私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 39

2008-05-31 10:51:37 | Weblog
 お園は「まあ、そんなことできません」と、断りますが、母親のおよしも、しきりに「是非、そうしておくれやす。お願い申します」と、懇願するように言います。
「では、一晩なりともそうさせて頂きます」
 と、不承不承に言うお園です。
 そうなりますと、今まで怪訝な顔をしていたお千代も、何か急に生き生きとして、お園のために色々と気を使います。
 「控えの間に侍らせて頂きます」と、言うお園をしりめに、おせんのと並べて布団も敷きます。
 およしもしばらく、何やかやと指図するおせんの姿を黙ってじっと眺めていましたが、奥向きの事もあるのか、「よろしゅうお願いします」と、部屋から出て行きます。
 床に入っても、まだ、おせんの「どうして」というおしゃべりが続きます。
 長い回廊をころころと転がり落ちていく毬を懸命に追いかけ少女が、その毬とともに何処へともなく消えていった話には、特に、関心があったのでしょう、何回も何回もどうしてどうして、と、聞いていました。
 「女の子は何処へ行きはったんでっしゃろか。一番好きなものをなうした時ぐらい悲しいことはおまへんよって、不思議な神さんでおすな」
 おせんの声は消え入りそうにか細く、殆ど涙声に代わっていました。
 「きっと、その女の子も悲しかったのでしょう。その声が今でもお竈殿の中から
聞こえ、それが吉備津様の比翼のお屋根に伝わって、今度はそこから大空の果てにまで届けとばかりに飛び散るように広がっていっているのだそうです。どこにもない不思議な不思議な神様です。この吉備津様は・・・・」
 「かわいそうな女の子。・・・・そのお竈の鳴る声を一度聞いてみとうおすな」
 夜の帳が一段と深まってきます。行灯の光がゆらゆらと部屋の中に揺らいで、ゆったりとした初夏の宵の静寂が流れていきます。
 と、突然に、懸けている布団の中に、顔を埋めたかと思うと、「比翼。・・・うううう」と、いう、おせんのうめきに似た声が流れてきました。それは、今まで、自分の心の中で一心に耐えに耐えてきた悲しみが、これ以上耐え切れなくなって、一度に堰を切って流れ出したかのような悲痛な呻き声でありました。
 この世の中にあるのかないのか分らないような悲痛な響きが障子に跳ね返って、部屋全体に覆いかぶさるように、お園には聞こえるのでした。
 「どんなことがあったの」と問いかけたいのは山々でしたが、自身の胸の中で自分自身と戦っているおせんの姿を見て、
 「どうぞ、自分で自分に打ち勝ってくださな。それが、これから自分が自分で生きていくということです、おせんさん」
 と、心の中につぶやきます。
 でも、まだ、「どうしました」と言う、問いかけはしません。まだまだ時間には余裕があるようです。自分の経験からして、まだ、お園から問いかける時にはなっていないように思られました。待つことの大切さを思いながら。
 「おせんさんがその思いを自ら言うまでいつまでも待つのですよ、それが、今、お園のできることの一番大切なことなのですよ」
 と、ほの明るい部屋の天井から、突然に、祖母の凛々しい声がお園には聞こえてきました。
 それから、どれだけ時間がたったのでしょうか、五月闇が辺りを流れます。
 「お園さん。聞いてくれはりますか」
 おせんは、布団の上に座りながら、きっぱりと言いました。

比翼の鳥

2008-05-30 08:27:07 | Weblog
 吉備津神社の造りは「比翼入母屋造り」と呼ばれていて、わが国では他に例を見ない壮大な造りになっているといわれています。
 この「比翼」の語源について尋ねてみたいと思い、久しぶりに例の漢文の先生を訪ねました。
 正月以来ですから、話も多方面にわたります。ようやく、その比翼について聞くことが出来ました。

 「比翼」というのは、中国に言い伝えられてきた雌雄同体の不思議な鳥のことで、白居易の長恨歌にあるという。
 
 そこまで言うと、大変立派な装丁の本を書庫より取り出して、ぱらぱぱらとページを捲り、それを私の前に差し出して言います。
 ひとくさり長恨歌の内容についてご講義を賜り、やおら言います。
 
 「最後に、仙女は天界にやってきた修験者に言う。
  
     夜半、人なくして 私語せし時
     天に在りては願わくは作(な)らん比翼の鳥
     地に在りては願わくは為(な)らん連理の枝
     
     天は長く 地は久しきも 時ありて尽きなん
     此の恨みのみは綿々として尽くる期(とき)無し

 我々人間は、愚かにも、天も地も永遠に決して滅びない悠久であると思っていようが、そうではないのだ。いつかは尽きて滅びてしまう破滅の時は必ず来る。しかし、馬嵬駅での、玄宗と楊貴妃の二人を裂いてしまうような愛の恨みは、綿々として未来永劫に繰り返され尽きる期(とき)はないのである」

 「それにしても、愛とは、なんて儚いものなのだろうか。・・・この年になっても、まだまだ、できるものなら死ぬほどの思いの恋はしてみたいよな。あははは」
 と、例の高笑いを期に腰を上げました。 
     


 
 

吉備津神社

2008-05-29 15:56:16 | Weblog
 3年の歳月をかけ、ようやく吉備津神社の平成のお屋根替も完成に近づいています。今、周りの工事用足場の鉄柵が取り払われつつあり、日一日と、その全貌が明らかになっています。
 鳥の比翼と形容されている入母屋造の真新しいお屋根は、大空に羽ばたいている鳳凰のようでもあり、優雅な舞いを舞っている白鳥のようでもあります。
 新緑の中に燦然と輝いて見えます。






おせん 38

2008-05-28 13:53:17 | Weblog
 「そうです。福井から宮内に帰ってきたときは、誰にも逢いとうない、一人きりで、できることなら死んでしまいたいと、しきりに思いました。・・・宮内の遊女が、そうです、宮内は山陽道随一のお遊び所で、大勢の遊女がいます。ある時、その内の一人で、丁度私と同じ年格好のまだ、年端も行かない、子供子供した可愛らしい顔をした遊女でしたが、近くのお滝宮の所で、滝に身投げをしたことがありました。その時の光景が浮び思い出されて、なかなか死ぬ勇気も出ませんでした。・・・・・何ををするのもいやでいやで、ただ、家の中にじっと閉じこもっていました。でも、いつも薄幸な遊女達の姿を、目の当たりに見たり聞いたりしていたものですから、自分一人が、この世の中で、一番不幸せな者であるとは思ってはいなかったのです。お遊女さんには悪いのですが、当時、あの人たちも生きている、と、いう気持ちが何分かの慰めのようになっていたのは確かです。継母もそうですが、家のものがみんな腫れ物を触るように遠くから、そんな私を、ただ、見ているだけのように思えました・・・・」
 知らないうちに、外には細かい雨が降っています。その雨をゆったりと浴びている楓の葉とそこから落ちる雫をいっぱいに吸い取り柔らかに輝いている緑の苔が重なり合うようにして、ひんやりとした広間を作り出しています。
 しばらくお園はその景色に見入っています。おせんも庭の方を向いていました。
 二人の静かな時が流れます。深く息をして
 「生きるって、しんどいことがいっぱいあるのどすなぁ、お園さん・・・・・わてだけかと思っとりましてん」
 お園の方を向いて話しかけるように言います。そのおせんにはもう涙はありませんでした。
 「何かありましたの、おせんさん」と、聞きたいのは山々でしたが、何かおせんの身にもあったということは分りますが、聞かずにじっと我慢しています。今は、まだ、待つことのほうが大切なのではないかと、とっさに思います。
 「死にとうおましたか・・・・そんなに辛うおましたか。・・・・・・わては・・・・死になどしまへん。けっして」
 最後の決してと、いう言葉は、一段と強く、ぐっと口を一文字にして言い切ります。
 夕方が近くなって、雨脚が次第に強くなります。
 「あら、雨がきつう降っとります。・・・・あそうだ。今晩は、ここへお泊りになりはったら。そうしておくれやす、ねえ、お園さん」
 「お千代、お千代」と、今までに聞いたこともないような大声が静かなお屋敷にこだまします。
 その声を、まず、聞きつけたのが、千代ではなく、やはり母親のお由でした。
 「まあ、はしたのうおす。おせん、そんな大声で・・」
 とか何か言いながら飛んできます。それはそうでしょう、ここ当分、この部屋にこもりっきりで、何か言うと「あっちへいって」と、にべもなく言って、合うことも話すことも拒絶していたあのおせんが、誰か人を呼ぶのですから。
 「ああ、かかさん。お園さんに今晩、ここに泊まってもらいます」
 「どうして」
 と、不思議がるお由です。その時、千代も部屋に駆けできます。そして、母親と話している久しぶりのおせんを見て、「こんなこっとっておますのやろうか」と、これまた、狐に詰まれたような顔をしています。 
 

おせん  37

2008-05-27 17:24:43 | Weblog
 おせんに問われて、お園は、それに、ただ、当たり前に素直に答えているだけで、誇張もなく声を高めることもありません、普通通りにさらりと受け答えをするお園の話し振りです。でも、このお園の声には、聞く人になんとなくほっとした暖かな感じを与える不思議な魅力があります。
 大旦那様はいつも、
 「お園さんの声に惚れたんだ」
 と、言ってみんなを笑わせています。
 久しぶりにいっぱいに開いた障子窓から初夏の湿っぽい清らな風が部屋にいる二人の間を通り流れます。その風にわずかに揺れている緑の楓の小枝をみながら
 「あら、もう夏?。風鈴出さなくては。・・・・お園さん、夏はお好きどす。おせんは大好き。・・・・」
 「春も夏も秋も大好きです。私の生まれた宮内には、冬だけはお祭りがありません。そのためだけではないでしょうが、火が消えたようで、ちょっと淋しい感じがして、早く春が来ないかなあと子供の時分にはよく思っていました。でも、お年玉がもらえて冬も結構好きでした」
 「まあ、欲張り。・・・でもいいな、好きなものがいっぱいおして、嫌いなものなんか、お園さんには、あらしまへんのやおへん。・・・平蔵さんもいてはるさかい」
 平蔵と言っておいて、また、真っ赤になるのではと思って、お園の顔色を伺うおせんです。
 下を向いたまま、お園は言います。
 「そうでしょうか。・・・・嫌いなことも、人さんには言えんような辛いことも仰山あります。人ですさかい」
 お園ははっとしました。大坂に来てまだ半年ぐらいしかたってないのに、始めて、おせんさんの、いやはるさかいという言葉に引き込まれたのでしょうか、さかい、と、いう大阪言葉が口をついて出ました。おせんはそんなことなど全然気にもかけないように
 「人さんに言えんような辛い事って、そんなん、お園さんにはあらしまへんでしゃろ」
 と、唇をかむように、きっぱりと、言い切ります。
 「人様色々ですから、誰もが、好きなことだけでなく、いやな辛いこと、嫌いなこともいっぱいあるのと違いますか。・・・・・わたしにも・・・」
 まだ、下を向いたままです。
 「わたしにも・・・・辛いこともありました。・・・・ちょっと恥ずかしいのですが、・・・・お話したくはないのですが、お話しして見ます。始めて人様にお話しするのですが」
 あまり真剣にお園が言うのもですから、おせんもじっとお園の方を見て、こっくりとうなずきます。
 
 十六歳の時、宮内からそう遠くない倉敷の福井にあるお百姓の家にお嫁に行ったこと、子なし故の離縁、実家へ帰ってからの周りの人の見る目の厳しさ、子供達にまで「石女」と陰口されたことなど事つぶさに話しました。
 
 ふと顔を上げます。おせんは目にいっぱい涙をためて身動き一つもしないで、何も感情にも出さないようにすらっと話したはずなのに、お園の話に聞き入っています。
 平蔵との出会い、舟木屋の大旦那様の計らいを始め、父母の、特に、継母の温情など、事小まめに話します。
 「かわいそうなお園さん」
 ぽつんとおせん。その頬に溜まっていた涙が、堰を切って、幾筋も流れます。 

おせん 36

2008-05-26 19:42:00 | Weblog
 それっきりでで、再び、部屋は、おせんがお園の方に身体を向けているのを除けば、二人だけの以前と同じ黙りこくった時間が流れます。
 じっとりと額に汗がにじみ出ます。今日も暑くなりそうだなと思った途端です。
 「お園さん、障子開けまひょか」
 と立ち上がり、締め切ったままになっている障子を開けます。部屋に外の明るさと一緒に涼しい風も飛び込んできました。幾日振りかの外の空気もです。燕でしょうかさっと向こうに飛んでいくのも見えます。
 「あ、燕がもう来ていてはります、お園さん、はようはよう」
 と、子供のように手で招きます。お園も近づいておせんが指差す方を見ます。二羽の夫婦燕でしょうか、そこら辺りをそれこそ縦横無尽に、行ったり来たりしながら飛び交っています。
 「うらやましゅうおへん、お園さん。思ったところへ何処にでも行ける燕が・・・」
 「燕でも雀でも羽がある鳥は羨ましいですね。何処へでも飛んで行けるのですから」
 「お園さんは、今、平蔵さんのところへ飛んで行きたいのでぇしゃろ。うふふふ」
 お園は、又、顔を真っ赤にしながら、いやいやをするように小さく顔を左右に振ります。
 「まあかわいい、お園さん。どうして、直ぐに、そんなに真っ赤になるのどす」
 それがきっかけとなりました。
 おせんのどうして、どうしてという問いかけが山のように続きます。その都度、真っ赤になったり、下を向いたりしながらおせんの話をもっぱら聞きながら、ただ「いえちがいます」とか「そうですね。そうかもしれません」と、最初の頃は、ごく簡単に返事をするだけのお園との会話でした。
 今まで、この部屋で自分の気を張り詰めて、どうすることも出来ない問題を自分自身の体の中に閉じ込めて来ていたおせんですが、何か言うと直ぐに顔を真っ赤にして恥ずかしそうにめいるようにするお園さんに、なんだか安心して話をすることが出来るのではないかという雰囲気を感じたのかもしれません。今まで長い間、黙りこくっていたのもを、この機会に一挙に取り戻せるのではと思えるような話し振りです。
 そうなってくると、「そうです」「ちがいます」といった簡単に相槌を打つだけでは話が進まなくなってきます。かえって、お園の話の方が長くなったりもします。
 平蔵と一緒になったこと、お竈殿の占いのこと、宮内の昔話のこと、子供の時のこと、宮内というところ、桜のことと、いくらでも後から後から、この「どうして」と言う言葉以外の話題が多く入ってきます。
 次から次へと際限なしかと思われるように、二人の話が進むのです。お園自身も、この2、3日おしゃべりをする機会がありませんでしたから、似たもの同士と気があったからでしょうかいくらでも会話が続きます。
 だが、不思議なことですがお園の離縁については、一切、おせんは口にしませんでした。おせんが知らないのか、それとも聞くのが悪いから話の中に入れないように意図的に避けていたのかは分りませんが、問われたらどう答えようかなと、気には掛かっていましたが、おせんの「どうして」の中には、最後まで入ってはきませんでした。

おせん 35

2008-05-25 23:21:51 | Weblog
 おせんに柔らかな表情を見出したお園でしたが、この柔らかさがどれだけ本物であるかは自分の経験からしても疑わしく思い、慎重に慎重にと自分の心に言い聞かせながら、次はどうすべきか考えていました。
 自分の家に帰るということがこれほどまでに重く、しかも、自分の今までの存在を総べて否定すということになるということなどは、今まで生きた23年の中にはなかった、ついぞ考えたこともないことなのでした。
 幸福などと言う言葉がこの世の中にあるということは、周りの、特に、吉備津宮司の藤井先生のお言葉の中から、また、おばあさまの言葉の中から知っていたつもりだったのですが、自分とは遠くかけ離れた所にあるもののように漠然と考えていました。自分の身にそんなものがあるなどということは気にも懸けないような、この23年間だったように思われます。 福井へお嫁に行った後は、子供を抱いて、自分の生まれた家の門に立つの、それはそれは夢見ていました。それが女として生まれた自分の定め、おばあさまのよく言われた宿世だと信じ込んでいました。それだけが漠然とした自分の幸福かのように思われました。自分とは随分に遠く離れた所にある余り関係のない物のように思われていました。ただ、漠然と世間の人が話の種に言っているに過ぎないもののように思っていました。でも、この大坂に来て、平蔵と一緒になって暮らしてみて、今までの暮らしと随分違って、世間で言っている幸福というものは、結局、自分が自らの手で作っていかなくてはえられないのではないかと思うようになりました。
 今、きっと、おせんさんも、一生懸命に自分の心の中に秘めている事と戦いながら一人で何かと戦いながら、その幸福とやらを一身に追い求めているのではなかろうかと思っても見ました。そのために、自分の殻の中にしっかりと自分を入れ込んで戦っているのではないかとも思えます。自分ではどうしようもない戦いと懸命に戦っているのではないかとも思いました。

おせん 34

2008-05-24 17:48:50 | Weblog
 今朝も初夏の暑さをいっぱいに引き連れて明けました。昨夜は、一人寝というこもあったのでしょうか、床に就いてからも平蔵のことやあれやこれやと思いが飛び交い、朝方になってやっと一睡出来たように思うのでした。それでも、明け六つの鐘の前には目が覚めます。
 おせんさんの事も気にかかり、家を早めに出るお園です。
 舟木屋の勝手口から、御寮ンさんに挨拶をと思い、台所を覗いてみたのですが「御寮ンさん、今、表どす」というお千代さんの声が奥のほうから聞こえます。「今日も暑くなるぞ」と、空にある明るい初夏の大坂の太陽が燦々と目に飛び込んできました。
 「おはようございます」と型どうりの挨拶を済ませ、おせんの部屋に入ります。部屋は昨日と全く同じです。ただ、障子に映る池の面からの光でしょうか、きらきらと細波のように踊っています。
 おせんは相変わらず焦点の定まらないうつろの目をしながら部屋の真ん中に昨日と同じように座っておられます。ただ黙って。お園も控えの間にゆっくりと座りながら、「今日も女の痩せ我慢比べをしましょうね。おせんさん」と、心の中で言います。
 梅の暑さが一段と厳しく、額に汗がうっすらと浮び出てきます。
 お昼を少し過ぎた頃です。
 「今日もまた暑くなります。居眠りをしないようにしなければ」
 と、気持ちを引き締めます。
 その時です。突然にです。「ふふふ」と、おせんの口から小さな小さな笑い声が漏れます。
 「お園さん。居眠りしったてかまへんでぇ。・・・うふふふ」
 何を言っているのかとっさのことで分りません。「何ですか」と、今すぐに聞き返すのがいいのか悪いのか分りません。暑苦しい部屋の中は、再び、しばらくの沈黙です。
 「平どんでしょう。うふふふ、かかさんに聞きましたえ」
 それまで一度もお園の方を見て話したことなどなかったのですが、今日は違います。
 「夢の中に恋しいお人が出てきてくれはって、ようおますな。お園さん」
 ちょっぴりからかい加減にいいます。
 「え・・・何でしょう。夢だなんて、とんでもありません。そんなことありません」
 と、やや顔を赤くして答えます。おせんが何を言っているのか少しも分りません。
 「どうして」
 と、今まで何か、このおせんさんに尋ねてみることが、いいことなのか、悪いことなのか分らず黙っていたのですが、今は、どうしてだか知らないうちに自然に口をついて、つい言葉が、自分の意識からかけ離れて、一人で飛び出して声になっていきました。「あ、しまった」と思ったのですが、どうしようもありません。
 「うそでしゃろ。昨日、お園さんは寝言で言ってはりました。平蔵さんと・・・」
 昨日、おせんさんが「ふふふ」と、一瞬笑顔を見せたように思えたのですが、あれは自分の言った寝言を聞いたからだったのかと思うと、途端に自分の顔が、前にも増して真っ赤になっていくのが分るように思い、ますます赤くするお園でした。
 「まあ、そんなにお顔が真っ赤どす。おもしろいお園さん。ふふふ」
 この「ふふふ」と言う笑い声は、何か、それまでのごつごつとしたおせんの体中の表情を一変させ、やわらかんな雰囲気さえもいっぱいに漂わせているように、お園には感じられました。

おせん 33

2008-05-23 17:50:29 | Weblog
 時間はゆったりと流れていきます。春の気配が空高く流れ去り、もう其処には夏がこの地上に届いてきています。締め切った部屋の中は額に汗がほんのりと浮び出るようです。
 こちらから何かを仕掛けることも出来ず、た沈黙を守って、時が過ぎ行くのを待つだけです。
 お園は、そのうち、うつらうつらと夢心地の中に入り込んで行きます。とんでもない大きな真っ黒な穴の中を一人で、何かに吸いつけられたように歩いています。その真っ黒な向こうには、故里の宮内のお墓の入り口に座っていらっしゃるあの閻魔大王さんのいかつい顔が出てきたと思うと、突然に懐かしい祖母に取って代わったり、今度は、両手をいっぱいに差し延べてくれている平蔵の姿になったりしています。懸命に声に出して叫ぼうとしているのですが息苦しくて、誰かに口をふさがれているように口が利きません。やっと「ぐっう」と声が出たように思われました。その時です。
 おせんさんの
 「どうされはったの。お園さん」
 と、いう声にはっと吾に帰り、とっさに今何処いるのかも分らないように思えました。
 「まあなんとしたことでしょう、えらい失礼をしました。ついうっかり・・・」
 「疲れていやはるのどす。うちのために・・・・」
 「いいえいいえ、どんだ粗相をしました。つい気が緩んでしもうて、わたしが悪いのです」
 それから、又、少し時間が経ちます。
 突然どうしたのかは分りませんが
 「くすん」
 と、おせんさんが、声にならない声を出して頬笑まれたように思われます。
 「おや、おせんさんに笑顔が」と、お園は思うのですが、今は、このままおせんさんのほうから声をかけてくれるのをじっとして待つのがいいように思い、そのまま黙って障子に映る夕陽の影を見つめておりました。宮内のおにぎり山もきっと夕焼けに染まっていることだろうと、また、平蔵は今どこら辺りにいるのかなとも思いながら。
 その後は、又、おせんさんは押し黙ったままです。長い長いその日は暮れていきました。
 「ぼつぼつお家の方にと御寮んはんが・・・」と、いう女中の千代さんに促されて、長い長い一日目のお勤めをどうにか済ませて、舟木屋の勝手口をくぐり、わが家へと急ぎます。
 平蔵のいない部屋で、自分一人ぽつんと座ったままで、何も手が突きません。おせんさんの部屋にいた時にはこんな気持ちになったことはないのですが、何かとてもわびしいせつない気持にさせるのです。そっと、「平蔵さん」と呼んでみますが、ますます、平蔵恋しの思いが高まるばかりのお園でした。そして、はるばる大坂まで来て、平蔵のお嫁さんになって本当によかったなと、幾度も幾度も繰り返して思うのでした。
 今のお園のその思いの中には、誰も、おせんさんのこともですが、入り込む余裕すらないように、平蔵のことしか頭にはありません。
 「無事に早く、お園の元にお帰えしください。吉備津様」
 と手をあわせます。
 
 

伊勢物語絵入俳諧歌僻言集 の細谷川 

2008-05-22 09:20:29 | Weblog
 私の本棚には、日本にも余り沢山はない(数冊かもしれません?)大変珍しい一冊の本が並んでいます。おそらく全国の何処の図書館にも蔵書がないはずです。
 その本が「伊勢物語絵入俳諧歌僻言集」です。江戸の後期頃の江戸で出版されたようですが、何処で誰が出版したは、この本にはありません。
 准南堂・秋長堂・四方滝水の3人が、関東、東北、中部、一部兵庫の歌好きの人たちの伊勢物語にちなんで寄せた戯れ言(僻言)歌の中から選んだ俳諧歌集です。現代みたいな通信手段のなかった江戸の昔に、よくぞこれだけの歌を集めたものだと、いつも感心しながら読みます。

 この中の一首に、どうしてだから分らないのですが、伊勢物語とは全然無関係の細谷川の歌が入り込んでいました。

 吉備の山 散りて流るゝ 紅葉はハ 
           細谷川の 帯のにしきか
                         上州八幡 真舩
 
    
 平安から江戸の頃まで「細谷川」という川が、それほどまでに歌詠みの間で、人気が高かったのかと、吉備人としても誇りに思います。
 それが現代では、殆ど知る人がいないという状態ですから、聊か淋しい感じもしますが、反面、この細谷川は、それこそ、貧弱でわびしいという一言で言い表されるような場所で、あるかなしかのような薄っぺらな薄汚れた存在ですから、密かに隠れたようにあるのが元々の姿なのかもしれません。

ツタンカーメン 続編

2008-05-21 13:41:57 | Weblog
 昨夜、炊いた御飯が今朝にはこんな赤色を帯びていました。   
        
 少々皮の硬さに欠点だあるようですが、豆は、ご飯と一緒に炊く他、天麩羅にしたり薄味に煮たりして美味しくいただきました。どちらもビールのつまみによくあうようです。

ツタンカーメン

2008-05-20 20:32:25 | Weblog
 1922年、イギリスのカーター博士が見つけたエジプトのファラオのお墓があります。3000年以上時間がたっているのですが、ほぼ埋められた当時のままに保存されていた、大変珍しい未盗掘のお墓でした。その墓のファラオの名前が「ツタンカーメン」です。

 さて、今日お話するのが、このツタンカーメンなのです。といっても、3000年の「国王の話」ではありません。えんどう豆の変り種の話です。

 まず、写真を見て頂きます。

 そうなんです、えんどう豆の一種なのです。
 「こんな豆がある。植えてみたら」と、いう誘いにつれられて、今年、初めて植えてみました。ただななんとなく出来たように思いますが、吾ながら、たいしたもんだ、と、自負してもいいぐらいに立派に育ちました。
 今日、早速、よく実が入っているものを選んで採ってきました。
 真っ赤の御飯が出来ると、言うことを聞いて試してみたのですが、御飯が出来上がった時は、普通の御飯でしたが、時間がたつに従って、真っ白い御飯がやや赤い色に変化しています、(2時間ぐらい)、朝まで、このまま何も手も付けないでおいたら真っ赤に変色しているという。
 どうなりましょうや。 明日の朝が楽しみです。

おせん 32

2008-05-19 10:51:20 | Weblog
 部屋の中は静まり返っています。お園は、しばらく、どうしたらいいのか分らず、まず、手始めに障子でも開けてみようかなと立ち上がります。
 「開けんで」
 と、鋭い声が飛んできます。
 「外は緑がきれいですけど・・」と、小さくうなずいて、又、その場に座ります。
 何かを話しかけるのがいいのか、それとも、何も言わないでこのままいるのがいいのか、どうしたらいいのか見当も立ちません。
 ふと思いました。あれは福井の婚家を去り、宮内に帰ってきたあの時です。例え父母であろうと、誰の顔を見るのも、また、誰と話をするのもすべてがいやで、兎も角も一人っきりで、誰とも逢いたくなく、一人でじっとしていたかったことを。
 きっと、このおせんさんも、あの時の自分と同じで、何かの理由で、今は、唯一人で、誰にも邪魔されずに自分だけの殻の中にじっと閉じこもってしまいたいのではと思います。
 少しは時間が掛かるでしょうが、しばらくその場を少し離れているのがいいように思い、次の控えの間に、ただ黙っていざるように下がります。真っ白い障子を通して初夏の日の光が薄らと入ってきます。そよ風でしょうか楓の梢を揺らしているのでしょう影が障子に動きながら映っています。
 お園は、ただ、黙って何も言わないで待ちます。おせんの方から声をかけて来るのを待つのが、おせんと会話が出来る一番の早道ではないかと、自分の過去から考えた結論でした。ただ、そうして待つことが今の自分に与えられた仕事なのだとは思いますが、その時を待つのが如何に気長な辛抱の要ることなのかということも分りました。
 あの時も、継母である美世はじっと待ってくれていました。「なんて冷たいお人だ」と、怨んでいた自分の至らなさが身に沁みて思い起こされます。自分への接し方が本当の我娘のように大切に思っていたらこそできた事ではなかろうかと、おせんの前に、ただ、じっと待っているだけの自分と比べながら思うのでした。
 「おかあさん」と、これが本当の母を慕う心であるのだろうと思いながら、声にならない声を心に出して言ってみました。
 これから、果たして、どうなるのかもお園にも見当すら立ちませんが、今はただこうして待つことだけなのです。おせんも、相変わらず、うつろにただ座っているだけです。障子に映る楓の影が桟の一目一目へと刻々と動いていくだけで、後は何一つ部屋は動いてはいません。総てが元のままで静かです。この静けさこそがこいさんの心を癒してくれる今一番の特効薬であるようにも思えました。誰にも邪魔されずに自分の心の葛藤を打ち破る事が出来る最高の時ではないかとも思われます。


 

おせん 31

2008-05-18 14:35:30 | Weblog
 暫らくして、平蔵は伊予へ向かって旅立ちます。その留守の間、大旦那様のたってのお頼みで、お園は、平蔵とは別の形で、舟木屋の門をくぐることになります。全く考えても見なかった奉公です。人様に仕えるということはどういうことだということもよく考えないで、「平どんが留守の間に、ちょっと、孫の話し相手になってもらえんやろか。気楽にきてもらえれば」という大旦那様の言葉に従って、おせんさんの元にやってきました。
 舟木屋の当主徳太郎お由夫妻も、お園のことを大旦那様から聞き、藁をも掴むような気持ちで待ってくれておりました。
 「近頃はずっと家に引きこもりきりで、一歩も外へ出しまへんねん」
 と、娘を思う御寮んさんに案内されて、初めてお園はおせんに逢います。
 大坂でも指折りの大店です。敷地も広く、おせんのいる部屋は、お店よりやや奥の植え込みのある離れに一人で寝起きしているのです。
 「勝手口から、直に、ここへこれますさかい」
 と、明日からの道も教えてくれます。
 「おせん、お園さんどす。おじいさまがよくお世話になっている備中の宮内の立見屋さんから、お店の平どんのおよめさんにおなりになって、このたびお出でどした。おじい様が、おせんのことをそれはそれは心配なさって、お園さんをおせんのお相手にと、お頼みしたのっどす。」
 前から、おせんには言い聞かせていたのでしょう。それでも、怪訝そうな目つきをして部屋の真ん中ぐらいに座ったまま、ぺこりと、それこそ型通りの挨拶はします。
 「お園です。このたびこいさんの身の回りのお世話をさせていただくために上がりました。どうぞよろしくお願いします」
 深々と頭を下げます。
 おせんはそんなことを総べて無視しているかのように、どこか魂の抜けた人形さんみたいに視点の定まらない瞳を一方に向けたままで、母親やお園が其処にいるのさへ分らないように無表情に座っています。
 ぼつぼつホトトギスも鳴こうかという時期でもあるのですが、障子は締め切ったままで、部屋には、どことなく生気のない陰鬱な空気が流れています。
 「以前は、こんな事はおまへんでしたが、最近になってこんな調子なのどす。何を聞いても何にも言わしまへん。お医者はんに診てもろうたのどすが、どうもようわからんのどす。・・・・困っとりますねん。」
 嫁入り前の一人娘です。心配で心配で夜も眠れないという。「母親ですさかい。・・・・」と涙声で話され。「よろしゅうお頼みいたします」と深々と頭をお下げになり、御寮ンさんは腫れ物に触るようにそっと部屋から出て行かれます。

おせん 30

2008-05-17 10:35:08 | Weblog
 お竈殿の釜が大きく辺りに鳴り響いて、ようやくお園の決心も固まり、宮内から大坂の平蔵のところへ嫁入りしてきたのは、もう年も暮れようとした師走の寒い日でした。
 大旦那様のご手配もあって、何もかもうまく事は運び新しい所帯を持った二人の生活もようやく一段落したのは、もう如月になってからでした。
 「どや、嫁はんをもろうて。慣れん土地や。気ィ付こうて可愛がってやてんな」
 と、事あるごとに大旦那様は声をかけてくれます。
 去年は、ゆっくりと、遅桜を宮内に楽しんだお園の春でしたが、今年は足元から鳥が飛び立つように、そんな桜があるのかということすらも忘れてしまったかのように、何処かへいんでしまいました。何をしたのかといわれると答えられはしないのですが、本当に、ここへ越してきて新しい生活を平蔵としてみると、毎日があっという間に、自分の身の回りから遠のいていくような気がします。
 そんな小忙しい生活にもやっと慣れてきた弥生もぼつぼと終わろうかとする時です。ひょっこりと、大旦那様がお園を尋ねてまいられます。
 「元気だと平どんからは聞いてる。慣れんで困っとるのやないかと思っとったが・・・・ちょっとばかり、お園さんと話がしとうなってな」
 と、上がり框に腰をお下ろしになられて、お茶でもというお園を制してお話になられます。
 昨秋のお園たちのための鳴る釜の神事の後、金毘羅様にお参りになり、その足で、今までは取引のなかった伊予や讃岐の綿の買い付けについて、大旦那様がわざわざ足を延ばされた新規開拓されました。その新規の讃岐と伊予に、本年度からの買取のため、舟木屋は、平蔵を遣わすことにしたのだと言われれます。
 「まあ、初めての土地でもあるさかい、なにやかやぎょうさんややこしいこともあると思うさかい。備中の国でもやってもろうておった平どんに頼まなあかんのや。新婚のお園さんには淋しい思いをさせるのじゃが」
 と、さも気の毒そうにお話になられます。
 「まあ、その間と言ってはなんじゃが。お園さんに、今度は、わいから是非とも頼みがおますねん」
 大旦那さまが申されるには、舟木屋には「おせん」と言う可愛らしいお孫さんがおられるのだそうです。お歳が18歳でお嫁入り前のいとはんであるという。このいとはん、近頃、臥せりがちで、家の中に籠りっきりが多く、あれほど快活であったのに、口数も少なく、顔色も随分と悪く皆で心配しているのだのだそうです。何を聞いても
 「なにもあらしまへん」
 と、ただそれだけ答えるだけす。廻りの者がみんなして「心配していますねん」と淋しげな笑いをして言われます。
 「そこでだ。・・・・いつも、お園さんと話していると、なんだか、こっちまで気安うなってしもうてから、つい安心して、何でも話ができます。誰からも直ぐに好かれるようなやさしい心を持ったお人です。だから、始めて逢った時から、このお人を平どんの嫁はんにどうしてもしたらにゃあかんと思ったのや。人様に取られたらいけんと思うたさかい、神さんにお頼みしたのじゃ。ええぐわいに神さんにもええやろとおっしゃてもろうてな。あははは・・・・」