老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

都道府県女子駅伝を見て!

2010-01-17 15:22:46 | 

 

今日は都道府県対抗女子駅伝をテレビで見た。上の写真は携帯電話で近寄って撮ったもの故画面が荒く不満足ではあるが、雰囲気は伝わって来る。
走るのは大嫌い、見るのは大好きな私である。正月2・3日は私の歳程に年数を重ねた箱根駅伝を見られる限り見た(2日の往路は新年会の用意などでちらちらしか見られなかったが、3日の復路はテレビの前に釘付けになって見たのだった)あの箱根の山を走って登る真剣さには感動するが、女子マラソンには華やかさを感じるし、真剣に走る顔は美しい。仕事を一生懸命している女性の顔は美しいと言われているのと同じなのだな~と思う。
岡山県が一位で私が住む東京は18位、成績はどうであれ参加し持つ力を出し切る事に意義があるのだと思う。

今日も晴天、正月以降雨の日が一日だけで後は青空の続く事、こんな新年は珍しいのではないだろうか。でも気温はとても低く寒い。北国は大雪と言うのに東京はこんなに良い天気で申し訳ない様な気分にもなる。
昔の人間は冬の寒さを身に沁みて体験しているから、家の中にさえいればぬくぬくと温かい今の生活状況は天国である。電車で学校に通った小学生低学年の或る雪の積もった日、何時もなら駅から歩いて10分の道を一歩一歩ずぶずぶと雪の中を進んで30分も掛かり、寒さに泣きながら帰宅した思い出がある。家に入っても空気は寒く火鉢に手をかざして温めるしかなかった。
今の子供達はそんな辛さを知らずに育っている。それが幸せなのか不幸せなのか!と思う事がしばしばある。子供等から疲れた~、眠~いと言う言葉を良く聞くけれど、世の中のすざましい変貌故致し方のない事かもしれない。ただ人を愛し、信じ、感謝の念をもつこと、そして世の中の役に立つ働き手になって欲しいと私は思っている。

亡き夫は明治生まれの人だったから、一本も二本も筋の通った人だった。やると決心した事は最後までやり通す偉大な力を持っていた。「僕は死ぬまで仕事をする」と言ってその言葉が叶い93歳で亡くなった夫であった。そんな夫の域に達する事は到底出来ない私ではあるが、願望は常に持ち前向きに進んで行きたいと思っている。


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4 コメント

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不景気だと (おせっちゃん)
2010-01-17 18:41:52
文句たらたらの物言いが多いけれど(確かにその日の食べ物にもありつけない人もあるのだけれど)おおむねは戦後の暮らしに比べれば天国のような暮らしをしています。
私は戦後のにわか百姓の子として育ちましたから、吹きっさらしで一日麦踏をしていました。
今の生活に文句は言えません。
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おせっちゃんさん (八十路)
2010-01-18 14:18:20
何時もコメント有難うございます。
食べ物は勿論の事、生活用品など何でも有りの昨今ですね。戦時中の事を考えると天と地の相違です。感謝しつつ、贅沢にならないよう心して暮らしたいものです。
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思い出しました。 (ビオレッタ)
2010-01-18 20:33:08
何でも満ち足りている現代の子が幸せなのか?ヒビとしもやけの手で教室の雑巾がけをした
昔の子が幸せだったのか?考えてしまいますね
あのころはそれで充分幸せだったのですもの。
貧しかったけどみーんな同じで明るかった。
久々に子供の頃を思い出しました。

何かに付けご主人様のことを思いだし、生活の
道しるべになさっていらしゃる八十路さん!
見習いたいものです。
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ビオレッタさん (八十路)
2010-01-18 22:14:27
栓をひねればお湯が出るなんて夢の夢でしたよね。お湯が使いたかったら先ず沸かす事からでした。今は牛乳を水代わりに飲んでいる子供等もいますが、私達は飲む事も出来ませんでした。今の子供達にはこの生活が当たり前の事なんでしょう。
昔はこんな生活だったのだと、孫達に聞かせる事も有ります。これは大切な事だと思うし、満ち足りている今の幸せを感謝し、奢ることのないように!これは親の責務ですね。
私も家の長い廊下をおしりをほったてて毎日雑巾掛けしたものです。懐かしい昔の思い出です。
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