ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

食べるものがない

2010-08-24 | 日記風
暑くて食欲もなくなっているのに、体重は減っていかない。馬肥ゆる秋になったらどうなるのだろうか。心配だ。なにはともあれこの暑さだけはどうにかして欲しい。最近、暑さの中で、石川五右衛門が釜煎りにされたときの熱さや、織田信長に焼き討ちされた比叡山の僧侶や、織田信忠に焼き討ちされた甲州恵林寺の快川和尚の熱さをしきりに思い出す。そう、最近の暑さは、熱さと言った方がいいようだ。

 でもやはり食べることは至上の喜びでもある。生きるために食うか、食うために生きるかといえば、何とも言えないが、働くために食うか、食うために働くかといわれれば、即座に食うために働くと言える。でも私は最近食べるものがあまりなくなってきた。

 まず、私は肉を食べない。菜食主義に近いが、本当の菜食主義とは違って、魚や貝は食べる。むしろ大好物だ。何故肉を食べないかと聞かれたら、仏教徒だからと答えることにしている。この回答は外国で言えば簡単に納得してくれる。モスレムが豚を食べず、ヒンズーが牛を食べないように、仏教徒にとっては獣(四つ足)を食べることは戒律を犯すことになるからだ。でも日本では誰も納得してくれない。私がそんなに信仰が厚いとはとても思えないからだろう。実は、肉を食べないのは、単に肉が嫌いだからにすぎない。

 ではなぜ肉が嫌いになったのか。それはずいぶん昔のこと。給食には滅多に肉は出てこなかった。給食に出る肉と言えば、赤いウサギの肉か大きいが固くて不味い鯨の肉。牛肉や豚肉は一年に一回出てくるかどうかだ。何かお祝い事でもない限り、そのような肉が給食に出てくることはなかった。不味い鯨肉を無理矢理食べさされたことは、アメリカから輸入した豚の餌だった脱脂粉乳のミルクと同じように、私にとってトラウマになっている。

 ある日、友達のうちに遊びに行った。友達の家はと殺業だった。その家でウサギを殺すところをつぶさにみてしまった。それから給食の肉は食べられなくなってしまった。家では肉を食べることはなかった。なぜなら、肉を買うお金はなかったからだ。いっしょに暮らしていた祖父も祖母も肉を食べることは無かった。祖母が亡くなってからは、私たち兄弟が交代で家の炊事を行ったが、肉を食べるという発想はもとから無かった。一日100円で家族5人の3食を用意しなければならなかったからだ。

 肉を食べないから牛乳を飲めと言われていた。しかし、給食の不味いミルクを鼻をつまんで飲んでいた私には、牛乳がおいしいとはとても思えなかった。かくて、乳製品も食べ物のリストから外された。いまでもヨーグルトは食べられない。一度、ホテルの朝食にヨーグルトが出されていたが、トッピングにだまされて一口入れて、吐き出した。イタリアに行ったときには、モッツアレーラチーズがお皿に盛って出された。私は卵料理だとばかり思い込んでその丸くて白いものに噛みついて、思わず吐き出した。ことほどさように肉と乳製品は好きになれない。だからヨーロッパに出かけると食べるものがない。おいしいものはパンだけだ。ヨーロッパやアメリカに行くのはだから気が進まない。

 お酒も私は苦手の一つである。アルコールにはからっきし弱い。どうやら遺伝らしい。親父も酒粕の匂いで顔が赤くなったと言うほどの下戸だったらしい。酒を飲めば心臓が苦しくなるだけで楽しいことは何もない。だいたい酒の席でくだを巻く輩が大嫌いだ。宴会に行くと一刻も早く帰りたくなる。最近はわがままが言える年になったので、アルコールは一切お断りしている。もうかれこれ20年くらい、アルコールは口にしていない。

 その他に私は自分に課したタブーがある。高校生の頃、岡山県を中心にして森永乳業の赤ちゃん用ミルクにヒ素が混入し、多くの赤ん坊が死んだり重篤な症状を示したりした。森永ヒ素ミルク事件だ。この事件への対応を巡って、森永の責任逃れの姿勢に私の正義感が刺激を受けた。それ以来、森永製品はいっさい口にしない。

 また、アメリカのベトナム侵略以来、ハイチやアフガンやイラクなどへの侵略を続けるアメリカへの反感から、アメリカ帝国主義の象徴としてのコカコーラは口にしなくなった。ジュース類の自動販売機でも、コカコーラ社の販売機からは絶対買わない。さらに、イスラエルのパレスチナ侵略やパレスチナの人たちへの容赦ない殺戮を財政面から支えているアメリカ企業のマクドナルド、スターバックスなどの店舗には絶対近寄らないし、食べない。

 さらに、あやしい食品添加物はできるだけ避けたい。ハムを買うにも、発色剤の亜硝酸ナトリウムを使っていないハムを探す。置いていないスーパーが多いのだが、大きいスーパーなら最近は置くようになってきた。その他の食品も、なるべく添加物の少ないものを買うようにしている。

 最近では、好き嫌いの上に脱肉食こそ地球環境にやさしい食事だという思いも強くなって、さらに菜食主義を強めつつある。以上の好き嫌いやタブーを積算したら、私はほとんど食べるものがないということに思い至った。どうやら自分で食料を探してくるか栽培するしかないのかもしれない。時間が許せばそうしたいところだが。いや、やがてはみんながそうせざるをえない日が来るだろう。あと20年もしたら魚はほとんどの種類で食べられなくなると言われている。人間が食べ尽くしたんだぞー、と言われて。マグロやカツオがもうすでにそうなっている。サメもヒレを取るだけのために殺され続けている。少しでも早くそのような贅沢をやめる必要があるだろう。そうそう、私はフカヒレのスープを食べることもやめている。  

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