地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

拾得に 「よしだよしこ」 現る!

2014-10-26 17:16:33 | 音楽の部屋
10月25日、京都のライブハウス拾得によしだよしこが登場。
この時季、京都の夜は少し寒い。
ライブの始まる午後7時、拾得の入り口の黒い幕がおろされると、よしだよしこの世界が始まった。
彼女の声に温もりを感じ、こころがほぐされる。
忘れないということ、でスタートした彼女の時間に違和感なく溶け込んで行った。
笑って、唄って、と繰り返しのリフが心地よい。
彼女の弾くダルシマーにのって、トンネルって溜め息なんだろう、という歌詞はぼくの気持ちにしっかりとからみついてくる。
ギター一台で織りなすよしこの世界、ほんとに心地よい。
魂のありかっていう歌、自然でいい。いい歌なんだろうな、と改めて思った。
ぼくの席から譜面台が邪魔をして顔が見えないことに気づき、譜面台を移動してくれたハンサムよしこさん、帰路、京都の路地を少し心を開いて歩いていた。
次のライブが楽しみだ。








ノブの京都での2回目のライブがモダンタイムスであった。

2014-10-26 10:23:24 | 音楽の部屋
10月24日、佐藤宜彦、ノブの京都での2回目のライブがモダンタイムスであった。
今回は、前回の3人のメンバーに加え、ドラムとシンセが加わったバンド編成。
36度5分で始まったステージは1部がオリジナル中心で進み、9曲を歌い切った。
ノブが同志社の出身ということもあり、当時の学友たちが大勢来ていて、彼の人柄がしのばれる。
2部は、1部よりもロックっぽく始まったが、途中ゲストでスパニッシュ・ハーレム・ナイト時代のメンバーの水谷けいじが参加、懐かしいイッツ・トー・レートやマスカレード、ジョージア・オン・マイ・マインド、果てはゴールデンカップス時代の長い髪の少女や好きさ好きさ好きさなども演奏し、客席を盛り上げていた。
2部はアンコールを含め16曲をノリノリのうちに終えた。
バンド編成のノブのステージ、昔のメンバーも見られ、結構、楽しめたライブであった。
ノブお疲れ!

ノブのライブの後、ちょっとだけ酒を呑みたくなり、八文字屋に寄った。甲斐さんとアドちゃんが迎えてくれた。アドちゃんの最終の日だったようで、少し寂しかった。


ノブですよー。

今回は5人編成。

水谷けいじを加えて。

帰りに寄った甲斐さんとこ。

アドちゃんです。


おつるとおてるのコンサートに行って来た。ディランⅡの永井洋さんともいっしょです!

2014-10-18 20:26:24 | 音楽の部屋
10月17日、大阪本町四ツ橋筋の椿堂で「オツルとオテル」のコンサートがあり、行って来ました。
去年から始まったこの小さなコンサートは今年で3回目。
おつるは京都のアマチュアフォークでは知られた元バラーズの福中いづみさん、おてるは元KBSラジオのディレクターの川村輝夫さん。
川村さんは伝説のディレクターと呼ばれ、当時放送禁止とされたイムジン河をかけ続けたひと。
いつもはおつるのジョーンバエズの曲をメーンにした歌でコンサートは進行して行くのだが、今日はおつるさんが風邪で声が出にくいため、おてるのピアノやウクレレなどで孤軍奮闘!そして、バックは「わたしのフレンズ」と、いうドブロ、バンジョーの坂田、ギターの岩上、マンドリンの安東がピアノのももこが固め、3部構成で酒もありなかなか楽しめました。
今日は嬉しいことが二つ。
一つは、おつるさんがぼくのオリジナルの「祈り、明日のために」を初めて歌ってくれたことと、そして、おつるさんの喉の調子が悪く2曲しか歌えないので、ディランⅡの永井洋さんとぼくと岸和田ラジオFMをされている西沢しんさんがゲストで一曲ずつ歌うことになったことです。
特にディランⅡの永井洋さんといっしょできたのはラッキーでした。
それと、おつるさんが貸してくれたギターは、高田渡の主治医だった藤村直樹氏からいただいたCOLTというものでした。なんかいい音がしてましたよ。

祈り
  作詞・東 義久  作曲・中村光一 
  
  小さな花 風にそよぐ あの花のように生きたい
 自然(じねん)のままに 咲いている  時の流れ 安らかに
※ 生きるために生まれて来て  生きる意味さえわからずに
   死ぬ日のことを思う  なにゆえひとは祈る 
   明日のために  

(2)いくたびか 別れを知り  あなたの痛みを思う
   今は恨みなど微塵もなく  ただ会いたいもう一度
 ※ 生きるために生まれて来て  生きる意味さえわからずに
   死ぬ日のことを思う  なにゆえひとは祈る
   明日のために   

(3)夢を追う 心も萎え  日々に流され生きて行く
   それでも命の焔(ほむら)消せず 掌(てのひら)合わせ 祈るだけ
 ※ 生きるために生まれて来て  生きる意味さえわからずに
   死ぬ日のことを思う  なにゆえひとは祈る
   明日のために   ウーウー  ウー  ウオ―ウオ―ウオ

おつるさん。

おてるさん。

永井洋さん。

ぼくです。

おつるさん、おてるさん、永井洋さんと。













ミッキーが逝った!

2014-10-08 22:57:57 | 友だち数珠つなぎ
松田幹夫が亡くなった。
最近は体調の不良を訴えていたそうだが、魚釣りに熱中していると聞いていたので、まさかと思った。
7月、夏にミッキーは天国に旅立った。
ミキオは最終の村八分のリードギターだった。
チャーボーも亡くなって、フジオも死に、ミキオも亡くなった。
今ごろは天国で村八分を再結成し、ガンガンのブルースを演奏しているのだろう。
2008年3月22日に「松田幹夫40周年記念ライブ」と、銘打ち宇治市役所の前のレストランでライブを行ったが、ぼくのルート66と息子のスタンバイミーにブルージーなバックをつけてくれたのが忘れられない。今、そのビデオをシンミリした気分で観ている。
最後に彼のステージを観たのは3年ほど前、宝ヶ池のホンキートンクに出るから来てくれといわれ、行ったときのこと。
が、ぼくには彼との衝撃的な想い出がある。京都の輪廻というライブハウスでぼくらがやっていると、ミキオが二木さんと遊びに来て、生ギターのスライドでスイートホームシカゴをやり出したのである。
鳥肌が立った。すごい、と思った。
ミッキーと焼肉を食べに行き、アカセンなるものを教えてもらったり、とにかく、ミキオのギターが聴けないのは淋しい。
あまりに早い逝去だったが、安らかに眠ってほしい。

シャウトするミキオ。


ミキオのバックで東ルイがスタンドバイミー。

ホンキートンクで。

40周年ライブ。