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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

まだまだある、警察のでっち上げ(4)

2007-11-04 | 政治
 佐伯市の国道で1996年8月にその事故は起こった。交差点の赤信号で停車して信号待ちをしていたバイクの老人(岡川さん)に赤い自動車が追突し、岡川さんは意識不明になった。警察はこの事故を老人が反対車線から中央線を越えて正面衝突した過失であると説明し、岡川さんの過失として処理しようとした。しかし、奇跡的に意識が回復した岡川さんは正面衝突であることを否定し、不審に思った家族が警察に事故の再検証を依頼すると、警察はこう言い放った。「地球はまわっている。3日もたてば証拠もなくなる!」

 しかし、家族は目撃者を捜し回り、警察に何度も足を運んでこの事故の真実を探した。警察は事故調書の閲覧を拒否したが、家族の執拗な要求についに数ヶ月後に調書の閲覧に応じた。しかし、コピーは許されず、家族は調書の写真を撮ってそれを調べた。そして家族はがく然とする。なんと、事故当日に撮影したとされる実況見分写真に“ありえないもの”が写っていた。

 事故現場の実況検分の一連の写真の中に、二枚ほど赤い事故車が事故直後に路肩に停まっている写真が調書にあった。この二枚の写真に写っていたのは、赤い車だけではなかった。いっしょに写っていたのは「黄色い花」であった。写真を見る限りその花は道路の横の空き地に咲いていた「セイタカアワダチソウ」の花である。また、別の一枚には赤い車の後ろの民家の庭に咲いている「お茶」の花と思われる花もわずかに写っていた。

 ところがその写真の前後に写されている現場の写真には、岡川さんの壊れたバイクといっしょにこの空き地も写っているのだが、そこには青々としたセイタカアワダチソウの写真が写っているのだ。まだ花は咲いていない。調書の写真につけられた日にちと時刻を見ると、これらの写真は事故の後1~2時間の間に写された一連の実況検分の写真となっている。この1時間くらいの間にセイタカアワダチソウの花が咲いてまた無くなっているのだ。

 あきらかに警察による証拠のでっち上げがなされた。おそらく調書の閲覧を認めた10月末の直前頃に赤い車を現場において写真を撮り、ウソの日時と時刻を写し込み、調書として閲覧させたと考えられる。しかし、大分県警はこれをセイタカアワダチソウの花だと認めようとしない。道路脇の黄色い看板の反射が映ったものだろうなどと苦しい言い逃れをする。家族によると「調書の中身はウソばかり、組織ぐるみででっちあげが行われた」。

 なぜ警察はウソの調書をねつ造したのか。実は、事故当時赤い車は現場にいなかったのだ。事故はひき逃げ事件だった。家族は独自に目撃者を捜し出し、事故が「ひき逃げ」であったことを確信する。さらに「ひき逃げ」したとされる人物は、事故があった時間に別の場所にいたという複数の証言まで飛び出した。いったい誰が車を運転していたのか?
      
 ここまで来ると、ようやく事件の真相が見えてくる。私の想像ではこうである。事件は警察官かもしくは警察の関係者(親戚かもしれない)が信号待ちしていた被害者に追突した。しかし、加害者は事件がばれるのをおそれて逃げていった。この加害者を庇う必要があった警察は、被害者が意識不明だったのをいいことに、正面衝突であったと被害者の責任にする。しかし、衝突した車がいないのは不自然だから、赤い自動車をその相手にして当日そこにいなかった人に因果を含めて衝突した人に仕立て上げてしまった。そのために、当日の現場検分に相手の車の写真がないのは困るので、10月になって証拠写真をねつ造した。セイタカアワダチソウの花が写るとは思わなかった。こんなところが真実なのだろう。

 さすがにマスコミもこの警察のやり方はおかしいと感じたのか、テレビ朝日の番組でこの疑惑を放送した。http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/special_back/20030202_010.html で動画を見られます。岡川さんは証拠ねつ造で警察を告訴した。

 しかし、ここでも裁判所のおかしさが露呈された。裁判所は警察・検察の証拠だけをみとめ、岡川さんが出した証拠はいっさい認めなかった。原告側の鑑定もみとめず、セイタカアワダチソウの花も咲いていないという警察の証言を認めた。この写真はその後いっさい公開されていない。日本の裁判が腐っている。ヒラメ裁判官ばかりになってきた。おそろしい時代が来たようだ。
 

まだまだある、警察のでっち上げ(3)

2007-11-04 | 政治
10月24日のブログで書いた高知の白バイとバスの衝突事故の高松高裁の判決が先月出た。判決は、控訴棄却。バスの運転手に過失があったというもので、白バイの警官の過失は認めなかった。バスに乗っていた校長先生や生徒たちの証言も判決では認めなかった。その理由がふるっている。「第三者の証言だからといって、信用できるわけではない」という理由。

 こんなのなんの理由にもなっていない。しかも同じ白バイの警官の証言は採用しているし、警察がねつ造したタイヤのブレーキ痕も証拠として採用した。鑑定人の「ねつ造である」という鑑定も判決では無視された。日本の裁判官の質の悪さはここまで来たのか。こんなヒラメ裁判官なんかいらない。

 こんな裁判だったら、裁判員がいた方がいいかもしれないと、ちょっと思うほどだ。しかし、そこは裁判員制度の悪辣さ。こんな小さな裁判には裁判員を採用しないことになっている。殺人とかの重罪についてだけ裁判員は採用される。警察官の罪をもみ消すための交通裁判とか、警察・検察・裁判所の裏金づくりとかにはけっして市民が裁判員として関われないような仕組みになっているのだ。そのために、警察によるでっち上げ(富山の強姦事件、鹿児島の選挙違反事件、そしてこの高知の白バイとバスの衝突事故など)によって無辜の市民が罪を着せられて人生を破壊されて苦しむことになる。このことを見ても、裁判員制度が日本の司法の腐敗を隠すために仕組まれた制度であることが判る。

 大分県警のでっち上げ事件がいま進行中である。次にその事件を紹介しよう。