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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

山尾三省を知っていますか?

2007-08-28 | 日記風
詩人の山尾三省という人をご存じだろうか。東京から屋久島へ移住し、農耕と詩作の日々を過ごし、2001年8月28日、屋久島にてガンのために亡くなった。実は私もこの人のことは最近まで知らなかった。彼の略歴を以下に引用しておこう。

山尾三省、1938年東京生まれ。早稲田大学西洋哲学科を中退し、1960年代の後半にサカキ・ナナオや長沢哲夫らとともに、社会変革を志すコミューン活動「部族」をはじめる。1977年、屋久島の廃村に一家で移住。約20年間、田畑を耕し、詩の創作を中心とする執筆活動の日々をここで送った。旧友のゲーリー・スナイダーのテーマ、バイオリージョナリズム(生命地域主義)が、自分が20年来考え続けてきた「地球即地域、地域即地球」というコンセプトと同じであることに気づいたという。

屋久島の山尾三省の住処を訪ねた人から教えられた彼の遺書を読んで感動した。私も同じ事を考えていたからであるが、彼は亡くなる一ヶ月前、MORGENという雑誌にエッセイ「子供たちへの遺言」と題して以下のような文章を書いている。

 「・・・・ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらない限りは、二・三ヶ月の内に確実にこの世を去っていくことになっているからです」と書き出して、三つの遺言を残した。

 その第一は、彼が生まれ育った東京の神田川の水をもう一度飲める水に再生したいという。そうすることによって「劫初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかむ」。

 第二の遺言は「とても平凡なことですが、やはりこの世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外して欲しい」という。なぜなら「人間の手に負える発電装置ですべての電力をまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、僕は考える」からだと述べる。

 遺言の第三は、無宗教でありながら仏教を基盤とした彼独自の信仰を文章にして「南無浄瑠璃光・われら人の内なる薬師如来。われらの日本国憲法の第九条をして、世界のすべての国々の憲法に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさし給え」と書いた。

 そして「ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻や子供を愛することなのですから、その願いは、どこまでも深く彼女たち、彼らに伝えられずにはおれないのです。つまり、自分の本当の願いを伝えると言うことは、自分は本当にあなたたちを愛しているよと伝えることでもあります。」その一ヶ月後、彼は半生を生きた屋久島で息を引き取った。

 私は、果たして愛する人たちに何を伝えたろうか? 自分の願いを伝えることができたろうか?


今日は6年ぶりの皆既月食だとか。北海道ではよく晴れて見えているようだが、関東は厚い雲に覆われて見ることができなかった。テレビの画面を通して釧路の月を眺めた。
 

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