地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

ほんやら洞の甲斐さんの火事見舞い!

2015-01-27 01:35:08 | 友だち数珠つなぎ
1月26日、現在進んでいるぼくの童話集のことで、澪標という出版社の松村さんと会った。
話が終わってから、ぼくは気になっていた甲斐さんの火事見舞いに行こうと決めていた。
そして、甲斐さんと松村さんを会わせようと。
ほんやら洞は今年の1月16日午前4時ごろ火事で全焼した。テレビや新聞などのニュースを観て驚いたものだ。松村さんにいうと一緒に行く、ということで、雨のなか、八文字屋へと向かった。
甲斐さんは意外に元気だったが、松村さんとほんやら洞の本を出そうと盛り上がっていた。二人を会わせてよかったと笑顔で喋る甲斐さんを見て思った。
とりあえず、甲斐さん、元気でした。

エスパスのかおりちゃんと松村さん。

甲斐さん。

ぼくと甲斐さん。

甲斐さんと松村さん。

ありし日のほんやら洞と甲斐さん。

ほんやら洞で中川五郎さんと。

むかし話をひとつ

2015-01-26 02:22:04 | 友だち数珠つなぎ
この前、友人の家にいくとおもしろいものがある、といって押入れから、ポスターを出してきた。
それは今から40年以上も前のポスターである。
エンジョイフォークというアマチュアコンサートがあって、そのコンサートの告知のポスターである。
ぼくらのバンドは「西洋乞食とひっつき虫」と、いい毎回出ていたので、名前が掲載されているのは当然なのであるが、その回の特別ゲストにやしきたかじんが出ている。
僕の友人のk先生とたかじんが親しかったので、よく祇園にのみに連れてくれた。確か祇園の末吉町にあった松湯ビルの「中嶋」と、いうバーでたかじんは歌っていた。この店はYのおっさんというぼくらより7歳ほど年上の人物がタカジンハウスがなくなり淋しいのでつくった店であった。アクアマリンのkちゃんがバーテンダーとして入っていたように覚えている。
そこで今なら考えられないがたかじんが少ない客にマイウエイを必死で歌ったのである。クラッシックギター一本の弾き語りをしたのをなぜか不思議に覚えている。
今、世間ではたかじんの小説「殉愛」なるものが売れているという。小説家のなんたらという人が書いたということだ。小説家というより商売人のように思えてならない。それに未だにたかじんの〇〇とかとの冠をかぶせて番組を作っているテレビ局。いつまでたかじんをもてあそぶのだろう。もうそろそろ解放してあげればいいのにとも思う。
あの5、6人しかいない祇園の中嶋で、それでも必死で歌っていたたかじんをフッ、と思い出した一枚のポスターである。

当時のエンジョイフォークのポスター。

やしきたかじんの名前と西洋乞食とひっつき虫の名前。

こんなことができるんだ!

2015-01-18 02:19:53 | 友だち数珠つなぎ
ぼくのお友だちのAKさんがこんな素敵な画像をつくってくれた。かなり恰好よくなっているので少し照れるがアップする。この画像はまだ第2弾、3弾があるので順次紹介したい。
AKさん、本当にありがとう!

アレサフランクリンのサイン。

2015-01-03 03:00:39 | 音楽の部屋
この正月、レコードを整理した。整理というより、眺めていたというほうが当たっている。ぼくが洋楽のレコードを初めて買ったのは「ザ・ベスト・オブ・ナット・キング・コール」もちろん今も手元に残っている。曲は、スターダスト、ルート66、ペーパームーンなどが入っている。多分、テレビ番組のルート66が覚えたくて勝ったのだろう。今から50年ほど前のことだ。
以後、邦楽洋楽、雑多なぼくのレコード収集が始まった。
中でもおもしろい経験がある。それは今から32年前、アレサフランクリンのアルバム「アレサ・グレーテスト・ヒッツ」を買った、多分、スパニッシュ・ハーレムという曲が気に入っていたためだろう。
そして、その年、ぼくはロサンジェルスのプレイボーイクラブに居た。その日、有名なミュージシャンのショーがあるのではなかった。白人の女性が唄っていた。それはそれでよかったのだが、ぼくの席の隣に国人の女性が座ったのだった。どこかで見た顔だと思った。その存在感に何度も顔を見ていた。そして、その女性はちょっと前に買ったレコードの本人、アレサフランクリンだった。ぼくは断られるのを覚悟でサインをねだった。アレサは来年、日本に行くので日本のフアンは大事にしなければ、と快く応じてくれた。それがこのサインである。よっぽど機嫌がよかったのだろうと、一緒に行った者がいっていた。
そのアレサフランクリンが、久々に新しいアルバムを出すそうである。
偉大な歌姫、女王の魂の叫びを聴くのが楽しみだ。
レコードの整理もしてみるものだ。

アレサのサイン。

32年前に買ったアレサのアルバム。


初めてかったナットキングコールのアルバム。ここから始まった。