Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

当時を見ていたビルに、 玉電を思ふ

2006-11-10 | てつどう。

いまや、首都高速3号線が覆い被さり、6車線の道路を車がひっきりなしに通る大幹線道路、
渋谷に至る国道246号。

実は、ここにかつて路面電車が走っていたこと、ご存知の方も多いと思います。
現在はその生き残りが「東急世田谷線」として嬉しいことに存続していますが、
かつては(いろいろ路線の変遷はあるが、最終的には)渋谷~二子玉川園を結んでいました。


それが、東急玉川線・砧線などの路面電車。愛称は、「玉電」。
昭和44(1969)年5月、世田谷線の部分以外は
二子玉川から出ていた「砧線」も含めてすべて廃線となったので、
すでに路上から玉電が消えて37年になります。
現在は、246号の下を、同じ渋谷~二子玉川間を東急田園都市線が通っています。


昭和30年から廃線まで、わずか14年しか活躍できなかった玉電のエース、200形。


昭和46(1971)年生まれの僕は、玉電が246号を走る当時を知る由もないのですが、
文献や写真によって、 往時を偲ぶことは出来ます。

当時の写真と現在を見比べて、いまでも沿道に当時と同じ建物があったり、
建物は買われど事業主が同じだったりすると、妙に嬉しくなります。


たとえばウチの最寄り駅のひとつ、三軒茶屋。
この写真にある「ビッグエコー」のビルは、テナントは無論違えど
昭和44年の写真でも確認出来ます。


左は246号(大山道)、奥に向かうのが世田谷通り

僕はこの場所に立ち、イメージしました。
高速道路を取り払い、大きなビルを消す。当時の風景に、自分を飛び込ませる。
走る車はもちろん当時のもの。
そして、246号の上り車線の歩道側を行き来する二子道方面の80形。
そして、ここで別れていく下高井戸方面に向かう赤い方向板をかかげたタルゴ・200形...。
モノクロやセピアの色ではなく、いま、この瞬間に見える鮮明な11月の空気の色の中、
僕の心の中ではその瞬間、たしかに玉電が走り抜けて行きました。





>>ずっとこの街に住んでいるわけでは無いのですが、でもおらが街・世田谷に、
なにげに車で走るこの246号線に、かつて路面電車が走っていた事実...。
いまさらながら感慨深くなりました。

>>駒沢大学駅の出口があるあたりに、かつて玉電の「真中(まなか)」駅がありました。
すでに交差点名からもその名前は取り払われてしまいましたが、商店街名にその名残があり、
ちょっと感動してしまいました^^




>>20年前に自主制作した8ミリ映画「世田谷線」が猛烈に見たい!
まだ、玉電の風情がたくさん残っていたあの頃の映像を!
カントク(ねこさわ君)、見たいよ~!


コメント (11)
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