地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

FⅯうじ再放送スケジュール

2021-12-27 20:12:28 | 文学
8月から始まったFMうじの「東義久の爺じぃのディジェイ」、毎月第2水曜日の11時から放送していますがお聴き逃しの方に再放送が決まりました、再放送スケジュールと時間を掲載しますのでぜひ聴いてくださいませ~‼️
 

2021年今年最後の南山城雑学倶楽部です

2021-12-27 19:38:01 | 文学

興味ある方は読んでください。12月26日洛タイ新報。

我が幼き日のスタンド・バイ・ミー

 

 誰にも好きな映画があるだろう。ちょっとした自分の体験に似ているとか、想い出が自分の体験とどこかダブルとか、それはそれぞれ千差万別である。

 ぼくの好きな映画作品のひとつにスタンド・バイ・ミーがある。1986年にコロンビアピクチャーズが配給、公開したアメリカ映画である。

 青春前夜とノスタルジー、そこに死体を絡ませた、成長物語の金字塔と呼ばれている作品だ。何度もテレビなどでも放映されているのでかなり多くのひとが観られていることだろう。ぼくは40歳前後でこの作品を観た。映画より先にベン-E・キングの歌を知っていたので期待して観たが裏切られることはなかった。

 スティーブン・キングの小説が原作で青春や人生のありかたを描いている。クリスを演じたリバー・フェニックスは人気絶頂中に薬物の過剰摂取が原因で23歳の若さで死亡している。伝説になる映画にはドラマがつきものなのだろうか。

 

遊びは探せばそこらじゅうにあった

 

 映画を観てぼくは自分の小学生のころを想い出したものである。今のようにゲームや玩具がふんだんにあるわけではなかったが、それぞれが自分が熱中できるものを見つけては夢中になっていた。

 ぼくの住む大久保あたりは今のように開けてはおらず、茶畑なども多く存在していた。寒い冬の間にはコモを被った茶園の中を隠れ家にしたり、点在していた池でたいわん泥鰌やザリガニ釣りをしたり、と遊びには事欠かなかった。

 ぼくの住む辺りは旦椋遺跡があったといわれており、それは宇治丘陵から木津川に向かう緩やかな斜面に位置する古墳時代から奈良時代にかけての遺跡だということである。平成5年発掘調査では6世紀後半の古墳や7世紀から8世紀の村の跡が見つかっているということだ。平成19年の調査では新たに4基の古墳と奈良時代の建物跡を確認。平安時代に書かれた「和名抄」に名前の見える「栗隈郷」に相当し古墳時代の久世郡で強い力を持っていた栗隈氏との関係が推測される。発見された生活跡や多くの土器はこの遺跡が栗隈郷の中心であったことを物語っているということだそうである。

このように今でこそ行政区で分かれている城陽市の平川と宇治市大久保は同じ地域といってもいいくらいで、そうとう古い遺跡や古墳が多くあるのである。

 平成24年(2012)3月現在の城陽市文化財地図によると、古墳などの遺跡が93基もある。

 

青塚古墳への冒険

 

 そんななか、ぼくら悪ガキ連中の間で一時流行った遊びがあった。

 それは近所の島に行くことであった。その島というのは古墳である。当時、「そこが古墳であるというのはぼくら小学低学年にはもうひとつ明確には理解できていなかった。その古墳は旧24号の側にあった。今でいうと城陽市平川のイズミヤ大久保店の辺りだった。旧24号をはさんで東側には芭蕉塚古墳があり、西側、つまりイズミヤ大久保店の辺りにはある時期ぼくらのターゲットとなった青塚古墳があった。

 もちろんそんな名前であることも知らず、古墳というものの知識もなかった。

 青塚古墳にぼくらが興味をもったのはその近所に住んでいた先輩の部屋に行ったとき沢山並んだ土器を見せてもらって、青塚古墳で見つけたと教えてもらい、興味を持ったからである。彼は後に好きが高じて埋蔵文化財の仕事に就いたということである。

 悪ガキ4人組は直ぐに行動をおこした。

 

 青塚古墳は周囲を池が取り囲んでいたと記憶しているが幼い記憶で定かではない。

 ぼくらが入って行ったのは大久保区の墓の方からであった。墓だけでも少し不気味な気分になったが、今度は古墳に渡る算段をしなければならなかった。すると、隠すようにして筏が小藪のなかにあった。ぼくらは小躍りしてその筏を使い古墳に渡った。二人ずつ慎重に、まるで大海に漕ぎ出すかのようであった。

 ぼくは青塚古墳は今までなんの根拠もなく円墳であると思っていたが、城陽市史を観ると方墳であった。

 青塚古墳に渡ると、ぼくらは適当に穴を掘った。なかなか埴輪や土器にあたらなかったが、土器はひとつ見つけると続いて並んでいた。

 暫く熱中したが学校で先生から注意をされ、また、飽きてきたこともあって、ぼくらの遊びの対象から外れて行ったのだった。

 ぼくらのスタンド・バイ・ミーは死体には無縁だったが、あの筏に乗って渡ったときの堀の決死の臨場感は今でも覚えている。

 イズミヤ大久保店に問い合わせると1971年4月24日に現在の店舗が出来たということである。

 今、イズミヤ大久保店に行ってもここにぼくらのスタンド・バイ・ミーがあったのだとはとても思えない。ただ、城陽市の歴史民俗資料館の臼井氏に教えてもらったのだが、駐車場から見ると、今も古墳の一部が小さな小藪の山となって遺っているということだった。

 


12月8日、FMうじです。よろしく。

2021-12-09 19:01:50 | 文学
12月8日(水)の午前11時からFM宇治の「東義久の爺じぃのDJ」、今回は京都の伝説のDJ岩崎正美こと「こせんちゃん」に登場してもらい、あの当時の懐かしい話やタカジン、鶴瓶などとの交流や面白エピソードを披露してもらいました。
さすがあのころの京都の夜の若者たちのハートをつかんだ話術にスタジオは大盛り上りで時間が足りないくらい。
今日は生歌で「ままこ」と杉田二郎さんの「マイハート」をタクちゃんの伴奏とこせんちゃんのリードボーカルでやりました。
こせんちゃんの卓越した話術にアッ、という間に時間は経ちました。
聴き逃がした
ひとは土曜の午前9時~11時、午後4時~5時に再放送がありますのでFM宇治チャンネル88、8に合わせてお聴きください。 ありがとう、こせんちゃん。 また、よろしく❗️デイレクターの樋口アトちゃん、動画ありがとうございます☀️吉田なおちゃんご苦労様でした‼️
3人、立っている人、室内の画像のようです4人、立っている人、室内の画像のようです

FⅯうじ12月8日放送分です。観てください!

2021-12-09 19:01:50 | 文学
12月8日(水)の午前11時からFM宇治の「東義久の爺じぃのDJ」、今回は京都の伝説のDJ岩崎正美こと「こせんちゃん」に登場してもらい、あの当時の懐かしい話やタカジン、鶴瓶などとの交流や面白エピソードを披露してもらいました。
さすがあのころの京都の夜の若者たちのハートをつかんだ話術にスタジオは大盛り上りで時間が足りないくらい。
今日は生歌で「ままこ」と杉田二郎さんの「マイハート」をタクちゃんの伴奏とこせんちゃんのリードボーカルでやりました。
こせんちゃんの卓越した話術にアッ、という間に時間は経ちました。
聴き逃がした
ひとは土曜の午前9時~11時、午後4時~5時に再放送がありますのでFM宇治チャンネル88、8に合わせてお聴きください。 ありがとう、こせんちゃん。 また、よろしく❗️デイレクターの樋口アトちゃん、動画ありがとうございます☀️吉田なおちゃんご苦労様でした‼️
3人、立っている人、室内の画像のようです4人、立っている人、室内の画像のようです