真理は人間が思い上がらないように与える絶望のようなもの。
とある通りかかりのブログより。
「諦めちゃう」のではなく、「諦めがついてること」に対して人は真に頭(こうべ)を下げられるのかと。
「真理をわかる必要はない」と口にする人もいるけれど、「絶望的になるのが恐怖なのかなぁ?違うと思うけどなぁ??知ってたほうがよっぽど楽かと…」と脳裏をよぎる。
「どうしてここで諦めちゃうの。」
「いやいやこういうことは最初から諦めがついてるんだって。
もう真が見えたからいいの。
所詮は「結論ありきの作り物の上で踊らされてるだけ」だからやってても仕方ないよぅ~~
演技しつづけりゃお金はついてくるのかもしれないけど、そういうお金はいらないし~~~
やるんだったらそうじゃなくてみんなでお芝居してるみたいなほうがいいし。
次の何かに向かうよ。(笑)(←もう自分の中の感覚で見つけてる)」
「まったく…(苦笑)」
このやりとりは子供の頃から母とよくやったような。(笑)
とある通りかかりのブログより。
「諦めちゃう」のではなく、「諦めがついてること」に対して人は真に頭(こうべ)を下げられるのかと。
「真理をわかる必要はない」と口にする人もいるけれど、「絶望的になるのが恐怖なのかなぁ?違うと思うけどなぁ??知ってたほうがよっぽど楽かと…」と脳裏をよぎる。
「どうしてここで諦めちゃうの。」
「いやいやこういうことは最初から諦めがついてるんだって。
もう真が見えたからいいの。
所詮は「結論ありきの作り物の上で踊らされてるだけ」だからやってても仕方ないよぅ~~
演技しつづけりゃお金はついてくるのかもしれないけど、そういうお金はいらないし~~~
やるんだったらそうじゃなくてみんなでお芝居してるみたいなほうがいいし。
次の何かに向かうよ。(笑)(←もう自分の中の感覚で見つけてる)」
「まったく…(苦笑)」
このやりとりは子供の頃から母とよくやったような。(笑)