Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

下津井電鉄はアンダーの記憶

2006-03-08 | ナローゲージに思いを馳せる
下津井電鉄は、岡山県に平成2年まで走っていたナローゲージです。


本州~四国間の宇高航路が明治43年に開通した際、
それまでのメインルート下津井~丸亀航路の利用客が激減。
そこで、てこ入れのためにこの鉄道は開業しました。
その名も下津井軽便鉄道。時に大正3年。

当初はドイツのクラウス製蒸気が走っていましたが、昭和3年にはすでに
ガソリンカーを導入、その後電化して下津井電鉄となりました。


僕はここに一回だけ、昭和60年に訪れています。中二でした。
ところが、若い自分には軽便鉄道の良さもよくわからず、
ただ奇異の目で見ていただけでした。
しかもお金もないですからフィルムも限られていて、
写真もほとんど撮っていないのです。

さらには当時使っていたOM-1の感度合わせを、
フィルムはASA100だったのにカメラの設定を200にしてしまって、
あがってきた写真は微妙に色がおかしかったのです。

だけど、この間スキャニングして、フォトショで色補正かけたら、
そこそこに自分が見た風景がよみがえったではありませんか。



蘇った(まあまあ)正しい色。
クハ24+モハ103。1961年にナニワ工機製。
窓配置がヘン(途中に小窓が入っている,,,など)なのは、
ワンマン改造で前ドアを移設したため。


人間とはオモシロイもんで、写真がセピアになれば
記憶までセピアになってしまう。
それと同じように、僕の記憶の中で下津井は
ちょっと感度違い(アンダー)の景色のままだったのです。

それが、補正されたのは嬉しかった。


何はともあれ、下津井電鉄は当時でも残り少なくなったナローの電化鉄道でした。
だけど、前述のごとくしっかりと乗らなかったし、撮らなかった。
いまの自分ならものすごく写真を撮ったでしょう。
乗りまくったでしょう。
ここに限ったことではないのですが、後悔することって多いんです。


だけど、最近、ちょっと考えが変わってきました。

...あの場所に、確かに僕はいた。
この目で見たし、この五感で下津井の電車を感じた。
ならばそれでいいのではないか。
せめて、廃止前に間に合ったのだから、
それでいいのだ、と。


>>下津井電鉄の廃線あとはまだ結構残っているようです。
そして廃止前後の車両達は、
実はいまなお保存会によって残されています。
それ意外にも残っているようなのです。
見に行けることがあれば、今度こそしっかり愛でたい。
そう思っています。
コメント (5)
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