今日小学校を訪ねました。
先日向山の藤井高尚先生の墓地で見つけた玉虫を6年生のみんなに見せてあげるためです。この玉虫は例の聖徳太子の法隆寺にある「玉虫厨子」のあの玉虫です。ここの山にも、時には見つかることがあります。
その玉虫を持って、6年生の教室にお邪魔しました。
教室に入って、まず、驚いたことは、この6年生の子供たちの見事と言っていいほどの、先生を中心とした和気藹藹とした雰囲気の感じられる学級だと言うことです。
何か一つのことに集中していこうと言う積極的な姿がありました、勢いがありました。考えていかなくてはと言う意欲も、友をいたわる姿も、欠点を探すことが難しいような学級の姿勢が見えました。
校長先生が常におっしゃられている
「いい学校に来させていただいて」
と言う言葉の意味が分かります。
45分のお約束の時間を、とっくに越えて1時間半も彼らと一緒に考えました。
出された問題に一人の例外者もなくみんな一心に考えてくれます。あれでもないこれでもないと。
先生と子供たちの絶好のスクラムがありました。だから、子供から出てくる結論はすべて論理が通った正論ばかりなのです。いい加減に答えるなんてことはありません。「何と素晴らしい学級かな」と感じられました。
授業の終わりに子供たちから頂いた「ありがとうございました」と言う言葉に痛く重みを感じながら自分の話したことの稚拙さに恥いるように教室を後にしました。
今日一日が何はこの子供たちとその先生に接して、うきうきするような一日のように思われました。
「更なる前進をこの子たちに!」と言う思いで校門を後にしました
先日向山の藤井高尚先生の墓地で見つけた玉虫を6年生のみんなに見せてあげるためです。この玉虫は例の聖徳太子の法隆寺にある「玉虫厨子」のあの玉虫です。ここの山にも、時には見つかることがあります。
その玉虫を持って、6年生の教室にお邪魔しました。
教室に入って、まず、驚いたことは、この6年生の子供たちの見事と言っていいほどの、先生を中心とした和気藹藹とした雰囲気の感じられる学級だと言うことです。
何か一つのことに集中していこうと言う積極的な姿がありました、勢いがありました。考えていかなくてはと言う意欲も、友をいたわる姿も、欠点を探すことが難しいような学級の姿勢が見えました。
校長先生が常におっしゃられている
「いい学校に来させていただいて」
と言う言葉の意味が分かります。
45分のお約束の時間を、とっくに越えて1時間半も彼らと一緒に考えました。
出された問題に一人の例外者もなくみんな一心に考えてくれます。あれでもないこれでもないと。
先生と子供たちの絶好のスクラムがありました。だから、子供から出てくる結論はすべて論理が通った正論ばかりなのです。いい加減に答えるなんてことはありません。「何と素晴らしい学級かな」と感じられました。
授業の終わりに子供たちから頂いた「ありがとうございました」と言う言葉に痛く重みを感じながら自分の話したことの稚拙さに恥いるように教室を後にしました。
今日一日が何はこの子供たちとその先生に接して、うきうきするような一日のように思われました。
「更なる前進をこの子たちに!」と言う思いで校門を後にしました