9月29日、今日は祇園のシルバーウィングでライブがあり楽しんできました。この催しは、ぼくらがよく出してもらっている宇治のパスタイムというライブハウスが10周年を迎えたので記念のイベントとして祇園のシルバーウィングと共催で行われたものです。今日はラディカルギャングリバイバルも出ていてチャーリーが1949年製のマーチンギターを持って来ていたので見せてもらいました。いい音してま~す🍀
ぼくらのバンド、パパりんごはぼくだけ間違いばかりで、大反省でした。
マンガさん、かかしちゃん10周年おめでとう‼️今日はご苦労様でした‼️‼️
9月23日、長野たかしさんから京都のメイビーのライブに久しぶりにおいでと誘いを受け、台風17号が熱帯低気圧に変わったこともあり、のぞいて来た。長野さんは昔、「遠い世界に」でよく知られている「五つの赤い風船」のベースとして活躍されていたが今はあやこさんと夫婦で活動されている。久しぶりにも関わらず一緒にやらせてもらい楽しかった。このデユオはいつもしっかり日本を見つめている、と思い力をもらった。
ぼくは貧弱な体型のためTシャツはあまり着ないのだけど、2005年に綴喜ライオンズクラブがぼくの原作で山城国一揆の短編映画を創ったそのとき、出演者、スタッフに配られた「山城国一揆Tシャツ」がタンスのなかで眠っていたのが見つかった。今年の夏は特別暑いので着ることにした。赤色でちょっと恥ずかしい気もするが、まぁまぁ楽だし、これからはほかにも気にいっているのに着てなかったTシャツも出てきたし、着ることにするか~‼️
2019年7月12日付けの京都新聞の山城版の「随想やましろ」で南山城出身の大植真太郎氏のことを書いた。
偶然にテレビで彼のバレエを観て感動したのである。その彼が京都の南山城地方の京田辺市の出身であることが嬉しかった。
今回の「忘れろ」は辻本知彦と、いうダンサー兼振付家と二人で舞った。辻本はマイケルジャクソンのワールドツアーに参加したり、米津玄師のミュージックビデオの振付をしたりもしているということだ。
そんな辻本が大植真太郎が、「1993年にローザンヌ国際バレエコンクール入賞という一流のカンパニーを通っているのに、コンテンポラリーに挑戦しているのは理解不能」というぐらいだから大植真太郎の方向性はおもしろい。ぼくの随想やましろが掲載されたころは、森山未来らと一緒に招かれシンガポール公演に行っていた。
そして今、大植真太郎はフランスで新しい創作バレエを創ろうとしている。今回ぼくが気に入っているのは「忘れろ」とは違い無名のストートダンサー4人を集め創作コンテンポラリーダンスをやろうとしていることだ。パリでやるのは文化的なものには助成金が出ることを見込んでのことだろう。来年の4月が目標だそうだ。
大植真太郎の飽くなき挑戦はまだまだ続く。目が離せない。