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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

海の生きものを見る

2008-06-22 | 花と自然
土曜日は千葉県の銚子の海に遊びに行った。犬吠埼のすぐ近くの海岸だ。梅雨に入ってなかなか雨が続かないなと思っていたら、金曜日あたりから本当の梅雨空になった。土曜日は朝から雨。わずかの雨の合間を狙って海に出かけたが、磯に入ったときはかなり雨が降っていた。それでも干潮時間が決まっているので、雨が気になるがかまわず海にはいる。

 本当は泳いだり潜ったりしたかったのだけれど、さすがに前夜の雨で海は濁っていて、潜っても何も見えそうにない。しかたなく、長靴を履いて磯を歩いてみた。北海道では見られない動物や海藻がある。大きいアメフラシやヒトデがたくさんいるのも楽しい。地元の割烹の若い女将さんが小学生の子供を二人連れて磯遊びに来ていた。アメフラシを見つけて子供たちはおおはしゃぎしている。ときどき海に遊ばせに来るという。まだ日本にもこういうお母さんがいることに嬉しくなった。

 太郎、太郎、犬吠の太郎、馬鹿の太郎
 高村光太郎の詩で有名な犬吠岬はすぐ近くだ。暖流と寒流がぶつかり合う太平洋の荒波が直接ぶつかり、風が強いことでも有名で、銚子の町のはずれには大型の風力発電機が立ち並ぶ。銚子のもう一つの名産が醤油。町にはいるとどこからとなくお醤油の香りが漂ってくる。泊まったペンションではお土産にお醤油の小瓶をくれた。不思議に思っていたが銚子市内の宿はどこもお醤油のお土産をくれるらしい。

 埼玉の家までは高速道路で一度東京へ出てから帰ることになるが、それでも一般道路を通ってまっすぐ西へ帰るよりは時間的に早い。時間を掛けて一般道路を通るのと、時間を短縮させて高速料金を払うのとはどちらが得で、どちらが二酸化炭素の排出量が少ないのだろうか?石油高騰の折からそんなことを考えながら、久しぶりの海の匂いを身体にくっつけて帰ってきた。海はやはりいいね。
  

鼻曲山のカモシカ

2008-06-17 | 花と自然
さすがにこう暑くなると1000m以下の低山ではつらいだろうと、1533mの鼻曲山に登ることに決めた。浅間山の展望が素晴らしいと言うことと、トガクシショウマの花が見られるというのを知って、是非とも見たいと思ったためだ。まだ見たことのない花だし、写真で見るその風情は素晴らしい。梅雨の晴れ間を見つけて今日決行だ。

 軽井沢の近くなので朝早く家を出て高速道路で信州をめざす。高速出口の松井田妙義は思ったより近かった。自宅から2時間。
   ・・・母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?  
   え、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
   渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
西条八十の作った詩と森村誠一の小説「人間の証明」で有名になった霧積温泉に向かう曲がりくねった狭い行き止まりの途を進む。

 霧積温泉きりづみ館の前に車を置いて、登り始める。トガクシショウマの花だけではなくいろんな花の写真を撮ろうと身構えて登り始めたが、どうやら当てが外れてしまった。ほとんどの花は終わってしまったか、夏の花はまだ蕾もついていない。シロバナノエンレイソウも楽しみにしていたのだが、たくさんある株のほとんどすべてがすでに種を付けている。緩やかな登りが続く登山道の脇で、それでもクワガタソウ、ツマトリソウ、マイヅルソウ、タニギキョウなどが寂しく咲いている。でも素晴らしいギンリョウソウの花を見ることができたのが収穫だった。

 頂上近くでかなり厳しい登りがあったが、それも20分くらい。あっというまに頂上に着いてしまった。頂上の大天狗は見晴らしが悪い。5万分の1の地形図では頂上は1533mとなっているが、頂上の標識では1654mになっている。100mも違うのはどうしたことだろうか。でも私の腕に付けている高度計では1550m付近を指している。頂上付近ではすでに終わってしまったヤマツツジ、トウゴクミツバツツジ、ヤシオツツジなどに代わって、オレンジ色のレンゲツツジが今まさに咲き始めていた。サラサドウダンツツジも花盛りだ。



 頂上の大天狗から少し下がった小天狗は360度の眺望が楽しめた。すこし霞が掛かっていたが、浅間山の雄大な裾野のすべてが見渡せた。妙義山のノコギリのような岩の峰々がはるか下の方に見える。この頂上付近の北側斜面にトガクシショウマの花が見られるというのでしばらくウロウロと探し回ったが、結局見つけることはできなかった。もう花は終わったのだろうか。残念だ。でもこの山にはマダニが多いとも聞いている。あまり藪の中をウロウロするのも心配で、早々にあきらめてしまった。



 帰路について下り始めた頃、林の中を歩くカモシカを見つけた。あわててカメラを取り出したが、とくに急いで逃げ出す様子も見せず、こちらを興味深そうに見つめている。カメラを構えると少し視線をそらせて歩き始めたが、すぐまた立ち止まってこちらを見ている。カモシカはシカと名前がついているがシカとは縁遠いグループに属し、寧ろ牛に近い。カモシカのような脚というのはアフリカあたりにいるオリックスのようなカモシカのことで、ニホンカモシカは牛か山羊のような感じ。シカが群れを作って明るい草原で餌を食べているイメージがあるのに対して、カモシカは岩山やくらい林の中で一人でじっとたたずんでいるというイメージがある。暗い。孤独。一人で山を歩きたがる私はカモシカのような人間なのかもしれない。



 霧積温泉に帰り着いて、評判の六角の湯船につかり、疲れを取った。ここは初めて入る温泉だ。360湯くらいまでは数えていたが今は何湯目かは定かではない。おそらく375ヶ所くらいだろうか。いいお湯だった。六角の湯船とその建物の明治時代の木造でありながら洋館風の作りが好もしい。窓から見えるのはどちらを向いても緑みどりの葉っぱばかり。花は少なく少し歩き足りない山だったが、いい山行になった。
 

久しぶりの山もまた低山

2008-06-07 | 花と自然
 しばらく山を歩く暇がなかった。今日は梅雨の晴れ間。しばらく歩いていないので足慣らしもあって近くの低山を選んだ。中央線沿線の高柄山(733m)。厚さが増している今、こんな低山では暑くて大変そうだ。覚悟をして登る。

 土曜日の朝の中央線は、山へ行く中高年者でいっぱいだ。私は派手な黄色のシャツを着ていった。折しも今朝の新聞に後期高齢者医療制度の廃止を呼びかける広告に、みんなで黄色のものをもって後期高齢者医療制度への抗議の意志としようという呼びかけがあった。期せずしてこの呼びかけに応えたことになる。明日から黄色い服を着た人などが増えるのが楽しみだ。

 四方津の駅を降りた登山者は私1人。さすがに土曜日といえども暑い季節にこんな低山を登ろうという人はいないのかもしれない。この山はその昔、幼い娘二人を連れて登りに来たことがあった。たしか11月の終わりか12月の始め頃。すでに雪が着いていた山道を一人を背負子に担いで、もう一人の娘の手を引いてこの山道を歩いた思い出がある。

 ところがどうもその思い出の道とは似ても似つかない舗装道路がかなり上まで伸びている。あの時は、雪があったので途中で早々に断念して帰った。今日は1人だし、のんびりと歩き始める。やがて舗装道路が無くなり、山道にはいるとすでに若葉の季節は過ぎ、林床も陽が差し込まなくなっている。春の花は終わり、夏の花はまだ始まっていない。フタリシズカの花があちこちに咲いていた。ヒトリシズカも地味な花だけど、フタリシズカの花はさらに地味だ。陰気な林床に本当にしずかに咲いている。

 尾根道を上り詰めると大地峠に着く。旧大地峠とは違って新しい大地峠は新しく付けられた林道の終点にある。一休みして高柄山を目指す。しかし大地峠と高柄山の間は急な上り下りが何度もあり、坂道の急さは抜群。先日の雨で濡れているので3歩あるいては2歩下がるという具合。かなりのアルバイトを強いられた。しかし、山歩きの楽しさはこの間にあると言っても良い。風景は平凡だが、細い尾根道を歩く楽しさは山に登っているという気持ちにさせられる。



 高柄山の頂上に息を切らして登り着くと、どこにいたのかというくらいたくさんのパーティがいた。空腹で目が回りそうだったので、おにぎり3個を息もつかずに食べ、汗でびっしょりぬれたバンダナをタオルに替え、再び歩き始めた。もうあとはほとんど降る一方だと安心して歩いていたら、矢目峠から先はゴルフ場ができたため通行禁止になっている。しかたなく新しく作られた回り道を行くが、一度沢に降りてまた尾根に登り返すこと2回。ゴルフ場のおかげで大幅な回り道をさせられ、大汗を掻き、のどはからから。沢の水を飲みたいところだが、上にゴルフ場ができているのではとても水は飲めない。疲労困狽して麓の上野原駅にたどり着いた。やはり暑いときの低山歩きはこたえる。しかし、冬の間は陰鬱な印象しかなかった杉や檜の人工林が、この時期になると暑さを遮ってくれ、ひんやりとすることを発見した。まあ、そんなことでもないとこれからもっと蒸し暑くなる低山は歩けそうもない。次回は時間を取ってもっと高い涼しいところを歩きたい。

でも、今日の高柄山は低いけれども歩きがいのある山だった。

県境を棒ノ嶺から川苔山へ

2008-05-07 | 花と自然
東京都と埼玉県の県境を歩こうと思って、棒ノ嶺から川苔山までの尾根を選んだ。天候もいいし、季節はこのような低山歩きには最高の季節だ。花もいっぱい咲いているだろう。5時半に家を出たら、7時半にはもう登山口に着いた。渋滞がないということはうれしい。

 棒ノ嶺への登山口の百軒茶屋は、連休の翌日だし、朝も早いので閉まっている。昔は山奥の一軒屋だったはずの茶屋が(なぜ一軒家なのに百軒茶屋なのかは謎だった)、今はいっぱい民家が周りに建て込んで、百軒とは言わないが十軒ばかりが建て込んでいた。茶屋の前にさっそく出迎えてくれたのはシャガの花。渓谷沿いにいま盛りと咲いている。渓谷沿いに作られたわさび田を見ながら、登り始める。ウツギ(ウノハナ)の白い花が見事だ。

棒ノ嶺は何度も歩いているし、途中は杉と檜の人工林ばかりだから、一気に登った。1時間10分で頂上(969m)。久しぶりの山歩きで少しからだが重い。棒ノ嶺頂上で暫時休憩を取って、川苔山方面に尾根を歩き出す。尾根筋は、南の奥多摩側が人工林、北の奥武蔵側が落葉広葉樹になっているところが多い。途中の長尾丸山は人工林に包まれた陰気な山頂だ。そこをさらに西に進むと、ようやく人工林が無くなって落葉広葉樹林帯が続く。広葉樹はいま新緑の時期だ。


 身体の中まで緑に染まりそうな新緑(写真)。もう素晴らしいの一言に尽きる。葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。1000mを超える頃にはブナの芽生えも加わってきた。かなり疲れてきたが日向沢ノ峰(1345m)への最後の登りを息を切らせながら、ゆっくりゆっくりと歩を進ませる。最後の急登は、まさに胸突き八丁といったところ。登り切ったところの草原で少し早い昼食をすませ、ちょっとだけと思って大の字になる。暑い日射しを避けて寝ころんだので涼しい風が心地よい。すうっと眠りに入った。

 枕元を人が歩く音で目を覚ました。今日山に入って初めて会った人だ。10分ほども眠ったようだ。起きて川苔山を目指そうとするが、どうも身体がだるい。大休止したせいでさあ行くぞという気持ちも起きてこない。これは失敗だった。いつも山登りの途中で大休止はしない。ゆっくり休んでしまうとかえって身体がだるくなり、登る意志が希薄になってしまうからだ。今日はそうなってしまった。川苔山は何回か登っているからいいか、と自分を納得させてそこから下りの道を選んだ。帰りは獅子口小屋跡を経由して百軒茶屋へ降りるコースだ。

 このコースはほとんど人が歩かないコースであり、ずいぶん昔から気になっていたコースだが、交通が不便と言うこともありこれまで歩いたことはなかった。しかし、今日歩いてみて、こんなに素晴らしいコースとは思わなかった。もっと早く来てみれば良かったと思った。もっともこの季節に歩いたから最高だったのかもしれない。なにしろ花がいっぱい咲いている。渓流沿いのコースだから景色は素晴らしい。途中、ニリンソウの花の絨毯の中を歩いていくようだった。その他にも、キジムシロ、ヤシオツツジ、ムラサキケマン、ミヤマキケマン、ミヤマミミナグサ、ハシリドコロ、ミヤママンネングサ、ネコノメソウ、ツボスミレ、エイザンスミレ、サクラスミレ、タチツボスミレ、アカバナ、ハルリンドウ、ラショウモンカズラ、ヤマタツナミソウ、クワガタソウなど山の花がいっぱいだ。サンナシ小屋の周辺に多いバイケイソウの群落も発見した。懐かしい。この沢筋にトリカブトが多いのも確認した。


 近くに林道も来ているので、車で近くまで来ることができるが、やはりちょっと不便なところであるせいか、ほとんど車は走っていない。出会ったのは一台だけだった。渓流の景色を楽しむには素晴らしいところだ。また来たい。今日は7時間歩いた。しばらくぶりだったのでちょっと疲れ気味。川苔山をスキップして正解だったかもしれない。今度は途中で大休止をしないで、川苔山にも登ろう。

サンナシ小屋の春

2008-04-29 | 花と自然
一週間ぶりに北海道から小江戸川越に帰ってきた。サンナシ小屋は春も真っ盛りだった。5月中旬の陽気とかで、あちこちにまだ雪の固まりが残っているので、さすがに桜はまだ咲かないが、早春の花は咲き乱れていた。フクジュソウの花の黄色い絨毯を予想していったのだが、福寿草の花はもうほとんどが枯れて青い実が結実していた。咲いていたのは、エゾエンゴサク(写真)、キバナノアマナ、アキタブキなどの早春のおなじみの花たちだ。
エゾエンゴサク

いろんな草の芽がどんどんと伸び始めていて、柳の芽もいまにも爆発しそうに膨れている。春の爆発。エゾアカガエルの鳴き声もにぎやかで、水たまりには蛙の卵塊がびっしりと生み付けられている(写真)。まもなくオタマジャクシが泳ぎ出す。
エゾアカガエルの卵塊

 この時期の楽しさは、山菜採り。とくにギョウジャニンニク(写真)が今取り頃。となりにはクロユリ(写真)の芽がいっせいに伸び出している。
ギョウジャニンニク(別名アイヌネギ)
クロユリの芽生え

サンナシ小屋の周囲でギョウジャニンニクを採集し、お昼はラーメンに入れて、夕食には焼き飯に炒め込んで、匂いも気にせずに美味しい美味しいと食べる。久しぶりのサンナシ小屋だったが、やはりここにいるとあらゆるストレスから自由になる。ベランダにいると暖かくてストーブも使わずに済んだ。さすがに夕方になるとストーブなしでは無理だったが。この冬に強風が吹いたので、薪にする倒木が多い。少し倒木を集め、ストーブ用に切りそろえておいた。無心に薪割りをしていると、遠くからここへきたことも忘れる。

花いっぱいの浅間尾根

2008-04-12 | 花と自然

山路来て なにやらゆかし すみれそう (芭蕉)

有名なこの句が浮かんでくる。一週間ぶりの奥多摩はスミレの花に埋もれていた。自分でも句をひねってみるが、芭蕉にはかないそうもない(笑)。

 先週の三頭山の続きに、笹尾根を歩いてみようと朝早く出かけた。今日は午後から天候が下り坂になると言うので、午前中に太陽に照らされながら笹尾根の尾根歩きを楽しんでみようと思った。1000mを超える笹尾根なら太陽が出ていて欲しいと思ったのだった。ところが、登山口に着いてみると、早くも空は曇り空。暗雲がたれ込めて暖かさも昨日のようではない。そこで急遽行き先を変更して、反対側の浅間尾根を歩くことにした。こちらは900m前後のなだらかな尾根通しの道なので、太陽がなくても寒さは多少とも耐えられるだろうと思ったからだ。

 登山口から舗装した林道を20分くらい歩いて山道に入る。尾根に上がるのに40分。そこからはたいした上り下りもなくしっかりした道が東に続く。昔、この道は周辺の集落に人たちの荷物運送の主要な道だったという。現在国道が走っているのは沢沿いの道だが、昔は渓流沿いの道は険しくて荷物を運ぶ馬にはとても嶮岨であったようだ。そこで尾根通しの道が開かれ、浅間道と言われていた。江戸の文化を山村に運び、山の絹や山菜を江戸に運ぶ道だった。そのためにこの尾根通しの道には至るところに石室や道祖神が立ち、神社が造られている。今ではハイカーが歩くだけの道になってしまったが。


 尾根はまだ木の芽が膨らみ始めたところで、緑の色はまだこれからだ。しかし、落ち葉の下から草の芽が伸び始めている。もう一週間もすれば地面は緑に変わるだろう。春の妖精(spring ephemeral)といわれるカタクリの群生も3ヶ所ほど見られた。薄いピンクの花が落ち葉の間に一帯を華やかにするほど群生している。不思議なことにカタクリはかならず大群落をつくっている。一本だけのカタクリの株は見られない。それは何故かというと、カタクリの種子を拡げるのはアリなのだ。カタクリの種子にはエライオゾームという美味しいけれども種子には無役な部分がある。そのエライオゾームはアリの大好物で、アリはそのためにカタクリの種子をせっせと自分の巣に運び込み、エライオゾームを食べる。そして残りの種子はそこで芽を出すという仕組みになっている。そのためにカタクリの種子はアリの行動範囲にしか広がらない。それがカタクリが大集団を作りあまりあちこちに広がらない理由のようだ。アリを見ると意固地になって踏みつぶしたり殺虫剤を振りかける人がいるが、そう言う人もカタクリの花を愛でる。しかしそれではカタクリは生きていけない。アリも含めて自然は全体として生きているのだから、その中の一部だけを自分の都合で選んでは自然は存続できないのだ。

 スミレも実はエライオゾームを持っている。きっとアリといっしょに共生してきたのだろう。しかし、スミレはカタクリと違ってもっとばらばらに生えている。スミレの花言葉は「浮気」なのだ。いつどこに現れるか判らない。スミレはきっとアリ以外にもいろいろと種子の分散を助けてくれる補助者をいっぱい持っているに違いない。カタクリほどアリに依存していないのだろう。そう言う意味でもこの花言葉は適切かも。

 スミレはカタクリとは比較にならないほどあちこちに咲いていた。しかもいろんな種類がいっぱいだ。「スミレの花咲く頃」は、まさに今のこと。ツボスミレ、タチツボスミレ、シハイスミレ、エイザンスミレくらいまでは何とか判るが、色もいろいろ、形もいろいろでそれ以外にもいっぱい種類があったようだが、名前は判らない。


 その他に、ニリンソウ、アズマイチゲ、キクザキイチゲ、ハシリドコロなどなどこの時期の低山は花がいっぱいだ。今日は4時間半歩いたが、ピークは浅間嶺(930m)、松生山(933m)くらい。あとはなだらかな尾根道をずっと鼻歌を歌いながら、花を眺めながら、楽しく歩いた。山としてはちょっと物足りないくらい。
 

蛙の声が聞こえない

2008-04-11 | 花と自然

今日は家で仕事をする予定だったが、あまりの天気の良さについふらふらと出かけた。どこへ行こうかと考えた末、比較的近くの吉見町にある横穴古墳群(吉見百穴)を見に行った。たしかあの古墳のそばの河畔には見事な桜の並木があったはずだと思いついたわけだ。桜の花はもう遅いかもしれないが、満開時の人の多さは嫌なので多少時季がはずれても人がいないときに行きたいと思ったこともある。

 たしかに桜はもうほとんど散ってしまって、花見の人もまったくいない。土手の斜面に腰を下ろして、早くも綿毛になりつつあるタンポポや一面の赤紫色のホトケノザ群落を眺めたり、本を読んだりしてのんびり過ごした。春はもうかなり深まったと思うと同時に、なにか物足りなさを感じた。野の花はいろいろ咲き乱れているが、どうも足りないものがある。

 何だろうかなと考えてみて思い当たった。なぜだろうか。蛙の声がまったく聞こえないのだ。飛んでいる虫もいない。モンシロチョウやモンキチョウ、キチョウなどが少しは飛んでいるのだが、春もこの時期になると、蝶々やトンボなどの虫たちがもっと盛大に飛び回っていたはずだ。蛙の耳を聾せんばかりの鳴き声がこの時期にはあちこちの田んぼや小川から聞こえてきたはずだが、今の田舎は静かなものだ。

 北海道のサンナシ小屋の周辺は今頃はエゾアカガエルの鳴き声でいっぱいだ。雪解けの湿原ではこの蛙を狙って丹頂鶴やアオサギがサンナシ小屋の周りでも歩き回っている。ちょっとした雪解けの水たまりにもエゾアカガエルのオタマジャクシが黒くなるほど群れている。

 春の最盛期にこの静けさはよく考えてみたら、かなり不気味だ。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は小鳥の声だったが、蛙の沈黙もやはり恐ろしい未来を予感するようだ。蛙の姿を見ることもない小川や田んぼ。メダカは絶滅危惧種になってしまった。子供の頃、夢中になって網ですくって遊んだゲンゴロウ、ミズスマシ、フウセンムシ、ミズカマキリ、タガメ、コオイムシ、アメンボなどなどの池や川の生き物たちはもういなくなってしまった。その代わりにどの川にも池にもコンクリートの岸が並ぶだけ。

 吉見百穴の横穴古墳群を久しぶりにゆっくりと鑑賞した。昔はなかった埋蔵物文化センターも整備されており、古墳時代にこの地に生きていた人々の息吹を埴輪や土偶や勾玉をみて身近に感じた。埼玉の地名は「さきたま」から由来する。「さきたま」は装飾品の勾玉や玉類が出土する土地という意味でもある。古墳時代に大和から遠くのこの地で中央政権の力と関係なく生きていた人々が多く住んでいたところでもある。茨城県ひたちなか市にも同じような横穴古墳群があると聞いた。

予期せずに古代の息吹に触れ、沈黙の春に気づき、未来の予感に震える一日を送った。明日までは晴れるらしい。その後はまた雨。「春に三日の晴れなし」という諺があるということを最近知った。その通りだ。気候は昔と変わらないかもしれないが、生き物は徐々に変わりつつある。

カタクリの花 春爛漫

2008-04-06 | 花と自然
一気に夏が来たような陽気だ。今日はお花見も最高潮で、最後の日曜日になりそうだ。で、山里にしだれ桜を見に行き、ついでにそろそろカタクリの花も見に行こうと、埼玉県の小川町にドライブした。ガソリン税の暫定税率が廃止され、お花見の最盛期で、しかも暖かな春の陽気とくれば、行楽地は人の波だ。それが北海道と違うところ。小川町の民芸工芸館のある道の駅には駐車場が満員になるほどの人が溢れていた。

 なんとか車を置く場所を確保して、ソメイヨシノが咲き誇る駐車場の裏の川を渡り、西光寺の境内でしだれ桜を見ようと境内に入ったが、どうもおかしい。桜の花の華やかさがみられない。よくよく見ると、しだれ桜は花がすべて散ってしまって、すでに葉を開き始めている。どうやら今年はずいぶん早く咲いてしまったようだ。

 しだれ桜はあきらめて裏山の仙元山の斜面をロープで区切られた小道を歩く。斜面いっぱいにカタクリの群生だ。しかし、花はどうやらもう終わりに近いらしい。しおれかけた花が目立つ。中には今咲き始めたというものもあり、花は清楚で美しいし、山裾いっぱいに群生しているさまは素晴らしい。もうちょっと早く来ればよかったと反省。カタクリの花はもっと遅かったような気がしていたのだが、それは北国に長い間いたせいかもしれない。こちらの春はカタクリにとってもっと早いのだろう。


 カタクリの花はもう終わりに近かったが、同じ斜面に咲いているニリンソウは今が盛りだ。イチリンソウも一輪咲いていたが、まだこれからのよう。タチツボスミレやシロスミレなどスミレ類がいろんな種類咲いている。


 ついでにいっぱい出ていたツクシを摘んで帰った。夜のご飯はツクシの卵あえ炒め物と菜の花のおしたし、それに野菜餃子。春の香りいっぱいの夕食だった。

園芸学が自然を壊すこと

2008-04-05 | 花と自然
三頭山の頂上付近は東京都で2箇所しかないブナの森がある。貫禄のある立派なブナの木を見上げて、少々淋しくなりつつあるブナ林の将来を考えた。帰り道に麓の沢沿いに作られた都民の森というところを通った。東京都の秘境といわれる数馬の最奥に都民の森を作ったのは感心したが、どうもその作り方には疑問を抱かざるを得ない。

 まずびっくりしたのは、下の写真。川を石で固めてごらんの通り。いったいこの設計をした人は川とはどういうものか知らないのではないのだろうか。水が流れればいいんだと思っていないか。都民の森というからには、日頃自然のない環境で生活している人に自然に触れてもらう場所であるべきだろう。それがこんな作り方をしているのでは、都市公園と変わりない。



 川に限らない。宿泊施設などもあるが、それは入ってみなかったのでどのように作られているか判らない。野外を散策するために手すりを巡らしたしっかりした道を整備している。それはある程度仕方ないとしても、驚くのはところどころに設けてある休憩施設。我が家の大きさにも匹敵するような大きさのベランダのような木製の台が作ってあり、いろんなベンチが並んでいる。土台は大きいコンクリート製で、頑丈そのものに作ってある。そんな巨大な休憩台が至る処に作られて、景観と自然を壊している。

 当然のごとく都民の森へ至る道路は高速道路並みの仕様。広い駐車場が出来ており、コンクリートの道が宿泊施設までデンと繋がっている。

 都民の森を設計した人はきっと園芸学の専門家に違いない。都市型公園と思ってみれば確かにこれは立派な公園なのだろう。しかし、ガーデニングの発想で自然の中の都民の森を作ってもらいたくない。園芸学は所詮市街地の公園を作る技術に過ぎない。奇をてらう建築学者もお呼びではない。自然の中で自然に触れる機会を作る施設なら、やはり生態学者の出番ではないだろうか。生態学者の意見を聞いたとはとても思えない「県(市、町)民の森」や「森林公園」があちこちに出来ている。もうそろそろ「都市型公園」を「自然」とウソをいうのはやめよう。

 私の子供の頃は、町中の公園や空き地でも、自然がいっぱいあった。公園にお金を掛ける余裕など無かったから、整備されてなんか無かった。だから自然は溢れていた。いろんなチョウチョが飛び、トンボやコガネムシがいた。いつ採ってきても図鑑で調べると違う種類だった。それほど多様な自然が町の中にもあった。今では小江戸と称される地方都市の郊外でさえ、自然が無くなってしまっている。整備された環境には楽しいことも癒されることも無い。過度の安全だけが過保護の子供と過保護の大人を作り出していく。その陰でおそらくすべての地域の生物が死滅し、地域の文化が死滅し、外来種だけの表向きだけのグローバルに均一化した景観ができあがっていく。現代人のこころが傷ついてしまったように感じるのはきっとこの環境のせいではないだろうか。

三頭山に再び挑戦

2008-04-04 | 花と自然
久しぶりに1500m級の山に登ろうと、奥多摩の最高峰の三頭山(1528m)を目指した。実は、かなり昔にこの山に登ったことがある。しかしその時は、大バテにバテて、頂上まであと少しのところで夕闇に追い立てられて登頂をあきらめたことがあった。初雪が降った直後だったから、11月だったのだろう。昼が短くなって登山には適さない時期だった。そんなことは登り始めるまで忘れてしまっていた。そういえばこの山には敗退の過去があったことに、登りながら気がついた。そんなことも忘れるなんて我ながらあきれた。

 東京都の秘境とよばれる檜原村の数馬から登り始める。今日は暖かな日で、上着を着たままでは暑い。ウインドブレーカーを脱ぎ捨てて、のんびり歩く。数馬は合掌作りの民家(写真)が並ぶ独特の雰囲気がある集落である。


一時間ちょっとで笹尾根の西原峠に出る。奥武蔵と違って比較的人工の杉林が少ないので、尾根歩きは気分が良い。つい鼻歌が出る。さすがに山はまだ花がない。峠からすぐに槇寄山(1188m)の頂上に着く。気分の良い頂上だが、休まずに尾根を歩く。

 大沢山(1482m)まで登れば三頭山までもうすぐだ。頂上付近にはまださすがに雪が残っている(写真)。

1528mの頂上に到達したが、あの時の苦難は一体何だったのだろうか。たしかに頂上付近の坂は息が上がったが、若いときにこんな山が登れなかったのが不思議だ。時間が足りなかったのが精神的にも大きい影響を与えたのだろう。たしかに足元もよく見えない山道で先が見えない頂上を目指すのは、精神的には厳しかったのだろう。若くもあったし。今回は頂上に登っても気分は楽勝。もっと歩きたいくらいだった。

三頭山は東京都と山梨県の県境にある山なので、東京都の都民の森もあるし、山梨の百名山にも指定されている。

 帰りは鞘口峠に下りて、「都民の森」になっている沢沿いの道を下りる。途中でミヤマネコノメソウの花とハシリドコロの花を見つけた(写真)。麓ではもういろんな花が咲いている。キクザキイチリンソウも咲いていたが写真を撮るのに失敗した。

 今日はバス便が不便なので車で出かけた。しかし、朝晩の渋滞にあい、往復6時間かかった。歩いた時間は5時間半なのに。帰りに合掌作りの宿にある「蛇の湯温泉」に入湯。