地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

あのピッグノーズが再開(京都音楽事情)

2007-06-26 23:22:55 | 音楽の部屋
 7月16日の夜、一本の電話が入りました。
 それは久場さんからの電話でした。
 あまりに久し振りだったので驚いていると、
「もう一度、店を開くので……」
 と、少し照れ気味の久場さんの声。
 もう何年になるだろう。
 久場さんは以前、烏丸五条上がるのビルの地下でライブハウスを開いておられ、
 そこは浅川マキなども歌っていた名門だった。
 ある日突然、店を止めてトラックの運転をする、といわれ驚いたものである。
「場所は祇園の石段下辺りに変わるが、店の名前は昔のままのピッグノーズでやろうと思っている」
 とのことでした。
 ピッグノーズといえば、ブルースが好きなものにとってはあの有名な豚の鼻のアンプである。
 それは賛成です、と思わず電話口でいっていた。
 新生「ピッグノーズ」がどんな店になるのか、今から楽しみである。
 また、このブログで伝えようと思っている。

六本木の夜はふけゆく(京都音楽事情)

2007-06-26 23:21:25 | 音楽の部屋
 2007年6月30日、久し振りに東京へ行ってきました。
 友人のお嬢さんが結婚されるので、六本木ヒルズのグランドハイアット東京というホテルでの披露宴に出席するためでした。
 お嬢さんは前川加奈ちゃんといい、小さなころからの知り合いで、とっても可愛い女の子でしたが、今や、可愛いから美しいに成長、とってもいい結婚式でした。
 お相手は電通マンで早稲田出身のアメフトマン。これまた素敵な花婿でした。
 おめでとう!

 披露宴が終わり、そのホテルのバーで二次会をしていたら、
「近所に、ゴールデンカップスのディブ・平尾が出ている店があるよ」
 と、いうことで行くことになりました。
 小雨がぱらついていたのですが、ぼくはあのディブ・平尾に会えるのならと汗をかきかき店を探しました。店の名前は「ROPPONNGI BOLD」です。
 ぼくら第一便が店に着くと、店の片隅にあのディブ・平尾、つまりゴールデンカップスのリーダーが坐っておられました。
 ぼくにとっては神様ともいえる人です。おそれ多いとは判りながら、一緒に写真を撮らせてもらいました。
「京都のママリンゴで見たのが最後です」
 と、いうと、ディブ・平尾は覚えていたようで、
「ママリンゴは懐かしいよ」
 と、いってくれました。
 片時も酒をはなさず、少しアル中のようなディブ・平尾ですが、それがカッコいい。
 10時30分からのライブは酒焼けの声が、これまた格好いい。
 その後、飛び入りで、スイートホームシカゴとルート66をやらせてもらったのですが、神様ディブ・平尾の前ではさすがのぼくもあがってしまいボロボロでした。が、最後に同じステージまで神様ディブ・平尾が来てくれたので最高でした。

 
神様ディブ・平尾と記念写真



神様ディブ・平尾は酔っ払っておられます



ぼくはもう憬れの人と一緒で嬉しそうな顔



お店のコースターを記念に



店内の様子。後ろにディブの歌うときの足の形の画が



 アンコールは「いとしのジザベル」でした。
 ライブが終われば、ディブ・平尾様は酔っ払った足取りで店を出て行かれました。
 加奈ちゃんのおかげでディブ・平尾のライブも観られたし、ありがとうね!
 いつまでもお幸せに。



門脇禎二先生が亡くなりました

2007-06-19 21:43:06 | ひとりごとの部屋
 門脇先生が平成19年6月12日に亡くなりました。
 その日の朝、奥様の幸子さんから電話をいただき、覚悟はしていたものの呆然としてしまいました。
 その10日ほど前、奥様から先生の意識が無く、危篤の状態だと電話をいただき、大崎康弘さんと病院に行ったのですが、そのとき、意識のなかった先生が突然、目を覚まされたのです。
「東です、先生、元気出してくださいよ」
 と、いうと、先生はうんうん、とうなずいてくださったのです。
 看護をされていた娘さんが、ありえないことだと驚いておられました。
 そんなことがあっての奥様からの電話だったのです。
門脇先生にはぼくの拙著「絵がたり山城国一揆」の帯文をいただいています。
 それだけに限らず、なにかことあるごとに世話のかけっぱなしでしたが、その都度いやな顔をせず聞いてもらいました。
 早いものでもう一昨年になりますが、頼まれて講演を依頼したところ、講演の最後には、ぼくとのかけあいでの質問も了解していただきました。
 ぼくが編集長をしている山城郷土史研究会の機関誌「やましろ」に、そのときの先生の講演とかけあいは掲載させていただいていますが、掲載にあたっても快諾をしていただきました。
 その後、「50年後の記憶」と、題して各界の方から原稿をもらい1冊の本としてまとめればおもしろい、ということで、先ずはそのトップバッターとして門脇先生に相談すると、興味を示され話に乗っていただけたのでした。
 先生の家で、雑談形式にお話を伺いました。
 それは歴史だけの話に限らず、幼いころの話や、故郷の高知の話、教育のことと多岐にわたりました。
「ある出版社から、こんな身辺雑記のようなものを出さないか、といわれてる。東くん手伝ってくれるか」
 そんな中で、先生がいわれたのですが、結局は出来ずに終わりました。
「NHKが今度、ぼくの説に沿った番組を作ってくれるんや。ありがたいんやけど、門脇説ばっかり採りあげていたら、日本の歴史界からソッポをむかれるぞ、というておいた」
 話の中で冗談ぽくいわれたり、とても貴重な濃密な時間を持たせていただいたと思っています。
 ひとつ印象に残っているのは、
「東くん、ぼくがこれまでやって来たことは虚業やったんやないか、と思うんや…」
 と、いわれたことです。
 あの喧嘩門脇と呼ばれた先生の意外な一面に驚いたものでした。
 もちろん、体力的に弱ってられたこともあったのでしょうが、学者としての責任感といったものを、ぼくは痛烈に感じていました。
 2,3年後には「50年後の記憶」が出せればと思っています。
 門脇先生、ありがとうございました。
 安らかにお眠りください。                     合掌。
 
 

ぼくのギターコレクション

2007-06-18 00:12:21 | 音楽の部屋
 誰にでも何かを集める趣味があると思う。切手だったり、切符だったり……。
 ぼくはいつの間にか、ギターの持ち数が増えた。
 1台しか弾くことが出来ないにも関わらず……である。
 そんなぼくのギターを紹介してみる。

①BCリッチ
 このギターの作者は、主にエレキギターを作るので有名なため、生ギターは珍しい。今から30年ほど前、京都の北大路の渡辺楽器店の親父さんに勧められて購入した。

②マーチンD35
 このギターは1975年製造のもので、これも北大路の渡辺楽器で買った。当時はD28が欲しかったのだが、なぜかD35になった。

③WS(庄司ギター)
 このギターは今や伝説のギターである。北大路に移転する前、河原町の渡辺楽器で購入。ぼくとの付き合いは45年近くなる。今もいい音!

④エピフォン
 ショートネックであるが、このギターも40年ほどの付き合いになる。

⑤ギブソン
 これは当時、京都の十字屋に勤めていたてっちゃんが結婚する資金の調達のため、買ってくれといわれ購入したもの。渋い感じで気に入っている。これも40年からの付き合いだ。

⑥ヤマハ
 これはヤマハがギターを売り出した最初のころのもの。詳細不明だが雰囲気が気に入っている。

⑦茶木
 このチャキというメーカーは、WSと同じく京都にあった。憂歌団が一時期使用したので人気があるが、手に入りにくい。

⑧フェンダー・テレキャスター(マディーウオーターモデル)
 この赤い色が気に入っている。

⑦イバニーズ
 このギターは音もいいしルックスもいいのだが、何せ重いのである。肩こり症のぼくには少し辛いのである。