ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

勉強不足の人も経験不足の人も・・・

2024年05月10日 11時16分11秒 | いらっしゃいませ~
あの人勉強してきていないからなぁ、、、、(教えるの面倒くさい)
あの人経験してきていないからなぁ、、、、(教えるの面倒くさい)

どちらもありがち。
どちらかと言えば、世間は「勉強重視(学歴重視)」に傾きすぎてる気がする。

それ(勉強重視(学歴重視))が顕著なのはバブル崩壊後以降。
よく聞かされてきたのが(諸先輩陣が言っていたのは)、

「もうスピードと結果第一の世の中だから、経験で育ててる時間がない。その素質を見るとかやってられないから、手っ取り早く学歴採用、仕訳てる。」
「人事担当がそこまで人を見る目が育っているやつがいない。だから手っ取り早く学歴採用。」

ってこと。

「あーあ」「やれやれ」「狂っちゃうなぁ、こりゃ。先々。」って感じで。


一緒に仕事をやってきた先輩(現60台)なんて、

「世間一般的な学歴採用とかどうでもいいのよ。自ら見込み有りそうなやつを見つけるわ。」

って感じで、日本の西~東から引っこ抜いてきた人もいたっけ。


私が昭和61年(80年代)に最初に就職した横浜の中小企業の2大取引先が日本の時代の先端を引っ張る「ソニー」「ホンダ」で、当時は商品も画期的、売れに売れまくったけれど、この2社さんは企業内の人材配置とか組織体制の作り方も随分と斬新的なやり方を考えて取り入れて、すでに実践していて、そういうような部分には当時の先代社長も随分影響を受けていて、「わが社もそうでありたい」みたいなことは言っていたよなぁ。
そういう種の先の企業計画がリアルに伝わって流れてきていたので(そういうことがメディアで取り上げられる前より前に。○企画~開発や製造(×出来上がりからの販売やら宣伝、購買)に絡んでいるってそういうこと。)、「へぇ、、、、もう先への時代は始まっているわぁ、、、、」って少し焦る気持ちもあったりして。

何が画期的かと思ったのは「本当にできる人に、できる活躍の場を与える」ってこと。
当時の日本企業だと今以上に「ずっぽり年功序列型」だし、なかなか飛び級みたいなことを実践している企業はなかった。
「何年いるから、社内試験パスしたから、役付けになる」とかいう、日々あげてる実績というか功績とは関係のない昇進とかいうのとは別に、「できる人(能動的に今やっていない部分を実践する人)は活躍できる」っていうこと。

私が最初に勤めた会社、転職した2社目の会社は、そういう人は(できちゃう人やら能動的な人)別部署(新規開拓部署)に引っこ抜いて、移動させる手段を取っていました。
私はなぜだか必ずその方向に引っ張られてしまうわけでして、「あれは上司陣営(経営者陣営)にどういう目で見られていたのだろう?」って感じ。

大体が、「同僚と一緒に何かを覚えなくてならない」っていう状況でも、「あなたはもう教えることないわ。先にもうやってください。」を一番最初に言われてしまう口で、「寂しいわぁ・・・、同僚と一緒にグダグダやっていたいわ・・・」と脳裏によぎったこと度々。
そういうことから、これまで「同僚と一緒に並んで逐一なんでも相談しながらみんなでとにかく決めながら何かやる(足並み揃える)」っていう時期がなくて、「とにかく指示されたものを抱えたら自分で形にして走り切る」っていう役割がず~~~~~~~っと。(そのたびに「誰もやってきてないから教えられないけど、ひとまずよろしく!」的に参考例なし。一緒にやっている人たちが皆そうなので、自立型の人が協力しながら仕上げていく仕事ばかり。)

組織が農民的に淡々と、「何年いるから(社内試験パスしたから)、役付けになっていく」という人材も非常に重要であり必要なのです。
この我慢強さと忍耐強さ、日々同じことの継続も絶対に必要なことで、屋台骨を維持するにはこれは重要であることも重々わかっていたはずなのに、バブル頃から誰それ構わず「やれ、目標設定しろ、今期は何を実践したか!?」みたいなことをどこもかしこも導入しだしたから、おかしなことになってきたのだよねぇ、、、
誰もかれも必要じゃないのだよね。こういうの。

さてさて。
学校で勉強したことが社会に出てからの実践に役立つことがどれだけ少ないことか。

勉強はいつでも補習やら補修できるけど、経験ばっかりは年を取ればとるほどに取り返しがつかない。
やっぱり勉強よりも経験をしてきている人には勝てない部分はあるよね。

勉強で頭に詰め込んだ “情報” が "知識” として落ちるのも "経験" かと思うし、知恵が沸くのも実践(アウトプット)してないとなかなか難しい。

大事なのは寄り添うこと

2024年05月04日 22時18分00秒 | いらっしゃいませ~
能登地震があって天皇陛下が慰問に訪れたが、今回「あぁ、、、」と、ストンと理解したというか、「つまり行き着くところわかってる人の気持ちのあり方はそこしかないわ、やっぱり」と気がついたことがあった。

それは何かって、

「励ましじゃなくて、ただただ寄り添う」

こと。

何かにチャレンジしている人には励ましはよかろう。
この人も頑張ってる、私も負けじと頑張ろう、そう思える。

だけど傷ついて途方にくれてる人への励ましは何か相手との気持ちの行き交いがズレている。

「頑張ってください」と励ます人はやっぱり何かが違う。
多分、こう口にする人も何か人知れず大変なんだろう。
それを人知れず抱えてるんだろうとは思う。
気持ちの「寄り添い」だけではどうにもならないくらいに戦っているのかもしれない。
それも確かに凄いのだけど、独りよがりになりかねない。
寄り添って貰えるくらい一度は傷つく方が真に「優しい」に気がつけるはず。


傷ついて途方に暮れている人(過度に傷つきやすくて他人に「かまって!」を暗に要求するのは別)には、

「大変でしたね。(慰める)」
「どうでしたか?(とにかく聞いてあげる)」

それしかないのだよな。

そこが改めて見えてきたな。

2009年頃

2024年05月04日 20時52分00秒 | いらっしゃいませ~
ソフトバンクが「のりかえ顔」っていう、今では「絶対にボツ」になりそうなオモロイ企画をネット上でやりました。

何か質問に答えていくと、「あなたの本当の顔」みたいなのが出てくるんですよ。

あれってなんだったんだろう。
今でも記憶に残ってます。

すごく消費者を洞察できてそうで、一番広いターゲットも洞察できてそうで、なんせ、その前のボーダフォンの時に宣伝に使われた藤原紀香に着せる衣装が「え?ちと今の世間的にはちとダサくない?」ってのも、「うわ、狙いだな??」と感じるものでした。

「見抜かれてんなぁ、なんで?こんなんで??」って笑いました。

またやってくんないかな。


↓わたくしの本当の顔😆😛
携帯電話かぁ。 - ねーさんとバンビーナの毎日

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オバチャマの、ジャジャーン!!のりかえ顔です。ノーコメントでお願いします。「あの!忌野清志郎様」が宣伝していた、東京デジタルフォン時代より携帯電話を持ち始めまし...

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7.5から〜7.75時間勤務が一般的と思っていたら。

2024年05月04日 20時23分00秒 | いらっしゃいませ~
先日超久しぶりに実弟と会うことがあった。

なんだか会話の流れで実弟から「今の会社は何時間勤務なの?」と聞かれて、

「7.75だよ?普通でしょこれ。」

と答えたら、

「えっ?働かねーなぁ。」

と返してくるので、

「え?一般的でしょ?」

と言い返したら、

「だめだね。それじゃ。
8時間勤務がやっぱり基本。

と、「これだから世の中は不景気になんだよ、、、しょーもな。根本わかってねー。」みたいな、世間すら呆れ果ててる風なヤレヤレぶりの表情をして言い返してきた。

実弟は日本のお家柄モノづくり、自動車会社にかれこれ30年も勤めていて、コストや利益率、会社を成り立たせる全ての稼働のベストバランスを頭で体で理解してるんだと思う。

8時間労働って何か知らんがどうやらベストらしい。

政治家より慈善事業家になればいいのに、、、

2024年05月04日 20時06分00秒 | いらっしゃいませ~
オバマさん
バイデンさん
鳩山さん

笑笑笑😆

政治家っちゅーには、ちとかなり違うと思うのよねー。
慈善事業家ならそれなりにイケてると思うんだけど。

日本は政治として麻生さんが最後の締めの仕事して欲しい。

その後だろう。
二大政党制ってやつ。

アメリカの呪縛を無くさないと日本はどうもならないって思う。
「お友達」とか言葉遊びしてるけど、違〜う!

自立はまだなんだなぁ、日本って。
もうそろそろ、是非。