師、三好雲仙が力いっぱいに描いたさくらが舞台いっぱいに広がった中、琴、笛、三味、太鼓、鼓の音曲連が二重に並び、50,60人の踊り手が手に手に桜の小枝をかざして遊興するさまを踊りに仕立てた菊五郎さんの「宮内さくらの舞」が披露されます。
 そして最後は、遊女の舞です。春爛漫のさくら、折から吹き来る風に舞い散るいっぱいの花びら。散る花びらは精となり、此の世にあくがれいでて散り行く未練をいっぱいに込め、花魁道中に身をかえ、舞台いっぱいに舞い散るようにおどります。更に、多くの花魁姿をした桜の精は一つ散り又一つ散りして次第に少なくなり最後は一つになり、一つになったかと思った途端に、花魁の姿は早変わりして、突如、天女に変身します。そして、その魂は何時しか天女に姿を変え大空の果てにまで舞い飛んでいくという筋書きです。
 この最後の花魁道中の舞台に、熊五郎大親分の娘さん「きくえ」が大変興味を示して、特に、菊五郎に、その筋道を「こうしたらいかがなものでしょうか」とその筋書きをはなして、その意見に従って菊五郎は宮内総踊りの取りに採用したのだと言う話でした。それをあの喜智が何処でどう聞いたのかは分かりませんが、小雪の舞う最後の天女のもつ舞扇は「わたしが」と、わざわざ京に注文されて特別に創らせたのです。


小雪物語―宮内遊女の雅

2012-06-26 17:21:57 | Weblog

 さて、又、小雪物語と離れますが、瀬山陽も書いている山陽道随一の遊興地でもあった江戸末期のこの備中宮内に付いて今日は、ご紹介します。

 「宮内」という言葉聞いたことが在りますか??この宮内は江戸期を通して日本でも有数の遊興地の一つとして数えられていた場所なのです。
 文献的記録をたどって行きますと、そこには、当時、2千人以上の遊女がいた遊郭地であったと言われています。今、その宮内を尋ねてみると「こんなに狭い場所によくも2千人の遊び女がいたなんて」と思われる様な狭い場所にです。でも、この宮内にある遊郭にいた女は、江戸の当時、他を圧するような、大変な格式というか、他所の遊女にはない誇りみたいなものを持っていたそうです。その一つは、ここにいる女は、多くはいなかったのではと思いますが、私の物語に出てくる小雪のような京の都からの流れ来た女性がいたと言われています。又、この宮内の遊女は、その年齢が高くなるにつれ、他所の出雲などの岡場所に移されるのだそうです。それだけ宮内の遊女は年齢的にも若く、京的素養を積んだ女が沢山いると評判になり繁昌したのです。百人一首などの和歌を詠んだり京舞を踊ったりするのはここでは普通のことでそんない珍しいことではなかったようです。むしろ、それが当たり前の世界だとも言われて、ここと訪れる人々から随分と持てはやされます。その為に、「やっぱり宮内の遊女は違う」と、ここを尋ねる全国からの旅人たちからも評価されています。なお、この宮内と並んで山陽道の大遊興であた鞆の浦や宮島の遊女でさへ、備中宮内の遊女には、一目も二目も置いていたと言われています。 
  それを証明するような書簡が残っています。それはこの宮内の素封家真野竹堂に宛てた藤井高尚の書簡です。この中で、高尚は宮内の米屋の理加や萬須に和歌を教えている書いています。又、彼女たちに茶の湯の作法も教えたとあります。
 このように、この宮内は、江戸末期当時、備中と言う甚だ鄙の地であったにも関わらず、随分と、京風の文化が此の地に広がっていたのです。遊び女にしてこれですから、まして藤井家の女たちを始めとして、吉備津神社関係等の多くの人達の中に、この和歌を初めとした歌舞伎、能、茶と言った雅なる文化的な生活様式が、日常の生活の一部となって入り込んでいたのです。その中、特に、和歌を中心とした人々の集まりが、大いに、この地方の文化を高めていたと言われます。
 そのような遊興地としての艶なる宮内に対して、和歌を中心とした雅の世界を此の地に培った中心人物と言えば、やはり「藤井高尚」を上げなくてはなりません。彼は教業館ばどの私熟も作って、特に、若い吉備津宮神官を初めとして多くの地域の好学の士を育てるために努力しています。また、松の屋、鶏頭樹園に於いてもこの地方の全体の文化の進展にも貢献しております。

 なお、この高尚の世界に付いては、また、別の日に取り上げようと思っていますが、こんなすごい人物が我が吉備津にいたと云うことは本当に驚くべき事だと思われます。
 
明日は又小雪の物語に戻ります。


小雪物語ーたかねのはなをあほきつつみし

2012-06-25 18:45:31 | Weblog

 ご子息である高雅の京での惨殺事件、それに続く宮内の名門、藤井家の没落と打ち続いた悲惨なる事件にも、見た目には、決して負けないで、堀家の喜智として、依然として矍鑠(かくしゃく)として、以前と変わらずに、てきぱきと家を切り盛りしているように見えのだが、何となく、近頃、とみにその顔に現れる苦痛の色は隠せず、何事につけても、人には見せない「深いため息をお付きになることが多いのだよ」と、須賀は小雪に語りかけます。
 「そのためでしょうが、おぐしには随分と白いものが目立つようにおなりになりました。・・・・如何に気丈夫なお方様だと申せ、所詮は女ですもの。人知れず悲しみに耐えて耐えて毎日をお暮らしになっていらっしゃるようです。でも、やっぱり奥様は、胸の内に、いつか、あなたに話していたあの我慢を、まだまだ、いっぱいにしょいこんで毎日を送っていらっしゃいます。何にもおっしゃらないのですがね」
 と、何処となく晴れない須賀の顔です。
 できることならお会いして、是非、「御礼を」と、小雪は思うのです、しかし、毎日の小雪自身の小忙しさもあるのですが、未だに自分の身に張り付いている卑賤さを思い、堀家の敷居があまりにも高くて、お屋敷を訪ねる勇気がでないのです。
 「再び、お会いする折はあらしまへんと思うのどすがどすが、須香さま、大奥様に、ようよう御礼をいっておいてくれやす。お方様の思いの籠ったこの扇で此の度の立役きっとやりとげますよって。どうぞみておいておくれやす」
 と、深々と頭を下げる小雪です。
 
 須賀さまがお帰りの後、小雪は、その舞扇をそっと右手にかざし、その軽さに思わず、何かへだて心は此の頂いた扇の中にあるのではないかとも思うのです。振りかざした扇が無意識に小雪の頭上を飛びするのではないかと思えます。
 「どうしても、喜智さまにどのようなお礼を申し上げなければ」
 と思うのですが、今更尋ね行く事も出来ません。随分と迷ってたのですが、いい方法など有ろう筈がありません。「お手紙でも」と思うのですが、今までに、改まった文を人様に差し上げた事もなく、失礼な文になるのではと随分と迷いに迷ったのですが、ほかに方法がありません。仕方なく、みようみまねの筆を取りました。

 「もみじ葉もはやちりそめて冬のけしきとあいなり候 お方様には恙無くお暮らしの御事と伺い安堵いたしおり候 さて こたびお方様よりの御舞扇お須賀さまより頂戴仕り至極恐縮いたし居候、卑しき身なる小雪如何に御礼申し上げ候べきかそのすべ知る由も御座無く候ただありがたくありがたく頂戴仕り候 この扇小雪生きる限りの御宝と致し肌身離さず持ち続けたく存じ居候  

   たきつせのほそたにがわをくだりけむあくたのあわのうきしずみして   
   たきつせにうきしずみつつゆくあわのゆくへしらずのなみにもまれて
   たきつせのなみにもまれてまうあわはたかねのはなをあほきつつみし                              
                                                                かしこ      」


小雪物語ー「はなやかに今めかしう、すこしはやきこころしらひをそへて、めずらしき薫り」、

2012-06-24 15:08:58 | Weblog

 この冬一番の寒さが押し寄せ師走も押し迫ったある日です。本当に久しぶりに須香が、突然に小雪を訪ねてきます。
 「踊りのお稽古が大変だと聞いてはいたのだが、小雪ちゃん、ちょっと見ないうちにえらくやつれたのじゃない。大丈夫かい。今度の宮内総おどりの立役、菊五郎さんが随分熱心に教えているとは聞いていたが、本当に大丈夫かい。」
 さも心配そうに、我娘に対するように小雪の手を取り優しく話しかけます。
「今日来たのはなあ。、これをご主人お喜智さまがなあ、小雪さんにあげてくれんかと言われて持ってきたのじゃ。何でも、今度、小雪ちゃんが立つ舞台で、あの『羽衣』を踊ると聞いて、わざわざ京から取り寄せられた舞扇だそうです。お喜智さまも、大舞台で舞うあなたの羽衣が是非見たいものだと言っておいでですよ」
 「まあ扇どすか。どなたはんから羽衣のあ話お聞きなりはったんでしょうか。まだはっきりと決まったわけではないのどすが」
 と、言いながら小さく折りたたんである小箱の、京鹿の子の,可愛い模様の包み紙を丁寧に剥してゆきます。
 桐の小箱に詰められた一本の舞扇でした。箱を開けた途端に、焚き込められた芳ばしい香が辺りに深く匂いたれてきます。この薫物の香をかぐと、小雪には、とっさに、随分と遠い時になってしまった少女の頃に、母と一緒に聞いた北野辺りの何処かの庵主様のお話になられた「すこしはやきこころしらひ」とか言う言葉が浮び、喜智さまの心遣いが思いやられるのです。
 ベンガラ色というのでしょうか赤黒い漆塗りの骨に、扇面の表には、今を盛りとその老木にいっぱいの花びらを開いた梅が己の香をさも誇らしげに撒き散らす如く金泥の中に咲き乱れております。その裏面には、表の絵とは一転してして、今度は、梅の花びらが、ほろりほろりと水なき空に漂いながら舞い散り、落ちた川面に浮かんで、遠い彼方にまで流れ往き、あたかも空の彼方に天女が消え去ってしまうかのような、あの日見た小雪の舞いに何か想いを寄せたような喜智の想いでしょうか、その図柄が銀泥の中にいっぱいに描きこまれています。「はなのえにいとヾ心をしむるかな人のとがめむ香をばつヽめど」の心映えでしょうか。


小雪物語ー舞扇

2012-06-24 15:08:58 | Weblog

 この冬一番の寒さが押し寄せ師走も押し迫ったある日です。本当に久しぶりに須香が、突然に小雪を訪ねてきます。
 「踊りのお稽古が大変だと聞いてはいたのだが、小雪ちゃん、ちょっと見ないうちに瘠せたのじゃない。大丈夫かい。今度の宮内総おどりの立役、菊五郎さんが随分熱心に教えているとは聞いていたが、本当に大丈夫かい。ちょっと見ないうちにえらくやつれたんじゃあないの」
 さも心配そうに、我娘に対するように小雪の手を取り優しく話しかけます。
「今日来たのはなあ。、これをご主人お喜智さまがなあ、小雪さんにあげてくれんかと言われて持ってきたのじゃ。何でも、今度、小雪ちゃんが立つ舞台で、あの『羽衣』を踊ると聞いて、わざわざ京から取り寄せられた舞扇だそうです。お喜智さまも、大舞台で舞うあなたの羽衣が是非見たいものだと言っておいでですよ」
 「まあ扇どすか。どなたはんから羽衣のあ話お聞きなりはったんでしょうか。まだはっきりと決まったわけではないのどすが」
 と、言いながら小さく折りたたんである小箱の、京鹿の子の,可愛い模様の包み紙を丁寧に剥してゆきます。
 桐の小箱に詰められた一本の舞扇でした。箱を開けた途端に、焚き込められた芳ばしい香が辺りに深く匂いたっています。この薫物の香をかぐと「すこしはやき心しらひ」とか言う言葉が浮び、喜智さまの心遣いが思いやられます。
 ベンガラ色というのでしょうか赤黒い漆塗りの骨に、扇面の表には満開の桜が金泥の中に咲き乱れ、その裏面には、流れに落ち散る桜の花びらが銀泥の中に描きこまれています。


小雪物語ー林 孚一

2012-06-23 18:16:33 | Weblog

 この物語に出てくる「林 孚一」というひとについて少々説明しておきます。
 孚一は江戸後期文化8年、児島に生まれ、後に、倉敷の薬種商の林家の養子となり、大阪屋源助となります。その号が孚一で、彼は、当時、倉敷にいた森田節斎の尊王説に共鳴して尊王攘夷運動家を助けます。そんな関係で備中宮内の吉備津神社宮司大藤高雅とも関係があって相当多額の借財を負ったのです。此の二人がどのような関係であったかと言う資料はほとんど見当たらないのですが、この物語に出てくる本居宣長の短冊事件から考えても、二人の間には相当な深い友情が生まれていたのではないかと想像が付きます。こんあことも、この宮内には伝えられております。なお、孚一は歌詠みとしても知られています。吉備百人一首にもその歌が入っております。

  なお、この森田節斎は、一時、幕府にその身を追われ倉敷に隠れておりました。そんな関係で孚一が尊王攘夷の思想に共鳴することになるのです。

 


小雪物語―我慢することもへだて心か?

2012-06-22 13:49:10 | Weblog

 小雪にとって今までに経験したことのない、それはそれは大変激しい稽古でした。しかし、何処でどうなったのかは分からないのですが、風の如くに、恰もその風なき風に誘われて、桜の花びらが舞い散るように、意識してではなく、体が自然と動きました。それを、菊五郎から、「その息を決して忘れるな」と言われたのですが、その息はいくら思いだそうと思っても決して思い出されるものではありません。その菊五郎も、一時、自分の仕事のことで江戸へ戻って行かれます。しばらく、一人で「へだて心、へだて心」と、菊五郎から言われたその息を探す毎日が続きます。
 しばらくして、今度は菊五郎に替わりに、弟子の片岡八重菊という役者が、江戸より宮内に来て、小雪等の稽古をつけます。
 葉月の暑さにも耐え、ようやく秋も虫のすだく長月の声を聞いた間なしの時です。
 藤井家の、そうです。高雅の一子、紀一郎が、どこかへ失踪され、そのまま消息が立たれたという噂が宮内中に流れます。
 そんな噂もまだ冷めやらぬのに、今度は、京・大阪の大商いをしている商家の旦那方が大勢この宮内に押し寄せるように来て、藤井高雅の京大阪での何万両という借財の取立てが行われると言う、これ又人騒がせな噂が流れます。このような噂に、この宮内の人々もただ呆然とするばかりで、その行方を、ただ黙って見ているだけで他に方法はありません。代々続いた宮内の名家藤井家の、あの高尚の松の屋も、鶏頭樹園も、その屋敷などほとんど総てものが人手に渡ってしまったという噂も流れてきます。
 この借財の中には、あの晩、小雪を助けた倉敷の林孚一からの物も相当額あると云う噂も流れています。中には百数十両もあるなんて噂が飛び交い、
 「そげえな仰山のお金を高雅様は、どこでそげんなお金をつこうたんじゃろうかな。聞くと所によると何万両と言う大金じゃそうじゃ。もってねえはなしじゃのう。でえいち、そげえなな仰山なお金を林さまはぽんと貸してあげたもんじゃのう。持っとるんじゃのう。そげえにゃあおもえんがのう。すげえかねもちなんじゃのう」
 と、これ又しきりに人々は囁きあっています。
 そんな話があちらからこちらからと聞こえてくる中、この林孚一のことについて、また、その豪肝さの一端を物語るような噂が、宮内すずめの口々に上り、ひとり占めにするように流れております。と言うのは、この時の競売か何かが始まろうといた時だそうです。万座の人の中で、このお人は、その座をすくっとお立ちになられ、何かといぶかっている大勢の取り立ての方々の中を、ゆっくりと書院の所まで、無言で、歩を進めでられ、やおら、そこに懸けられていた、これは高雅の祖父藤井高尚が何時もお側に於いていたと言われる本居宣長の短冊に恭しくお手を延ばされ、胸に抱くように取られ、一っ歩下がって、その床の間に向かって静かに深々と一礼をして、万座の人々が唖然としている中を静かに立ち去られたと言う事です。
 そんな噂話を耳にするたびに、
 「男にも瘠我慢はあるのだ。瘠我慢にこそ人としての生き抜く甲斐があるのだ」
と、日差しお山の向こうに沈んで行くお日様に、顔を真っ赤に照らされながら、強くおっしゃられた林さまの顔が、小雪の目の前に浮び出るのでした。
 「それにつけても、お方さまはどうしていらっしゃる事でしょう・・・・」と、そんな噂を耳にするたびに、小雪は目に涙をうかべながら、堀家の喜智を思いやるのでした。
 「我慢することって何でしゃろ。へだて心というのは、もしかして、この我慢する心でしゃろか」
 へだて心が片時も離れない小雪です。


小雪物語ー稽古

2012-06-21 14:26:49 | Weblog

 小雪達の踊りの稽古が始まりました。
 手のかざし、足の運び、肩や腰など体全体の動きなど、舞いの基もとの形を、まず、教わりました。踊りには踊り手としての、芸としての特別な動きが要るです。力の入れ方や抜き方まで細かな指導が続きました。時々は、胸に激痛を覚えながらでも顔には見せないで、歯を食いしばって、菊五郎の教えを一つ一つ体に滲みこませる様にして、菊五郎が驚くような速さで一つ一つ小雪は確実に覚えていきました。
 菊五郎は、毎日、他の姐さん方の踊りの稽古の指導に出てかけます。周りの人も驚くような、本当に熱心なる稽古です。その上、江戸からも、時には上方の浪速の役者までも引っ張り出してきて、菊五郎の手伝いをさせています。
 そんなこんなで、宮内では人々の歩き方にも、小忙しさが伺われ、「総宮内おどり」当日が近ずくにつれ、みんなの目つきの厳しさも一段と高まります。それに連れ、小雪達の稽古も一層の激しさが増します。
 小雪の稽古も、もう2、3ヶ月も続いたでしょうか、でもまだ、菊五郎の頭が縦にピクリとも動きません。じっと小雪の動作の一部始終をただ見詰めていました。時々「それをもう一度」とか「次」とか、言葉短かに言うだけです。ほとんど、唯、黙って小雪の舞を見つめているだけでした。ほとんど、その口は開かれません。
 特に、春の宵、さくらの精が、花魁に乗り移り『物思う桜のたましい、げにあくがるるものになむありける』と謡いつつ舞い消え入る様を、もう何十篇、いや何百回となく打ち続けています。 体の全体から力を抜きつつ、しかも、なお且つ、体全体に力を入れる芸当など、どんなに教えてもらっても出来そうにありません。舞と舞との間の舞ってない時の自分の置くべき目の位置一つとっても何処へおけばいいのかも分かりません。それだけでも自分の芸になっていないのに、更に菊五郎の注文は、舞その物にも及び、芸の細かな厳しさを追い立てられるように、菊五郎は小雪に求めます。胸が痛くて痛くてどうしようもなく、今にも息絶えるのかと思い、「もういやどす。お母っさん助けて」と心のうちに叫びます。それでもなお、小雪は体全体からあらん限り力を抜く様にして舞い続けます。これも小雪の瘠我慢でしょうか。
 「へだて心なんて小雪には、できしまへん」と、ありったけの声をはりあげて、泣き叫び、どこかえ逃げ帰りたいような気分になります。頭の中がボーとして、自分が自分であるという意識さえもありません。子供の時、父親か誰だったかは分らないのですが、抱きかかえられるように真っ青な空に高く放り投げられ、それから、急にその大きな分厚い胸の中に抱き込まれた時のような気持ちがふわりと小雪の胸の中を、降って湧いたように横切ります。そのまま、ただ、自分であって自分でないような意識で、恰も魂の抜け殻のように、へだて心も何にもありません、誰かに空に放り投げられたかのような気分になって、幼子が嬉々として喜ぶかのような心持になってに、風にちる花びらのように舞い続けました。
 その時です。菊五郎が
 「それです。・・・・よう踊りきりましたね。小雪さんでなくては出来ない小雪の踊りが出来ました。それが天が与えてくれた極意な芸です」
 小雪の側にかけよって、今にも崩れかけようとしている体を優しく包み込みます。
 「今のその息だ、その息を決して忘れないようにしてくださいよね。」
 言葉は随分と優しげではりましたが、きつく云い切ります。


小雪物語―高尚のろうたげ

2012-06-19 10:19:57 | Weblog
 それから菊五郎は思い出したようにこんな話も付けたしてくれました。

 「ああ、そうそう。これもついでだから云っていきますが。松斎先生、藤井高尚先生のことですが。この「ろうたげ」に付いて、ある時、こんなお話をしてくださったことがございましたのよ。先生が言われるには、先生は随分と琴がお好きで、ご自分でも時々爪弾かれることがあるのだそうですが、その“つま音はらうたげになつかしきをよしとする“と言われるのです。派手派手しく音色が飛び散るように聞こえるのがいいと言われています。しかし。此の爪弾く派手派手しい弦の音だけでは、『ああいい琴だった』と、聞く人を心酔させるように音色にはならないのだそうです、その音色の中に人を引き入れるためには、どうしても、琴の音でない琴の音を出さないといけないのだと言われておられています。・・・・その昔、あなたはご存じではないかも知りませんが、京にお住まいであった兼好法師というお人が言われたのだそうですが、横笛を吹く時は、その演者は、間々の音というものがあって、音でない音を出さないと真に迫る横笛の曲にはならないと言っています。松斎先生は、琴ですが、やはり、その間々の音、言いかえると爪弾ない弦の音を聞かせないと、本当の曲にはならない。それを、『間々の音の深く澄みて聞ゆるは、ふる人の手づかひなり』といっておられました。それを、私にも言われたのではないかと思っていますが、舞という人の手づかひに置き換えると、舞っていないそのほんのわずかな間にこそ、本当の舞がなければ、ああ、わたしは舞ったなどということは言えないと、言っておられるのではないかと思っているのです。・・・・・・・それが、あの紫式部の言った『へだて心』というものではないかと、私は思っています。舞ってない時に舞う。誰にでもできるものではないのです。神の御心が在って始めて人に植え附けさせてくれた技だとおもうのです。あなたに、そうです。あなたにです。それを演じてもらいます。」
 きっぱりと言われました。

小雪物語ーろうろうじ

2012-06-17 14:47:52 | Weblog
 そなん小雪の不安心を見抜いたのでしょうか菊五郎は、更に、話を続けます。

 「この『へだて心』を、今度舞う小雪さんの舞い姿の中に人々に披露したいと考えて居るのじゃ。・・・・これは、ここの熊五郎さんの娘さん、きくえさんから、お聞きしたのですがね。この前、小雪さん、あんたはこの宮内のどこだったかはしりませんが、何か山の端に暮れおちる夕陽を背にしながら、お舞いになったのだそうですね。羽衣を着た天女が、途方もない大きな空に音も無く消え行った姿が、どうしてどうして、だれにも今まで見たことも無い、恰も人の魂を奪い取ってしまうかのような舞いじゃったとか。形とその影が溶け合ってしまって、自分が何ものであると云うことすら瞬間に忘れさせてしまうような真に迫った舞い見せられ、それを見られたお方が大変褒めていたとか。・・・・もう一度言いますが、よく聞いてくださいな。『ろうたし』と言うのは、見た目が、ただかれんで可愛らしいと言う事なのです。物の形だけを真似れば容易く出来上がると思いますが、『へだて心』と言うのは、その物の形に付いている影をも一緒に、言い換えると、命ということなのです。人の手では簡単には作り得ない神に近い気高く品のある美しい心です。人を超えたこの世の中の最高の美しさなのです。神様の美しさといってもいいでしょうか。どう舞い現すか、まだ、これがそうですと踊られたお人はいないのではと思います。大変な雅で難しい芸事なのです。余り時間はないかもしれまっせんが、それを目指して小雪さん、舞って欲しいのです。先日見たあなたの左手先から飛び立っている幾筋もの影の気が私には見えたのじゃ。その時、あなたなら、それがきっとできると思ったのです。何か、今、私が追い求めているその『へだて心』を、垣間見たような思いがしました。これも松斎先生から教わったことなのですが、あの紫式部が、琵琶をそれとなく奏でる少女の中に見出した『ろうろらじ』と言い現わしているその心と全く同じなのです。名優といわれるようなお人でも、20年も30年も求めても求めつくものではないそうです。でも、あなたは、案外、簡単に舞い終えることができるような、そんな気が、あの時とっさに私の頭に浮んできたのです。・・・・色々ときつい注文をさせていただきます。どうか、あなたもその気になって演じて見てくださいな。」
 と、江戸の名優さんです、きっと口を結ばれるようにして、きつく確かに静かにお話しなさいました。

小雪物語―へだて心とは

2012-06-16 20:53:57 | Weblog
 「この鈴虫の『ろうたけ』というのはな、ここの吉備津神社の藤井松斎先生のご説をかって伺ったことが在るのですが、それによると、大変にかれんで、そっと自分の胸に包んでしまいたいような愛しい想いを云うのだそうです。それに対して『へだて心』というのは、そのろうたけた、誠に愛いくるしいとかという、何か心に浮き浮きしたものがあるような表面で直接的な肉感的な感じとかいうものではなく、何となく野暮ったいような、それでいて、それをいったん耳や目にすると、その時はそうでもなかったのだが、後々になるに従って、その声が大変懐かしく、もう一度、その声がどうしても聞きたいような気分に陥るような、心が大変に動かされるような、単に愛しいと云うのではなく、なにかどう言ったらいいのかその感じ方に随分と物やわらかさ現れてくるような感じなのだそうだ。物と物を引きさくような激しい思い出はなく、何となくふんわりとした軟かさのある優しさだと言われるのです。・・・」
 それだけ云って、やや一呼吸置いてから、小雪の方に向き直りして、
 「その『へだて心』のこころを、今度のここでの総踊りの中で、小雪さん、あんたの踊りの中に出してみとうなったのだ。あの時、小雪さんのかざしたほんの一瞬の左の手の中に、それを見いだしいたのだ。此の鄙の、備中宮内にも、こんな雅なもの、そうです。奥ゆかしさの中に随分と威厳の感じられる美しさを、これは難しいことになると思うのじゃが、そうです。紫式部がうい『へだて心』を全国津々浦々から集まった人達に見てもらいたいと思ったのだ。それが、小雪さん、あのあなたと初お目見えの時に、あんたのその物腰の柔らかさの中に、手や足、いや体全体の中から醸し出される女の人にしかない、男では決して出せないおなごの色気と云いましょうか、誰でもは備えられないような特別なあなたしか持ってない、おんなの色気というか、おなごの特別な美しさが、女形の私には決して表せないものじゃが、そんなものがあなたの体から見えたのじゃ。・・・・少々は、というか、大分きつうにはなると思うが、小雪さん、あんたしかおらんのじゃ。そう決めたのじゃ。何遍でも云うが、この役はあんた以外ではだめなのじゃ、誰もおらんのじゃ。しんどいかもしれんがやってくれんかな」

 突然に菊五郎さんの、田舎の落ちぶれうかれ女に対する卑下した物云いようではありません。何処までも真剣な眼差しで、ひとりの一人前のおなごとして、ジッと小雪を見つめながら話されます。本当は自分には、そんな聞いたことも無いような摩訶不思議な力など有ろう筈もありません。それを知っているのは自分だけだとは思うのですが、この菊五郎の眼差しからは、到底、「あたしにはできまへん」とは言えそうにありません。そなん力強い菊五郎の言葉でした。