あれま、GWから1カ月たってしまったのですね。
ということで、さすがに長く続いた記事も終わりにします...。
谷汲駅跡から東へ東へ。揖斐線あとをたどり、郊外路線の出発駅だった
忠節駅跡のわきを抜け、かつては揖斐線直通車や市内線の車両が行き来した忠節橋を渡ります。
いまや、こうなればただの橋...。
そして、何も路面電車時代の痕跡が無い
岐阜市内を抜け、美濃町線の跡を進みます。
たぶん野一色のあたりだと思います。
町並みは一向に変わっていないのですが、路面電車がいないだけで、
とても寂しいものです。それに、人が全く歩いていません。
日野橋駅あたり。
徹明町から来た電車の折り返し駅。
こんなところだっけ?
歩道橋のうえから撮影した覚えがあるけど、歩道橋も撤去されちゃったのかな?
ちょっと先に進んでしまうけど、新関駅の跡。
ここはまだこんなに面影が残っています。
新関~美濃間が廃止になったあとは、ここから
電車は長良川鉄道の関駅に乗り入れるようになっていました。
それにしても中心部(関駅)からは結構離れていたんだなあ。今改めて思う。
そして、C5はそのまま西へ進み、美濃町駅跡へ。
美濃町駅は、駅舎・ホームともにほぼ現役当時のまま残されていて、ここに、
美濃電のエースだったモ510、美濃町線~新岐阜へ田神線経由で乗り入れるために開発されたモ600、
そして、新関~美濃間のワンマン用に準備されたモ590の3両、
さらには札幌からやってきたけれども立派に岐阜の顔に成長したモ870の顔だけが、
綺麗な状態で保存されています。
モ510とモ600。架線が無いのが残念だけど、まるで現役時代のような美しさ。
どちらも、美濃町線に深い縁のある車両です。
モ510のマスコン。ウェスティングハウスの刻印。大正15年製のもつ歴史の重み。
廃止近くになってかつての岐阜市内線の色に戻されたモ590(593)も、綺麗に飾ってありました。
ちなみに、同型のモ591と592は、遠く土佐電鉄(高知県)に送られ、
今なお元気で活躍しています。
ぱっと見ると3両並んでいるようですが、左端のモ870は、顔だけ+ホームに据え置き、
でした。
とはいえ久しぶりの再会に涙涙です。
なお、モ600の屋根に並んでいるのはクーラーでは無くて、抵抗器です。
これがために最後まで冷房化出来なかったので、
2000年に登場したモ800と入替って一挙に
6両のうち5両が廃車になり、この1両(606)のみが残りました。
馬面っぽい細い顔のモ600をアップで。
この小さな車体に複電圧、クロスシート、総括制御など、見どころの多い車両で、
1971年のローレル賞を取った輝かしき電車です。
重連で運転されることもあったので、電気連結器も備えたごっつい自連がかっこいいですね。
>>今回は昔の美濃町線の写真を探し出せず。見つけたら、アップして更新します。
>>岐阜の路面電車・600V区間が無くなって感じたのは、妙にクルマが増えたな、
ということでした。
もとからクルマ社会ではありましたけど、揖斐線の沿線は、もう少し空いていたように
思います。
駅前の空洞化、郊外のショッピングモールの建設、ロードサイドショップの増加。
なんだか、鉄道廃止の縮図を見たような気がしました...。
>>ちなみに...モ870って、晩年(2000年以降)複電圧車に改造された(部品はモ600から流用)のって
あまり知られていないとい思うんですが、ご存知でしたか?
複電圧機器の搭載場所の全然ないはずのモ870は
冷房+複電圧機器を積んでいたのですから、時代が進んだものだなあと思いました。