My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

紫陽花

2013年08月01日 | 或る日或るとき
母がお世話になっているディサービスの、6月分の利用料を支払いに行きました。

そこは個人の方の一軒家、民家を利用しています。
あるじのかたは99歳のおじいさん。
その場所を、いわばテナントとして?一階部分をディサービスの会社が使用しています。
おじいさんは2階に住んでおられます。とてもお元気な方でオセロが強いです。

もう夕方も過ぎていたので、居残りで仕事をされている所員の方に利用料をお渡ししました。

母はこのところずっと週2回のディサービスを休んでいます。
ある日から行きたくないと言いだして、なにかと理由をつけては休んでいます。
その直接の理由はわかりません。行く気になるのを待つしかないのか、それとも誘導すべきなのか、迂闊に誘導を強めると、意固地になるのでそれも手控えています。

領収書を頂くのを待つ間、
玄関の下駄箱の上に活けてある紫陽花に目がとまりました。

楽紫陽花でしょうか。とても濃い青。
その色に吸い込まれるような気持ちになりました。
どっしりとした花瓶に良く映えていて、もっと上から見たくて背伸びして観ていたら、
所員の方が引き戸の向こう側にあるまた別の紫陽花を見せてくださいました。
どちらも所員の方の自宅に咲いているものを切花にして、出勤の時に持ってきて活けておられるそうです。
この方の細やかな心遣いをいつも私は感じていて、、、
嬉しくなると同時にそのやさしさに頭が下がります。

それは小さな花瓶に白い2種類の紫陽花。
堂々とした楽紫陽花とはまた趣きが違い、可憐です。
「日本の紫陽花ですよ。こちらのほうはもうすこししたら、しだれ、になるんです。
接ぎ木もうまくいく花ですよ。」
はあ~そうなのですかー!と感心しましたが、悲しくも半分は意味がわかりませんでした。
植物音痴というか、、、わたし。


母もここへくれば、この紫陽花が見られるのにな。
良い環境の処です。

webで、日野にある高幡不動の紫陽花祭りなんていうのを知りました。
うっとり眺めました。
行ってみたくなりましたね。

今日はまた一つ年を重ねました。
少し健康を取り戻して、久しぶりに静かな気持ちの日でした。
紫陽花には若き日の思い出があります。
それはいつかまた。


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