私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

仁徳天皇陵と造山古墳

2009-07-06 12:24:23 | Weblog
 さて、古代国家で一番の恐妻家であった仁徳天皇について少しばかり説明しておきます。
 仁徳天皇と言えば、まず思い出すのが、大坂の堺にある日本で最大の前方後円墳である「仁徳天皇陵」です。
 だから。この天皇を語る時には古墳を置いて語るはできません。

 そこで、今日は古墳のことについて少々。
 
 「新庄にある造山古墳は日本で4位だ」
 と、私が知ったかぶりをして言います。側にいた友人に、
 「何も知らんくせにええ加減なことを言うな。この馬鹿」
 と、まず一括されます。
 「ちがうんか」
 と、私。
 「そうだ。この古墳こそ日本で1位の古墳だ。何が4位だ。よく聞きなせえ」
 と、その人は得意顔で、次のように説明してくれました

 仁徳陵は5世紀の半ばごろにできたもので、ちなみに、第2位は応神天皇陵で、次が履中陵の360mの古墳がある。でも、4位の大きさを誇る新庄にある造山古墳もやはり360mで、数mぐらいの違いがあるだけで、そんない違いがないのだそうです。此の大きさで日本3、4位の両古墳は、できた時代から言うと大体同じ頃にできたもので、1,2位の古墳よりも半世紀も時代が古いのだそうです。5世紀の初め頃に作られたのだそうです。
 だから。造山古墳が造られた時は、当然、日本一の古墳だったと言うわけです。
 「4位ではないのだ、どこまでも、日本で1位の古墳なのだ」
 と、その人は胸を張るように強く言いました。「ふふん」と感心することしきりです。
 
  なお、この造山古墳のすぐ西には、大きさだけからですが、日本で9位の作山古墳があります。此の古墳ができた時代は、造山古墳ができてから、2、30年後にできます。
 また、この造・作山古墳の2つの間にある、備中国分寺のすぐ東にあるのが通称「黒姫古墳」です。あの黒日売の古墳であると言い伝えられていますが、その根拠みたいな言い伝えが、また、この地には古くから言い伝えられています。