会場に飾られた高林監督の遺影。 会場の様子。
林宣彦監督の「高林陽一監督を偲ぶ会」への呼びかけ文。
高林陽一監督が亡くなって3カ月が経った。
12月1日、発起人の一人として「高林陽一監督を偲ぶ会」に出席して来ました。
会場は監督の出身地である京都のからすま京都ホテル。
ぼくは監督と共著で「夜が明けたら」を澪標出版から出している。
監督が生前、自分の映画人生の最後の作品にしたい、といってくれたぼくの原作と監督の脚本の合本
だ。
が、結局、映画は日の目を見ることなく監督は逝ってしまわれた。
そんな関係でぼくは偲ぶ会に出席した。
本の帯文をもらった大林宣彦監督が発起人の代表である。先ずは大林監督の挨拶と高林監督への追
悼の言葉で会は始まった。
栗塚旭さんと。 松井良彦監督と。 としおかさんと。
遠藤久仁子さんと。 土橋亨監督夫妻と。
会場は100人ほどの出席者で高林監督の生前の交流関係の広さが偲ばれる。
俳優の栗塚旭さんや映画監督の松井良彦氏、土橋亨夫妻など懐かしい顔もあった。
大林監督からは「映画化される前に亡くなり残念でしたね」と、労いの言葉をいただき嬉しかった。
けれど、ぼくの原作と高林監督の脚本の合本が澪標出版から上梓され、思い出として遺った。
なんの準備もしていなかったのに会の最後にぼくの挨拶がまわってきた。これは司会のとしおかさんの
気遣いだったのだろう。
さよなら自主映画の巨匠、高林陽一監督。ご苦労さんでした。
高林陽一監督とぼくの合作。帯文は大林宣彦監督。