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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

比叡山を独り占め

2008-12-20 | 花と自然
しばらく歩いていないので、体重は最高値安定を示し続けている。これではならじとようやく休みを取れたので、今日は近くの山を歩くことにした。東山三十六峰のうちの最高峰である比叡山を目指して登ろう。京都東山はほとんどがなだらかな山頂を持っているが、唯一三角形のピラミダルな山頂を示し、東山の北に偉容を示しているのが比叡山。天台宗の総本山延暦寺があることでも知られている。頂上には京都からも琵琶湖側からもケーブルカーとロープウエイがあり、観光客が詰めかけるところという印象を持っていたから、あまり登りたい山ではなかった。しかし、5万の地形図を眺めているうち、比叡山にも多くの登り口があり、下から登ればなかなかいいハイキングになりそうだと気がついたので、今日は下からゆっくりと登ってみようと思う。

 登りは修学院のそばを流れる音羽川沿いの道から始まった。音羽川は琵琶湖疎水より少し大きい程度の川だが、完全なコンクリート三面張りの川で、まったく川という感じはしない。排水溝の印象だ。そのわけは上り詰めてみてよく分かった。大きな看板には「河川改修のモデル地域」とある。河川事務所が総力を挙げていろんな工法を使ってまるでオリンピックのように川をコンクリートで固めたところらしい。こんな工事をやってまったく恥じたところがないのが信じられない。彼らの頭の構造はどうなっているんだろう。川を殺して、そのやり方を得意げに展示している。どうすれば自然を壊さずに治水ができるかと考えたことなどないのだろう。

 突き当たりで橋をわたり、登山道に入る。いきなりの急登が続く。北山と違ってここの岩質は花崗砂岩らしい。雨水がその岩を削って深さ1mほどの道ができている。その道に落ち葉がふかふかのベッドを作っている。あまり歩いた跡がない。この道は歩く人も少ないのだろうか。急な坂道を1時間ほども歩き、汗がシャツを濡らし始めた頃、ようやくやや平坦な道に出る。道の左側にはずっとコンクリートの柱とバラ線が張られていた。おかしいなと思っていたら、最上部の角に立ち入り禁止の立て札。どうやらこの内側は宮内庁の管轄らしい。ちょっと不満だが、ゴルフ場などに占領されているよりはまだましという感じ。内部はよく保護されている。



 歩き始めて1時間を過ぎる頃までは、広葉樹の林が続いている。杉の人工林が多い北山とちがって、ここはなかなか気持ちの良い登山道だ。と思っていたら、中腹を過ぎた頃、杉と檜の人工林がうっそうとして始まった。そういえば、比叡山という言葉から受ける印象は、やはり杉の大木が林立する薄暗い山のイメージがある。なにかの時代劇で見た印象がそのまま残っているのかもしれないが、やはりその印象が強い。でも中腹から上は、その印象が当たっている。下の方は急坂、上は薄暗い杉林。昔から比叡山の修行僧の千日回峰行は有名である。しかし、こんな急な坂や暗い杉の林の中を1000日もの間、毎日早足で歩き続けることを考えると、つくづくすごいなあと思ってしまう。



 家から遠くない近郊の低山と思って軽い気持ちで登り始めた比叡山だったが、登っているうちこれはバカにできないと思い始めた。麓の京都の町の標高が100mくらいなので、比叡山の頂上848mまで標高差は750mもある。これはちょっとした登山になりそうだ。

 標高500m前後の見晴台に到着。京都の町がよく見えるが、遠くは霞がかかっていて、まるで春のようだ。ここの近くにケーブルカーの比叡山駅があるはずだが、今日は人っ子一人いない。おかしいなと思っていたら、どうやらケーブルカーは冬の休業期間のようだ。道理で人がいない。そこからハイキングコースを通って比叡山の頂上駐車場まで歩く。そこから進入禁止の札を見ながら、頂上の大比叡(848m)を目指す。巨大なテレビの中継アンテナが2基建っているあたりが頂上のようだが、三角点が見つからない。さんざん探してやっと塚のようなところに一等三角点を見つけ出した。ここまでついに一人の人にも出会わなかった。比叡山独り占めだ。

 比叡山というのはいくつかの峰の集合を言う。もっとも高い峰が大比叡。そのすぐそばに四明岳がある。しかし、今はその周りは囲われて庭園になってしまい、入園するのには500円の入園料が必要で、しかも今は冬の休業期間になっている。というわけで、四明岳には足を踏み入れることができなかった。そこから比叡山の尾根伝いに北へ向かう。この尾根沿いには北比叡ハイウエイが走っており、尾根伝いの登山道のすぐそばを通っている。まったく景色が悪い。尾根から東には琵琶湖が見える。



 やがてハイウエイも離れていき、尾根沿いの道はなかなか良い道となってくる。尾根の東側は杉や檜の人工林が続くが、西側つまり京都側は、落葉広葉樹林が広がり、なかなか雰囲気の良い林が続く。急な登りが始まるとまもなく横高山(745m)に着く。そのまま休まずにいったんオオダワに下り、さらに一気に直登すると、水名山(796m)に到着。時間も昼を過ぎ、縦走路にはいると少しは登山者の姿をみるようになった。

 水名山を越えると、今度は再び杉林の中に入り、景色は見るべきものはなくなってしまう。あとはただひたすら足元を見ながら大原の里まで下るばかり。せめてもう少し登山道の周辺だけでも杉を切り払って欲しいものだ。そうすればどれだけ楽しい道になるかしれない。もっとも杉は金にするために植えているのだから、遊びに歩いている奴のことなんか知るかと言われそうだ。でも京都府の持ち林もあるのだから、もう少しハイカーのための環境にも気を遣って欲しいと思うのだが。



 今日は6時間歩いたが、あまり身体が重く感じなかった。しばらく歩いていなかったので疲れるかもしれないと思って心配していたが、どうやらまだまだ歩けそうだ。ただ、二日前の職場の忘年会でボーリングに行ったのが後を引いていて、太ももの上部が痛い。普段使わないところを使った性だ。なにしろボーリングなんて20年ぶりくらいなのだから。

サンナシ小屋に冬のぬくもり

2008-12-18 | 花と自然
久しぶりにサンナシ小屋で豊かな時間を過ごした。天気が良くて、ベランダにはお日さまの匂いが染みこんで、動きたくなくなるほどの幸せが満ちていた。いつもの通りにお昼のラーメンをストーブの上で煮込み、お餅を入れて食べた。遠くでオオワシが優雅に空を舞っていた。

 今年は暖かい日が続いたせいか、12月も中旬になってもまだ小屋の横を流れる小川が完全に凍り付いていない。そのおかげで、水道のないサンナシ小屋でも、水を調達できた。川が凍り付いて、しかも雪がないと水を調達できないサンナシ小屋では、その時期が一番困る。まもなく川は氷で閉ざされて、長い冬を過ごすことになる。雪はおそらくクリスマスの頃に降ってくるだろう。ホワイトクリスマスがこの地方の毎年の風景だ。

 しばらく北海道に来る機会はないだろうと、大勢で薪拾いに出かけた。いつも一人で薪を拾い、持って帰るのが重たくて、ほんのわずかしか用意できないが、今日は人数が多いので、あっという間に一週間分くらいの薪が揃った。米びつに米を入れた後のように、薪を運び込んだ後は、しばらく大丈夫だという気持ちになって、何故か嬉しい。

 サンナシ小屋のベランダで、お日さまをいっぱい浴びた後、京都に帰ってくると、この部屋の寒さが身にしみる。そして、北海道の広々として、野性味ある自然とくらべて、小さく狭苦しく、そして落ち着き払って片付いた京都の「自然」が淋しい。京は紅葉も終わり、周りの山も茶色の枯れ葉色になってきた。吐く息も白く、京都の冬もそろそろ本番らしい。

京都東山で最後の紅葉を楽しむ

2008-12-06 | 花と自然
急激に冷え込んで京都も最低気温が零度を下回ったようだ。いっせいに落ち葉が散り、職場の銀杏の木もほとんど葉を落としてしまった。昨日の大雨もおさまり、今朝は朝からさわやかな快晴の空だった。しばらく体調を崩していたせいで、今日も休息をとろうと自宅で朝からやり残した仕事にかかっていたが、あまりにきれいな青空なので、とうとう午後から出歩いてみようと思ったわけだ。

京都の北山は杉林ばかりであまり登る気がしないし、近くの山は低いし、と否定的に見ていたが、部屋から見える京都の東山は、麓の永観堂、清水寺、などなどモミジの名所があるだけではなく、山全体が燃えるような赤や黄色に彩られているのに驚いた。どうやら東山は杉山ではなく広葉樹林のようだ。そこで、午後からの散歩にはちょうど良いだろうと、東山の大文字山に登ってみることにした。

 登り口は銀閣寺の裏手から。このあたりも紅葉があちこちに見られる。銀閣寺の周辺は最後の紅葉を見ようという観光客でごった返している。みんな寒そうに厚手のコートやマフラーで防寒している。しかし、裏手の山道はかなり急だ。すぐに汗が出始める。30分も歩くと、急坂を上り詰めて大文字焼きの火床のある見晴台に到着する。

手前に大文字の火床。ここでいっせいにたき火をすると大文字が夜空に浮かび上がる仕掛け。

 ここからの眺めはすばらしい。京都の町は一望だ。麓の紅葉もみごとだ。しばらく写真を撮って、大文字の大の字の頭のところからさらに大文字山の頂上へ向けて登り始める。火床の展望台には観光客がいっぱいだったが、ここから先はほとんど人がいない。大文字山の頂上までに2-3組の登山客に出会っただけ。麓から見ていると全山が紅葉していて、落葉広葉樹林だろうと思ったが、登ってみると意外と多くの常緑樹が生えている。シイ、カシ、アセビなどの比較的低い木が多いので、下からは落葉樹ばかりに見えたのかもしれない。落葉広葉樹も頂上近くになるとほとんど落葉して、枝ばかりが空に伸びている。林の中が急に明るくなったようだ。常緑樹が弱くなった日射しを思いっきり浴びている。ようやく自分たちが日の目を見る季節が来たと喜んでいるみたいだ。これから春の木の芽が萌え始める時期までは、常緑樹の天下なのだろう。春から秋まで長い間落葉広葉樹の下で日陰生活をしてきた彼らの季節が来た。

 大文字山の頂上には3等三角点がある。ここでゆっくり景色を眺めようと思ったのだが、先に来ている一人の登山客がたばこを吸い始めた。山の上まで来て美味しい空気を吸っているときに、近くでたばこを吸われるくらい嫌なものはない。静かな山の中でラジオを大きな音でかけて周りに迷惑をかける人がいるのも、本当に嫌だ。私はほとんどの山で頂上にいるのは5分か10分くらいまでで、早々に立ち去ることが多いのは、実はこのたばこを吸う人が多いせいなのだ。

 頂上からまた来た道を帰ろうかなと思ったが、しばらく歩いていないので、少し東山を縦走してみようと思って南へ歩き、それから鹿ヶ谷への道をたどった。鹿ヶ谷に降りてきたあたりに俊の碑がひっそりと建っている。そういえば、鹿ヶ谷は後白河法皇と俊が反平家のクーデターを企てた場所として有名で、俊僧都の島流しの悲哀は歌舞伎でももっともファンの多い芝居の一つだ。碑には「俊僧都忠誠之碑」と一条家の公爵の筆で書かれているが、訪れる人もない山の中でひっそりと建っている。現代になっても俊の孤独は続いているのかもしれない。

モミジの絨毯

 しかし、その碑の近くの山道は驚くように美しい。モミジの落ち葉で埋め尽くされている。そのあたりのモミジはすべて散ってしまっているが、見上げると周りがほとんどすべてモミジの木ばかり。山道に厚くつもっている枯れ葉はすべて赤いタカオモミジの葉ばかり。もう一週間前ならきっと素晴らしい紅葉が見られただろう。しかもほとんど人が来ないところだ。永観堂や清水寺の紅葉もきれいかもしれないが、あの雑踏の中で見てなんて、私にはとてもできそうにない。その点、ここはほとんど人が来ないようだ。来年の紅葉は絶対にここで見たい。

麓の安楽寺の紅葉。着物姿の観光客が多い。

 鹿ヶ谷から降りて、麓の法然院を訪れ、バザーですばらしい香炉を見つけて買った。久しぶりの山歩きで体調も回復したようで、自宅に帰ってタイで買ってきた香を焚き込みながら、気持ちよくブログを書いている。それにしても、今年は紅葉をいやというほど見たなあ。
 

鞍馬の紅葉

2008-11-24 | 花と自然
紅葉も盛りになったという話なので、鞍馬山に行ってみた。家から近いと言うだけの理由なのだが、鞍馬山と紅葉は私の頭ではあまり結びついていなかった。しかし鞍馬へ行く叡山電車が途中の路線上で紅葉のきれいなところを見せるパノラマ電車を走らせ、しかもその間をライトアップするというので、見に行くことにした。

 鞍馬山というと天狗と牛若丸、杉の木立、というイメージだ。そして実際に行ってみるとやはりそうだった。北山にある鞍馬山は、杉が有名で、人工林が多いのは当然だが、それ以外に霊場として昔から木を伐ることを抑制していたせいか、巨大な杉の木が多い。杉の梢付近をカラス天狗などがいかにも飛び交っていそうな雰囲気だ。鞍馬寺は牛若丸が子供の頃預けられて、密かに剣の修行をしたというところで、牛若丸関係の史跡があちこちにある。もっとも後から作ったものが多いのだが。

 けれども紅葉の木はそれほど多くはない。杉の大木に圧倒されて、モミジはちらほらと目につく程度だ。それでも日に照らされると赤く染まった木々がきれいだ。たしかに修行には適しているなと思われる石段をどこまでも登っていくと、鞍馬寺の金堂に着く。そこからさらに鞍馬山の頂上を目指して歩くが、頂上近くで登山道が通行禁止になっている。立て札にはクマとマムシが出るので、通行禁止と書いてある。誰もいなければそのまま無視して登るところだが、このシーズンでは観光客が次々と歩いている。しかたなく頂上はあきらめて、貴船神社への道を降りていった。貴船神社から貴船川に沿って奥の院まで歩き、それから電車の駅まで2kmの舗装道路を歩く。この途中には紅葉がきれいなところが所々あった。



 さすがに紅葉の季節は、貴船神社もいっぱいの人だかり。電車に乗るのも一苦労だ。電車で鞍馬に戻り、もう一度鞍馬からパノラマ電車に乗って帰る。帰りにモミジが多くてライトアップしているところで電車は速度を極端に落とし、車内のライトを消して走る。観光客は大喜び。しかし、よくみると列車軌道の横に一列にモミジが植えられている。やっぱり京都だ。鞍馬の山に来てもすべて人工的に管理された自然が用意されている。やれやれ。

色づき始める高雄のモミジ

2008-11-09 | 花と自然
朝夕は寒さが身に浸みる季節になった。10月も上旬が終わる頃なら、そろそろ山の紅葉も始まっているのではないかと、少し期待しながら京都北山の高雄行きのバスに乗った。山に近づくとときどき赤くなっているモミジが目につく。高雄は北山杉と高雄モミジで有名なところだが、標高はせいぜい100mくらいであまり深山という感じではない。

 バスの終点を降りると、やはり秋のせいか、天候は小雨模様だったにもかかわらず、人がわさわさといる。石の階段を降りながら渓谷のモミジが赤くなっているのを眺める。同じイロハモミジであっても、木によって真っ赤になっているものから、まだぜんぜん紅葉していない緑一色の木まで、実にいろいろだ。とくにこの時期として、一本の木の中でも葉によって緑から赤までいろんな紅葉の段階を示している木がたくさんあったのが興味深い。それも木の枝の先端が赤くなっているというのでもなく、同じ枝の中でも同じ位置の葉でも、右と左の葉がまったく色が違っているというのには驚いた。近くの葉はみんな同じ紅葉の段階をしているのではないというのは、いままであまり見たことがなかったように思う。もっとも今年のように、10月のはじめからずっと毎週のようにモミジの葉の色具合を観察し続けることもこれまで無かったからかもしれない。



 今年は京都というところに来て、紅葉がきれいな名所がいっぱいあり、埼玉や北海道の人から、京都のモミジはもうきれいに紅葉しているだろうかなどと、メールや手紙に書かれるとやはり気にせざるを得ない。また、このあたりは山に入ってもイロハモミジの木が多い。

 モミジの名所、高雄に来て、石段の途中で買ったものは「モミジせんべい」。モミジの葉の天ぷらにしたもので、なかなか美味しい。そこいらに落ちているモミジの葉を拾って天ぷらにしているかと思ったけれど、聞いてみると去年の葉を塩漬けにして一年置いておき、今年の季節になって天ぷらにするのだそうだ。簡単なお菓子だけれど、それなりに手間を掛けている。天ぷらにしているから中身の葉っぱは赤くなくても判らないから良いような木がしたが、やはり食べると中から赤い葉っぱが出てくる。これが青い葉っぱだとやはり騙されたような気がするのかもしれない。天ぷらは低温で1時間近く掛けて揚げるのだそうだ。そうしないと焦げてしまうとか。それも大変な作業だ。

 いったん川まで下がって、あらためて神護寺の参道の石段を登り返す。日頃の山行に比べれば歩きやすい石段だし、距離もたいしたことはないので楽勝だが、観光客はけっこう大変な思いで登っているらしい。悪態をつき、二度と来たくないなどと言いながら歩いている人もいる。しかし、韓国人、台湾人、中国人などの観光客がとくに多い。最近は日本中どこもこれらアジア人の観光客が多いから、京都が特に多いわけでもない。それにしても韓国人、中国人の団体客はにぎやかである。悪く言えば品がないし、マナーが悪い。そう言って悪口を言う日本人も多い。しかし、ほんの20年前の日本人が世界中でそう言われていたのを思い出した方がいい。彼らは2-30年かかって日本人に追いついたのだ。彼らをわれわれが悪く言う資格はない。

 神護寺の本尊は国宝の薬師如来だ。おそらく1000年近く経っている木像なのだろう。劣化をおそれて灯りは1本の蝋燭だけだから、最初見たときは暗闇の中の黒い像だから、まったく見えなかった。しかし、正座して心鎮めて祈りを捧げて待つうちに、薬師如来の顔がぼんやりと見えてきた。目が暗順応してきたのだろうけれども、いかにも心ある人に仏様がお姿を現すというふうに思える。そして仏の前に静かに正座をしていると、心も洗われるような気になってくる。宗教というのは、やはり原理だけではなくて、その雰囲気で心を支配することだと思った。それでその人が幸せを感じるかどうかなのだろう。



 神護寺は真言宗。弘法大師の木像も特別拝観とやらで見せていただいた。それだけで拝観料は800円。お寺に参詣に行くのにお金を払うというのもなんかしらおかしな気分だが、観光客のほとんどが参詣に行くのではなく、見物に行くのだから、お金を取って当たり前なのかもしれない。それにしても京都はお寺が多く、見物にもお金が掛かる。高雄に行ってもお寺に行かないとモミジが見られない。あちこちのお寺をまわって紅葉見物するだけで、お金が羽が生えて飛んでいく。ああ・・・・。

 急に寒くなってきた。きっと次の週末は綺麗な紅葉がみられるだろう。でも高雄は人の波かも。
  

紅葉はまだまだだけど・・

2008-11-02 | 花と自然
 脚の筋肉痛は3日間続いて治ったが、しばらく山へ行かなかったせいで、今日の山行はまだ脚が辛かった。杉の人工林が続く北山を敬遠して、少し離れた由良山脈を登ってみることにした。

 琵琶湖の西に延びる由良山脈は1000m前後の低い山の連なりである。その北の端にある蛇谷ヶ峰(901m)に登った。天候は薄曇り。晴れるのを期待したが、それでも先週の雨の山行に比べれば天国。人工林でないことを祈りながら登り始める。3連休の中日で、京都駅を出る休日用のレジャー快速列車は山登りの客で満員状態。おかげで近江高島駅からのバスもレジャー快速列車に連絡していたので、待ち時間もなく登山口へ。

 しかし、やはり杉の人工林で薄暗い。尾根に出てボボフダ峠までは杉林で、見るものもなくただひたすら足元だけを見て歩いた。ボボフダ峠とは奇妙な名前だが、由来は調べなかったので判らない。峠からは傾斜も緩い尾根道で、杉もなくなり、なかなか快適な登山道だ。さすがに花は何も咲いていない。モミジもまだ青い。霞で琵琶湖もよく見えない。でも杉林のつまらなさに比べるとずっと歩くのが楽しい。


この尾根道には馬酔木の木が多い。ちょうど伊豆の山、伊豆が岳やら天城峠越えの道を歩いているような気がする。けれども馬酔木の木は伊豆の山と違って低く地面を這っている。冬の風がきっと伊豆なんかよりはずっと厳しいに違いない。

 頂上に近づくとそれでもモミジなどの紅葉が見られるようになってきた。まだ完全に赤くなってはいないけど、それでも秋が感じられる。色づいているのは、カエデの類と、シロモジが多い。コナラはまだ緑色をしている。


 連休でしかも都会に近いポピュラーな山と言うことで、頂上には10人近くがお弁当を拡げていた。私も手作りのおにぎりを頬張り、しかし誰とも口をきかずに、写真を撮ってそそくさと下山した。むやみにコーヒーが飲みたくなったが、北海道と違って、水筒に暖かいコーヒーや紅茶を入れて持っていくと言うことをしなくなった。山水も飲めるし、温かい飲み物でない方がうれしいから、途中で谷川の水を入れていく。重たいからバーナーも持って行かなくなったから、暖かくて甘いコーヒーを飲むことを楽しみに下山を急ぐ。4時間半ほど歩いて麓のバス停にたどり着いた。往復の鉄道とバスが5時間かかった。京都は山へ行くのに不便だ。それでも今日は便利な方らしい。北摂や吉野の山へ行くには片道3時間から4時間掛かりそうだ。

 それでも今日は天候に恵まれて、良い山歩きができてホッとした。これからも京都で山歩きをする元気が出たからだ。花の季節に歩きたいが、今日でも汗みどろになるくらいだから、花の咲く季節は暑くてとてもこんな低山を歩く気にはなれないかもしれない。

京の緑は京の文化を表す

2008-10-30 | 花と自然
京都に来たというと、十中八九が「いいところだね」「いいわね」っていう。たしかに京都は落ち着いたところで、見るところはいっぱいある。名所旧跡をめぐるのが好きな人には、申し分ないところだろう。あちこちに「桂小五郎の立ち寄り先」や「○○天皇がどうとかしたところ」などの建物や寺や神社やあれやこれやが、雨後の筍のように次々と立ち現れる。好きな人には申し分ないところだろう。さすが千年の間支配者が住んでいた都だ。

 緑もいっぱいのいい街だといわれる。たしかにお寺や神社の森は、街の中に緑をしたたらせている。春は桜の花が至るところで満開となり、秋は紅葉が観光客を引き寄せる。しかも多重宝塔や鳥居と組み合わさって、絵になる風景がいっぱいある。まあ、申し分ない街のような気がした。

 しかし、緑の多い哲学の小道や琵琶湖疎水沿いの散歩道を歩いても、もう一つ私には不満が残る。どこか満たされないのだ。最初はそれがなにかよくわからなかったのだが、どうやら、私には京都のような自然とのつきあいがもう一つ好きでないらしい。緑いっぱいの小路にも、実は自然の草花はまったくない。どれもこれも園芸品種であり、雑草は生えてくるのを許されていない。疎水の石垣の間からわずかに芽を出していた雑草でさえも、近所のボランティアのおじさんに、鎌で削り取られているのを見た。

 京都の緑は、作られた緑なのだ。寺院や神社の日本庭園がその見本なのである。街の中も、まるで箱庭のように、手が入れられて、自然の草が生えることを許されない。決定的な光景は、銀閣寺で見た。いろんな種類のコケが生えているが、それに名前をつけて陳列してある。ところが、それらたくさんの種類のコケを、三つに分類して並べてあった。曰く「銀閣寺にとって大切なコケ」「ちょっと邪魔なコケ」「とても邪魔なコケ」と。なるほど、仏教を伝える寺院でも、コケに差別をするらしい。これを見て、京都の町がなぜ私にしっくり来ないのか、そのわけが分かった。

 作り物の自然。それが京都の文化であり、自然とのつきあい方なのだ。やはり私には北海道の大自然が好ましい。

京都北山 雨のデビュー

2008-10-26 | 花と自然
京都に来て、ひと月が過ぎた。ようやく落ち着いた生活が送れるようになった。このブログも新しいものに変えて再出発しようかと思っていたが、休止を宣言した後も、それまでと同じくらい多くの人が見てくれているようなので、せっかくこれまでようやく知られるようになってきたものを止めてしまうのももったいない!というわけで、再び変わりなく復活させることにしました。みなさん、これからもよろしく。

 京都に来てからようやく山へ行く時間ができた。こちらへ来るときに、「近畿地方の山ベスト30」という本を持参して、それから行くところを探してみた。昨日、良い天気に誘われて、大原の寂光院と三千院を散歩してきた時に、大原の里の棚田から向こうに見えた北山連山を、まずは手始めに登ってみようと思った。
 今日は朝起きたら、昨日とうって変わって雨。天気予報を見ると午前中は雨、午後から曇りになっている。空を見ると明るくなってきているようなので、歩いているうちに晴れてくるだろうと、勝手な予報にして、バスに乗り込んだ。歩き始めても、降ったり止んだりの天気は変わらない。
 京都北山といえば、北山杉。杉林を歩くのは奥多摩や奥武蔵の低山で慣れているから、まあ、あんなものだろうと思って歩き出した。1時間ほどで最初のピークの金比羅山(575m)にあっけなく到着。でも手元の高度計は955mを指している。どうやら雨に打たれて壊れたらしい。防水でないので、雨の日は使えない。
 京都北山は、京都市のすぐ北側に連なる低山群で、1000mを超える山はない。いささか不満であるが、昔から京都北山の山歩きは知られているので、それなりの得るものがあるのではないかと期待してきた。しかし、天候のせいかもしれないが、同じ杉の人工林でも、奥多摩や奥武蔵の杉山と比べても、京都北山は暗いという印象が強い。なんとなく陰鬱なのだ。奥多摩の杉林はそれでも明るさがあった。北山は、京の都の近くにあるせいか、山の中に神社が多い。しかも立派なお社だ。そのせいか、どうも山の中になにかの気配がするような気がする。魔物が棲んでいる。カラス天狗が飛んでいるかもしれないというような。



 金比羅山を出発してから、雨が本降りになってきた。今日は大原の里に降り立つまで、とうとう雨が降り続いた。何日も掛けて歩く高山の山旅ならいざ知らず、こんな低山でここまで徹底的に雨に降られたのは、初めてのような気がする。京都の山のデビューとしては、最悪の日だった。しかも、金比羅山から翠黛山(577m)へ縦走する途中に道を迷ってしまった。金比羅山は縦走路から少し外れていたので、もとの縦走路へ戻ろうとしたのだが、いくら歩いても見覚えのあるところにたどり着かない。行ったり来たり、登ったり降りたりを繰り返しているうちに、翠黛山への道標を見つけたが、どうも思っていたのと方向が違う。自分が間違っていたのだろうけど、どうも腑に落ちない。そんなことも北山の神秘性を増幅したのかもしれない。
 翠黛山から、焼杉山(718m)に登る。今日の最高峰だが、それでも700mそこそこしかない。山の頂上にも杉の木が並び立っている。焼杉山からの下山路の尾根筋は人工林ではなく天然林があって、なかなかいい尾根筋の道だからぜひ歩くことを勧めるとガイドブックにあったので、ちょっと期待していったのだが、代わり映えのするものでもなかった。奥多摩など関東の低山の広葉樹林とちがって、こちらには常緑樹が多いことが、やはり明るさのない陰鬱な印象を与えるのかもしれない。
 京の北山デビューは、さんざんな結果となった。これから私は雨男になるかもしれない。関西の山歩きがどうも楽しいものになりそうもないことにちょっとショックを受けた。でもまだ一ヶ所だけだから、これからも期待して行ってみよう。次回を楽しみにしたい。

天上の楽園 苗場山

2008-07-30 | 花と自然
今から20年近く前の頃、どこであったか忘れてしまったが、山の温泉で男の人と話をした。その人は「私は赤湯という温泉宿をやっている」と赤湯のことをいろいろ話してくれた。私は赤湯が苗場山の登山道の途中にあることを知ってはいたが、もちろんまだ行ったことはなかった。苗場山の頂上付近の広大な湿原のことと赤湯は、それ以来結びついて、そこへ出かけることは私の長年の夢の一つであった。今回その夢が実現した。

 本当は今週、北アルプス槍ヶ岳に登る予定であったが、日程がとれないのと最近の私の体調から、槍はあきらめて、一泊程度で出かける山を探していて、前日になって苗場山を決めた。数日前から苗場山の麓の越後湯沢周辺のスキー場で、「富士ロック」という若者のロックグループの大集会が開かれるというので、大音響のロックの響き渡る中で苗場山に登るのは避けたいと思ってもいたので、出発が少し遅れてしまった。

 新幹線で早朝の越後湯沢駅に降り立ち、同乗者を捜して登山口までタクシーを飛ばす。昔は登山口近くまでバスが出ていたはずなのだが、登山人口の減少と車の利用増大で、バスはかなり前に廃止になったという。もっと手前のスキー場までは朝6時半に一本だけバスが出るらしいが、始発の新幹線に乗ってもこのバスには間に合わない。夜行列車もなくなっているので、このバスは不思議なダイアで走っている。

 和田小屋でタクシーを降り、霧と雨の中を歩き始める。昨日の豪雨の後なので、道路がぬかるんでいるが、登山道のほとんどが大きな岩を踏みながらだったので、助かった。合羽を着て歩き始めたが、すぐに雨が止んで、日射しも出始めた。暑いので合羽を脱ぐと今度はまた雨が落ち始める。猫の目のように変わる天候に、汗で濡れるよりはと霧雨の中を雨具をつけずに歩くことにした。幸いなことにその後は強い雨になることもなく、時々の霧雨で頭髪からしずくを垂らしながらも雨具無しで歩き続けた。

 7合目あたりまではほとんど花は終わってしまっており、イワカガミの花の終わった花柄ばかりが目立つ。7合目を過ぎるあたりから、ゴゼンタチバナ、キンコウカ、ニッコウキスゲ、ウスユキソウ、ソバナ、コゴメグサ、ハクサンシャジン、ミヤマシシウド、シモツケソウ、オニシモツケ、トモエシオガマ、オタカラコウ、クルマユリ、ウツボグサなどが次々と現れてきて、やがてお花畑という看板が出ている。
      

 そのあたりから登りは急激になり、呼吸も激しくなるが、高度はどんどん高くなる。かなり疲れてきたころ、ようやく頂上の一角にたどり着いた。それまでの岩の道から一転して湿原の板の歩道に代わり、息をのむようなすばらしい高層湿原を一望にする。湿原の中の板道を歩くとまもなく霧の中に山小屋が見えてくる。小屋の裏庭が苗場山の頂上だ。普通の山の頂上とはまったく風情が違っていて、なにもない普通のちょっとした空き地に頂上を示す木の柱が立っているだけだ。2145m。55番目の「日本百名山」登頂達成だ。


 頂上が広々とした湿原になっているので、いつもならお弁当を食べてすぐに出発するのだが、今日は湿原をゆっくり見て回り、約30分も頂上のあたりに滞在した。平日だがそれでも頂上には10人程度の登山者の姿があった。その後、湿原を縦断して赤湯方面に急斜面を降り始める。昌次新道と呼ばれる道だが、歩く登山者は少なく、今日はたった1パーティに出会っただけだった。歩きにくい道を花を眺めることで慰めながら降っていく。しかし、降ったと思ったらまた登りがあり、上り下りでかなり体力も消耗する。脚がそろそろ棒のようになってきた頃、川に掛かった鉄橋を渡り、さらに急坂を100mも登り返し、ようやく今日の宿「赤湯温泉山口館」にたどり着いた。7時間半歩いた。


 温泉は河原に作られていて、三つある。もちろんすべて露天風呂。たまご湯、藥師湯、青湯。ごく近接してあるのだが、どれも泉質がわずかに異なり、温度も違う。青湯は女性専用となっているが、宿の主人に聞くと今日は他に誰もいないのでどうぞといわれて、三つの湯にそれぞれ浸かってみる。今日ははるばる来たなあ、と感慨深い。20年前の宿の主人との出会いを話してみるが、おそらく先々代のお祖父さんだろうという。80歳になるが、いまだに現役で、夫婦でいつもは小屋番をしているという。夏休みに入ってからは孫夫婦が代わりに小屋をみているらしい。80歳でこの山道を歩いてくると言うだけで驚きだが、いまでもボッカをやっているというのでさらに驚く。上には上がいるもんだ。

 電気もない温泉小屋の夜のランプの生活を少し楽しんで、夜は早めに眠った。夜の温泉には手製の行灯をもって行く。夜中のトイレも同じだ。ぼんやりとした行灯の明かりが心に優しい。宿の泊まり客は私一人。広い客室の真ん中に布団を敷いて眠った。

 翌日は国道までの4時間だけ歩けばいいので、朝もゆっくりと起きた。昨日と違って天気は晴れ。青空が狭い谷間から見える。朝ご飯をすませて、出発。国道からのバスがあまり多くないので、急ぐ旅ではないけれど、バスの時刻に合わせなければならないので、のんびり歩くわけにもいかない。後は下りだけだと思ったが、とんでもない。上り下りが続き、途中は林道を1時間以上も歩く。林道は歩きやすいが、単調なので飽きてしまう。いよいよ最後の山越えと思ったが、最後の1時間は100m急坂を上り、また河原まで一気に下り、さらにまた100mほど急坂を登る。さすがに最後の峠に着いたときは、汗にまみれ、息は切れ、座り込んでしまった。

 長い間の懸案だった赤湯温泉にも入り、久しぶりの日本百名山にも登り、槍ヶ岳はお預けになったけれども、それなりに満足できた山行だった。ちょっと筋肉痛なのは、ここしばらく歩いていなかった報いだ。

2600m関東第2位の山へ

2008-07-10 | 花と自然
お待たせしました。って、えっ? 誰も待っていなかった? 久しぶりに山歩きをしました。といっても病み上がりだし、体力にも自信がない。しかも暑さが心配。ということで、どこへ行くか昨晩悩んだ末、高い山で涼しいこと、しかもあまり歩かなくても良いところを探して、秩父多摩国立公園の最高峰、北奥千丈岳(2601m)を選んだ。この山は2600m級の山で、関東東海地方では、富士山に次ぐ二番目に高い山でありながら、登山口の大弛峠(おおだるみとうげ)からわずか1時間で頂上に登れるというお手軽な山でもある。病み上がりには絶好だ。

 朝6時に自宅を出て、圏央道→中央高速を乗り継いで勝沼インターで降り、そこから塩山経由で焼山林道をひたすら車を駆ける。私の持っているガイドブックは少々年代物なので、この林道はダートでしばしば不通になるので注意って書いてあった。ちょっと心配したのだが、今では立派な舗装道路。こんな山奥にまでなんでこんな立派な舗装道路がいるのかと思うほど。途中、落石もあったり、出水で道路が凸凹になっているところもあったが、無事に大弛峠に到着。付近は濃い霧に包まれていて、大弛小屋もよく見えない。付近は樹冠がシラビソで下生えがシャクナゲ主体の亜高山帯針葉樹林帯だ。さすがに高度があるだけあって植生も道東によく似ている。サンナシ小屋周辺の雰囲気を思い出して懐かしい。



 登山口の大弛峠はすでに標高2300m。地上とは10℃以上気温が低い。長袖を着てきたのは正解だった。歩き始めるとほぼ同時に雨が降り出した。今日は雨を予想していたし、濡れるほどの霧だったので、最初から合羽を着ていたのであわてることはない。10分ほども歩いた頃には、土砂降りに変わった。登りもきついので合羽の中は汗が吹き出る。いつもは頭にバンダナを巻いて汗よけにするのだが、この雨ではバンダナをしても意味がない。やけくそでフードも被らず濡れて歩いた。

 登り始めて10分たたぬまに「夢の庭園」というところに到着。巨大な岩の配置とシラビソとシャクナゲの点綴が日本庭園のようであるところからつけられた名前だ。北アルプスなど日本各地にこのような○○庭園というところがあるが、作り物の庭園よりも自然のままの景色の方が私はずっと美しいと思っているのに、わざわざそこに庭園などという作り物の名前をつけるのは、どうも嫌だ。庭園の方が自然の風景よりも良いはずがないだろう。まがい物なんだから。

 霧の中にギャーギャアーとホシガラスの声が響く。つがいのホシガラスが鳴き交わしているらしい。姿は美しいカラスなのだが、声はやはりカラスだなあ。急坂を登っているうちに雨が上がり、国師岳の頂上に着く頃には薄日が射してきた。国師岳は2592m。やはり一級の高さだ。頂上の巨岩に腰を掛けて昼食にする。今朝5時半に朝食にしたので、さすがにお腹がすいた。晴れていればここから西に金峰山や瑞垣山、東には奥秩父の山々が見えるはずなのに、今日は何も見えない。霧の中にシラビソの枯れ木が突っ立っているのが見えるだけだ。

 亜高山帯の針葉樹林帯なので花もあまりない。もっとも多かったのがミツバオウレンの花。あちこちで咲き乱れていた。ゴゼンタチバナの白い花。コケモモの薄いピンクの花。ミヤマカタバミの白い花は雨に濡れてすべて萎んでしまっている。マイヅルソウの花もちらほら。花はそれだけ。いっぱいあるシャクナゲも花はまったくない。もう終わったのだろうか?それともこれからだろうか?
  
ミツバオウレン                                        ゴゼンタチバナ


コケモモ

 国師岳から分岐点まで下りて南に緩やかな登りの途を登る。5分も登れば今日の最終目標の北奥千丈岳に到着。あまり疲れてもないので、写真を撮ってゆっくり散歩気分で下りに掛かる。この程度の登山なら散歩気分だ。でもしばらくの間、寝たり起きたりの生活をしていたので、筋力は落ちているのが判る。脚を踏ん張っても姿勢が安定しない。もっと筋力を回復しないと北アルプスへは行けないかもしれない。

 わずか2時間の登山は終わり、また長いドライブ。帰りは雁坂トンネルで秩父へ抜けて帰る。距離的にはこちらの方が近いが、高速道路がないので一般道路を渋滞の列に入りながら帰らなければならない。でもガソリン代が高騰している今、高速代が掛からないのは大事なことかもしれない。久しぶりに山に登ったら(散歩程度だったが)、心がすっきりした。不定愁訴も一掃されたようだ。明日からまた元気を出して頑張ろう。さっそく明日から山口県へシンポジウムに参加しに行く。忙しい日がまた始まる。