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1月10日、今日は招待状をいただき、京都市美術館別館、みやこめっせ、日
図デザイン博物館に日展の小林秀夫さんの作品を観に行った。
そもそも日展を観るのが初めて、会場が広く作品数の多いのにびっくり。小林
さんは審査などもされているようで重鎮である。日本画がある、洋画、書、彫
刻、工芸美術などありとあらゆる芸術が観るぼくを圧倒してくる。
これだけ会場が広く作品が多いのに、会場に入った途端、小林秀夫氏の「暁
光」が不思議な光りをぼくに放ち直ぐにどこにあるのかがわかった。小林さん
の個性の激しさなのであろう。
会場で旧友の安井啓之くんに会った。筆、紙、すずり、すみなどを扱う会社で
専務取締役としてがんばっている。うれしいことである。
ちょうど1月10日ということで、十日ゑびすを覗いて帰ることにした。万歩
計で1万2000歩、膝が痛くフラフラだった。
大晦日の夜、いつものようにテレビを観るではなくただ点けっぱなしにし、とし越しそばを食べ、近くの旦椋神社にお参りし寝た。元旦の朝目覚めると年賀状が来ているのを楽しみに見た。年に一回の賀状だけの挨拶になった友の安否の確認をした。いつもの正月だ。ぼくには二人の息子がいる。兄貴は車で遊びに出掛けた。ここまでは例年通りなのだが、今年はちょっと違うことがある。二男がいい夫婦の日に婚姻届を出したのだ。披露宴もまだ、住まいも東京と大阪と離れているがもうれっきとした夫婦。その夫婦がやって来る。ちょっと緊張。二人がやってきて、ゆっくりくつろぎ、そのあと、竜王のアウトレットに行こうということになった。息子の乗っているミニクーパーでは4人が乗るのはしんどいのでぼくのカブトムシで出かけた。今年はいつもと少し違う正月だった。
今年は家庭菜園が思いの外、うまくいった。胡瓜や茄子、ミニトマトなどがたくさん穫れた。最近まで秋茄子が穫れていた。けれど雑草もいっぱいで草引きをして野菜も引っこ抜いた。ちょっと寂しかったけど柿がいっぱいなっていたので柿の収穫に気持ちの切り替え。
隣のKちゃんに手伝ってもらい初柿収穫。今年はそんなにカラスにつつかれていなかった。
ぼくの好きな宮沢賢治は農民楽団というバンドをつくりチェロとオルガンを担当し農業をしたという。単純細胞のぼくは直ぐに真似した。宮沢賢治がトマトに力を入れていたと聞き今年はトマトも作った。ぼくのバンドのタクちゃんが家庭菜園の師匠でいろいろ教えてくれる。一番の敵はカラスと雑草。が、柿は野菜のような世話は要らず、とりあえず豊作で、しばし柿の収穫が続く。
2019年7月12日付けの京都新聞の山城版の「随想やましろ」で南山城出身の大植真太郎氏のことを書いた。
偶然にテレビで彼のバレエを観て感動したのである。その彼が京都の南山城地方の京田辺市の出身であることが嬉しかった。
今回の「忘れろ」は辻本知彦と、いうダンサー兼振付家と二人で舞った。辻本はマイケルジャクソンのワールドツアーに参加したり、米津玄師のミュージックビデオの振付をしたりもしているということだ。
そんな辻本が大植真太郎が、「1993年にローザンヌ国際バレエコンクール入賞という一流のカンパニーを通っているのに、コンテンポラリーに挑戦しているのは理解不能」というぐらいだから大植真太郎の方向性はおもしろい。ぼくの随想やましろが掲載されたころは、森山未来らと一緒に招かれシンガポール公演に行っていた。
そして今、大植真太郎はフランスで新しい創作バレエを創ろうとしている。今回ぼくが気に入っているのは「忘れろ」とは違い無名のストートダンサー4人を集め創作コンテンポラリーダンスをやろうとしていることだ。パリでやるのは文化的なものには助成金が出ることを見込んでのことだろう。来年の4月が目標だそうだ。
大植真太郎の飽くなき挑戦はまだまだ続く。目が離せない。
8月14日、台風10号とお盆だというのに、映画「グリーンブック」を観に行ってきた。観忘れていた作品だったが友人の梅ちゃんが京都シネマでやっている、と教えてくれたのだ。この作品は1962年の未だ人種差別の色濃く残るアメリカの話。トミーというイタリア系の少々ガサツなナイトクラブの用心棒と,神の技を持ちケネディのためにホワイトハウスで演奏した黒人ピアニストのドクターシャリーの二人が南部へ演奏の旅に出る話だ。いろんな差別に向かいながらシャリーはひとのこころは変えられると信じている。人種差別の残る南部へ演奏旅行へシャリーが出たのも彼のこころのなかにひとのこころは変えられるとの思いがあったからだろう。人間というのは、黒人でもなく白人でもない。どう生きているかが大事なのだということをこの映画は教えてくれる。シャリーが黒人のバーでピアノを弾いたとき、ぼくは思わず泣いていた。泣けた。深刻に描くのではなく、それでいてこころに迫るいい作品だった。今から36年前、ぼくはロスでアレサフランクリンに会ってサインをもらった。そのアレサの曲も流れた。いい映画だった。梅ちゃんありがとう。帰り、イノダに寄って映画の余韻に浸っていた。
昨日、久御山イオンで映画「新聞記者」を観てきた。主演はシム・ウンギョンと松坂桃李。これは東京新聞の望月衣塑子記者の原作である。彼女が菅官房長官とのやり取りでほかの新聞社や記者が忖度しているのに鋭く突っ込んで行く姿に拍手しているひとも多いことだろう。映画は伊藤詩織さんや安倍友の強姦ジャーナリスト、そして、学校の建設のことや自殺のことなど直ぐに想像できる事件がズラズラ並ぶ。いつもはなんとかならんのか、とストレスいっぱいになるが、今日ばっかりは反対にここまで描いて大丈夫なのか、と周りを思わず心配して見たぐらい。歪んだ民主主義をジャーナリストのあるべき正義感で警鐘を鳴らし本来の民主主義に立ち返らせよみがえらせて欲しいと思った。この映画をおすすめする‼️
今年も家庭菜園をしなければという思いに憑かれていたのだが、とりあえず暑い。家庭菜園をするにはまず草刈りをしなければならない。今年の暑さは尋常ではない。毎年、シルバーに頼んだり植木屋さんに頼んだりしていたが、去年は自分で裏だけは刈ったので、今年もそうしようと思っていたが連日のこの猛暑。なかなか腰があがらない。そうこうしてるうちに日だけが過ぎ、到頭シルバーに頼むことにした。が、シルバーは9月にならなければ駄目だということ。どうしたもんか、と思っていたら、深夜テレビで草刈り機の宣伝。思わず買ってしまった。買ったからには草刈りをしなければならない。ついに決断!裏の30坪ほどと、実家の庭を必死で刈った。結局、草を刈るだけで精一杯、畑づくりまでは手がまわらなかった。友人の水谷さんからゴーヤの苗を3本もらい、鉢植えにした。毎日水をやり、ゴーヤが何本出来るか楽しみだ。草刈りにはカルときの苦痛と刈ったあとの恍惚がある。
この「万引き家族」と、いう作品、二週間ほど前に観たのだがなかなかアップできなかった。是枝裕和監督の作品でフランスの第71回カンヌ映画祭でパルムドール賞を獲得したとの前評判で、ちょっとへそ曲がりなぼくはこの映画に距離を取っていたのだった。「海街diary」も観たので、是枝作品は二作目である。この監督は多分、家族を描くことでこの国の現状と行く道を見せようとしているのだろう。万引きで成り立っているいわば犯罪家族を観ている僕なのに何時かしらそんな反社会的家族を擁護したくなってくるのだが、その思いは何だろう。監督は芸術などは権力から距離をおくべきだろう、といっていたがその通りであると思った。この映画を百田尚樹が誹謗していたがさもありなんである。どちらもテレビ業界の人間であったということだが、百田にすれば許せないのだろう。谷川俊太郎が「ヒトは身を寄せ合う、世間から外れても、法に触れても、いのちの自然に逆らわず、GDPなどどこ吹く風で。」と、コメントを寄せている。映画を観てから心に遺るのは絶望だけではなく、一条の光りでもあった。
5月24日(木)久御山イオンで映画「モリのいる場所」を観てきた。これは画家で書家でもあった熊谷守一の日常を描いたもので、山崎努の演じる熊谷守一と樹木希林演じる奥さんのそんなにドラマチックな展開のない毎日が描かれている。熊谷は自分の森と化した屋敷から30年も外へは出ずに、日々、虫や魚や鳥、爬虫類を凝っと見つめ観察しながら暮らしている。監督の沖田修一が熊谷守一のフアンであることが映画を観ていてよく判る。かくいうぼくも熊谷の不安で封切を待ち構えていた。今から10年ほど前、彼の画と書をいただいた。それはともかくとして、映画のなかで守一と奥さんの会話がおもしろい。奥さんが、もう一度人生がやりなおせるとしたら「じゃまくさいからもういやだ」というのに対し守一は「生きるのが好きだから何度でも生きる」と、答える。熊谷守一の昆虫や猫、アリなどに見せる温かい眼差しを彷彿とさせてくれる。アリを寝転んで一日中見つめ「アリは左足の2番目から歩き出す」のを発見!いい映画だ。熊谷守一が一層好きになった。
4月7日、今日は宇治の塔の島で炭山の陶芸家が一同に会して行われている陶芸祭りに出掛けて行った。少し寒かったが結構ひとがいっぱい。今回、ご飯のお茶碗を買いに行ったのだが会場でFM宇治の木田さんに会い、抽選券をもらった。買ったお茶碗は紺の方。ぼくの券ともらった券とでガラガラを回すとご飯のお茶碗がもうひとつ当たったのである。まぁ、得したかな。今日はバスで来たので9000歩ほど歩いた。ご苦労さん!
マスターの王子ちゃんこと応治氏が新作のメニューが出来るから、というので、試食に行って来た。これはタムル ビ セムセムというアラブ人がラマダン明けに食べるお菓子らしい。ナツメ椰子と護摩で作ってあり、やわらかくて初めての食感でおいしい。ただし、タムル ビ セムセムというややこしいネーミングでは覚えてもらえないので、ぼくが素晴らしい、そして相応しい名称を考えました。それは「尼さんの便秘」といいます。修道女のオナラとかいう凄いネーミングもあるので、ぜひ山小屋で注文するときには「尼さんの便秘」と、呼んでください。ただし少しだけ恥ずかしそうに!マスターはきっとうれしそうに微笑んでくれるでしょう。
このところ、年明けは地元の旦椋神社と京都市内の神社、そして十日えびすに参り、映画を観るのがぼくのルーティンのようになっている。今年の映画は「嘘八百」。さあ、今年も出発だ~!
12月20日、朝から京都に出て映画「DESTINY 鎌倉物語」を観てきた。先ずはイノダで腹ごしらえをして、高田渡のことを思い出していた。そういえば京都のフォークの元祖の端田のりひこが亡くなった。寂しい昨今である。ぼくはイタリアンのスパを食べ、奥様はビーフシチューを食されていたように思う。そして新京極の映画館へ。鎌倉物語は西岸良平の漫画の映画化。最初のころは一色正和という主人公の名前から田村正和をイメージしていたが、映画化に時間を要し堺雅人が一色先生に。3丁目の夕陽と同じ森田監督である。奥さんは高畑充希でかわいい。黄泉の国に行った奥さんを取り返しに一色先生は妖怪などに立ち向かいながらいくのだが、ぼくは本当に楽しめた、子どもにもこんな映画から怖れというものを持ってほしいと思った。お勧めする。その後、有名らしいチョコを買いに行き、デパートにもついて行き、歩数計を観れば1万2500歩、よく歩いた。奥様も映画がお気に入りだったようで、ご機嫌のご様子。よかったよかった、とさ!
この前、ぼくは初めての収穫のナスビを煮てもらい食べた。今日はその第二弾、キュウリの収穫である。キュウリも今回、一本だけだがモロキューにでもしてもらい食べるつもりだ。かえって手間がかかるといわれそうだが、これでご飯のいちぜんは優に食べられる。年老いた貧乏作家にはありがたい。つぎはなにが収穫できるか楽しみだ。柿も実をつけてきている!
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