ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

衣☆080619

2008年06月19日 23時36分36秒 | 着たぞねーさん
ブラウス
ザラ

ジーンズ
アメリカンラグシー(LEE)

バッグ
横浜高島屋2Fか3Fのセレクトショップで

シューズ
ザラ



明日は名古屋。

「理屈の人なので。」の矛盾

2008年06月19日 23時19分21秒 | おもうねーさん
「自分、理数系なんで理屈で考えるほうなんです。」

「女は理詰めで考えがちだから…ねぇ。((ね)はこの言葉の意味が未だに腑に落ちない。自分がそうじゃないから。(笑))」

りづめ【理詰】
[意]理屈だけでおしとおすこと。

と言う人がいたり、

「あの人理屈っぽいよね。」

というような会話って日常にありがち。


そうなんだけど、「理屈っぽい」っていうのが「いろいろな要素を含んでしまっていて混同してるよなぁ…」と思う。


簡単に表現すれば「理数系だろうが文系であろうが理屈っぽくない人は理屈っぽくないし、理屈っぽい人は理屈っぽい。」
まことにそう思うんだ。


りくつ【理屈・理窟】
[意]物事のすじみち。もっともな論理。無理につくり出した理由。こじつけ。
[例]理屈屋・理屈っぽい・理屈をこ(捏)ねる。

(ね)の中で今一つ腑に落ちない「理屈っぽい」という表現。

いやさ。
物ごとが進んでいくにあたって、ことがらが矛盾して(というより、その場やそのことがらに関わっている人間の考え方の矛盾が発生してくるっていうのかね。)ねじれていくことが苦手な人がいると思うんだ。
A型に多いような気が。

これを単に「理屈っぽい」で片付けてないかしらん?と思うわけ。

この手の人が「整理させてもらっていいですか?まず最初にこうで、次にこうでした…」等と言い出すと、「も~理屈っぽいな。」と遮る人や切り付ける人がいるんだよね。

この人はことに関わっている上で、そのことが進むにしたがって皆が矛盾していくことが不安(バカバカしくなるケースもあり、怒り出したくなるケースもあり。)なだけで、決して「理屈っぽい人」なんかではないと思いませんか?って話。


「理屈」じゃなくて「単に矛盾がいたたまれない」だけ。


これは「理屈っぽい」のとは明らかに分類したいと(ね)は常々思っている。


「理屈っぽい人」っていうのは、何かことを動かして前に動こうとしている人の考え方とか感情に鈍感。
というより最初から溜め込んだ「理屈」で切り捨ててるから気にもしてない。

だから「何か始めよう」と身体は動かさないで脳味噌ばかりをフル回転。
「言い負かせる」為か「回避して出し抜こう」と、口から吐き出す言葉を練って練って練り倒す。

分かりやすく説明したい為の整理と違う。
練ってるんだ。


それの裏付けに一般的な参考書やら有名どころのハウツー本やらネットに転がってる情報やらどこぞの掲示板やらを読み倒す時間に目と頭を消費する。
だから身体を前へと動かす時間はない様子。


自分よがりの理屈を通そうと躍起になるから、実は「空気が読めてない」ということになる。
あまり気がつかれてないみたいなんだけど。
お行儀が良く見えるから、その時だけ。
見抜けない人にはお行儀だけは良くみえるからさ。

まぁ「空気読んでどうするんですか。理屈から入らなくてどうするんですか。」と、こう切替えしてくるんでしょうが。


理屈では詰め切れないって。
ほとんどが「矛盾の繰り返しってことが前提」ってことにマジ腹を括ってくれ。(笑)
そこに理屈を高々と言い放っててもしゃーないということに腹を括ってくれ。(笑)


「理屈」でうめつくすと澱んだ沼になっちゃうイメージ?
透明に澄んではいかないよ。
人なんて平穏であればこそ次の欲が出て来るもんだからさ。
欲が争いのもとじゃん。
理屈で固めた中の欲の争いだぜ。
つじつま合わせして、流れる川にして、通りだけは良くしておかないと溢れ出して巨大爆発しそうで怖いぜよ。


バブル期に理屈を組み立てて何か生み出して当たりクジ引けた人は時代が後押ししただけ。
あの時は人の気持ちは誤魔化せた。
泡に酔っ払って自分で自分を誤魔化してる人だらけ。
誤魔化されて金を落とすことも厭わなかった感じ。
わざと金をばらまいてるんだもーん。


今だと理詰めで当たりが引けるのは株取引とかになるのかしらん?


いい加減分かって欲しいと思うのだが、電脳君や電脳さんは増殖してるよなぁ。
早く「頭打ちになってくれ~」と思う。


「その進んでることがらに関わりながら矛盾を整理しようと躍起になってるか」、「関わる前に自分の理屈を通すことに躍起になってるか」、ここも「理屈っぽい人なのだろうか?」の観察ポイント。(ね)は。

単純に「理屈っぽいな。」の一言で括っちゃってる中に、「理屈より矛盾がいたたまれないだけ」を混同してないか点検してみるといいと思うの。

(ね)の中では「理屈っぽい人」は活用しずらいのですよねぇ。
「働く=収入を得る=生活する」上では理屈をまくし立てるより、まずは仕事を遂行する為に動くほうが大事なので。

「理屈より単に矛盾がいたたまれない人」は活用しがいがあるんだけどね。小言が多くても。(笑)


ほら「矛盾」を解いていくのは結局身体とか空間を動かさないとダメだからさ。
動いてくれるの。

勝ちのコマを理詰めで揃えていった先、つじつまが合わなくなることあるじゃん。
そうしたら泣く泣く勝てるコマを一度捨てて、次の勝ちのチャンスを待ったりするでしょ?

理屈で勝ち抜けられる勝負は相手がそうとうヌルイだけの場合だと思うの。
その相手として引っ掛かってしまった場合は「ヌルイ自分」を戒める材料に変換。
理屈に理屈で勝とうとするのが負けの確率をアップさせるよね。
勝ち負けどうでもいいんだけど、理屈に理屈はどんどん絡み付いてもつれていくばかりで。

ま、「最初から理詰めで勝てる相手を選んでるところがすごい。」という評価はあっていいけど、それって…(以下省略)
ツワモノを相手にした時、つじつまが合わない事態が起こりがち。
そこで向き合えるタフさは常時鍛えておきたいというか。

むじゅん【矛盾】
[意]つじつまが合わないこと。


「理屈」はそもそも解く必要がないし、覚えるばかりで頭の中だけ動かしてりゃいいじゃない。


生きてくのって、「理屈に合わない」ことより、「つじつまが合わない」ことの連続じゃ~ありませんか。
「理屈っぽい人」は「つじつまが合わない」ことにイラつくよね。
感情が高まっていかりだすんじゃないのよ、「切り付けてやりたい」みたいな憎悪感満点の表情丸出しにするから。
日常の表情も目に表情を持ってないか、不満顔で引きつってる、この手の人。
それが(ね)的に怖いのよぅ。
どうしてそこまで自分を追い詰める?


つじつまが合わない解決策には理屈だけじゃどうにもならないんだよね。
つじつまが合わないことも避けて通れない。

理屈は回避策には使えても、これにばかり使おうとするから、頭ばかり働かせて身体動かず、前に前進できなくなるんじゃん。


まぁでも「どうしても理屈にすがりたい人」はいるわけだから、「理屈にすがりたい人」は「常に動いてる人のフォロー役になるといい」と思うんだよね。

だけどポイントは「(常に動いてる相手を相手するのがだんだん面倒臭くなって)相手が欲しがってない理屈をまくしたてて整理しないほうがいい。」ってことかしらん。
「うっとうしいヤツめ!」「つかえない!」と思われるだけで得無しだから。

辞書や参考書のように「そこに常に待機していて、相手が手に取ったら相手する」風っていうかね。
そういうのカッコイイ。

けどよっぽど高承な場か高承な相手にやらないと「ただ突っ立っていられても邪魔!」って、言われる場合もあるから、それに絶えうるタフさ、だまってスルーする動じなさは鍛えておいたほうが良さそう。


矛盾がいたたまれない人は小言婆さんや小言爺さんになることに腹を括るしかないみたいね。


(ね)はこっちの道かなぁ、は~、いやいや。(笑)