ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

自分が答えられる部分だけ拾って全体見解をのべる人

2013年03月14日 18時26分13秒 | 味わうねーさん
話が本質にたどり着かなくてもどかしい。


切り返しても、話をどっかに持っていかれてしまう。

いくら何か見解を言ってくれたって、要点を理解できない(それを詰問でひっくり返してくる人達もいて、腹が立つ時がある。)、全体をわかってないわじゃ、無駄話のなにものでもない。

データベースはデータ自体をアレンジしちゃあかん。

2013年03月14日 18時14分16秒 | 伝われねーさん
データベースは「データのコーディネーション」とも言える。
アレンジしてしまった途端に、そのデータベースの崩壊が始まる。


データをアレンジして、好みの表にしたり、数字にしたいならば、データをエクスポート(抽出)してから、好みのアプリケーション(Excelなど)を活用して作るようにしなくちゃダメだ。


マスターファイルは必ずひとつに、これは鉄則だろう。

(データの正確さ、○合理性(×効率)を踏まえたらこうしかない。)



オバチャマはつくづくそう実感している。

悩むからできなくなるが、悩まないから学ばない。

2013年03月14日 17時59分25秒 | 2種分ねーさん
悩むことは別に悪いことではない。

根っ子に「臆病さ」があって悩んでいるように見えるのは、あれは別に悩んでいるのではない。

「(○やりたくないから(×やってはいけないことだから))やらないようにするにはどうしたらいいか…」

というネガティブな計算に勤しんでいるのであって、悩んでいるのではない。


悩まない人は学ばない。
試練や別れなどを決断する機会は誰でもあるわけで、その時に悩まない人は、そもそもそれ事態が大したことに関わってきてない訳で(「大事にしたい」と真から思える人達と関わってない。(「どうせこれも一時だけだし、どうでもいいんだも~~ん」的な。)、「○思い入れ(×思い込み)」があることに関わってきて試練や別れが訪れたら、誰だって悩まない訳がない。

悩んで苦しんだ分は「学び」として必ず糧になるのだ。


そんな人達が増えたほうが豊かだ。