私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

磐姫皇后の嫉妬(うはなりねたみ)⑥

2009-07-23 18:13:27 | Weblog
 たった3,4回と思って、綴ってまいりましたが、古事記の面白さにつられて、ついその気になって長々とおしゃべりしてまいりました。ここで終わりにしようかと思ったのですが、「吉備の国って、知っていますか」と言うタイトルです。後2,3回にわたって書かざるを得ない事実が、この黒日売の後にある記事から見つかったからです。
 
 先に触れた、仁徳天皇と黒日売の恋は磐日売命の知る所になり、古事記によると、「・・・追下而。自歩追去(・・・おいおろして、かちよりやらいたまいき)」と書かれています。要するに、磐日売命の仕打ちを恐れて、急いで船で帰っていた黒日売の乗った船を、そうです。もう出発して大浦(沖合)まで漕ぎ出している船をです。追いかけていって捕まえ、難波の津まで連れ戻し、船より強制的に引きずり降ろして、徒歩で吉備の国に追い帰すのです。

 この辺りの書き振りが古事記の魅力的な記述なのです。

 この後、その黒日売を思う思いが日ごとに募った仁徳が磐日売命を騙して吉備の国まで逢いに行きます。そして、若菜などを摘んで楽しい冬の日々を過ごしたのですが、何時までもと、言うわけにはいきません。何せ仁徳は天皇です。日本の国の政治を司っているのです。朝廷のある難波の宮に帰って行かれるのです。

 この吉備の国への夫;仁徳の行幸と言うと、格好はいいのですが、単なる、男の己の欲望を満たすだけで、正確には行幸と言えるかどうか分からないのですが。
 行幸とは、そもそも政治的な意図がその中には含まれているのが普通てすが、この場合は、そんな政治的な意図はこれっぽっちのかけらすら見つけることができません。
 そのような吉備への仁徳の行幸は、古事記には、磐日売命は何も知らなかったように記されています。あの仁徳の恋愛に対して、動物的と言っていいほどの臭覚の鋭い磐日売命も、まんまと仁徳のウソに騙されるのです

 こうして、再び、難波の都に帰られた仁徳天皇ですが、又、黒日売でない別な女性に対しての恋の心が騒いだのであります。
 その新しい仁徳の恋の相手のいることを、あの磐日売命が知るきっかけを作るのが、当時、吉備の国の児島から難波の都に派遣していた「児島の人足」なのです。
 
 ここにも、また、「吉備」と言う言葉が出てきます。当時、吉備の国と大和朝廷の関りが、いかに、深かったかということを物語っています。

 なお、この吉備の国に行幸?(恋の視察)されて、造山古墳の大きさに驚いたであろう仁徳は、自分の御陵を、吉備で見たであろう「造山」のそれ以上の古墳を造営することを思い立ったのではと思いますがどうでしょうか。
 

 今日も、また、聊か、長ったらしくなりました。続きは明日にでも・・・。