地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

ジュリー4年振りの京都会館

2016-07-29 00:29:20 | 音楽の部屋
2016年7月28日、楽しみにしていた沢田研二のコンサート、「沢田研二LIVE2016」を観てきた。
昔の京都会館がロームシアター京都という名前に変わったのである。この会社、どうしてロームと名前を出したがるのか、センスのないことはなはだしい。ジュリーもチョコットいってたがぼくもそう思う。そのうち京都じゅうにロームという名前が溢れるのだろうか。京都会館が懐かしい。沢田研二はファニーズのとき京都会館でアマチュアバンドコンサートで優勝したということだ。小学2年のころ初めて京都会館に来たし、また、京都会館の屋上から3人娘を観に友人たちともぐりこんだことなど懐かしそうに話していた。
僕は1985年ぐらいから沢田研二を追っかけている。ちょうど阪神が優勝した年で、ジュリーが気になるようで、歌の合間に試合の経過の中継をしていたのを覚えている。あれ以来、ジュリーはぼくを裏切らない。舞台を駆け回るパワー、ロッケンローラーとしての反骨心、すべてが嬉しい。情けない骨抜きのフォークシンガーの追随を許さない沢田研二である。最近はますますメッセージ性を強くしているがあくまでも自然体である。今夜は昔のヒット曲も聴かせてくれ「恋はストリッパー」がなぜだかいい感じだった。
そして、今回はジュリーグッズのジュリーティシャツもゲット。
沢田研二は沢田研二を健気なくらい演じてくれている。力をもらったライブ、ありがとう、サンキュー、ありがとね!ジュリー。





ぼくの好きなギタリスト、萩原信義

2016-07-27 00:54:58 | 音楽の部屋
フェースブックをやっていると思わぬ恩恵を受けるものだ。2,3日前、ぼくのフェースブックに「いいね」をくれた人たちのなかに、萩原信義という名前を見つけた。まさかあの萩原信義だろうか、と半信半疑のまま確かめると本人であった。
萩原信義といえば今から50年ほど前、浅川マキのバックでギターを弾いていた。
浅川マキが書いた「青春遊泳ノート」のなかの「あの娘のくれたブルース」のなかに準主役として登場する。当時、今田勝トリオと一緒にツアーをしていたが、ジャズメンたちと一食即発の雰囲気だったが、ある日、列車のなかで二人は音楽的なことで衝突する。「今田さん、ぼくはイモですか」と、萩原がいうと、「イモだよ」と、今田。すると、「今田さん、最初はこんなふうに、そう、それからこんなに回って会場を、みんなを巻き込むんです。今田さんたちのジャズはなんなのですか」と萩原。あの伝説のシーンが繰り広げられたのである。ミュージシャンたちの真剣さが伝わり、ぼくは鳥肌が立った。そんなに速弾きでもない、萩原を山下洋介は天才といっていた。浅川マキが亡くなり、萩原のギターも聴けなくなったと思っていたら、ひょっとしたら近々、京都で演奏するかも、ということである。
50年ほど経ち、マキもなくなり、今ごろになって会うことになるとはフェースブックのおかげである。会ったら固く抱き合い抱擁しようと約束している。

最近の萩原信義

「青春遊泳ノート」

神父新譜ジャーナルアサカワマキの世界

レコード


吉田よしこの温故知新に参加

2016-07-20 03:10:18 | 音楽の部屋
7月19日、京都河合塾講師の佐々木米市さんが主催した企画が「温故知新」と、題して京都の、河合塾であり、参加してきた。
よしだよしこさんの60年代から70年代の音楽シーンが佐々木さんとの対談形式で語られました。歌も、①サークルゲーム②戦争は知らない③道端でおぼえた歌④魂のありかが歌われた。
終わってから打ち上げや「ガウチョ」にも一緒させてもらいすっげー辛いハバネロのかかったスパゲティもマスターが作ってくれたが結局、食べられず。楽しい夜だった。佐々木さん、ありがとう。そして、吉田よしこさんすてきでした。

教壇でギターを持つ

ダルシマー




田島征彦の「火の笛」の原画作品

2016-07-15 16:43:49 | 文学の部屋
西口克己が「祇園祭」と、いう小説を書き中村金之助が映画化し、三船敏郎、美空ひばり、岩下志麻などの出演により映画化にもなった。それを原作として田島征彦が「火の笛」と、いう童話に仕上げた。画は布に染められている。西口克己が亡くなり、この画はぼくのもとに来た。今までぼくの部屋に飾っていたが、今年は祇園祭の期間、玄関に飾ってみることにした。

「火の笛」原画

火の笛の童話