地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

ジュリーが歌ってる。新曲で原発問題を!

2014-03-28 01:20:18 | 音楽の部屋
我が青春のジュリーこと沢田研二健在。

最近、南なんちゃらとかいう自称フォーク歌手が安倍総理大臣と恥ずかし気もなくいっしょにデュエットしていたが、そんな輩にはフォークシンガーを名乗って欲しくはない。
その点、ジュリーは正真正銘のロッケンローラーだ。

そのジュリーが歌う「一握り人の罪」。胸に響く。

一握り人の罪
         沢田研二

東電も信じた 受け入れ側も信じた
安全神話鵜呑みに 一握り人の罪

海が命の漁師は 海が死ぬのを怖れた
村はいびつに裂かれた 一握り人の罪
嗚呼無情

いつか原発廃炉に 除染は何年先
東電は未来型エネルギーに無関心か

国もただこまぬくだけ 被災地に 僕たちに
復興延々と進まず 国は荒むよ

僕らに還して国を
原発に乞われた町
神話を流したのは誰 一握り人の罪

原発に怯える町 原発に狂った未来
繰り返すまい明日に 一握り人の罪
嗚呼無情

ブレないジュリー。

エバンスのお別れ会に参加。

2014-03-24 09:16:19 | 友だち数珠つなぎ
3月23日夜、友人のメナジュ・エバンスのお別れ会がタコバーで行われたので参加して来た。
エバンスはケニアのナイロビの近くの出身で、京都大学の農学部でバイオテクノロジーを6年間学び博士号を取得し、今回めでたく卒業、帰国することになった。
ぼくらのライブにも顔を見せてくれたりしていたエバンスのお別れパーティーということで大勢の仲間が集まった。
一度、帰国してから6月ごろにもう一度日本に来て、母国と日本の輸出入の仕事がしたいというエバンス。きみの明日に乾杯!

エバンスと。


友人がいっぱい。


たくさん集まりました。

青谷梅林へあおくまの紙芝居を観に行って来ました。

2014-03-23 00:37:42 | 文学の部屋
青谷梅林の季節

3月22日、青谷梅林へ行った。「青谷梅祭り」が開催されているからである。
昨日は雨が降り寒かったが、今日は少しまし。駐車場から歩いていると春の陽射しを感じ寒くはなかった。
今日は梅を観るのも楽しみだったが、もう一つの楽しみがあった。
それは小笠原優さん(あおくま)によってぼくの作った紙芝居「青谷、鬼の恋からが上演されるためだ。
午後2時ごろから紙芝居は始まった。子どもたちや大人のおきゃくさんたち、大勢の観客に演者の小笠原さんはやりにくい状況だったろうが、なかなかの熱演でますます会場の雰囲気ももりあがっていい感じ。
ただ作者としてはちょっとだけ気恥ずかしい気もして大変。
それにしても梅の花満開の中で春を感じながらの一日はいいものだった。
小笠原さん熱演ありがとう!

青谷梅林 梅祭り。

熱演です。

小笠原さんと。

昔なつかしい紙芝居。

林サヨコ「町家キルト工房 教室作品展」を観てきました。

2014-03-17 00:16:56 | 友だち数珠つなぎ
3月16日、京都祇園のギャラリー西利で開かれている、林サヨコ「町家キルト工房 教室作品展」を観てきました。
林サヨコさんは自分のキルト作品の前でぼくの童話を読んでくれていて、その縁でながい付き合いをさせてもらっている。
今回は彼女が開いている教室の生徒さんたちとの作品展で、友人のジョージ風呂本の誘いも受け、行ってきました。
ジョージ風呂本と彼女は、以前、これもKCN京都というケーブルテレビで、「童話屋でござる」と、いうぼくの童話作品を放映していたが、彼が司会役をしてくれていて、その番組に林サヨコさんもゲストで登場してくれて以来の知り合いでしたが、彼は彼女の作品を観たことが無く、一度観たいと思っていたようで、一緒に行くことになりました。
作品展の会場に着くと、彼女の作品の圧倒的な存在感にとらえられ見入ってしまっていました。彼女のもがき苦しんでいたときの作品や京の町家の大作、ぼくの好きな八幡の桜、そして、ジョージ風呂本が気に入った伏見稲荷の鳥居など、林サヨコがそのままそこに作品としてあるようでした。なんでも、彼女の作品としては50作品ほどになるとのことで、着実に創り続けていることに、逆に勇気をもらった次第です。
100作品を目指して欲しいと心から思いました。
ジョージ風呂本も痛く感動したようで「すごい、すごい」の連発でした。
会場を出てから彼が以前歌っていたディスコ、ニューデルタ時代に下宿していたという建仁寺の近くを散策し、変わってしまった街の様子に驚き、ぼくも書かなければ、と後押しされた一日でした。

林さんの内面を描いた作品の前で。

林さんの大作の前で風呂ちゃんと。

桜並木の前で3人。

デルタ荘を訪ねて、中書島を歩く。

2014-03-13 22:05:05 | 文学の部屋
平成26年3月13日、朝から雨が降る寒い日、ぼくはジョージ風呂本と京都市伏見区の中書島を歩いた。
中書島はその昔、三十石船が大阪まで出ていたところで、坂本龍馬で知られる寺田屋があり、また、文学作品にもよく登場している。たとえば西口克己の「廓」や織田作之助の「蛍」の舞台になっていることでも知られている。
そんな中書島に今から47年ほど前にデルタ荘というアパートがあった。
そのデルタ荘は祇園にあったディスコ、ニューデルタの社員寮だったのである。
その所在地をジョージ風呂本に案内してもらい探したのである。辺りは当時と随分に変わっていてあちこち歩いたが、或る程度のことが判って勝ちある一日だった。
久しぶりに興味の湧いた題材に巡り合い、本当に書けそうな気がしている。
あのころの音楽に夢中になった青春群像を!

京阪中書島駅。

デルタ荘のあった辺り。

ジョージと探して歩く。

風呂屋。

毎日くぐったトンネル。

相変わらずの看板。

ほんやら洞の主、甲斐扶佐義写真展「マラーノ学者随行記」のこと。

2014-03-05 15:36:19 | 友だち数珠つなぎ
ほんやら洞の甲斐さんが、扶佐義写真展「マラーノ学者随行記」と、題した写真展を2014年3月4日から9日まで、河原町通りのマロニエで開催するという。
甲斐さんは写真家としては高名なのだが、ぼくはまだ作品をじっくりと観たことがない。
おもしろいのは、ぼくが以前に出版した「アイ・ラヴ・フレンズ」の映画版の中で、主人公の女流カメラマンの写真たちが甲斐さんの作品であったのだ。偶然そのことを知り、彼の作品を観てみたくなった。
そもそも甲斐さんとぼくが知り合いになれたのは中川五郎さんのおかげでもある。最近、ゴローちゃんの歌が気になり追いかけていたらほんやら洞で甲斐さんとも知り合った。
ゴローちゃんと甲斐さんが八文字屋で呑んでるから出ておいで、といってもらったのだが、その夜はあいにく行けず不義理をした。
そんなこともあって、今回はどうしてもとの思いで出かけたのだが、あいにく時間がぼくの認識と違い、マロニエはも閉まっていた。仕方ないので、友人のMoritoshiで食事をしてから、オープニングパーティーの会場の八文字屋へと向かった。
扉を開けてビックリ。いつもは客が数えるほどの店に人が溢れていた。
甲斐さんも、こんなに人が集まってくれるのは20年前のようだ、それに、八文字屋には美女が集まってくるという伝説も復活だ、とすこぶるご機嫌でいい調子。
知ってる顔も知らない顔も入り乱れて、木屋町の夜は更けて行った。
ところで、ぼくはまだ甲斐さんの写真展を観ていない。
なんとかのぞきに行くつもりでいる。

甲斐さん。

立すいの余地もない。

知ってる顔も。

甲斐さんと記念写真。

ほんやら洞の美女たち。

スパニシュ・ハーレム・ナイトのさとうのぶひこさんのこと。

2014-03-02 23:08:35 | 音楽の部屋
この前、机の奥をゴソゴソしていたら1970年ごろのコンサートチケットが出てきた。
そのころ、京都でひときわうまいバンドがあった。
そのバンドはスパニッシュ・ハーレム・ナイトといい、ぼくはひそかに憧れていた。
それがひょんなことで昨年、スパニシュのギター奏者さとうのぶひこに氏に会った。
彼はイザムなどタレントのプロデュースをし、おもて舞台から裏舞台にまわっていたが、最近、横浜などで月一のライブを始めていて、表舞台に戻って来た。CD「タワー」も出しているし、これがまたなかなかご機嫌だ。
それが、今回出てきたチケットがぼくらのバンドと共演していたことを証明してくれたのだった。
ぼくが1970年ごろに所属していた西洋乞食とひっつき虫というバンドがあるのだが、そのバンドトスパニッシュが同じ舞台に立っていたのだ。。
それは京都芸館ホールのことである。ぼくが覚えているのは、スパニッシュのリーダーの入江くんが、ぼくがその日、急遽ベースを弾くことになり、「雨を見たかい」と、いうCCRの曲を弾いたのだが舞台袖でじっと見ていた彼が「コピーはええなぁ」と、ほめてくれたのだった。そのことを今でもはっきり覚えている。
そして、ぼくの抜けたあとに入った中村光一くんがさとうのぶひこのギターテクに「かっこいい!」と、いつも感嘆していたものだった。スパニッシュは西部講堂などに出たり、外タレが京都に来ると前座をしたり、なかでもさとうのぶひこは後に柳ジョージとレイニーウッドに加わったりもした。
この前、クンチョウを聴きに行ったときバックをしていたギターの田中春之氏とベースの山田春三氏も昔、いっしょにやっていたということで驚かされたが、それなりに齢を重ね円熟味を増してきたノブは目が離せない存在である。

さとうのぶひこのCD

ノブ

出て来たチケット

スパニッシュと西洋乞食とジュンとネネの名前も見えます。


FBで再会、古時計の西田くん。

2014-03-02 22:08:17 | 音楽の部屋
 古時計というバンドがあったのを覚えていますか。
 大場と西田のヂュオで、とても素敵なハーモニーを聴かせてくれていました。
 二人とも、京都産業大学の学生で、当時、ぼくらともよく一緒にコンサートに出ていました。大場氏は石川県の出身、西田氏は岡山県の出身だったように覚えています。いわゆる、ルックスもよくて人気もあり、レコードデビューをしました。
 「ロードショー」という歌は、今もカラオケなどに入っていて、歌われているひともいると思います。
 大場氏の高音で震わせる、いわゆるビブラートのかかった歌い方は聴いていて気持ちがよかったものです。
 池内じゅんこさんのテレビドラマの主題歌も歌っていたように覚えています。
 大場と西田が解散してから大場と小坂、そして大場の弟が組んで古時計としてやっていたように記憶していますが、それもいつか解散してしまいました。
 それが2005年7月24日、中村光一(当時、彼は古時計のバックでギターを弾いていた。バックはほかにも小坂、伊東、佐々木らもいた)から連絡が入り、西田氏がソニーから古時計のリメーク版のCDを出したので、京都に来るから、みんなで「ザン」に集まろうとの連絡が入ったのでした。
 西田氏は定番の「ロードショー」を歌ってくれ、盛り上がったのですが、たまたま元「村八分」の松田ミッキーが来ていたので、彼も伴奏に加わり、ブルース版「ロードショー」でした。
 アマチュアのころ、ぼくらのバンド西洋古事記とひっつき虫のコンサートにも当時は古時計の前身「影法師」としてよく出てくれました。
 その西田氏と最近、FBで知り合い、懐かしくて「いいね」の押し合いをしています。それにしても、みんな確実に年老いて行きます。

古時計のCD。

74年ころのチケット、影法師、古時計の名が見える。

当時の古時計の写真。