地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

こんなん創ってもらいました!

2015-02-26 00:08:31 | 友だち数珠つなぎ
こんなの創ってもらいました第1弾、第2弾。
アナログのぼくには信じられませ~ん。
素敵でしょう!
近々、第3弾もお見せします。

美術館

ぼくのラフ

ブルースまみれの夜、京都スローハンド。

2015-02-22 01:47:56 | 音楽の部屋
2月22日、京都丸太町のライブハウス、スローハンドに行って来た。
出演はMRTとハードラックボーイズ&マジックシャフルの対バン。
今夜は大谷朝子とちがいゆみこさん。
大勢の知り合いも来ていた。河村さん、宮崎さん、そして、昔、ねこいらーずというバンドをやっていたfb友だちでもある梅ちゃん。
たっちゃんのボーカルにブルースを堪能した夜だった。

ハードラックボーイズ

たっちゃんがシャウトしとります

うめちゃんとぼくとたっちゃん

テフテフのマスターと宮崎さん

訳アリうめちゃん

タコバーの外国人


京都のIVYの元祖といってもよい店

2015-02-21 00:20:42 | ひとりごとの部屋
2月19日、MOVIX京都で映画を観たが、帰りに「イノハナ」に寄ろうと思っていた。
イノハナは京都新京極の三条下がるにある紳士服の店である。
が、あいにく店のシャッターは下りていた。
たまたま着て行ったKEÑTのダッフルコートは今から47年ほど前にイノハナで買った
ものである。
休みなら仕方がないと思い、フッ、と見ると、閉まったシャッターに入居者募集の意味合いの込められた張り紙が・・・。気になって向かいの店のおばさんに店は止められたのか、と訊いてみた。去年の12月ごろから閉まっているということで、新聞にも出ていたということだった。
ぼくらはVANやJUNといった服を追い求めた。それは一種の社会現象にもなっていた。特にVANはアメリカのアイビーリーグの大学生が着ていた服をモデルにし、石津謙介が操業した。そのVANの製品を京都で最初に扱ったのがイノハナであった。
創業1888年の看板が今も残っていた。丁度、服飾を題材にした「繕い裁つ人」を観てきたところだったので感傷的な気分になった。
京都のトラッド、IVYのメッカ、イノハナがなくなる。寂しいことである。

シャッターの閉められたイノハナの店。


創業1888と書かれた看板。


イノハナで今から45年以上前に買ったKENNTのダッフルコート。

「繕い裁つ人」を観てきた。

2015-02-19 22:51:56 | ひとりごとの部屋
2月19日、京都市内のⅯoVIx京都で観てきた。
そんなに期待してはいなかったが、全体に静かな流れで、観たあと、心が癒された気になった。
主演は中谷美紀、頑固さがいい感じでオーバーでもなくよかった。舞台が神戸ということで、坂道が象徴的に使われる。三島有紀監督の腕だろうか。

組母が始めた仕立て屋『南洋裁店』を継いだ市江(中谷美紀)は、古びたミシンをカタカタ言わせて一生ものとなるような服を一着一着丁寧に作っている。昔ながらの職人スタイルを取っているため量産はできず、百貨店の営業・藤井(三浦貴大)からの再三にわたるブランド化の提案も断り続けている。祖母が作った服の仕立て直しやサイズ直しをし、祖母のデザインを流用した新作を作る日々に、市江は十分満足していた。しかし、自分がデザインしたドレスを作りたいはずという藤井の言葉が、市江の心を動かす……。と、いうストーリーである。
「とっておきの服は誰かひとりのために」「おしゃれは自分のために」「いい服は体にそってくる」すてきな言葉が語られる。
ただ、少し不思議に感じたのは、主人公が紳士服を直すシーンだ。婦人服のデザイナーが紳士服を直すのかと、少々違和感を覚えた。
藤井の演者は百恵ちゃんの子息だそうである。


京都新聞に連載している「随想やましろ」2月分が掲載になりました。

2015-02-13 15:15:43 | 文学の部屋
京都新聞に連載している「随想やましろ」2月分が13日に掲載になりました。
今回は「風信子」について書いてみました。興味のある方は読んでみてください。


風信子
                       東  義  久 
去年の暮に父が亡くなり、今年は年賀状も初詣もない静かな正月であった。そんな折り、文学仲間の猪飼丈士氏から寒中見舞いが届いた。見舞い状には、「風信子 父の碁盤に 端座せり」と、一句添えられていた。その句を読み、ぼくは十七文字に心あたためられていた。
風信子と書いてヒヤシンスと読む。春の季語である。日本語ってなんて美しいのだろう。その季語がぼくの若いころの記憶を呼び起こした。
ぼくの住む大久保もずいぶん変わった。その筆頭はといえば大久保駅である。電鉄会社も近鉄ではなく、奈良電気鉄道株式会社、通称奈良電と呼ばれていた。それまでは、今の場所から五百メートルばかり南にあって、今のように高架ではなく下の路面を走っていた。改札口は自衛隊の南側、今の不二家の辺りにあり、そこにはタクシー会社もあった。
そのころの大久保駅は確か東側が石積みになっており、そばにはくりくま映画館があった。駅より東側に住む人たちは踏切りを超えて改札口に行かなければならなかった。ぼくのように旧大久保に住むものは、
するため、改札口まで行かず大谷川の鉄橋を渡りホームの端をよじ上ったりもしたものである。今なら考えられぬほど危険な行為であったがおおらかなものであった。
ホームの端には蔓薔薇が一本、その棘で通せんぼをするように時折り一輪の小さな赤い花をつけていたのを、猪飼氏の寒中見舞いの句からフッ、と思い出したのである。
改札口でないところから入るその行為に後ろめたさを感じていたのか、その薔薇を踏みつぶさぬように避けて上ったのを覚えている。
そのシーンを俳句に詠みたいと、句心のない若いぼくが思ったのだったが、結局はできなかった。ぼくの裡のあの薔薇は冬でしか無かった。白い息をはいて飛び乗った電車は冬であった。当時、薔薇の季語を調べると夏だということだった。それではぼくの俳句は完結しない。僕は白い息をはいて電車に乗らなければならないのに、夏ではぼくの拙い句は成立しない。それでぼくの句は結局完成しなかった。それから暫くして、薔薇の季語のことを知る。薔薇は夏咲きと四季咲きがあり、本来は初夏の季語だということだが、品種改良などもあってか冬にも薔薇が咲くのである。そのために、冬薔薇(ふゆそうび)という季語がある、ということであった。
散文を書いているぼくがたった十七文字の俳句に嫉妬した、そんなことを思い出させてくれた寒中見舞いであった。




映画「深夜食堂」を観て来た。

2015-02-02 05:29:05 | ひとりごとの部屋
2月1日、京都イオンで映画「深夜食堂」を観て来た。公私とも慌ただしくて映画を観る時間が取れなかったが、行くことにした。が、日曜日とも重なり、満員で次の上映まで待たされた。「深夜食堂」のフアンの多さに驚かされた。
漫画「深夜食堂」が原作とされるこの作品、テレビで観てからのフアンである。あがた森魚の「バターライス」を偶然に深夜のテレビで観てはまってしまった。松重豊のヤクザのりゅうちゃんとおかまのすずさんの「たこウインナー」など秀作は幾つもあるが、映画では余貴美子がマスター小林薫の訳アリ恋人のような出演の仕方をしているのが、今後テレビでも観られるのか気になる。
好きなテーマソングはテレビと同様、鈴木常吉の「思ひで」。
テレビではオダギリジョーが人生に迷い、熊野詣でに出る設定であったが、新宿に戻り交番の巡査になっていたり、最後に田中裕子が貫禄で出演、さすがジュリーの奥さん(これは関係ないか?けど、我が青春のジュリーやからお許しを!)。
映画は映画でそれなりに拡がりを見せていて楽しめた。

お馴染み小林薫のマスター。

いらっしゃい。

りゅうちゃん、すずさん。お馴染みのメンバー。

貫禄の田中裕子。