地方の三文小説家「東義久」の独白

東義久のブログです。

リンネの忘年会でした!

2014-12-24 02:59:19 | 音楽の部屋
23日は西大路のライブハウス「リンネ」の忘年会でした。いつも車で行ってたので、電車で行くと道に迷って大変でした。4時から始まるのが着いたのは5時近く。フラフラで店に入ると音楽仲間がいっぱいで、鍋パーティーは始まっていた。大方が男で、きれいどころはタテオを含め3人。
腹が満たされると、それぞれ演奏が始まります。オリジナル、ブルーグラス、ブルースとなんでもあり。しばらくするとりょうちゃんも登場。
それぞれがギター、ピアノ、ドラムス、ハープ、バンジョーと手にとって楽しい時間は過ぎていきました。ぼくのときはタテオがピアノをつけてくれました。サンキュー。
そして、たっちゃんとりょうちゃんとぼくは中田くんの車で送ってもらいましたが、途中で寄ったラーメン屋で熱い音楽談義。おもしろかったよー!

忘年会は鍋.


音楽は楽しい。

りょうちゃん絶好調です。

たっちゃんが始まりです。

ぼくでーす!

有岡くんとりょうちゃん。

ぼくとりょうちゃん。

東寺さんの「終い弘法」に行ってきた。

2014-12-22 14:41:23 | 友だち数珠つなぎ
毎月、21日に東寺の境内で行われる「弘法市」を地元の人たちは「弘法さん」と、親しみを込めて呼ぶ。
骨董屋、古着屋、植木屋、お好み焼き、ベビーカステラなどの露店が軒を連ねて賑わう。なかでも12月の市は「終い弘法」と言われていて、1,000件以上の露店が出る。正月用品なども売る露店も多い。
寒さ厳しいなか、覗いてきたが、日曜日とも重なり、満員電車のラッシュ時のように凄い人出にびっくり。歩くのもやっと。来年の平穏を祈って来た。

あまりの人でに今日は東門から。



昨日、大阪の阿倍野へ行って来た。

2014-12-14 07:05:54 | ひとりごとの部屋
12月13日、大阪の阿倍野へ行って来た。観たいものがあったからで、アベノハルカスへ行きたかったからではない。
ひとつは、「第6回高円殿下祈念根付けコンペティション」。これは、ぼくの思っていた骨董的な根付けではなくて、大阪芸大の学生が作った新しい者が多く並べられており、また観客も少なくゆっくり観られた。
昼食をハルカスの近くの串かつ屋ですまし、次は阿倍野の近鉄百貨店で開催されている「トーベ・ヤンソン生誕100年記念ムーミン展」に行った。これは根付け展とは違い、入場するのに30分待ちで中に入っても順にならんで観るという人気ぶりだった。トーベの原画150点以上が並び思っていた以上に小さな、そして近くで観る挿絵作品に驚かされた。
「崇拝するものを持たないほうが自由でいられる」と、いうトーベの言葉に心ひかれた。
ミーやスナフキンに会えたのはよかったのですが、強行軍に家に着いたころにはヘロヘロ。齢ですなぁ!


昼は串カツ。
ムーミン展は満員。

次回本の出版に向けての打ち合わせ。

2014-12-11 01:13:11 | 文学の部屋
12月9日は、午前中、大阪の天満橋のキャッスルホテルに行って来ました。
今回は、次の本が久しぶりに出るので、澪標の出版社の松村信人社長と会って打ち合わせをするためです。
澪標はぼくと故高林陽一監督の原作と脚本を出してもらった出版社で、これまで書き溜めた童話を一冊にするということになっています。うまく話が進めばいいのですが・・・その折りは、みなさんもぜひ買ってください。
今のところ、「童話屋でござる~13の薬瓶」と、いうタイトルで話は進んでいます。
どうなりますやら、ご期待よろしく。

打ち合わせ場所。

松村氏。

レアな音源をもらった。

2014-12-01 23:10:38 | 音楽の部屋
今年の7月に天国へ旅立った松田幹夫、彼はその昔、村八分というバンドのリードギターであった。
一人目のリードギターであった山口富士夫も亡くなり、もちろんチャー坊も亡くなって村八分も伝説のバンドになってしまった。
彼は晩年、一人で活動していたが、ぼくは彼の生ギター一本で歌うブルースが好きであった。
今から5年ほど前、宇治の萬福寺で彼は歌った。話は聞いていたが都合がつかず行けなかった。
その音源が残されていて、こてっちゃんからもらったのである。
曲は、ロックミーベイビー、それと日本語のブルースっぽい曲が3曲、そして、しめはエルモアジェームスのダストマイブルームだ。
最後のほうはチューニングを変えてスライド奏法である。
30分ほど、多分ヤマハのフォークギターで楽しませてもらった。
バイバイ、ミッキー!

萬福寺での演奏の写真。

ミッキーの音源。

届けてもらいありがとう。