My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

目にみえないもの

2015年06月16日 | 読む☆考える(^O^)/
気をはっていたせいか先週からのタイトな日程を滞りなくこなせたので、昨日はぼんやり過ごし、録画の整理がてらTV視聴。

Eテレの、こころの時代、だったか(流し見して消したので忘れたけど)万葉集。
対談の学者先生の、
目にはみえないものを伝えようとするとき、うたができる。
というような話がありました。で、万葉集のあれこれに話が進んでいました。
目にはみえないもの。
思いとか、こころの襞ということでしょうか。

考えてみると、反対に、では目に見えるものとは何かしら、などと思いました。

いま目でみているものはなにか?
ということをです。
嬉しい悲しい怖いとかの感情ともべつに、見えている物とか、景色とか。

あそこが山だ、とか、ここにあるのはお茶碗だ、とか、
それらは光がそれに当たっているから見える存在で、しかも名前がついているんですね。
その名前と物が自分のなかでどう一致させているのでしょうね。

このように書いていると、認知行動の領域からの視点もでてきますが、広げるときりがなくなるので、割愛。^^;

やはり生まれてこのかた、自然にことばを習得する過程には、親や周りの大人から学んでいるという縁があって、その上で物事を理解してきた私がいるのだと実感します。

そこで話は目に見えないもののこと。共通概念のあることばはごく最小限で、ことばとことばの間にある伝達の妙なる空間が、目には見えない、なにやらとてもいとおしい。
なんとかしてそれを伝えたくなるのですね。

見えているように思えて見えていないもの。
そういうものだらけの生活の歩み。
そんな中で少しでも今の自分がどのような場所に立っているのか、わかりたい。

膨大な縁によって変幻自在に動く、寧ろ動かされてしまう「私」を、「連続した自分」と考える反面、それは点と点で出来ているようにも見えるのです。
だから、何か確固たるものをもたないあやふやな存在であることに不安を抱きつつも、であるなら、いついかなる時でも修正がきくんだ。と、私は解釈しています。うまくいけばね。
ということを考えるに至っています。

あーなんだか本当はもっとロマンのあることを書きたかったのかもしれない。理屈っぼいかも。^^;

そう、
尽きせぬ思いは、うたを詠んで伝えたい、できることなら。

むむ、あまりに無骨でうたにならないな。

本日はこれを書いている途中に、おもいきり練習して疲れました。
なんとかがんばりました。