Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

103系、首都圏から引退

2006-03-29 | てつどう。


先週の土曜、3月18日には
寝台特急「出雲」の廃止など、いくつか鉄道でも動きが見られたのですが、
その中に標題の
「103系が首都圏から(というか、JR東日本から)撤退」
というニュースが有りました。

103系というのは、旧国鉄が1963(昭和38)年に登場した、
標準型ともいえる通勤型電車です。

昭和30年代の高度成長期以降、急増する輸送力に対して
仕様の変更をくり返しながら20年以上にわたって作られ続けました。
その数は実に3447両!


でも、JR東日本では急激な勢いで新型車に置き換えが進み、
かつては山手・京浜東北・中央・総武・常磐・青梅・五日市・横浜・南武・
川越・京葉・鶴見・八高・仙石線など、4扉通勤車が走っていた路線には
まず間違いなく走っていたこの電車も、
ついに常磐快速線にわずかな両数が残るのみとなっていたのでした。




そしてついに、2006年3月18日、首都圏最後の103系が引退し、
JR東日本エリアでの活躍の歴史に幕を下ろしました。



ところでなぜ103系は、3000両以上も製造されたのでしょうか。
本来、駅間距離が短く高加速・高減速性能に重きを置いた103系。
でも、その性能が合わない路線に投入された事も多々あったほどに
(常磐快速線が典型的な例です)、103系は勢力を伸ばしていったのです。


その理由は幾つか有ります。
まず、
●本来ならば各路線の実状に合わせた性能を持つ車両を導入すべきであったところ
現在からは想像出来ないほどの逼迫した輸送状況に対して、
一刻も早い車両投入の必要から手持ちの103系を製造し続けなければならなかったこと、
さらには
●国鉄の経営が悪化していくにつれ「標準化」の思想が浸透徹底していった
時代背景の中で、103系がまさに標準車として製造され続けたのは
当然とも言えたのです。
結局昭和54年の201系試作車の出現まで、後継車が現れることは有りませんでした。




安普請、乗り心地が悪い、つまらない、揺れる、など不評悪評の多いこの電車ですが、
でも日本の高度経済成長を支えたことは間違い有りません。
僕はシャアザクよりは量産ザクが好きなので(^^)、
こういうひたすら製造された車両って大好きなのです。
派手な外観も持たず、ただただ輸送に専念した103系。
ほんとうにご苦労様でした。



>>いち時代の終わり、という感じがします...が
関西圏ではまだまだ主力。
がんばれ103系!

>>写真は、1985年の青梅線103系。
僕にもとっても103系は馴染みのある電車。
印象的なのはやはり地元の青梅線です。

>>初期車特有の大きなヘッドライト+下部通風口を埋めた跡を持っています。
このころはまだまだ冷房のない車両が多かったです。

>>方向幕が偏っているのは、サイズの小さい101系用を無理矢理使っているからで、
当時よく見られました。懐かしいです。

コメント (10)
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