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富山大学の学長よ。恥を知れ

2009-01-24 | 正義と平等
富山大学の学長選考で、きわめて非民主的な選考が行われた。大学内の投票で60%以上の得票でトップだった人が学長に選ばれず、その次の人でもなく、わずか20%の得票しかとれなかった第3位の現学長が、再び学長に選ばれたという。びっくりびっくり驚いた。

 なぜこんなおかしな事が起こるのか。それは国立大学を法人化する時に、法人化法に「学長選考は選考会議で行う」こととし、それまで国立大学で行われていた学長選挙を行わないことにしたことがその原因である。それでも法人化した国立大学の多くは、大学人による投票(意向投票という)を行ってきた。それは、憲法に保障された学問の自由と大学の自治を守るためには、民主的な方法で学長を選ぶ必要があると考えたからである。

 東京大学や京都大学では、意向投票の結果を「尊重して」選考会議が学長を選考するという選考規定が作られている。しかし、多くの大学では意向投票を「参考にする」という程度の規定であり、意向投票の結果がそのまま選考会議に反映されたわけではない。実際に、これまで滋賀医科大学、岡山大学、新潟大学、山形大学、大阪教育大学、高知大学、九州大学などの大学では、投票で2位だった人が学長に選ばれている。これらの大学のいくつかでは不正な選考もあったとして裁判になっているものもある。しかし、それらの場合はほとんどが十数票程度の差であった。今回の富山大学の場合は、現学長の得票率は20%くらい。つまり、今までの学長が引き続いて学長をやることを8割の人が拒否したはずなのだ。現学長は不信任されたに等しいはずだった。それが学長に選ばれるというのは異常ではないだろうか。

 選考会議というものはどういうものかを見てみると、この富山大学の学長選考結果がなぜ出てきたかがよく分かる。選考会議は学内の教育研究協議会と学長が選んだ学外選考委員が同数ずつで作られる。つまり、学長は自分もしくは自分が支持する人が学長候補になったとすれば、自分を支持する人を選考委員として選ぶことができるのだ。こんなおかしな選考が天下の国立大学で起こっていることは、一般の人はあまり知らないのかもしれないが、これも自民党とその意向を汲んだ文部科学省官僚が仕組んだことなのだ。なぜか?文部官僚の意のままになる学長を選びたい、大学人による投票で民主的に選ばれると文部科学省の言うことを聞かない奴が学長になりかねないからなのだ。

 しかも、国立大学法人化によって文部官僚が大学の学長に天下りする道が開けたのだから、やりようによっては文部官僚が学長になり、その大学を文部科学省の意のままに動かすことさえこの法律では可能になっている。私立大学ではそんなことはいっぱい起こっているが、国立大学さえもそうなってしまう危機が迫っている。

 自民党政府は、政府の財政危機を救うためと称して、国立大学を国の管理から切り離し、名前だけの国立大学にしてしまい、予算も毎年1%ずつ永久に減らし続ける政策を採っている。そのために、各大学では研究や教育に使うべきお金を減らし、教員や支援要員を非常勤職員や派遣職員でまかない、さらに減らされればこれらの非常勤職員の首を切るということにならざるをえない。京都大学では非常勤職員を5年で雇い止めすることとしたと報道されている。派遣切りが大学にまで及んでいる。

 日本は先進国の中では高等教育に掛けるお金がもっとも少ないとしてユネスコから何度も改善するように勧告を受けている。大学の授業料がこんなに高い国立大学は、世界でも珍しい。自民党政府はその勧告を一顧だにせず、報告義務もほおかむりし続けている。むしろ大学へのお金は減らし続けているのだ。こんな自民党政府は一刻も早く退場してもらいたい。そして、政府言いなりの大学学長は一刻も早くやめて欲しい。富山大学の学長よ。そんなに恥知らずの手を使ってまで学長になりたいのか。そんなに儲かるのか、富山大学の学長は? 恥を知れ。


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