My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

戦争を知らない子供たち

2019年08月15日 | 観たこと聴いたこと
今から10年前、というと、
私は何をしていたか。

今咄嗟に思い出せるのは、更新期限が迫った娘のマンションを次どこに引っ越しするか、娘は楽オケで何やら忙しいから、私が探していた。
という情景。

ネットで大体の目星をつけて、管理会社と連絡をとり、内覧するため上京した。

と、なんとも平和且つ過保護ともいえる、しかし私の交際範囲で見渡す環境からそれは誰でもやっている行動だと認識していた。今考えると私の周囲は平和だったのだ。

この10年の間に劇的に変化したことはある。
それはITの進歩発展。これはすごい。
この進歩が、社会の変化の引き金となり、人々の意識に影響を与えたと思う。世代の分岐点にもなる。

今日は終戦記念日。

しかし現在の実際の私の生活は、終戦の安堵やある意味激しく心揺さぶられる喪失感もなく、生きていくための緊張感は、感情の外にあり、ゆるやかな覚悟をする時間の余裕さえあるように見える。

終戦からの10年後とはあまりに違う。
当時戦後10年目迎えた人々は何を思っただろう。
価値観が急にひっくり返った戦後の10年、
やみくもに何か行動すれば、ひたすら頑張れば手に入る未来がある、と思い奮起し、活気も生まれていただろう10年と今から10年前を思い出すこととは比較にならない。

前置きのつもりがつい長くなってしまった。
私の父は予科生の軍事教練をしている間に終戦となり、母は女学校で軍服のボタンつけをしていた。(勿論二人はまだ知りあっておらず、戦後9年目にお見合いして結婚し、戦後10年目に私の兄が生まれた。)

さて、
「戦争を知らない子供たち」
という歌が、1971年にレコードとして発売された。若者の心情が歌われていた。

その、当時の「若者たち」は、今はもう終活を意識する世代となった。

今思うと、その歌の戦争を知らない子供たちは、戦争のまっだだ中にいた親たちに育てられていた。
生まれたのが戦後で、自身は戦争を知らないが、その打撃と悲しみを覚えている世代との関わりがあった。けれどそれを語り合うことはそうはなかったと思う。

私の父親は、私が学生時代全くそんな話戦争の話はしたことがない。
母親は、二言目には「物のない時代だったから云々、、」が口癖だった。またかーと、思いいつもスルーしていた。
が、ほんとうに、物が、なかったのだった。
母の印象はそれだった。

つい何年か前から父は、軍事教練の話をするようになった。私のストレートな質問に答えての話だった。教官の、頭のてっぺんから声出ししているような号令が嫌いだったと、話せたのは戦後70年経ってようやくだったのかと思う。
きっと嫌な緊張感のイメージがあってそれを語らせなかったのだろうと思った。

私の世代が生まれた時すでに高度成長が始まっていたから、自分はのほほんと平和を享受したかに思えるけれど、子供と違い大人の10年というものは、
そんなに過去の話ではなかったのだと、
年を重ねた今改めて思う。

いつだったか言われていた「日本は世界の中で普通の国にならなければならない」との表現を記憶しているが、
普通の国などと曖昧な言い方だ。
何をもって普通かという
その前提が間違っていると思う。


戦争の怖いところは、思い通りにならない事象をすべて戦争のせいにせざるを得ない、いびつな生き方を強いられることではないだろうか。










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