第6回宇治フォーエバーフォークが12月3日、4日に開かれる。
ブルージィーパパは今年は国民文化祭のおやじバンドに出演したり、、
橋寺で義捐コンサートに参加したり、比較的大きなコンサートに出場
しました。
おやじバンドについては、1200人ものお客さんの
前で歌うことなどそうあるものではなくいい経験をさせてもらいました。
今年は既に13回もブルージィーパパは舞台にたっています。
これはうちとしてはめずらしく大いなる露出度でした。
今回は多分、今年最後のステージになりそうなので、
観に来てください。
場所 宇治生涯学習センター
時 12月3日(第1日目)
午後2時半開場
午後3時 ステージで歌おう
午後4時半から5時半
東くんとロッポーちゃんとの京都フォークの裏話
午後5時半 ひょうたん島
午後6時 コンパルサ
午後6時半 ブルージィーパパ
午後7時 満月堂
時 12月4日(第2日目)
終日宇治のアマチュアバンドが出演
どうぞぼくらブルージィーパパの今年最後のステージを
のぞいてください。
ブルージィーパパは今年は国民文化祭のおやじバンドに出演したり、、
橋寺で義捐コンサートに参加したり、比較的大きなコンサートに出場
しました。
おやじバンドについては、1200人ものお客さんの
前で歌うことなどそうあるものではなくいい経験をさせてもらいました。
今年は既に13回もブルージィーパパは舞台にたっています。
これはうちとしてはめずらしく大いなる露出度でした。
今回は多分、今年最後のステージになりそうなので、
観に来てください。
場所 宇治生涯学習センター
時 12月3日(第1日目)
午後2時半開場
午後3時 ステージで歌おう
午後4時半から5時半
東くんとロッポーちゃんとの京都フォークの裏話
午後5時半 ひょうたん島
午後6時 コンパルサ
午後6時半 ブルージィーパパ
午後7時 満月堂
時 12月4日(第2日目)
終日宇治のアマチュアバンドが出演
どうぞぼくらブルージィーパパの今年最後のステージを
のぞいてください。
このぼくのブログは2006年5月30日に、ほんの出来心で、当時、友人の機械に強い岩橋威夫くんに頼んで開設してもらいました。
最初はアナログ人間のぼくなので、ヒーヒーいいながらの出発でしたが、これも友人の吉村幸雄はんの指導もあり、今日までなんとかやってまいりました。
ブログというのは一種の中毒性もあり、毎日、何か書かなければ不安になったり、社会との繋がりが消滅してしまうのでは、という強迫観念にとらわれたりで、あんまり勧められたものではないのですが、
それでも、こんなブログでも読んでいただける読者もあり、
なんとか続けてきました。
それが10月6日、閲覧数が10万件を突破したのです。
最近では一日150件から300件ものヒット数があり、それはそれでほんとに
嬉しいことです。
友人にいうと、個人のブログでは閲覧数は凄い、とのこと。
調子者のぼくとしてはなんとか続けたいと
思ってますので、皆様、一層のごひいきを!

100000回突破です。
最初はアナログ人間のぼくなので、ヒーヒーいいながらの出発でしたが、これも友人の吉村幸雄はんの指導もあり、今日までなんとかやってまいりました。
ブログというのは一種の中毒性もあり、毎日、何か書かなければ不安になったり、社会との繋がりが消滅してしまうのでは、という強迫観念にとらわれたりで、あんまり勧められたものではないのですが、
それでも、こんなブログでも読んでいただける読者もあり、
なんとか続けてきました。
それが10月6日、閲覧数が10万件を突破したのです。
最近では一日150件から300件ものヒット数があり、それはそれでほんとに
嬉しいことです。
友人にいうと、個人のブログでは閲覧数は凄い、とのこと。
調子者のぼくとしてはなんとか続けたいと
思ってますので、皆様、一層のごひいきを!

100000回突破です。

7月11日(月)にみんなで集まろう、と村山昇作ちゃんから電話で誘いがあり、出席してきました。
集合場所はマコトの店「竹嶋」でマコト自慢の床料理を食べ、加茂川を見ながらワイワイガヤガヤ。昔話に花が咲きます。夕方、床から珍しく虹が見えました。
出席者は、村山昇作、河上佳裕、平岡克英、山本剛、石村良夫、そして、竹嶋の大将の石田誠。
今回の集合は、われらの村山昇作ちゃんが帝国製薬の社長から顧問になり、今、話題の京大の山中教授のIPSの社長に就任のため、京都へ戻ることへの報告会とお祝いの会でもありました。
けっこう涼しい川風を受け、昔話や友人の消息などに話の花が咲いていました。
話に夢中で写真を撮るのを忘れ、竹嶋の写真は昇作ちゃんからの提供です。
二次会は祇園の弥す田。
祇園囃子の聴こえるなか、旧友たちとの間に懐かしく流れる時間。
石川啄木ではないが、友がみなわれより偉く見えし夜、花を買い来て妻と眺むる、そのままの優しい素直な時の流れに浸れた気分でした。

二次会の弥す田で。

村山を囲んで記念撮影。
ファンキーチキンの歌姫、ばんちゃんこと番匠貴子さんが6月22日亡くなりました。
ばんちゃんは入退院を繰り返しながらファンキーチキンで歌うことを支えに癌と闘ってきましたが、ついにかえらぬひととなってしまいました。
享年50歳、あまりにはやいその死に、誰もが信じられないかのようです。
通夜に行ってきましたが、生前のばんちゃんの人柄を惜しむかのように音楽仲間や友人がたくさん集まりました。
自分が病気でつらいのに、いつも笑顔でこちらを励まし、何かあればきれいなデザインのメールで勇気をくれたり、そんなばんちゃんにもう会えないと思うとちょっときついです・・・・・・。
たっちゃんも、みこちゃんも、まるちゃんも、さっちゃんも、あまやんも、きゅーちゃんも、くまちゃんも悲しい顔でした。
痛みや苦しみから解放されて、天国で思い切り歌姫として歌ってください。
ぼくらはあなたの笑顔と歌声を忘れないよ。
合掌。

最後のリンネのライブ。

歌うばんちゃん。もう見られません。

病に負けず笑顔でした。
ばんちゃんは入退院を繰り返しながらファンキーチキンで歌うことを支えに癌と闘ってきましたが、ついにかえらぬひととなってしまいました。
享年50歳、あまりにはやいその死に、誰もが信じられないかのようです。
通夜に行ってきましたが、生前のばんちゃんの人柄を惜しむかのように音楽仲間や友人がたくさん集まりました。
自分が病気でつらいのに、いつも笑顔でこちらを励まし、何かあればきれいなデザインのメールで勇気をくれたり、そんなばんちゃんにもう会えないと思うとちょっときついです・・・・・・。
たっちゃんも、みこちゃんも、まるちゃんも、さっちゃんも、あまやんも、きゅーちゃんも、くまちゃんも悲しい顔でした。
痛みや苦しみから解放されて、天国で思い切り歌姫として歌ってください。
ぼくらはあなたの笑顔と歌声を忘れないよ。
合掌。

最後のリンネのライブ。

歌うばんちゃん。もう見られません。

病に負けず笑顔でした。
生誕120年 河井寛次郎展 が京都の高島屋で開催されているので、行ってきました。
今回は大正10年に高島屋で行われた初個展のときに出展され、以後、個人の所蔵のため目にすることがなかった「愛染鳥子」と、いう作品が90年振りに見られるとのことで楽しみでしたが、ほんとうに可愛かった。
河井寛次郎記念館の寛次郎のお孫さんのさぎたまえさんが作品を照会しながらトーク、大勢のひとが聞きいりました。
河井寛次郎にたんのうした一日でした。
それから、「生命の歓喜 生誕120年 河井寛次郎展」(毎日新聞社刊)の記念誌にぼくの名前を入れていただきありがとう。
さぎたまえさん、はせがわゆみさん、まだ始まったばかりですががんばってください。

さぎさんの案内で始まる。

寛次郎フアンでいっぱい。

愛染鳥子

記念誌図録
今回は大正10年に高島屋で行われた初個展のときに出展され、以後、個人の所蔵のため目にすることがなかった「愛染鳥子」と、いう作品が90年振りに見られるとのことで楽しみでしたが、ほんとうに可愛かった。
河井寛次郎記念館の寛次郎のお孫さんのさぎたまえさんが作品を照会しながらトーク、大勢のひとが聞きいりました。
河井寛次郎にたんのうした一日でした。
それから、「生命の歓喜 生誕120年 河井寛次郎展」(毎日新聞社刊)の記念誌にぼくの名前を入れていただきありがとう。
さぎたまえさん、はせがわゆみさん、まだ始まったばかりですががんばってください。

さぎさんの案内で始まる。

寛次郎フアンでいっぱい。

愛染鳥子

記念誌図録
先月、久しぶりに遊び人のよっさんの仕事場を訪ねると、彼はいなかった。
奥さんに尋ねると救急車で日赤に入院したとのことだった。
なんでも脳梗塞を起こしたということで、これはえらいこっちゃ、と思っていた。
連絡がとれなかったが、このたび退院をして来た。右半身に麻痺が少し残っていてリハビリ中だということだ。
彼は昔、京都のGS、ザ・ズームズのドラマーであったが、暫くはスティックが握れないらしく彼のドラムは聴けそうにない。
でも彼のことだからきっとリハビリをして不屈の闘志で復活し、あの走り気味のドラムを聴かせてくれるだろう。
遊び人のよっさん、早く元気になって祇園のピアノバーへセッションしに行こうね。

遊び人のよっさんの復活を待つ。
奥さんに尋ねると救急車で日赤に入院したとのことだった。
なんでも脳梗塞を起こしたということで、これはえらいこっちゃ、と思っていた。
連絡がとれなかったが、このたび退院をして来た。右半身に麻痺が少し残っていてリハビリ中だということだ。
彼は昔、京都のGS、ザ・ズームズのドラマーであったが、暫くはスティックが握れないらしく彼のドラムは聴けそうにない。
でも彼のことだからきっとリハビリをして不屈の闘志で復活し、あの走り気味のドラムを聴かせてくれるだろう。
遊び人のよっさん、早く元気になって祇園のピアノバーへセッションしに行こうね。

遊び人のよっさんの復活を待つ。
このブログを始めて数年になる。アナログ人間のぼくがやるのだから、
最初は大変だった。いいや、今も大変である。
多くの友人たちの協力でなんとか続けているのだけれど、最近の2,3カ月で、
ぼくのこのブログの1週間の閲覧数が1000件を超えるようになって来た。
こんなぼくの勝手な独白に付き合ってもらっているのだから、手を抜いてはいけない、
と少し反省をしたところ。
正直、皆さんに感謝する次第。どうぞ、これまでにも増してのご愛読を!