これまで知らなかったのですが、ポジャギは韓国の刺繍で、以前、フロちゃんが岡山で偶然観たときに涙が流れて止まらなかったほど感動したということを聞き、ぜひ行ってみたいと思ったのです。
新祝園で待ち合わせをし、先ずはフロちゃんの教師時代の同僚であるキン子先生が喫茶店を始めたということなので、腹ごしらえに行ってみました。
キン子さんの店は一休寺の近くにあって、ハンバーグがとてもうまかったです。
それからフロちゃんの運転でポジャギ展へ行きました。
いろんな作品を観てから、帰路、これもまたフロちゃんの友人の禎子さんのパン屋さんに寄りました。
フェースブックでは遣り取りをしているが喋るのは久しぶり、結構楽しかった。
二人でこの会は定例にしようと盛り上がったほどだった。










倉橋氏は中学校以来の友人で、ぼくの認めるなかなかの哲人である。
去年は彼が中心になって京都で尺八の会を催した。
彼のお弟子さんは外国人が多く、一年の三分の一ぐらいは外国に行っている。
これまで、ぼくの作品の読み聞かせ会で彼とは何度もコラボしている。
今回は心筋梗塞を患ったということで、久しぶりに覗きに行った。
体調もあり、彼は一曲だけで、あとはお弟子さんの紹介等MCが中心だった。
曲の合間に、高林陽一監督のことなどを話した。
そろそろ体の心配もしなければならない齢だな、と思った次第。でも、自制なんてなかなか出来ないだろう。

第9回無住庵尺八勉強会

お弟子さんの演奏の司会

司会と紹介

倉橋容堂

ぼくと二人で記念撮影

病院で。 いつも会ったのは祇園の弥すだ。
澪標出版の松村さん、吉田さんたちと、出版の打ち合わせ。
年があ明けた。昨年はいろいろとあった。この年齢になると悲しい別れも出てくる。
高林陽一監督との別れもそのひとつである。
最近になって、映画化に向けて配役なんかは決まってなかったのか、とよく訊かれるように
なったので、書き留めておこうと思ったのである。
生前、監督とぼくは一週間に一度のペースで会い、映画のことを話し合った。監督はぼくの
「夜が明けたら」という作品を映画監督人生の最後の作品にしたい、。そして、最後は普通
の映画館で上映出来る作品にしたいともいわれていた。
脚本も三度書き直してこられた。
「東さんの原作を見せて、映画の構想を話すと、、まだこんな艶っぽい話を撮るんですか、
と、いわれましたよ」と嬉しそうに笑いながらいわれたとき、監督は本気なんだな、とぼくは
思った。
脚本の第一稿が出来上がると、原作と脚本の合本を出版したらどうだろうか、という話にな
った。
これには監督は思いのほか乗り気だったように思う。本があると映画化の話をして協力を
得るのに都合がいいともいわれた。本の話は澪標出版のおかげでとんとん拍子に進んだ。
監督も脚本の出版は初めてのことだと喜んでおられた。
そうなると、ぼくらは配役の話に興じていた。ぼくにはたいそう楽しい時間だった。
「夜が明けたら」はもともと登場人物が多くない。登場人物は三人にすることになっていた。
主人公の三宅秀子、秀子の夫の武、そして、陶芸家の八波の三人である。
最初、三宅秀子はオセロの中島知子か友近、武は香川照之、八波は松重豊であった。
しばらくすると例の事件で中島知子がダメだろうな、との話になった。が、ぼくらは中島知子
の狂気を見ていたのだ、と嬉しくなったものであった。
最後はオーディションもいいかもしれない、という話も出ていた。そうこうしている間に監督
は入院され、かえらぬひととなった。
今思えば、楽しい濃厚な時間であった。
今回は、いつも見ていただいているこのぼくのブログについてのご報告です。
「地方の三文小説家 東義久の独白」のト¥タル閲覧者数が、2012年12月10日に、
200,209件になり、漸く20万超えをしました。
2006年5月30日にスタートしたのですが、こんなもの読むひとがいるのかと思っていたのに、嬉しいかぎ
りです。ありがとう。
これからもよろしく!
200209
11月7日、あのスケルトンズのボーカル、ジョージ風呂本のお宅に伺いました。
風呂ちゃんの義父さんのために家をバリアフリーに改造されたということで見学に行って来ました。
せっかく改造したのに義父さんは亡くなられたそうで、ちょっと残念そうでした。
先ずはクリスマスツリーが迎えてくれます。
玄関は車椅子が車に即乗れるようになっています。
風呂ちゃんの花畑が見えるよう、家がデッキで囲まれていていい感じです。
家の中に入ると風呂ちゃんお手製のスィートポテトとコーヒーで歓待してもらいました。
連れ合いはこれまた風呂ちゃん手作りの綿で作ったクリスマスリースをプレゼントしてもらい、大層喜んで
いました。この綿は風呂ちゃんが育てて摘んだものです。
靴と帽子が大好きな風呂ちゃん、玄関の横に靴のクローゼットも作ってしまいました。
義父さんも少しは住まわれたそうで、きっと喜んでおられたことでしょう。
今日は風呂ちゃんどうもありがとうね。
ツリーが出迎え 玄関、左は靴のクローゼット 家をデッキで囲む バリアフリーの室内
スィートポテト 帽子の一部
9月28日午前5時起床。ぼくにしては珍しい早起き。
橋本のたっちゃんとペドロを送りに関空まで。
まずは六地蔵までペドロを迎えに行く。昨夜は友人たちとのお別れでついさっきまで
呑みまくっていたらしい。たっちゃんの車にペドロのお土産の自転車を積んでいざ出
発。
ルフトハンザの窓口で荷物の数が多くてちょっとトラブル。しばらくして解決した。
最後の食事をして記念写真を撮って、いざ出発。
がんばって三年半、京大大学院で博士号を取得し、ペドロは36時間かけて地球の裏
側へと帰って行きました。
これから始まるペドロの新しい生活に乾杯です。
六地蔵から出発 関空に到着 最後の日本食、寿司
ペドロとたっちゃん ちょっとお茶 ペドロとぼく
ゲートの向こうに消えて行きました
9月21日の夜、ぼくらがよく顔を出すタコバーでペドロのお別れ会がありました。
ペドロは京大の院生でダムの勉強をするために来日していたのですが、見事、博士
号を取得し、故郷のブラジルに帰ることになりました。ぼくらのバンドのカホンも叩いた
りしてくれていたりもしました。
そのため、タコバーのマスターや友人たちが声を掛け、ペドロのお別れ会を開くことに
なったのです。
タコバーは20人も入れば満員の店ですが、ペドロの人徳もあり、40人近くが集まっ
てくれて店には入り切れない状態でした。
ペドロはブラジルに戻ると大学の教師になるそうです。ペドロのがんばりに乾杯です。
店内は満員。 だから外にも人が溢れていました。
ぼく、マヤ、たっちゃん。 ペドロです。 貫禄のレーコはんです。
みんな来てくれました。 マスターもどこか寂しそう。 たっちゃん、ペドロ、ぼく。
あまやんひさしぶり!
林サヨコ 創作キルトの世界2012~心の風景を縫う~が、7月4日から10日まで、今年も京都の祇園のぎゃらりい西利で開かれているので観てきました。今回はキルト作品の林さんのイメージの桜が描かれています。楽しみに観に行きました。
彼女の美しい、そして、妖しい桜の作品が正面に飾ってありました。ぼくは今回、「月光、祈り」と、いう作品が素敵だなと思いました。なんか、林さんがひとまわり大きくなられたように思えた、今回の作品展でした。絵とはまたちょっと違ったキルト作品、一作ごとにかなりのエネルギーが要るな、と思った次第です。ぼくも書かねば、という力をいただきました。
それから、ニュースを一つ。9月25日から9月30日に「第2回椿山荘に咲くキルト展・美しい日本の情景」が行われることに決まったそうです。これは東京の椿山荘で開かれるのですが、そこに林サヨコさんの作品展が開催されることが決定したとのことです。初めての東京進出です。
以前から作品展では自作のキルト作品の前で、ぼくの「京の走り坊さん」の朗読をしていただいていますが、今回の椿山荘でもそのパフォーマンスをやっていただけるようで楽しみです。朗読会の日程は、29日の13時と15時、30日の11時と1時半からです。もし東京に行かれる方はのぞいてみてください。
林さんとキルトの新作 右側が「月光・祈り」です。
平成24年6月30日、小林宏行先生の友人葬に出席のため、岡山に行ってきました。
小林先生は岡山理科大の教授で、もう一人の友人の安藤隆一氏といっしょに本を出したり、岡山理科大で講義をしたり、ちょっとしたした小旅行をしたり、ほんとうに世話になり、よく遊びました。
その小林先生が亡くなり、家族葬が済まされた、のですが、友人たちが集まり偲ぶ会をやろうということになり、参列のため岡山のロイヤルホテルに行ってきました。
安藤氏の司会で始まった友人葬は小林先生の人柄もあって200人もの出席者があり、先生の思い出に浸りました。
小林先生の遺稿集も安藤氏がまとめてくれ、以前に共著で出した「面白人間大集合」のなかからぼくの小林論も入れてくれました。
小林先生、ご苦労さんでした。
小林さんの遺影 200人が青い山脈を歌う 安藤くんお疲れ!