旅はいつまで←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
淡い夕焼けのなかに今日も一日の旅が終わる
果てしのないさすらいはいつまで続くのか
昨日の町にも落ち着ける場所はなかったね
自分の足を労わりつつ
さすらいは今日も続くのか
もうこんなに遠くまで来てしまったけれど
夢も幾分錆びついて出るのは溜息ばかり
独りは気が楽なんていつでも気取ってはいるが
なぜか思う故郷
さすらいは明日も続くのか
もうこんなに遠くまで来てしまったけれど
夢も幾分錆びついて出るのは溜息ばかり
幾つ冬を数えたろうこれから辛いね北風はいやだね
心も冷えるさすらいは無常に続くのか
もうこんなに遠くまで来てしまったけれど
夢も幾分錆びついて出るのは溜息ばかり
心は師走←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
おまえを愛してるはずなのにこんなに淋しい
まちは春なのに心は師走のように
そんなに優しい目で見ないでくれ
おまえにゃミンクのコートがよく似合う
だけど今のおいらにゃどうしようもない
要らないっていうおまえを見るのが辛い
おまえにゃ悪いと判って今日も安酒あおるのさ
哀しいけれども将来は見えている
かまわないっていうおまえがいじらしい
だけど今のおいらにゃどうしようもない
おまえにゃダイヤの指輪がよく似合う
だけどおまえにゃ夜店で買ってやった指輪
嬉しいっていうおまえのことが憎らしい
おまえにゃ悪いと判って今日も安酒あおるのさ
哀しいけれども将来は見えている
かまわないっていうおまえがいじらしい
だけど今のおいらにゃどうしようもない
小さな出発←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
さよならしよう列車に乗ろう
辛くはないよ独りでも
朝霧かかるプラットホーム
見送るひともいないけど
この列車に遅れたら
ぼくの人生お終いさ
そんな気がするから
さよならしよう小さな町に
煙草の火を消し列車に乗ろう
ぼくの小さな出発なんだ
遠い日に見た物語さえ
待っているんだ知らない町に
この列車に遅れたら
ぼくの人生お終いさ
そんな気がするから
さよならしよう軽い気持ちで
町の灯りがさみしいけれど
いつかは戻るそのときに
ほんとうのぼくを
見つけているよ
約束するよさようなら
この列車に遅れたら
ぼくの人生お終いさ
そんな気がするから
さよならしよう幼いころに
★当時、幾つか訳詞も頼まれた。2作品だけ紹介しておく。
ミスター・ボー・ジャングル←ここをクリック
訳詞・東 義久
或る日裏町のうらぶれた酒場で出会った
そうなんともいえないほど素敵な親父さ
その顔のシワが俺にはよく判る
長い人生の流浪の果てに生きた人だと
哀しみと貧しい暮らしに明け暮れた日々だったと
だけど彼は陽気に今日も踊る
暮らしに疲れ果てた人でいっぱいの酒場は
罵声と歓声の坩堝のなかで客が叫ぶ
親父いかしたタップを踏んでくれよ
ミスターボージャングル
ミスターボージャングル
ミスターボージャングル
ダンス
つぎはぎだらけの古いジーンズにちびった靴はき
けれど彼は得意気にいつもいうのさ
若いころには旅の一座の人気者だったよと
七色のライトを浴びてみたいかいもう一度
金と名声に生きるどんなスターよりも
いかした親父もう一度タップを高く
ミスターボージャングル
ミスターボージャングル
ミスターボージャングル
ダンス
★次のラ・ボエームは京都のエレキ・バンド『ズームズ』のリードギター橋本の伸ちゃんと二人で訳詞したものである。伸ちゃんが生ギターで弾き語りをしていたのは味があってよかった。その伸ちゃんも今は死んでいない。
ラ・ボエーム
訳詞・橋本伸一、東 義久
ぼくは話そう
誰にもある 二十歳のころ
何もかもがきれいに見え
ぼくの部屋の窓の下の
リラの花は 夢にあふれる
ぼくら二人の仕合わせを見つめていた
過ぎし日よ 夢の日よ
想い出すはあの日
過ぎし日よ 若き日よ
楽しい想い出
仲間たちと
何時間もコーヒーを前に
歌い騒ぎ酒を呑んで
貧しいけれど誰もみんな
光あふれる自分の明日を
疑わぬ若き日よ
そんなふうに過ごした日に
戻りたくて住んでた街訪ねてみた
けれど今は騒いだ店も愛したひとも
夢見た日々も
美しいもの総ては
そこにはない
ラ・ボエーム ラ・ボエーム
きれいだったきみよ
過ぎし日よ夢の日よ
総ては若き日
僕は風のミュージシャン
西陣エレジー
五条坂
ブルースなんて大嫌いさ
171号線のブルース
小さな花のように
一人ぽっちの城
昨日よりも若く
およびじゃないけど
波のままに風のままに
あなたの明日
悲しきチャペル
細雪の抄
細雪の抄
五月ケ丘のバラード
旅はいつまで
心は師走
あたいの仕合わせ
五条坂←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
あれは五条坂 うらぶれ心の
うつろいに 春は弥生の雨が降る
ひとにいわれて来てみたが
哀しい陰に響くのは
赤い鼻緒の下駄の音
あれは五条坂 散り行く心の
花びらに 今日はどこまで捜そうか
呑んで忘れるものならば
悲しい酒もあるまいに
赤い鼻緒の下駄の音
あれは五条坂 宿無し男の
この身には 帰るあてなどあるじゃなし
他人の恋なら盗ってもみるが
主ない影に響くのは
赤い鼻緒の下駄の音
ブルースなんて大嫌いさ←ここをクリック
作詞・東義久、森田隆司
作曲・森田隆司
いつの間にか心に住みついて
ぼくを狂わせてしまった
ブルースなんて大嫌いさ
夜も眠れないほどに
ぼくを悩まし続ける
ブルースなんて大嫌いさ
ぼくの頭は今も
ブルースでいっぱいなのさ
どうしょうもないほどに
女も呆れてにげちゃうし
仕事も手につかない
ブルースなんて大嫌いさ
もしもブルースが聴こえなくなったら
ぼくは生きて行けそうにない
ブルースなんて大嫌いさ
171号線のブルース←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・森田隆司
人にいいたくない話だけれど
高槻という街を知っているかい
俺が昔愛した女がいるんだ
おれの人生狂わして
ほかの男と逃げた女
反吐をはくよな苦い想い出さ
171号線を走るとね
茨木の手前
俺は何度も捜しに行ったよ
いつも純情なツラしてよ
俺の心を涙で縛り
尻軽女さみんながいうよ
もしも高槻に行ったら
その女に言っておいてくれよ
俺が今も独りでいることを
京都に魂のぬけた男がいることを
小さな花のように←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
あなたは美しい花から生まれた
何も知らないままで
その清らかさゆえに
あなたの前にひざまずいて
みんな捨てて
小さな花と美しい心が
いつまでも変わらずに
明日はすばらしいあなたの世界が
甘いささやきばかり
きっと心を奪われて
わたしの前に淋しさにおう
風に揺れる小さな花と優しい心が
いつまでも変わらずに
いつかは傷ついてぼくのところまで
淋しさにふるえて
帰って来たくなったら
あなたのために勇気をあげよう
そのときこそ小さな花を愛したように
あなたひとりを抱きしめよう
昨日よりも若く←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
夢のように時が過ぎて独り泣いているおまえ
時の流れに取り残されて独りうつむいているおまえ
何もいえないよ 何も聞けないよ
かくれてしまうのかおまえ
昨日よりも若く
愛の重さに耐え切れず独り悩んでるおまえ
明日を見るのが怖いなんて独り立ち止まるおまえ
何もいえないよ 何も聞けないよ
かくれてしまうのかおまえ
昨日よりも若く
およびじゃないけど←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
こんなに心は燃えているのに
こんなに思想は花開くのに
時は流れて行く
今のぼくなんておよびじゃないけどだけど信じている
もうすぐぼくは自由になれる
もうすぐぼくは飛び立てる
いつでも仮面は笑っているのさ
いつでも人には気づかれずに
心を見せた人
今のぼくなんておよびじゃないけどだけど忘れない
もうすぐぼくは自由になれる
もうすぐぼくは飛び立てる
あなたの明日←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
今さら許してはくれないでしょうね
あなたの背中が哀しいわ
ずっと昔から気づいていたわ
わたしを愛してくれてることは
何だか目の前が暗くなってきたわ
あなたを乗せてく飛行機が東京へ
ずっと昔から気づいていたわ
わたしを愛してくれてることは
あなたの愛とわたしの明日
ハカリにかけていたの
あなたがいうほど子どもじゃなかった
ズルイわたし
本当に夢のよう学生だったころ
卒業したなら一緒になろうと
ずっと昔から気づいていたわ
わたしを愛してくれてることは
あなたの愛とわたしの明日
ハカリにかけていたの
あなたがいうほど子どもじゃなかった
ズルイわたし
社会の一歩を歩き始める
わたしの知らないあなたになるの
ずっと昔から気づいていたわ
わたしを愛してくれてることは
細雪の抄←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
私は今日あなたの好きだった 谷崎の細雪を読み終えました
あなたと暮らしていたころは あなたが私の総てだったから
ほかのことは何も見えなくて いつの間にか面白くない女に
なってしまっていたのでしょう
着飾ることばかりに夢中で 人間の本質には無関心
淋し過ぎました
あなたが去って行ったのも 仕方のなかったことのように思う
今日このごろ
あなたもうほかのひとと一緒に 暮らしては龍之介や谷崎になる
その日を夢みているのでしょう そのかた可愛いひとなのでしょう
あなたの夢判るはずもない 幼いだけあの日の私
細雪のヒロインの哀しみが判って来ました 愛されることばかりに夢中で
心はどこかに 淋し過ぎました
あなたが去って行ったのも 仕方のなかったことのように思う
今日このごろ
あたいの仕合わせ←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
太陽のあふれる午後の公園
あんたは難しそうな顔して黙ってベンチに坐ってる
煙草を吸うのも忘れて
そんなあんたのそばに そんなあんたのそばに
あたい黙っていつまでも 坐ってるのが好きなのよ
薄暗い電球二人だけの部屋
あんたは訳の判らぬ難しい本読みあたいの判らない
言葉を繰り返している
そんなあんたにずっと そんなあんたにずっと
あたい黙っていつまでも ついて行ってあげるわよ
何もない毎日あんたにかけて
あたいが稼いであげるあんたは今日も本読み考える
あたいは演歌を唄ってる
そんなあんたにずっと そんなあんたにずっと
あたい黙っていつまでも ついて行ってあげるわよ
僕は風のミュージシャン
西陣エレジー
一人ぽっちの城
小さな出発
波のままに風のままに
悲しきチャペル
細雪の抄
五月ケ丘のバラード
旅はいつまで
心は師走
ミスター・ボー・ジャングル
そのバンド名は多分、中井みちありことチャーリーが発案者だったと覚えている。
横井氏はその後、あの桑名まさひろの『ファニーカンパニー』に入った。『ファニーカンパニー』という名のルーツはここにあるのだろう。
その加藤姉妹のお姉ちゃんが経営する『ファニーカンパニー』と、いう酒場が祇園にある。
去年10周年を迎え京都ホテルオークラで記念パーティーがあったが、桑名も来て歌っていた。
その酒場は、加藤のお姉ちゃんがジャズを歌って、また、当時、ロックやエレキをしていた不良叔父さんたちが夜な夜な集まり、飛び入りで歌ったり騒いだりしている。
そのころ、ケネディに代表されるようにアメリカのアイビーリーグの大学のファッションが日本でも流行だした。
VANの服を来た若者が街にチラホラ出回り始めた。京都では三条新京極の「イノハナ」という服屋さんでVANの服が売られていた。
音楽といえばプレスリーなどが、ぼくらの少し上の世代のアイドルでありヒーローだった。
そこへビートルズが出て来たのである。
今のように携帯やパソコン、ゲームなどはなかったが、その分、ぼくらには音楽があった。
ビートルズの映画『ビートルズがやってくるヤーヤーヤー』が、確か京極の美松大劇で上映されたときのこと、ぼくも友人と観に行ったのだが、映画館は立ち見も出て満杯の状態、身動きも出来ずにいた。
生ではなく映像なのにキャーキャーという悲鳴にさすがのぼくも驚いていた。
ぼくらは後ろで立ち見で身動きがとれないままに観ていたのだが、いちばん前で男の泣き声がズッ、と聞こえるので、どんなやつなのか気になり、休憩のときにひとの群れをかきわけ好奇心から見に行った。
その泣き声の主はジ・アンツの岩田康雄(後にトップギャランのメンバー)だった。
ぼくらは、なぜか恥ずかしくなり、また、後ろのほうへと逃げて行った。
ぼくは以来、映画館であのようなすし詰め状態になったことはないし、(今なら消防法かなにかで規制されるだろう。)また、ライブではなく映画で、男が最初から最後まで、大声で泣き叫ぶような状況に出遭ったことはない。
現在と昔を比較するつもりはないが、ぼくらの時代は或る意味、良かったのかもしれない。それほどにのめりこむものがあったのだから。
さて、今の若者はなににのめりこんでいるのだろうか。
※セリフ
水の心
1998年だったと思う。河野正孝氏からぼくに電話が入った。
「大阪芸術大学の助教授で、木津川やまなみ国際音楽祭のディレクターをしていますが、また、やまなみグリーネ管弦楽団指揮者もやっていて……自分たちのオリジナルが欲しいので、音楽劇をいっしょに創るのを手伝って欲しい」
とのことであった。
面白そうだったので、ぼくはその話に乗った。
それから、ぼくは南山城村に通うことになった。
南山城村は京都府と三重県の境にあって、京都府で唯一の村である。
自然と木津川と黒川紀章がデザインしたやまなみホールがある。
音楽劇のタイトルは直ぐに浮かんで来た。『水の心』と、直ぐに決まった。
脚本が出来ると、次に作曲者の選考になった。結果、千秋次郎氏に決まった。千秋氏は、大阪芸大の教授で、それまでに220曲以上の作曲を手がけられているとのことであった。
そんなふうにして、『水の心』は動きだした。
曲が完成すると、今度は管弦楽団との音あわせや、コーラスの練習が始まり、音楽劇『水の心』はじょじょに完成に近づいて行った。
それまでぼくはフォークやロックの歌詞は書いて来たが、管弦楽団の演奏するぼくにとっては最初の曲造りとなったのである。
そして,1999年12月5日(日)に(財)南山城村文化財団の主催、後援南山城村教育委員会で、やまなみホールでの初演を迎えた。
この模様はCDとして残されているが、ここでは挿入歌を紹介する。
恋路橋←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・千秋次郎
蛍飛び交う夏の夜に
渡ったひとは恋かなう
迷信だとは判りつつ
すがってしまった恋路橋
いまさら返せといわないが
あの夜の誓い忘れたか
人恋しさがつのる夜は
あなたの手紙出して見る
生きてくことがつらいとき
泣いて悔やんだ恋占い
涙のわけも知らないで
若さにまかせ傷つけた
いつかは戻る恋路橋
総ては夢か幻か
わたしの故郷←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・千秋次郎
この地に生まれ この地に育ち この地を愛した
ここはわたしの故郷 健やかな魂が宿る
移りゆく時の流れのなかで
ここだけは時の流れを止め
瞳の奥にあるあの日のままの姿
この地に生まれ この地に育ち この地を愛した
ここはわたしの故郷 健やかな魂が宿る
山百合を黒髪になびかせて
見つめていたひとの涙の意味
今なら判るけどあの日に帰ってみたい
この地に生まれ この地に育ち この地を愛した
ここはわたしの故郷 健やかな魂が宿る
さまようごと大人になっていった
傷ばかりを増やしたけれど今
心の奥にあるあの日のままに戻る
水の心←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・千秋次郎
ゆるやかに空飛ぶ鳥よ 過去から未来へと続く時の流れ
森のきらめき 野のささやき
わたしは今 あなたとここにいる
風になってわたしは踊る
ゆるやかな時の流れ
たおやかな水の流れ
木々のはざまで生命がうたう
いつの日にか人は気づく 水の心
川へ川へ帰りましょ 底が抜けたら帰りましょ
川へ川へ帰りましょ 底が抜けたら帰りましょ
耳を澄ましてごらん、水の音が聞こえるだろう。
もっともっと耳を澄ましてごらん。水が大事な何かを
語りかけてくるだろう。
ひととしての大事なものを。もっともっと耳を澄ましてごらん。
水の心が感じられるだろう、水の心が。
秘めやかに息づく故郷 夢見て漂った遠いときの記憶
森の煌き 野のささやき
わたしは今 あなたとここにいる
風になってわたしは踊る
ゆるやかな時の流れ たおやかな水の流れ
木々のはざまで生命がうたう
いつの日にか人は気づく 水の心
☆『夢絃峡恋歌』について
「水の心」の第2弾として、また、やまなみホール開館10周年記念事業として、今回は演出に豊田千晶氏、編曲に森口泰行氏を迎えて同じスタッフで仕上げることになった。
上演は2000年12月9日、物語は京の都が平安京と呼ばれたころのこと。その平安京から遠く離れた山城と伊賀の国境に、夢姫という美しい娘と絃之丞という凛々しい若者が住んでいた。二人は不思議な力に惹かれるようにして出逢った。
やがて恋を語りあう中となり、親の反対を押し切り身を潜めいっしょに暮らすようになる。
やがて、夢姫の父親の追っ手が……。
ここが最期の場と悟った二人は、互いの目を見つめ、互いの手をとり、弓が淵の谷底めがけて飛び立った。
まるで傷ついた白鳥が二羽落ちて行くようだった。
渓谷は夢姫と絃之丞の名前にちなみ夢絃峡と名づけられた。
ゆめゆめ夢姫絃之丞←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・千秋次郎
ゆめゆめゆめひめげんのじょう
この世で咲かぬ花ならば
あの世で咲かせてみせようぞ
みせようぞ
ゆめゆめゆめひめげんのじょう
死んで花実が咲くものか
生きて二人の花が咲く
生きて二人の花が咲く
ゆめゆめゆめひめげんのじょう
生きていたとて叶わない
いっそあの世で結ばれる
結ばれる
ゆめゆめゆめひめげんのじょう
生きてくことの苦しさと
愛することの真心と
愛することの真心と
千年の不思議←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・千秋次郎
朝焼けに染まる山並み
遠くかなたから
静かに聴こえてくる
自然(じねん)の歌が
あなたに見えますか あなたに聴こえますか
めぐりめぐる千年の時の不思議
めぐりめぐる人の世の情
花の色だれに教わることもないままに
今年も大地を染めひっそりとひらく
あなたに見えますか
あなたに聴こえますか
めぐりめぐる千年の時の不思議
めぐりめぐる人の世の情
流れゆく花びらひとつどこへ行きたいの
尋ねて応えはなく自然(じねん)のままに
あなたに見えますか
あなたに聴こえますか
めぐりめぐる千年の時の不思議
めぐりめぐる人の世の情
春夏秋冬←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・千秋次郎
懐かしき花にあえる春
美しき夢忘れずに
今年も咲いた 今年も咲いた
夢のごとく 夢のごとく
身を焦がすほどに輝け夏
おそれを知らぬ若者は
激しさゆえに 激しさゆえに
刃のごとく やいばのごとく
山々は色づき燃える秋
生命のかぎり身を焦がし
紅蓮の炎 紅蓮の炎
愛のごとく 愛のごとく
総てを包んで積もる雪
まことの炎けさぬよう消さぬよう
冬枯れに抱く
春の夢
夢絃峡、密やかな愛←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・千秋次郎
時は流れても 時代が変わっても
人の心は代わらない
それを信じて生きていたい
いつの日にかいつの日にか
愛する人にめぐりあう
知っていますか夢姫の愛
覚えていますか絃之丞の情
今に伝わる夢絃峡
二人の愛は密やかに
密やかに
夢がこわれても 涙が枯れ果てても
生きてくことの喜びは
ぜひに信じてあしたを待つ
いつの日にか
生きてる意味が判るでしょう
知っていますか夢姫の愛
覚えていますか絃之丞の情
今に伝わる夢絃峡
二人の愛は密やかに
密やかに
名称は忘れたがシルクホールでエレキバンドのコンテストがあってスケルトンズとズームズが出場していたが、スケルトンズが優勝し、ズームズがコスチューム賞をもらっていたのを覚えている。
ズームズはリードボーカルが住吉純、橋本伸一がリードギター、ベースが石田誠、ドラムスが吉村幸雄、キーボードが吉沢功展、だったように思う。
普段は祇園のディスコ『ニューデルタ』を本拠地に活動していた。
橋本伸一は今はもういない。脳梗塞でこの世を去った。
今から20年ほど前、ズームズのメンバーが集まり演奏した画像が残っている。
もし興味のあるひとは、
★http://yossan.com/azuma/zooms.wmv
で観てもらえばいい。
なぜかぼくもギターを持って、ボーダーのポロシャツを着て参加している。
1970年ごろ京都に「西洋乞食とひっつき虫」と、いうフォークのバンドがあった。ぼくは恥ずかしながら初代のメンバーだった。
コピーやオリジナルを気が向くままにやっていた。
オリジナルについてはぼくが作詞を担当し、バンドのリーダーであった中坊忠明が担当していた。
ひょっとして、ぼくらの演奏を聴いたひとが、そんなキトクなひとがいるかもしれない。
オリジナルの歌詞を紹介してみることにする。
まず最初の2曲『西陣哀歌』と『波のままに風のままに』はマイナーレーベルよりカップリングとしてレコードが出ていた。
西陣エレジー←ここをクリック
作詞・東義久
作曲・中坊忠明
ちらちら雪降る西陣に 聞いた昔の言い伝え
機織りの音は哀しみを かくす女のすすり泣き
しきたりなんかに負けへんと言ってたひとも
自分を殺して生きたという
比叡おろしが凍らせたのか
男と女の胸の火も
道ならぬ恋を堀川は 幾度流してしまったか
冷たく降ってる粉雪も 昔の恋の味がする
しきたりなんかに負けへんと言ってたひとも
自分を殺して生きたという
比叡おろしが凍らせたのか
男と女の胸の火も
京都盆地の底冷えのする
男と女の古い恋
波のままに風のままに←ここをクリック
詞・東義久 曲・中坊忠明
べつに苦しみがあるわけでもなく
毎日がハイウエーのように続いている
それでもぼくには優しい隠れ家だったの
ただ自由という名のもとに生きたい
明日のために
オオッオ総べてのものから逃れて
波のままに 風のままに
愛は形も見せず過ぎさっていく
あのひとはいつも口とがらせ不平をいう
それでもぼくには優しい隠れ家だったの
ただ自由という名のもとに生きたい
明日のために
オオッオ総べてのものから逃れて
波のままに 風のままに
何も判らない それはそれでいい
黙ってる それも辛くない独りでも
それでもぼくには優しい隠れ家だったの
ただ自由という名のもとに生きたい
明日のために
オオッオ総べてのものから逃れて
波のままに 風のままに
僕は風のミュージシャン←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
黒髪を風にさらして踊るきみ
きみが踊ればぼくが歌おう
野の花に負けないほどの美しさ
きみはきれいだ
もっときれいにおなり
哀しみに打ちのめされて沈んでしまうきみ
きみが泣いたら星さえ消えるさ
愛してもなぜか悲しく切なくて
愛を忘れた
もっと愛してごらん
風のような出会いを信じていたい
空飛ぶ鳥はぼくのともだち
自由に憧れ 風を連れ旅をする
ぼくはぼくはぼくは風のミュージシャン
いつの日別れそしてまた出会うだろう
繰り返しつつ人生の旅何処へ行く
何処へでも行く
唇に歌を忘れずもっと遠いところへ
風のような出会いを信じていたい
空飛ぶ鳥はぼくのともだち
自由に憧れ 風を連れ旅をする
ぼくはぼくはぼくは風のミュージシャン
悲しきチャペル←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
小さなころは親父とおふくろと
いっしょによく祈りに来たさ
優しい神父さんの銀縁の眼鏡が
とても素敵だった
僕がいろんな悩みに耐えかねて
いつでも祈りに来ると
僕の心はいつか穏やかに
十字架を見つめていた
この町の片隅にある
小さな二階建ての教会の
赤い屋根とステンドグラス
去年のクリスマスにゃキャンドルサービスに
賛美歌が静かに流れ
きみと二人変わらぬ愛を誓いあった
なのに今日 教会の鐘が鳴りゃ
きみは愛を捧げ
知らない男の花嫁になるの
ぼくの青春を置き去りにして
この町の片隅にある
小さな二階建ての教会の
赤い屋根とステンドグラス
今日は淋しさを
救ってくれる場所もない
一人ぽっちの城←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中坊忠明
暗くした部屋のなかにひとり
からだのなかを流れる血
信じられるものがあるのだろうか
闇の向こうに叫びたくなる
逆立ちをしても判らない
夢のなかにまでうなされる
判りあえるものがあるだろうか
見えないんだよ心なんてものは
わたしには自分があるよ
誰にも見せない城がある
あなたのものになって何も考えないで
あなたについて行くと
何処へ行ってしまうの
だからさあなたも黙っていて
無駄なことだよね愛だって
心が判らずに苦しいだけ
さいごになったら死にたくなるだけ
五月ケ丘のバラード←ここをクリック
作詞・東 義久
作曲・中村光一
踏み切り越えたら分かれ道
二度目の見合いで見初められ
お嫁に行くのとマリちゃんは
小さな声ではにかんだ
少しふとめの足首が
道の小石を蹴っていた
五月が丘の陽だまりは
婆さまこっくり
もう春でした
お化粧おとした風呂がえり
いつもと違った優しさが
知らない他人に思わせる
仕合せばっかりくるように
つとめて明るく振舞った
ぼくのことならいいからね
五月が丘の夕焼けは
そよそよそよ風
もう春でした
泣きべそ弱虫鬼が来る
泣きべそまりちゃん通せんぼ
子どものころならいえたのに
大声あげて泣いたろに
声をかぎりに叫んだに
哀しさなんて判らずに
五月が丘の水溜り
雲が流れて
もう春でした
五条坂
ブルースなんて大嫌いさ
171号線のブルース
小さな花のように
小さな出発
昨日よりも若く
およびじゃないけど
あなたの明日
細雪の抄
細雪の抄
旅はいつまで
心は師走
ミスター・ボー・ジャングル
あたいの仕合わせ
ぼくにとっては嬉しいことで、早速、DVDを買って観た。
GSのなかでザ・ゴールデン・カップスは、ぼくにとっては別格だった。
あの不良性や音楽性が、そして、当時からブルースっぽい音を出し、他のグループの追随を許さなかったバンドである。
エディー蕃のブルージーなギター、ルイズ・ルイス加部の早弾きのベース、ディブ平尾のシャウトした声、それらはぼくらの真似出来ないものであった。
彼らは祇園の『プレイ・スポット』に出ていたことがあって、たまたまぼくも出ていて、ルイズ・ルイス加部と並んで小便をしたことを覚えている。彼はラリッていたように見えた。ぼくは、やはりあの早弾きは薬なのか、と妙に納得したことを覚えている。真相はどうか、ぼくには判らない。
最後にカップスを見たのは『ママリンゴ』であった。
彼らのロックの本質とでもいうチープな不良性を感じさせるバンドには出遭うことはもうないであろう。
タイガーズではなくジュリーが好きだ。
こんなことを声高にいう自分が恥ずかしい気もするが、あえて告白する。
未だにジュリーのコンサートを観に行くが、その度に観客の老齢化を意識する。 客は総立ちになるが、周りの連中はぼくと同じで体力がついていけず坐り込んでしまう。そんな自分がちょっと淋しい。
化粧をし、きらびやかな衣装を着け、派手な振りをしても違和感のないジュリーは、最高のパフォーマーである。多分、それは着倒れや阿国歌舞伎のルーツが存在する京都の空気を持ったジュリーだから出来たことだろう。
今から30年以上前、ぼくはジュリーの生を見たことがあった。
それは、三条蹴上げにあった都ホテルのプールでのこと。
あのジュリーが泳いでいたのである。
ぼくは思わず見惚れていた。
プールサイドには、そのころ京都では有名だったオカマさんのバー「たかし」のおっしょさん(マスターがそう呼ばれていた)が着流しに和傘をさして立っていた。もちろん、たかしのおっしょさんはジュリーのお付きさんである。
まるで都ホテルのプールが舞台のように、そのなかでジュリーが中心にいる主役のように、ぼくには見えた。まさにジュリーは千両役者そのものだった。
京都のカントトリーウェスタンのバンド「テネシーファイブ」の永富研二が、その舞台のトークのつかみとして「京都の三大ケンジ、沢田研二、愛田けんじ、そして、永富けんじでございます」と、いって客に大いに受けるのも、言わずもがなジュリーの大きさゆえであろう。
いっとき「河原町のジュリー」という人物がマスコミを賑わし、それに対抗して「寺町のショーケン」なるものも現れた。
ジュリーというのは一種社会現象となっていたのである。
当時に比べてジュリーは太った、とよくいわれる。若いひとたちにジュリーが好きだといっても、当時の熱気はどうも理解してもらえない。
が、ぼくにはジュリーが太ろうと歳をとろうと、ジュリーはジュリーなのである。
我が青春のジュリーなのである。
それは「山城国一揆国人列伝」と題した作品で、400枚ぐらいの枚数になる予定で、ゴールに近づいています。
これまで「小説山城国一揆」「絵がたり山城国一揆」を出版して来たのですが、読者の方から中世特有の国人というもののイメージがもうひとつ掴めないので、国人を中心にした物語を書いて欲しい、という声があり、今回、作品化にかかったということです。
先の2作品と今回の「山城国一揆国人列伝」で山城国一揆三部作となる予定。
出版の運びとなったときは、ぜひ読んでみてやってください。
このコンサートは、これまでクラッシック音楽のコンサートを企画してこられたエクスプレションの代表である本田馨さんからの発案で実現したもので、ぼくの『京の走り坊さん』と『木津川を泳いだ大仏さん』の読み聞かせと音楽のコラボでやってみたい、ということから実現したものです。
当日は客の入りも心配だったのですが、百人を越す盛況で、ホッ、としたのですが、会場に入ることが出来なかった方には迷惑をかけてしまいました。
当日のコンサートは、ジョージ・風呂本の紙芝居『木津川を泳いだ大仏さん』から始まりました。
導入曲としてローリング・ストーンズの『アンジー』が会場に流れます。この曲は風呂本が鬱を患ったとき癒されたという曲です。
アンジーがフェイドアウトしたころ、風呂本の紙芝居の語りが入ります。
『木津川を泳いだ大仏さん』とローリング・ストーンズの『アンジー』が妙にマッチングしてスタートです。
ジョージ・風呂本は元スケルトンズという京都では伝説のロックバンドのリードボーカルで、その後、教職の道に入り、現在は退職してボランティアで絵本の読み聞かせなどをされています。
さすがに昔とったきねずかとでもいうか、すごい存在感で、お客さんを紙芝居の世界に引き込んで行きます。
つぎは、音楽タイムです。今回の音楽はアイリッシュ音楽の「鞴座(ふいござ)」です。これまでにあまり聴いたことのない音楽がお客さんを一瞬のうちにふいご座ワールドに誘いこみます。
僕的には場末の酒場で酒をちょびちょび呑んで聴いてみたい、そんな雰囲気のある音に感じ、いい気持ちになりました。
そこで一部が終わり、二部の始まりです。
走り坊さんの居た大蓮寺が、会場の窓外に流れる加茂川の向こうに見えます。
今回は、大蓮寺の副住職が来場してもらえ、走り坊さんの想い出を少し話していただいた。感謝、そして、合掌。
いよいよ、今日のメーンイベントの始まりです。
四宮蓮山の尺八が会場の空気をしめます。
ふいご座の音が鳴り出し、そこへ馬場精子の稟とした声が語り出します。
語りと音楽のコラボ『京の走り坊さん』の上演です。
ぼくの作品であるのを忘れるような馬場ちゃんの語りと、違和感のないアイリッシュ音楽に企画者の本田馨さんのセンスのよさを感じました。
音響は昔からの仲間である京都の四季の滝山武彦が担当してくれ、心配していた音話本舗旗上げコンサートは無事終わりました。
大方が好評で、また、こんなコンサートをして欲しいとの声もいただき、作者としては自分の作品でありながら、こんな作品だったのか、という不思議で面白く、緊張感のある1日でした。
音話本舗の僕の拙作と音楽のコラボ、機会がありましたら、のぞいてやってください。
1998年やまなみホールにおいて初演
脚本 東義久
作曲 千秋次郎
指揮 河野正孝
★音楽劇『夢絃峡恋歌』
2001年やまなみホールにおいて初演
脚本 東義久
作曲 千秋次郎
指揮 河野正孝
★『構成吟舞・山城国一揆』
2002年住友ホールにおいて初演
脚本 東義久
★朗読劇『木津川を泳いだ大仏』
2003年京都府立文化芸術会館において初演
脚本 東義久
出演 京都放送劇団
★音話本舗まちかどコンサート旗上げ公演
2006年12月3日 ホワイト・キャンドル(木屋町御池上る)にて。
「京の走り坊さん」「木津川を泳いだ大仏さん」を馬場精子・ジョージ風呂本・
ふいご座・四宮漣山のコラボで、エクスプレッションが企画。