私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

豪雨です。明日の天気が心配です。

2009-07-21 14:20:13 | Weblog
 梅雨の末期です。昨日から、私の町吉備津も豪雨に見舞われています。一時やんだかと思ったら、また、強い雨垂れが窓を打ち付けています。泥水が用水に一杯になって激しく音を立てて流れ去っています。今は小止みになっていますが、西の空が真っ黒くなって、何か知らない不気味な様相を見せています。何時また激しい降りになるかもしれません。
 そのような空模様の中、何もすることもなく、ただうすぼんやりと寝て過ごすのもと思い、一人部屋に入って「本朝通鑑」という本を読んでいます。
 
 と、言うのは、私は、昨日、美星天文台に、明日22日に起こる皆既日食についてメールで問い合わせをしました。多分「返事なんて頂けないだろうと」と、高を括っていました。すると、どうでしょう。今朝、天文台の中内氏から、ご丁寧なる回答を賜ります。恐縮の極みです。

 と言うことで、本朝通鑑を引っ張り出して、日本の過去に於ける日食の記録をたどているのです。
 物の本によると、わが国最初の日食の記録は、日本書紀の推古天皇の三十六年の条に、3月2日に「尽く日が欠ける蝕(はえ)あり」と、いうのだそうです。

 早速調べました。書紀にその記事が確かに載っていました。念のためにと、黒日売の古事記を見ますと、そんな記録は一切ありませんでした。日本書紀の深さも分かります。でも、書紀の記録は持統天皇までです。それ以後は、それぞれの歴史書がありますが、そんなものは手元に全部はそろっていません
 それではと、林羅山の本朝通鑑を引っ張り出します。奈良・平安以降の歴史もちゃんと書いてありました。勿論、日食の記録も載っています。

 ページを捲ると、見えます。見えます。日食と言う文字が面白いように並んで見えます。中には、ある年には、1年に春と秋に2回も見えたと言う記録も載っています。

 でも、この日食と言う自然現象を、科学の未発達な奈良・平安の昔の人たちは、一体、いかに思っていたのでしょうかね。

 私が育った昭和の10年台の人さへ、井戸に蓋などというあのおかしげな話しを真顔で考えていたと言うことですので。


 さて、22日晴れて、80%近くの日食が見えるでしょうか。