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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

柘榴の実に秋を知る

2007-11-01 | 日記風
「秋に三日の晴れ間はない」と言う。「女心と秋の空」とも言う。昨日も今日も朝方は朝日が眩しい晴天だった。しかし、午後には雨が今にも降りそうな空模様になる。昨夕は実際すこし降ってきた。秋の空はこんなにも変わりやすかったのだろうか。

 秋の透き通った日差しの中でみる、石榴(ザクロ)の実の透き通る赤さが私は好きだ。季節感がいっぱい溢れているような気がして。写真は友達からいただいた石榴。懐かしい秋の風景だ。

 むかし瀬戸内海の小さな島に住んでいた頃、あまり大木にならない石榴の木にたわわに実った石榴の実をもいで、石段に腰をかけ秋の日差しを浴びながら、石榴の実を口に含んでその味を楽しんだことを思い出す。種を足下にはき出しながら、石榴をむさぼった。

 当時、大人から石榴の実は人の肉の味がするという話を聞いた。こんな淡泊な味が人肉の味とは思えなかった。おそらく石榴のはじけた様子が、戦争で見慣れた人間の身体がはじけ破れたものとよく似ていたのであろう。大怪我をして筋肉がはじけたのを石榴がはじけたようだと小説で読んだ気がする。

 私には、石榴の実は人肉の味と言うよりもなんとなく禁断の木の実の味を思わせた。人があまり好んで食べない石榴。しかし、食べてみるとつい癖になる美味しさ。埼玉のこのあたりには石榴の木はあまりないし、あっても誰も食べないのか腐らせてしまっているのが多い。しかし、よその家の石榴を勝手に取って食べるわけにもいかない。果物として栽培もしていないので果物屋の店先で見る石榴はびっくりするほど高い。一個が300円以上もする。ただで勝手にもいで食べていた昔を思うととても買って食べようとは思わないが、この味は懐かしい。私にとっては秋の隠れた味だ。