私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ー天つ御空の霞にまぎれてうせにけり

2012-07-31 16:30:23 | Weblog

  岡田屋のきくえねさんの声は、ゆったりして大きく、澄みきり、ごくごく当たり前のように辺りに広がって流れ行きます。
 「迦陵頻伽の慣れ慣れし、声今更に僅かなる雁の帰り行く天路を聞けばなつかしや、千鳥鴎の沖つゆくか帰るか春風の空に吹くまでなつかしや・・・」
 その声だけでも、何処までも底知れず、物悲しくて、聞く者をして、涙さえ湧きいでてくる心地に誘うのであります。
 そんなきくえの謡いに添って、辺り一面の花畑を、ひらりひらりと飛び交うてふてふのように、又、あるときは、お山から流れ下る春のそよ風のように飄々とひるがえる小雪の舞は、人の持つ底知れない哀れさ物悲しさをも、人に心にひしひしと訴えているようでもあります。
 小雪は、もう誰の目も感じていません。あれほど「是非、この人だけには」と、この会が始まる時分から一人密かに思っていた喜智の姿が、幕脇のついすぐ側から、しっかりと自分を見て頂いているのだという確かな安心からでしょうか、その舞いの中には、自分ひとりの心ではない、意識外の不思議な世界に引き込められたかのように、今日の師匠、菊五郎の「へだてごころ」も、何にもかにも総てが、心の中からすっかり飛び去っています。ただ、体が小雪の意識を離れて一人で舞っておるだけなのです。天女の持つわびしげな無垢な優雅さだけが、紋白蝶のようにひらりひらりと舞台いっぱいに舞い立っています。
 「いや疑は人間にあり、天に偽りなきものを・・」
 きくえの声が大きく唸ります。
 いつも、菊五郎が、決して、首を縦に振らなかったという事も忘れて、吉備のお山がら流れ落ちる風のように、小雪ではない小雪が舞い踊りしております。その内に、その小雪の姿さへも何処かへ飛び去り、あたかも、そのかざす扇の銀や金だけががふわーりふわーりと舞台の上を流れるように躍っています。それに合わせるかのように、きくえの謡いもますます高鳴ります。
 「色香も妙なり乙女の裳裾、さいふささいふ颯々の花をかざしの天の羽袖靡くも返すも舞の袖・・・」

 客席は、この動と静の一面にぴんと張り詰めたような舞台に引き付けられて、水を打ったように何処までも静かです。咳声一つ聞こえてはきません。


 そんな静寂な客席に、きくえの冴えた声だけがますます弾みます。その弾みに合せたように、三度目の小雪の胸に、今までにないような激しい痛みが走ります。
 「あと少し・・・・・・・」
 もがくように小雪は、まだ体の小隅に僅かに残っている舞い通す気力を、それでも必死に奮い立たせるようにして踊ります。
 ようやく、きくえの謡いも「天つ御空の霞にまぎれてうせにけり」
で終わりました。
 小雪の舞いも、その失せにけりとうたうきくえの声と一緒に、舞台の左の袖の端に、それはそれは静かに、消え入るように失せるように倒れこんで終わりました。恰も天女が、大空に、満月の影となりて、御願円満国土成就七宝充満の宝を降らす如くに霞にでも紛れるように消えていきました。



 ちょっと道草―ほととぎす 薄様に鳴き 夏は行き

2012-07-30 09:45:32 | Weblog

 猛暑です。どうしようもなくあつい夏です。でも、私の周りには吉備中山、名越山、鼓山、更に、少し向こうに庚申山、小雪物語の日差山、ずっと東に目をやると備前一の名山「金山」も霞立つ見えます。そのような名山に取り囲まれるようにして国宝「吉備津神社」が。その雄姿をいっぱいの木立の中に聳えたたせております。そのような緑の中の我が町吉備津は、都会のようなコンクリートジャングルとは違い、朝晩はこの猛暑でも、比較的に涼しく、節電にいくらかでも協力できる環境にあります。

 こんな緑の中に、この吉備の里の夏を、最初に告げてくれたホトトギスが、ウグイスの声と一緒になって、いっぱいにかまびすしく辺りを鳴きとよもしていたのですが、夏の深まりと共に、何時とはなしにその声もか細くなり、さらに薄々となり、終には耳にする機会もなくなってきます。その時期は何時ごろだろうかと、いつも夏の初めには気になっているのですがツイツイ、喉元過ぎればのたとえで、毎年、秋ごろになって「果たして、今年はつだったけ」と、気をもんでいるのです。
 今年もうっかりしてそんなことはとっくの昔に私の脳裏から消え去っていたのですが、偶然に、今朝です。朝の5時ごろでしょうか、朝の冷気を部屋にと思い窓をいっぱいに開きます。遠くで山陽本線の一番電車の音でしょうかわずかに聞こえています。そんな中に、家の真南に広がる吉備の中山から、吉備津神社のお屋根が輝く辺りからでしょうか、あるかないかのようなか細いホトトギスの声が私の部屋に飛び込んでくるではありませんか。今朝は7月30日です。「こんな真夏にも、まだ、ホトトギスっているのか」と、感慨一入の朝でした。

 果たして、此のホトトギス、後何日ぐらい、この猛暑の吉備に居座り続けてくれるのかしらと、朝の冷気と一緒に其声も胸の中い吸い込みました。

 

          ホトトギス 薄様に鳴きて まかねふく
                         吉備の中山 夏は去ぬめり


小雪物語―堀家喜智さまが

2012-07-29 08:02:12 | Weblog

  小雪の京友禅の鶴が舞います。平打ちの帯び〆についた金の亀房と帯揚げが、篝光に照らされてやけにピカピカと揺れます。
 観客はそのあでやかな姿にしばらく目を見張ります。
 三弦の音と眠気を誘うようなゆっくりとした小太鼓のお囃子が相和して静かに静かに、吉備お山に響くように流れました。
 その響きに誘われながら、岡田屋きくえの、蜜を流したようななんと甘ったるい声でしょう。「風早の三保のうらわを漕ぐ船の浦人騒ぐ波路かな・・・」 と、細谷を流れる瀬音にでも例えればいいでしょうか、さやけくゆったりと流れ始めます。
 三次雲仙描くところの、遠くに不二を配した三保の松原を背景に。左手の舞扇が、ひらりひらりと光ります。帯揚げの亀房もちぃっちゃくゆらゆらうごいています。
 再び、小雪の胸は張り裂けんばかりの痛みに襲われていました。もう胸が張り裂けてしまうのではないかと思うほどの痛さです。谷底に転げ込んでしまうかのような痛さです。足がふらつきます。自分の目が何処を見ているかさえわからないように、ぼうと朧に霞んでいます。
 手にした扇が、そんな今にも、そこらあたりに倒れこんでしまうのではないかと思われるような小雪の心を離れて、漆黒の闇の中の日差しのお山に向けて、大きくかざし出されていました。 その途端に、堀家喜智の顔が、その扇の先に浮び上がってきました。「まさか、お喜智さまが」そんな気が、小雪の心を横切ります。ふと我に帰り、体ごと舞台の右の袖口に向かいます。なんと、袖口奥の幕のすぐ横やら、あれほど「小雪の序の舞い姿」をと思っていたお喜智さまが、大きくお立ちになってじっとこちらを、小雪の今日の舞を見ていらっしゃるではありませんか。
 途端に、痛みが急にさっと消えます。
 「ああ、さえのかみさん」そんな心が横切ります。
 その喜智の姿に安堵したかのように、再び、小雪は調べに乗って、最後の踊りに入っていくことが出来ました。


小雪物語―へだてこころ

2012-07-27 13:40:56 | Weblog

 舞台を大きくゆっくりと逆八の字回りして、左袖近くまで進んで、小雪の「花魁道中;遊女の舞」はお終りにかかります。
 客席からは、何回も何回も、舞の立ち止まりする一寸の間ごとに、「小雪ーい」とか、中には、「宮内」という声すらかかります。その声と同時に拍手も嵐のように起ります。
 拍手と同じように、いくら吐き息に力を入れても、胸を押しつぶさんばかりの痛みはなかなか止みません。やむ時のほうが段々と少なくなっていくのではないかとさえ小雪には、思えるのです。
 いよいよ最後の小雪の舞です。特別に菊五郎に頼んだ小雪勝手な舞なのです。「是非、お喜智さまのため」と願って設えた舞なのです。着物も喜智から、扇も喜智から京から取り寄せてくれた小雪のためにと送られてきたものです。あの何時か、林さまやお喜智さまに見ていただいた、日差の山に架かる夕陽を背にして舞った「天女の舞」です。
 この度は、特別に、菊五郎に願って、今日のための新しく京舞風に作り直し頂いたものです。
 間狂言もありません、しばらく、琵琶の曲が流れます。
 素早い早ごしらえ、急に打掛やら何やらと小雪の体から剥され取られていきます。十徳さんの手馴れた手の中で、小雪はただ踊らされているような気分になります。あっという間に、喜智からの京友禅の鶴の舞う着物にに変わります。銀台の帯、平打ちの帯締めから左に打ち下がった亀房が妙に光ります。
 髪型も、横兵庫から京風島田です。足も重い高下駄から足袋に変わります。
 頭の先から足先までが、急に体が妙に軽々しいく感じられ、フーッと息を吐いた途端に、あの焼け付くような胸の痛みが不思議にも、体のどこかへふわーっと飛んで行くように消えてしまいました。
 早替りした小雪が、再び、左袖から姿を現しました。余りにも早く衣装換えしたのを見た座席の人達の、また「おうおう」という驚きの声とはくしゅが湧き起こりました。
 そんな声に乗り、小雪はゆっくりとあたかも春の宵に舞い散る桜の花びらのように舞台の中央へ進み出ます。
 舞台の後ろの緋毛氈の長台の上は、何時の間にやら、お光さんに代わって、三弦と小太鼓の姐さんを左右に従え、中央の見台を前に義太夫の姐さんが座って待っておられます。義太夫の姐さんは何時もの姐さんではありません。驚いたことに、そこには、熊次郎大親分の、あのきくえではありませか。今まで、一度もお稽古をつけてくださったことはありません。義太夫を語るとも聴いたことがありません。何食わぬ顔で、何時もとは一寸違って背筋までちゃんと伸ばして、正座しています。
 「あのおきくさんが」
 と、「どうして」と、思うのですが、もうどうする事も出来ません。
 「なるようにしかなりまへん。どうしょうもおへん」
 と、あの何時もの自分の瘠我慢の心が、顔にすーと浮かび上がるように思われます。すると、一層心が落ち着く小雪でした。そんな小雪の心の奥底を読んでか、菊五郎が企画したのです。小雪は、人に気付かれないように目と目で、あるかないかも分らないようなあいさつを交わしました。おきくさんは乙に澄まして、気がお付になったのか、ならなかったのかも分らないようにじっと前をお向きになっています。
 いよいよ最後です。特別に、菊五郎が小雪のために創り上げた「新羽衣ー天女の舞い」です。 「へだてこころ」の真骨頂を、小雪に是非と言う願いがいっぱいに籠っていたのです。


小雪物語ー手足が小雪の意識を超然と超えて動きます

2012-07-26 10:27:09 | Weblog

 舞台の右袖にゆっくりと進みます。須香は何か落ち着かない様子で、辺りをきょろきょろ見回しながら、小雪の後ろを歩いています。
 柝がチョンと入り、いよいよ四場「花魁道中;遊女の舞」の開始です。
 舞台は、かがり火で昼と紛うような明るさです。
 鼈甲造りの十本ばかりの花簪と左右一対の笄が、まず、光り輝きます。続いて、目の覚めるような紫の内掛けが、内掛けの脇の辺りから幾本にも伸びた、金銀の線が斜めに延びた緞子の紐が目に映り、当りを圧倒します。
 それにも増して、舞台を圧倒したのは、この世の者とも思われないような、一瞬「あっ」と、息がとまりそうにななるばかりの、あでやかな小雪の美しさでした。
 舞台の上には緋毛氈で覆われた細長い台が設えてあり、琵琶を手にした、板倉宿から駆けつけてくれたお光さんと言われる、やや年増の姐さんが、でんと控えておられます。
 「べべんべんべん」
 琵琶が天をゆすらすように重く鳴ります。漆塗りの高下駄の上の裸足の自分の足を見るようにして、真横から真正面へと引きずりながら、舞台の袖から中央に進みます。あれほど胸の高ぶりを覚えていたのですが、今は、ただ舞を舞うそれだけです。足や手や顔など、ここをどうしなくてはとかいうこと総て心の中からはっきりと消えています。自然に心の内から無意識に湧き出してきた動きだけが一人歩きしています。踊りだけが小雪の心から離れて、ゆっくりと飛びまわっています。今こうしなくてはと、小雪が思ったとしても、心はそれに決した随って動いてくれそうにもありません。手も足もすべてが、底知れない夏の黒々とした天空から垂れ下がった見えない糸に操られているようにすら思えるのでした。
 合いも変わらず琵琶はゆったりと流れています、その流れの中に身をゆだねているようにも思われます。
 突然、「べべん」が「びびびん」と調子を変えます。その時です。しばらく止まっていたあの胸の激しい痛みが襲います。「苦しい。母さん助けて」叫びたくなります。でも、心は、そんな小雪の痛さとはとんと無頓着に、勝手に琵琶の音に動かされています。
 痛さは、大きくなったり小さくなったりしながら、小雪の胸を行ったり来たりしています。「もうどうにでもしておくれやす」そんな思いに駆られるのですが、それでも、なお、手足が半年という時間の間に自然に体にしみこんだ踊りの動きをなぞっていきます。小雪の意識を超然と超えて動きます。


小雪物語―肩を軽く叩くように押し出す菊五郎

2012-07-22 21:42:59 | Weblog

 この成り行きに任せて、いい加減に適当に踊ることを、菊五郎からは、堅く、堅く「決して、してはならない」と戒められていますが、手を抜くことではないのですが、その時その時の一瞬を、自分の意識を超えたあるがままに踊る、それしか方法が、今の小雪には残ってないように思われます。
 そんな考えになって、ようやく小雪の胸の痛みは、何処かに吹っ飛んで行ったかのように消えていました。
 しばらく目を閉じて、出番の来るのを待ちました。
 今日一日の付き人となって細々と気を使っているお須香さんも、十徳さんも、駆けつけてくださった菊五郎さんも、顔やさんなど化粧師さんなども、お助けくださったお手伝いの姐さん方も、ただ黙って、見ほれるばかりの小雪をじっとただ見つめているだけです。誰からも息する声すら聞こえません。
 出し物の合間でしょうか、相変わらず「ひとつおんはな・・・」と言う姐さん方の、お山に木霊るる甲高い声が、「わー」という喚声とともに、幾度となく外の闇から聞こえてきます。
 この総おどりも最高に達しています。いよいよ最終の小雪の舞です。
 案内の姐さんが「おねがいいたします」と頭をいっぱいに下げて、小雪の出番を知らせてくれました。楽屋の誰もが、じっと小雪を見ただけで、誰も言葉すら掛ける人もいませんでした。ただ、小雪が椅子から腰を上げかけた時、須賀が「心おきなく、ゆっくりとね」とかなんか言ったようにも思われました。菊五郎は、さすがに心配になったのか、「ぽん」と小雪の肩の当りをほんのわずかに優しく叩きます。


小雪物語ー伊達兵庫のまな板帯

2012-07-22 11:48:42 | Weblog

 出番までしばらく間があります。
 山の端に沈んだ夕陽が、ほんの一瞬に見せる淡い光を、紫を織り込んだ緞子の打ち掛けにいっぱいに当たり、鴇色のさくらの花びらがそこらじゅうを飛び散っています。
 また、その内掛けの腰からは、細い金襴の紐が幾重にも垂下がり、舞う小雪の動きに金の粉が、蛍のように当り一面を飛び交うことは間違いありません。
 胸から滑り落ちるように足先まで伸びた伊達兵庫のまな板帯は、純白の生地に薄紅色の籠目と七宝がうまく組み合わさった長帯です。
 着せ終わった江戸の女形の名優中山一徳も、無言でじっと、小雪の花魁姿の艶姿に見ほれているようです。
 今となっては、もう、ただ教えられた通りに手足を、首を、腰を、目を、体全体を、自分とはかけ離れた遠い遠い別な世界にあるような得体の知れない物にしがみつくようにして踊るしかほかに道はありません。考えに考えた末に行き着いた自分の吐く息も吸う息もありません。そこらあたりに何もない、それこそ五里霧中の物の中に、得体の知れない物を一心に捕まえようとする、自分の心以外の何者かにしがみつくように、あたかも、この宮内で目にした細谷川を乱舞する蛍のような、あっちかと思えばこっちへという風にとぶ蛍のように舞うより仕方ありません。意識しても、今更、菊五郎があれほど執心した「へだてこころ」は、決して舞うことはできないように思われたのです。今となっては、成り行きに任せるよりほかはありません。そんないい加減な考えしか、今の小雪には浮んできません。
 


小雪物語ーめのさめるようにきれいよ

2012-07-21 09:35:49 | Weblog

 「あんなに仰山のお客はんの前で」と、思うと心がますます痛み、寸前になってもやっぱり、なんにもない空っぽの心を舞い取る事は、「どないして」も出来るように思いません。体中がぶるぶると震えます。やっとの思いで、自分の楽屋に、遠慮そうに小さく「おはようさんどす」と、こそっと入りました。
 部屋に入ると、もう、お化粧の顔やさんや衣装を担当して下さる衣装屋さんのお姐さん達も待ち構えるようにして迎えてれます。早変わりの為の早ごしらえの衣装付けは、菊五郎さまの計らいで若女形の中山一徳さまが、特別に、お江戸よりおくだり下さり、やってくださると言う事です。
 化粧から髪型と順次、小雪の舞台衣装の用意が、順次、整っていきます。想像していたより随分と重い花魁の鬘が頭にすっぽりと被せられました。その時です。あのものすごい胸の痛みが小雪を襲います。息を整えながら、目を閉じて、今回も痛みが通り過ぎるのをじっとまちました。何回か深く息をして居るうちに痛みも、何時ものようにすっと和らいできました。一徳が、小雪の楽屋に見えた頃には、嘘のように痛みが消えていました。
 下帯をきりりと絞め込みます。どう着付けなさるのかも分りません。右だの左だのと、手間の随分とかかる着付けでした。お江戸の沢山のお役者さまや衣装屋さん達の、昔から「ああでもない、こうでもない」と、長い間のご工夫があって、今が出来上がったのだと、一徳は、丁寧に小雪の心が分かるのか、江戸の雑談話などしながら、ゆっくりと、しかも手慣れた手つきでてきぱきと着付けていきます。着せてもらっている自分でさへ、一徳の手練に驚かされ、その口から自然に漏れ出る錦絵でも見ているような、まだ見ぬ遠いお江戸の話を聞きながら着付けを受けると、不思議なことですが、着付けが仕上がれば仕上がるほど、それまで、あれほど張り詰めていた心が、なんとなくふっとどこかへ消え去ったように思えるのです。
 できあがった小雪の姿を見て、それまでは、出来上がるのをじっと見つめているだけでした須香が、惚れ惚れと
 「まあ・・・・・小雪ちゃんきれいだ。ちょっと向こうを向いて・・・・めのさめるようにきれいだよ。・・・・真木は、どうしたんでしょうね本当に、もお」
 とか何とか言って、辺りをきょろきょろと見ています。


小雪物語ー漆黒の闇が迫ります

2012-07-20 06:05:28 | Weblog

 そうこうしているうちに、暮六つの鐘が「ご~ん」と時を告げます。それを合図に「かち、かちかち」という「木」が赤橙色に染まったお山から流れ伝わってきました。漆黒の時まで、今しばらくお山は化粧をし続けていことでしょう。
 三味や太鼓に合せるようにして、甲高くちんちんと鉦が辺りの木々を通って響き渡っています。拍手やなにやら掛け声も入り混じって流れてきます。小屋内の喧騒さが手に取るように感じられるのです。
 そんな外からの音を、部屋の中から、じっと黙って小雪は聞き流していました。細谷川の風が、そんな小雪をそよと吹き抜けていきます。須香はそんな小雪をじっと眺め、見守っているだけです。何か話し掛けると、小雪が、今にも、足からもろくも崩れてしまい、このまま、今すぐ天にまでも登って行ってしまうのではないかとさえ思えるのでした。
 合いも変わらず、拍手が鳴り止みません。窓を見上げると、降る雨を受けるとすぐにでも粉々に壊れ散ってしまうような、細い細い二日ぐらいの茶碗の月が日差の山に入りかけています。お山は紫から藍へ、最後の黒へと移っていっています。
 「なかいり。なかいり」と、続いて、「おんはな、おんはね」とこれも甲高いお姐さんの声が、あちこちから重なってお山に響いて伝わってきます。
 細谷川の風も、その声々を載せて流れます。
 しばらくそんな声がお山に響きこだまとなって小雪の耳に届き続けました。
 突然に、鉦の音につられて笛・太鼓が「ちんちんどんどんぴぴっぴー」鳴り出します。と、「わっしょい、わっしょい」と陽気な祭囃子の掛け声とともに姐さん方の担ぐ小さな姫みこしのお出ましで、御輿に入った酒肴がそこら中へ運ばれていきます。
 いよいよお待ち兼ねの「中入りが始まります。あちらからもこちらからも、「こっちだ」「それだ」「これだ」「はやくせえ」だの、てんでに好き勝手に囃子し立てています。喧騒も最高潮です。
 それが合図かように、小雪と須香は楽屋へ急ぎます。あのお喜智さまから頂いた友禅の鶴の着物と舞扇だけは、小雪が最後まで「ご一緒します」と、胸に抱いて持ち入ります。
 通りは、大勢の人で、今夜は余計に賑わっています。富くじ売り場付近には大きな人垣が二重にも三重にも出来、それを通り越すのにちょっぴり苦労をするぐらいでした。


小雪物語―入り日と白鷺

2012-07-18 10:19:24 | Weblog

 そなん巷の物音とは聊かも関わりがないかのように、真っ赤にぎらぎらと燃え滾(たぎ)りながら、入日はあの日差の山に迫っております。いよいよお山の七化けが始まろうとする寸前の景色が、そこら辺りにお構いなく大きく広がっています。白鷺でしょうか、ゆっくりとその雄大な大自然の中に消え入るように、3羽、2羽、おのが自身をも真っ赤に染めながら、塒へと足早に飛び去っていきます。
 そんな目の前の風景が、開け放たれている部屋に座っている小雪の胸におしいる小息と一緒に、目に飛びこんできました。
 
 「まあ、あの日差しのお山は、ここから見ると、お喜智さまのお屋敷で林さまと眺めたお山とは、ちょっとちがうのではあらしまへん。全然ちがうお山はんみたいどすな。今、咲き染めたばっかしの桜の木の向こうに入るお日さんと、あのお部屋から見せてもらいました、総てが新しい緑の中に入るお日さんとでは 、同じお日さんでも、大きさがぜんぜんちがいます。桜の花はんは悪いお人を作らないのでっしゃろか。不思議どす、今日のお日さんちっとも太っていはらしまへん」

 と、小雪は、そんなたわいないことで、心に張り付いた緊張を和らげていました。
 そうこうしているうちに、暮六つの鐘が「ご~ん」と時を告げます。それを合図に「かち、かちかち」という「木」が赤橙色に染まったお山から流れ伝わってきました。漆黒の時まで、今しばらくお山は化粧をし続けていことでしょう。
 三味や太鼓に合せるようにして、甲高くちんちんと鉦が辺りの木々を通って響き渡っています。拍手やなにやら掛け声も入り混じって流れてきます。小屋内の喧騒さが手に取るように感じられるのです。
 そんな外からの音を、部屋の中から、じっと黙って小雪は聞き流していました。細谷川の風が、そんな小雪をそよと吹き抜けていきます。黙って不思議そうに窓の外を流れゆく時を、眺め楽しんでいるかのような小雪を、須香は、ただ、何も言わずに眺め、見守っているだけです。何か話し掛けると、小雪が、今にも、足からもろくも崩れてしまい、このまま、今すぐ天にまでも登って行ってしまうのではないかとさえ思えたからです。
 「出演前の厳しい一時を、己一人で過ごすのも、又、そのぴんと張り詰めた心を癒すものですよ」
 と、話してくれた女主人喜智の言葉が胸の奥にひびいてきます。


再び 小雪物語

2012-07-16 09:35:20 | Weblog

 1週間程度と思っていたのですが長くなりました「吉備津彦と温羅の物語」が終わり、再び小雪物語に戻ります。どうぞ、小出しにしますが、続いてお読み頂ければ幸いです。

 今までのお話です。いよいよ小雪たち宮内の女の総出演の宮内総踊りの当日です。・・・・ごゆっくりと

 

 須香の話によると、全国各地から、遠くは陸奥の国からも、大勢の大親分方が駆け付け、その人たちの警護のために、大勢の庭瀬藩の役人も出向て来ており、人人人のこの街始まって以来の大変な騒動になっております。その上、珍しい宮内総おどり見物にと、近隣の人たちも出向き、宮内だけでなく、隣村板倉も上を下へと大騒ぎだという話です。また、そんな喧騒の町に、お酒の上からの喧嘩も絶え間なく起り、万五郎さんなど岡田屋さんも一家挙げてその対応に大わらわだということです。
 今晩のトリを努める小雪の出番は、今しばらく余裕があります。
 総おどりの立役になってから、お粂さんの配慮でしょうか大阪屋の離れを使わせていただいておるのですが、その離れに俄か付き人になった須香と二人で出番を待ています。その須香が呼んだのでしょう、庭瀬の真木さ、ちょとお顔を見せ,
 「見せていただきます。・・・・この頃、どうしてだか知らんのですが、小雪ちゃんなくてはと言う姉さんご自慢の小雪さんの踊りだもの。・・がんばってね」
 と言うと、あたふたと、是も、又、小忙しそうに戻って行かれます。
 「ぜひ、小雪ちゃんの晴れの舞台を見たいというものだから呼んだのよ」
 と、すまし顔の須香です。
 「お喜智さまにも是非見ていただきたい。見ていただけるかしら」
 と、須香に聞きたいのは山々ですが、「いいえ」というお返事が怖くて、聞きだす勇気が小雪にはありません。
 ただ、黙って時の過ぎるのをじっと待つだけしか他に方法はありません。まだ、あだし心が胸の中に塊りきって、決して出て行こうとはしません。不安だらけの出演前の小雪です。それでも、何度か、意識的に、ただ小さく息を吐いてみます。
 そうこうしているうちに、舞台の開幕が迫って来たのか、街中から聞こえてくる人の動きでしょうか、何かざわついた何処となく普通ではない緊張感の漂うような音であって音ではないような不思議な物音が吉備のお山に響いてきます。


はなしゅうしょたされた?  

2012-07-15 08:16:33 | Weblog

「わしゃあ、ミコト おめえにええように殺ろされてしもうて、こげんとけえ うめられてしもうて むなくそがわるうてしょうがねんじゃ。せえじゃけえいうんじゃねんじゃが、わしが、今、しんぺえしとることはのう。ちょびっと いうのがはずかしんじゃがなあ。わしにゃあのう おめえはしらんとおもうんじゃが でえれえ、かうぇえらしいおなごがおったんじゃ。阿曾媛というんじゃが、わしがおった鬼ノ城のふもてえおるんじゃが。せえつがどうしょうるかきになってしょうがねんじゃ。たのむけえなあ、わしのくびゅう  こげん とこじゃあのうて、あんたがおるとけえうめて、せえから、そのおなごをそこのもりにやとうてくださらんかのう」
 と、しきりに頼むのじゃそうな。ミコトもそりょうきいて かええそうになったんかしらんが、ミコトの釜殿の下を八尺もほて、そけえうめなおしたんじゃ。せえから、その阿曽媛を連れて来てのう、そのお釜の番をさせたんじゃ。そうしたらなあ、今まで、あげえなおおけえこえでうなりょうたんじゃが、ぴたりんことやんでしもうたんじゃ。・・・・・・おうそうそう、夢の中の温羅はなあ、こげんことも いようたんじゃ。『ミコトの釜殿を阿曽媛にたかせてみんせえ。そうすりゃあなあ。その竈が、おんら、おんらとなるけえなあ。そのうなりょうるけえが、ものすげえおおけかったときゃ、せえからはええことばあがおきるんじゃ。はんてえに、ちょびっとしかならなんだり、ひとつもならなんらりしてみいな、わりいことばあおきるけえ。そりょう わしがここから うらなうたるけえ、おがみにくりゃあええんじゃ』というたんじゃ」。

 せえからというもん、里人やそこらへんのもんがなあ、自分の吉兆をうらのうてもらいに、しょっちゅうくるようになったんじゃと。
 「こげんことをしてつかあさるんじゃけえ、温羅も まんざらわりいひとじゃあなかたんじゃな 」
 人々ははなしゅうしょうされたんじゃ

 これが、鳴る釜のイワレです。此が我が故郷に伝わる本当の温羅伝説なのです。その中から、小雪物語で「熊五郎の鳴竈会」を考えたのです。また、次回から小雪物語に戻ります。よろしく。


うおんら、うおんらとうなりょうるけえ

2012-07-14 09:22:01 | Weblog

 首部(こうべ)にうめてしもうた温羅の首じゃが、せえで、ぜんぶかかたじいたわけじゃあ ありゃあせなんだんじゃ。こんだあなあ、その首部へんのもんが、また、ミコトに「どうにかして つかあせえ」と、いうてきたんじゃ。
 「なんじゃと、まだ、うめてしもうた温羅の首がうなりょうるんかひつけえやつじゃのう。よっしゃどうにかしたらあ」
 と。今度は、犬飼健(イヌカイタケル)というけれえにいうてのう、そのタケルがこうとる犬にのう、そのどくろをくわしょうたんじゃと、でも、どげんしても髑髏は唸るのうやめんのじゃ
 「うおんら、おおんら」と、唸り声はよけえにおおきゅうなって、山を越えたにゅう越えてひろがりょうたんじゃ。あちっからもこちっからも、めえにちのように「どねえかしてつかあせえなあ」といっぺえいうてくるんじゃがなあ。「どうしたらええんじゃろうか」とミコトも、うんと、かんげえたんじゃが、一つもわかりゃあへん。そげんなことがなあ、13年ものええだつじいたんじゃそうな。そうしょうたらなあ、ある晩、ミコトの夢のなけえ、あの温羅がでてきてのう、いうたんじゃ。


鯉喰神社

2012-07-13 16:24:17 | Weblog

 ミコトがなあ、ものすごう苦労して、ようようてえじしてしもうた温羅じゃがなあ、あんまりわりいことばあしょうたもんでちいたあみせしめにでもせにゃあおえんと けれえたちはおもうてのう、温羅のくびゅうなあ、その辺にあった岩のうええ、おいてえたんじゃ。でもなあ、その温羅の首がなあ、どうしたんかしらんのじゃが、いちんちじゅう「おおんら おおんら」と大声でなきょうたんじゃ。まわりのもなあ そのこえがものすごう おおけえもんでのう、うるそうて うるそうてかなわなんだんじゃ。そうしてなあ、また、ミコトに「どげえにかしてくれんとおえりゃあへんのじゃ」とたのんだんじゃ。
 そうしたらな、ミコトは「よっしゃ わしにまかせとけえ どげえにかしてやらあ」というたんじゃ。
 せえから大急ぎで髑髏になってしもうた温羅のくびゅうなあ、こんだあ、そこから2,3里もななれた山奥の丑寅のとけえある首部(こうべ)、そうじゃ「されこうべ」といういみの「こうべ」えじゃが、そけえ埋めてしもうたんじゃ。
 さらしくびにしたところのもんは、「けえで よるもようねれるようにならあ」と。てえへんよろこんだということじゃ。でも よう みんなではなしゅうしょうたらなあ あのぼっけえわりいことばあしょうた温羅でも ちいたあ ええこともしたことがあたということになってのう、しんでしもうたら  かうぇそうな気もするというんで、さらし首にしたへんに 温羅のおみやをつくってのう まつってやったんじゃあ。その神社が今も「鯉喰神社」となってのこっとるがのう。


鯉になった温羅を鵜に化けたミコトが殺す。

2012-07-12 12:44:05 | Weblog

 自分の左目から流れでた血で真っ赤に染まった血吸川のなけえなあ温羅は逃げ込んで「けえでやれやれじゃ」とおもようたんじゃ。せえでもなあ、かしけえミコトはなあ「どけえにげやがったんか」と思うて、捜したんだと。なんぼ捜がしてみてもやまんなかにゃあおりゃあへんのじゃ「どけえにげやかったか」と、せえから考えたんじゃ「もうこのへんにゃあ温羅の隠れそうなところはねえ。・・・そうかかくれるとすりゃあ、あの川しかありゃあへん。あんなけえにげやがったか」と、たちまち、ミコトはのう鵜に化けて真っ赤ににごってながりょうる、かわんなけえ、どぶんと飛び込んだそうな。せえからどけえおるんかと川下の方へおええでくだりょうたんじゃ。そしたらんあ、かわがまがったぼっけえ深こうなたとけえかくれておったんじゃ。
 「あげんとけえかくれとおらあ」と、鵜に化けたみことは温羅の鯉を噛み殺してしもうたんじゃと。
 けえで、わるさばあしょうた温羅もしんでしもうたし、「めでたしめでたし」と里人は大喜びしたんじゃ。

 ところがじゃ、けえから、まだまだ、つづきがあるんじゃから、このはなしゃあおもしれんじゃ。でえいち、これでおわりじゃったらなあ、どうして、温羅と鳴る釜がかんけえあるんかわからんじゃろうが。まだまだおわりゃあへんからのう、つづきをきいてつかあせえ。