地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

文化パルク城陽の講演、無事終わる

2016-11-14 01:20:49 | 文学
11月13日、城陽市の文パルのふれあいホールであった、ぼくの文化講演会は「地域の誇り~山城国一揆から民話まで~」と、題して行った。文化講演と、いわれると少し恥ずかしくもあるが、これはぼくが冠した演題ではない。始まる前は大きな会場なのでお客さんの入りが気になったが、大勢の方に来ていただきホッ、とした。そんななか、今井さんにパワーポイントの操作も手伝ってもらい、大きなほころびもなく無事終了出来た。来場していただいたみなさんありがとうございました!



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3 コメント

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講演、ありがとうございました。 (カメリン)
2016-11-14 04:43:35
東先生、はじめまして。
講演、お疲れさまでした。
この日を楽しみにして拝聴いたしました。

私は家紋についていろいろ研究している者ですが、住んでいるところが城陽の水主ということもあって、約1年前から山城国人衆の家紋を研究テーマに選びました。
ところが36人衆の全容がよくわからず、現在はなんとか8名に行き着いただけで難航しております。

研究と言いましても大きな研究所などではなく、市井で細々と続けている趣味のようなものですが、私なりにウロウロと情報集めをしておりますと、公文代氏というお名前が上って来ました。
一次、二次資料もなく、ただの口伝に過ぎませんが、役職の公文に繋がる一族を窺わせるお名前で、とても気になっております。
大変ぶしつけではございますが、何かわかる事がございましたら、何卒ご教示いただけないでしょうか。
突然に勝手なお願いで恐縮ですが、どうぞよろしくお願い致します。
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よくお越しいただきありがとうございます (あづまより。)
2016-11-15 02:05:29
よくお越しいただきまさいた。
大変な研究に取り組んでおられるようで頭が下がります。ぼくは家紋のことはよくわかりませんが、狛氏は確か三つ柏だったように覚えています。
国人36人衆と書かれていますが、現在では山城国人16人衆が一般的ではないでしょうか。
木津川市に公文代といわれる方がおられます。地域では高名な方ですので訊かれると直ぐ判ると思います。
ぼくの答えられるのはこれくらいです。
がんばってください!
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Unknown (カメリン)
2016-11-16 02:30:11
返信くださいまして、ありがとうございました。

狛氏は、嵯峨天皇に繋がる渡辺氏族ということで、家紋は渡辺星を使用しておられます。
しかし、私は渡来系説の方が有力ではないかと思えるのですが、悩ましいところです。
戦国時代、織田家に仕えるようになって移住された丹波柏原の墓所には、やはり渡辺星が刻まれていました。
狛どんの環濠集落へは戻られることなく、少し淋しい気がいたしますね。

公文代さんのご親戚の方と、以前に少しお話もさせて頂いたのですが、やはり口伝でしかなく、検証できずに残念な思いが残りました。

先日の講演のお話しでは、研究も進み、近々新しい史実も発表されるとのことで、私もワクワクしながら待ち望んでいます。

いろいろとありがとうございました<m(__)m>

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