ここのところ近しい人たちに次々といろんなことが起こる。祝い事もあるし、不治の病に冒された人もいる。とくに不幸な人たちの話が多い。このようなことは一時に集まってやってくるように思う。自分の身にも転機が訪れているのだろう。
それは年齢と関係があるのだろうか?それともなにやら判らぬ忌まわしい年回りがあるのかもしれない。我が身に病が攻撃を仕掛けてくるのも、そう遠い先ではないのかもしれない。いまからその時を心配してもしかたないけれど、心構えだけは持っておきたいと思う。
癌闘病記のような本が良く書かれ、しかもよく読まれているらしい。自分では読もうという気にならないが、やはり病に冒された人にとっては、それは自分の人生そのものと重なって見えるだろう。肉親が病に冒された場合には、初めて自分の命を自覚する人も多いだろう。
自ら不治の病を自覚した人たちがどのような眠りに落ちるのか想像もできないが、近しい人であればやはり少しでも痛みが無くなり、少しでも希望がもてるようになることを祈らずにはいられない。人はみな死ぬ運命にあるのだけれども、そして順番に死に行く約束ではあるのだけれど。
死ぬことはそれまでの生を否応なしにまとめてしまうことだろう。生を振り返ることがきっとその前に許される。その瞬間はいかに甘美な瞬間だろう。そして次の瞬間にすべては終わる。すべての思い出とともに消え去る。
辛い知らせとともに、生とは、死とは、考えることが多くなった。
それは年齢と関係があるのだろうか?それともなにやら判らぬ忌まわしい年回りがあるのかもしれない。我が身に病が攻撃を仕掛けてくるのも、そう遠い先ではないのかもしれない。いまからその時を心配してもしかたないけれど、心構えだけは持っておきたいと思う。
癌闘病記のような本が良く書かれ、しかもよく読まれているらしい。自分では読もうという気にならないが、やはり病に冒された人にとっては、それは自分の人生そのものと重なって見えるだろう。肉親が病に冒された場合には、初めて自分の命を自覚する人も多いだろう。
自ら不治の病を自覚した人たちがどのような眠りに落ちるのか想像もできないが、近しい人であればやはり少しでも痛みが無くなり、少しでも希望がもてるようになることを祈らずにはいられない。人はみな死ぬ運命にあるのだけれども、そして順番に死に行く約束ではあるのだけれど。
死ぬことはそれまでの生を否応なしにまとめてしまうことだろう。生を振り返ることがきっとその前に許される。その瞬間はいかに甘美な瞬間だろう。そして次の瞬間にすべては終わる。すべての思い出とともに消え去る。
辛い知らせとともに、生とは、死とは、考えることが多くなった。
父が63歳で倒れた時、同じ病気の方の闘病記や専門書などをかなり読みました。
模索するって言う感じでしょうか。
比呂志さんは、まだまだこれからっていう感じですから大丈夫でしょうが、健康でいたいですよね!!
というわけで、これから~って思わないようにします。もうそろそろって思っていたら、倒れてもあきらめがつきますもんね(笑)。
94歳の祖母に腫瘍が出来てるんですが、結果が今日わかります。まわりは、悪性でももう歳だし・・・手術しても・・・進行も遅いんじゃ・・・なんて言ってるんですが、本人は歳だと思ってませんので深刻です^^;。