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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

体が重い もっと歩かねば

2011-05-04 | 花と自然
不順な天候が続いていたが、それでも気温は徐々に高くなり、八重桜も散り始めた。大震災から精神的なストレスが続いて上昇していた血圧も、ようやく普段の値に戻ってきた。しかし、なぜかここ2ヶ月ばかりの体重は、どんどん上昇して、ついに生まれて初めての体重に突入してしまった。ご飯が美味しくてしかたがない。お腹が減ってしかたがない。これもストレス太りだろうとあきらめていたが、山登りをするのには、こんなに体重があっては足にも負担がかかりそうだ。心臓も最近不整脈が起こり始めた。これではいけないと、数日前から歩くようにしているが、昨日は自転車で京都市内を遠くまで出かけた。今日は、久しぶりに山歩きに出かけた。といっても、交通の便利な京都市内の山だ。

 2年ほど前に冬に登った童髭山、またの名を大尾山、近江の人は梶山とよぶ。京都大原三千院の横から登り始め、音無の滝を見て、そこから沢登りが始まる。距離はそう長くないが、沢歩きを30分ほどする。天気が良いので、沢の水がきらきらと輝いて、歩くのが楽しい。やがて沢の上流で二股に別れたところで、尾根の末端にとりつく。そこからは、急登の連続だ。体が重い。あえぎあえぎ登ったら、比叡山から続く主尾根にとりつく。そこからは頂上までほんのわずか。30cmほどの雪を踏んで登った前回に比べれば、楽だったが、それでも体の重さはこたえた。

 前回は、頂上から琵琶湖が広がっているのが見えた。今回は、頂上周辺の木々が葉をいっぱいに伸ばしているために、視野が狭い。それだけではなく、たしかに琵琶湖は見えているのだが、まるで靄がかかったように、視界がはっきりしない。昨日から近畿地方は濃い黄砂に包まれて、まるで黄色い春霞が覆い隠すように、景色がはっきりしない。



 そこから主尾根を比叡山方面に歩き始める。途中、広々とした林道に登山道が取り込まれてしまい、しかたなく林道を歩く。もっともこのあたりの林道は、舗装もしていないし、車もほとんど通らないので、もう夏の日射しを思わせる日の光を浴びながら、のんびり歩くことができた。途中から再び檜の植林地に入り、小野田山の頂上を通過する。急な坂道を下ったところが仰木峠だ。ここで昼食。ようやくここで登山客に出会った。連休というのに、ここに至るまで登山者は一人も出会わなかった。

 仰木峠から京都一周トレイルを通って、麓の大原上野町に下りる。そこから再び大原三千院まで歩き、料亭の前の緋毛氈の縁台に座って、コーヒーを飲む。さすがに今日は観光客が多い。あとからあとから押しかける観光客に逆らうように、麓のバス停まで下り、バスで帰った。今日歩いたのは、3時間半くらい。もう少し歩かねばこの体重は下がらないだろうと思うが、しばらく歩いていないのと、体重が増えたせいで、3時間歩いただけですねが痛くなり始めた。これでは夏の遠出登山は難しい。もう少し歩くことを頻繁にしないといけないと感じた。しかし、5月と6月のほとんどの土日は、もう大半予定が埋まってしまった。歩くことができるだろうか。

桜の花と原発

2011-04-13 | 花と自然
梅の香りは人を癒やし、桜の花は人を狂わせる。
3.11からずっと精神状態が不安定になり、血圧が上昇していた。もっとも被災者に比べればそのくらい何でも無いことなのだが。とくに原発事故のニュースは初体験だったこともあり、しかも未だに終息の気配も見えないことから、気分をふさがせる。

昨年と比べて春の来るのが1週間ほども遅かった今年。春もわれわれの気分に同調したのかも、と感じていた。でも、ようやく桜が咲き、満開になってきた。毎年楽しんでいる近所のベニシダレ桜も、今日あたりが満開だ。毎日何人かの人が朝早くから訪れて、この桜を眺めている。近くの琵琶湖疎水沿いの桜並木もそろそろ満開に近い。疎水の流れに差し出された枝に、爛漫と咲き誇る桜を見れば、こころは浮き立ってくる。



「国難にあたって、花見は自粛しろ」と、品も格も無い都知事が言ったとか。「自粛」を「強制」するとは、論理が通らない。小説家だったはずの知事が言うことかと思うが、それよりもおまえに言われたくないと思った人が多かったのでは無いだろうか。その人が、前回と同じ260万票をとった。東京都民の情けなさ。

それはともかく、桜の花は人の心を狂わせる。いや、桜が咲く頃の陽気が人の気持ちを変えるのだろうか。これから被災地にも桜の花が咲き始める。桜の花を是非とも眺める余裕を持ち、これからの希望に向けての気持ちを持つことができたら、花見は悪いことでは無い。花を見ると称して酒を飲むのは、止めた方が良い。それは、花見とは言い難い。天災に会った人たちを「天罰」だと言い、「我欲」だというのは論外だけれど、人災の原発事故から逃れてきた人には、「天罰」の言葉が似合うかもしれない。あなたたちが原発を受け入れたのでは無かったか。原発避難者の多くが、再び元の街に戻り、原発の仕事をしたいと言っているのを
聞いていると、「懲りない人々」という言葉が浮かんでくる。

何はともあれ、美しいものは美しい。醜い原発は醜い。桜が日本中を巡って咲き乱れるさまを、天災に会われた人々もいっしょに楽しんでもらいたい。


素晴らしい湖南アルプスの景観

2011-03-28 | 花と自然
彼岸過ぎてもう1週間もたつというのに、寒さがおさまらない。この世の終わりのような被災地へ寒さはこれでもかと襲っているようだ。京都でも昨年桜の開花があった日よりもう1週間もたつのに、まだ桜は咲かない。今週、明日か明後日にはきっと桜の開花が見られると思うが、吹く風はまだ冷たい。

 しばらく山歩きをしていない。そのせいか、最近体調が悪い。年のせいかもしれないが、山歩き以外に運動をしない生活なので、山歩きをしないと体調もなんとなくおかしくなるような気がする。でもしばらく歩いていないと足が痛くて歩けないのではないかと心配で、山行の計画もついつい止めてしまい、悪循環が続くことになる。そこでようやく花も咲き始めたようすを見こんで、簡単な山歩きをしてみた。場所は琵琶湖の南、湖南アルプスとよばれる尾根歩きである。4時間ほどの歩程で、最高峰の竜王山でも605mとしばらくぶりの山歩きにはちょうど良い。比叡アルプスを歩いたから、今度は湖南アルプスとしゃれよう。

 結果としてこのコースを選んだのは大正解だった。湖南アルプスは標高400m前後の、比叡アルプスと比べても低い山並みだし、距離も短い。つまらない山歩きになりそうだという予感もあったが、その予感は湖南アルプスの景観の良さに完全に否定された。比叡アルプスが平凡な尾根歩きであるのに比べて、湖南アルプスは奇岩巨岩が累々と連なり、景観はまさに絶景。危険なところはあまりないが、それでも登山道のバリエーションは楽しい。途中の天狗岩などは、鳳凰三山の地蔵岳のオベリスクを思わせる。



 さらに麓の登山道が、落葉樹林の中を流れる渓流沿いにつけられ、基盤の花崗岩を舐めながら流れるさまは、なかなかのものだ。いたるところで、休憩したくなる景観が続く。山も京都の山と違って、明るく、人工林も少ない。

 唯一残念だったことは、このコースが比較的楽なコースであり、しかもこれだけ景観が良いと、当然ハイキングコースとしてよく知られることになり、多くのハイカーで賑わうことだ。今回も、草津の駅からバスに大勢の若者のグループと乗り合わせた。ほかにも貸し切りバスが1台、同じ時間に同じコースを行った。そのために、ハイライトと思っていた天狗岩への登り道は狭い登山道に100人ほどが詰めかけ、大渋滞。少し待ってみたが、とても待ってはいられないと、天狗岩はスキップせざるを得なかった。



 心配していた膝の痛みも、歩行時間が4時間を超えた頃から少し痛み始めたが、歩けなくなるほどのこともなく、下山できた。歩行時間は4時間半。半年ぶりの山歩きとしては、まあまあ良く歩けたと思う。翌日は少し筋肉痛があった。月に1回以上歩いていれば、筋肉痛に悩まされることはほとんどないのだが、さすがに今回は久しぶりだったせいだろう。

久しぶりに1000m峰へ

2010-12-13 | 花と自然
年も押し詰まった今日、今年最後になるかもしれない山行を思い立った。低山歩きでも少しは山らしい山にしようと思って、比良山系の釈迦岳を選んだ。朝ゆっくり出たこともあって、JR湖西線の北小松駅に着いたのは10時20分を回っていた。でもバスを使わず駅前からすぐに登山道に入れるというのが、ここを選んだ理由でもあった。駅を出ると小雨が降っている。今日は晴れたり曇ったりの天気ではなかったのかなと悔やみながらも、たいした雨でもないからと合羽を着て出発する。

 駅前から急な車道を歩いて観光名所の楊梅の滝を目指して登山道にはいる。京都周辺の山がどこも人工林なのとちがって、ここ比良の山は常緑広葉樹林だ。快適に登って雌滝への入り口から登山道を離れる。雌滝は16mの滝だが、その上に20mの中間の滝があり、一番上に40mの雄滝があり、連続させると滋賀県ではもっとも長い滝なのだそうだ。JR湖西線の車窓からもその勇姿が見える。雌滝から滝を回って雄滝に登る。さすがに雄滝は大きいだけでなく水量も豊富で、夏の暑いときならきっと楽しいだろう。だが、今日は雨模様。滝の水滴か雨滴かわからないけど、身体が濡れる。登山道まで登り返して、涼峠へと登っていく。途中、花一と言うところがある。地元の唄の歌詞に、「涼むきあげ 花一下りる 大滝小滝は唄で越す」というのがある。昔、柴を麓の民家に売りに行った山人が涼峠まで汗水垂らして登りあげ、花一の方に下りてくる。下の方の二つの滝までくれば街は近い。もう鼻歌がでる。というような意味だろうと勝手に解釈した。花一というくらいだから、きっと昔は花が咲き乱れる場所だったのだろう。いまでは花が咲くような場所ではない。きっと常緑樹が生い茂ってしまったので、花もあまりない場所になったのだろう。雨はほとんど上がったので、雨具を脱ぐ。

 涼峠に出た。きっと昔はここで峠越えの人が一息入れ、汗を乾かしたのだろう。涼峠とは良い名だ。いまでもここで登山者が休憩するにはなかなか良いところだ。ここから釈迦岳方面の登山道から外れ、寒風峠に向けて歩く。ほとんど上り下りのない平坦な道が寒風峠まで続いている。この道を歩くのは、涼峠から寒風峠までの間に湿地帯があり、なかなか良い風景があるというガイドブックの情報からだった。涼峠を過ぎる頃には、山はほとんどが落葉広葉樹林に変わっていた。落ち葉が地面に厚く散り敷いて、明るい樹林帯が続く。といっても今日は雨模様だから、ちょっと淋しく暗いが。秋の天候の良い頃なら、ここを歩くときっと素晴らしいだろう。天候が悪くてもこの道のすばらしさは、折り紙付きだ。地面はもろい花崗岩地帯。比叡山と大文字山の間にあるもろい花崗岩と非常によく似ている。きっとここまで続いているのだろう。寒風峠までの道は、狭い湿地帯を流れる渓流沿いの道だ。ときおり花崗岩が現れて、美しい渓流の景観を作る。この小川のほとりで弁当にしようとしたが、一番良い場所に親子連れ3人が七輪を持ち込んで料理をしていた。邪魔をしては申し訳ないので、挨拶だけにして私は少し先のあまり景色は良くない川のほとりで昼食をとった。この湿地は川の両側に狭い湿地があるばかりだが。源流に近いところに少し広くなった湿原があった。全体がミズゴケ群落で覆われており、京都に来てから近畿地方で初めてミズゴケ群落を見たような気がする。



 寒風峠のそばは、杉林が広がっている。天然の杉林なのか人工林かよくわからないが、どうも人工林のような気もする。山の上にこれだけ平らな場所が広がっていれば、あの拡大造林の時代に杉を植えないはずがない。寒風峠は名前からいかにも寒風が吹きすさぶ吹きさらしの峠と思っていたが、周りには落葉広葉樹林があり、風はほとんど吹いていない。むかし寒風峠と名前を付けて頃からずいぶん変わったのだろう。風は寒風峠からヤケ山への急登にかかる頃、強くなった。気温が急に下がり始め、雷も遠くで鳴り始めた。前線が通過したのかもしれない。雨もまた降り始めたが、気になるほどではないので、合羽も着ないで歩く。ヤケ山を越え、さらに急登が続く。木の根や石にすがりつきながら登る。今日の登山は標高差が約1000mだ。時間は短いが急登が続くため、かなりきつい。しかし高度はどんどんかせげる。800mを超えた頃から、登山道の周りに雪が現れ始めた。やがてまだらな雪がつながり、ヤケオ山に着く頃は、一面の雪原となった。降ってくる雨もどうやら雪に変わったようだ。気温は0℃近くになったらしい。合羽を防寒着代わりに着て歩く。手袋も出して防寒をしないと手が凍える。

 ヤケオ山から釈迦岳まではほとんど上り下りのない尾根歩き。危険はあまりないが、それでも雪があるので、左側の崖に滑り落ちないように、慎重に歩く。ガイドブックには、この尾根歩きは左に琵琶湖を一望にしながら歩けると書いていたが、今日は雲と霧に覆われて、展望はまったくきかない。周りの葉を落とした樹木の幹と地面の落ち葉と雪を見ながら歩く。この尾根はしかし、芽生えの頃にはきっと美しい林なのだろうと想像できる。地面にはいっぱいのイワウチワの群落が広がる。春はこの薄いピンクの可憐な花を楽しみながら歩けるのだろう。



 釈迦岳頂上に到着。標高1060m。久しぶりの1000m超えだ。一面の雪と霧。頂上と言っても展望はない。写真だけを撮って早々に下り始める。帰りはリフトかロープウエイを利用しようと思っていたから、もうそんなに歩く必要はないと高をくくって歩き始めたが、なかなかの急坂で、下るのも大変だ。途中、シャクナゲの大群落に出くわした。大木になっているシャクナゲが青く大きい葉を拡げている。もちろん花はないが、立派なシャクナゲに感動した。そこでふっと思い出した。「比良のシャクナゲ」という井上靖の小説があったなあと。昔読んだことがあるが、中身までは思い出せない。でもたしかに比良のシャクナゲという題だった。これがその比良のシャクナゲなんだなと、あらためて思った。春にはきっと素晴らしい花を咲かせるのだろう。小説になるほど比良のシャクナゲは有名だったんだ。比良に来たこともなかった私はその小説を読んでも何の感興も起こさなかったような気がする。

 リフトの駅までほうほうの体で下りたが、リフトの駅は閉鎖。どうやら動いていないらしい。ロープウエイも動いている気配はない。しかたなく歩いて下りる。歩き始めてそろそろ4時間を超えた。急な下りで足が痛み始めた。標高500m付近まで下りたところで、足が痛くて歩けない。足を引きずるようにしながら、痛みをこらえながらの下山だ。リフトが動いていればと恨み節もでる。リフトの下の駅までようよう下りたが、そこにあるはずのバス停もなくなっている。ちょうど前後して下りてきた人に聞くと、ロープウエイもリフトも数年前に閉鎖し、したがってバスも無くなったとのこと。琵琶湖畔のJRの駅まで歩いていくほかないとのこと。いや、泣きたくなったが弱音は見せられない。舗装道路になったので、足の痛みはごまかしがきくようになった。結局、1時間以上かけてJRの駅まで歩いた。比良山系は主峰の武奈ヶ岳を始め、有名な山が多く、登山者もきわめて多い山だったが、ロープウエイを利用できなくなって、いまではほとんど登る人が亡くなったと聞いた。武奈ヶ岳に登るのも倍近い時間がかかるから、登れる人が限られてくる。今では登山道も荒れてきているという。これは何とかして欲しいものだ。

愛宕山に登る

2010-10-23 | 花と自然
先週比叡山に登った。今週は愛宕山に登った。愛宕山は京都市内でもっとも高い山なのだそうだ。924mと1000mには届かないが、それでも京都にしては高い。比叡山の843mよりも100m近く高い。愛宕山は信仰の山で、頂上は愛宕神社の境内になり、登山路も神社の参詣道なので、かなり雰囲気の違う山だった。

 観光客でごった返す嵐山からバスで清滝終点まで乗る。照明が無く、車が離合できない狭い清滝トンネルを抜けると、清滝の集落に着く。そこから登山路いや参詣道が始まる。いきなりの急登。階段がかなりの傾斜で続いている。この参詣道は、頂上に向けてほとんど直登なので、傾斜はかなりのものがある。しかも、高低差は800mもあるので、気軽な山の割にはかなりのバイトを強いられる。道は広くて頂上までまったく迷いようがないほど明らかだ。地図も持っていかなかった。

 さすがに休日でもあり、登山者は多い。ひっきりなしに人が行き交っており、登山というのもおこがましい感じだ。しかも子ども連れが多い。子どもの手を引いたお父さんやお母さんたちが、次々と登っていく。しかし、直登でこの傾斜は、正直言って私にはかなりきつかった。でも小さな子どもも果敢に登っていく。危険なところはまったくないので、親も安心なのかもしれない。三歳くらいの男の子が、登るの嫌だと言って泣きわめいていた。そのそばを追い抜いて登ったのだが、頂上から引き返すとき、この男の子がお父さんの手を引いて、頂上近くまで登ってきているのを見た。時間を掛ければ難しい山ではないので、子供たちを連れてくる人が多いのだろう。

 頂上まで2時間。途中、5合目から7合目までの間は、多少緩やかな道になるが、それ以外は急な階段がどこまでもまっすぐに伸びている。下の方は石段だったが、そのうち杉の木の階段に変わった。5合目付近は背が高く、いい常緑広葉樹の林が続いているが、それ以外は杉の植林だ。石段は杉の木立と合って、いかにも京都北山の雰囲気だが、あまりうれしい風景ではない。


 頂上の境内は、公園のようになっていて、登山客で大賑わいだ。それをみて、愛宕山は市民のピクニックの場なんだなあと実感した。しかし、比叡山がロープウエイやハイウエイがあり、歩いていく人は少ないが、この愛宕山は歩く以外に頂上に行く手段がない。頂上にあるものはすべて今でもボッカをして持ち上げているらしい。ジュースの自動販売機が一台だけあったが、ジュースも200円や300円している。高いなあ、ぼってるなあ、と横にいたお兄さんたちが言っていたが、この坂道をボッカして持ち上げることを考えたら、200円くらい高いとは言えない。

 境内に石碑のようなものが立ち並んでいた。書いてある文字を見ると、「愛宕山 参拝登山3000回記念」と書かれている。1000回記念という石碑はいっぱい建っているが、3000回記念の石碑は10本くらいか。毎週の休みに登ったとしても、年間50回がせいぜい。1000回登るには20年かかる。3000回だと、60年だ。毎日登ったとしても、年間せいぜい300回、それを10年だ。毎日登って10年!とても信じられない。そういえば、老婦人があの階段を駆け上り駆け下りているのを見かけた。すごいなあ。きっとあの人も毎日のように登っており、何千回とか言いながら、石碑を作るのを指折り数えているんだろう。すごい人がいるもんだなあ。それに比べて、私は明日あたり筋肉痛が起こりそうだ。上り下りに結局4時間かかった。比叡山でも膝の痛みがあったが、今日はなかった。少しずつ山歩きに慣れ始めたようだ。


久しぶりの山歩き

2010-10-07 | 花と自然
今年の夏はいつまでも本当に暑かった。彼岸過ぎて急に涼しくなったが、昨日今日とまた27~8℃と夏が帰ってきたような暑さだ。もう10月なのに、今年の異常さは昨年の異常さを超えて、さらにいっそう大きくなった。先週から秋風と共に香り出した金木犀の花も、再びの暑さに色あせて見える。

 暑さのために山歩きを控えていた。ほぼ三ヶ月ぶりに山歩きをしてみた。三ヶ月というもの、ほとんど歩くことがなかった。コンクリートの道を少し歩くことがあったが、一日1000歩以下の日がほとんどだったと思う。さすがに体重は高止まりで、体は夏ばてをしているのに、いっこうに減らなかった。運動不足で血圧も高め。これではそろそろダメになりそうということで、足慣らしに歩き始めることにした。まずは、最も近くの大文字山、またの名を如意が岳。500m程度の山だけど、自宅から歩いて簡単に行けるので便利だ。

 銀閣寺の裏から歩き始めて、10分ほども歩いたとき、左の膝が激しく痛み始めた。4年ほど前に北アルプスに登ったときに感じた痛みと同じだ。しかし、あのときは5時間ほど歩いた後だった。痛い足を引きずりながらそれでも9時間歩き通した。今回はわずか10分歩いただけだ。休み休み騙し騙し歩いていたら、そのうち痛みが無くなった。おそらく永らく使わなかったところが、急な山歩きに驚いたのだろう。そのうち、慣れてきたようだ。五山の送り火の東大文字の火床にある展望台までそれでも25分でたどり着いた。まだまだ暑いので、汗が流れる。さすがに体が重い。これから少しずつでも歩いておかねば、もう高い山には登れなくなるかもしれない。

 少し休んで歩き始める。火床の周りにいくつかオミナエシの花が咲いている。秋の七草のオミナエシとオバナ(ススキ)がここで見られる。そういえば、仲秋の名月をここで眺めたら良いだろうな、と思ったことがあったが、結局来ることはなかった。来年もし京都にいるようなら、ぜひ仲秋の名月を見るためにここに登ろう。いや、上賀茂神社の古式豊かな観月の夕べのほうに行こうかな。

 頂上まで登って一休み。汗が顔を流れる。銀閣寺の山門から頂上まで45分かかった。頂上付近で年取ったおばあさんたちが登ってくるのに何人も出会った。近くに住んでいる人たちだろうか。荷物も持たず杖一本で歩いている。そういえば、すぐ近所のおばさんは、毎年100回は大文字山に登るのだそうだ。私は京都へ来てから二年。その間に大文字山には10回程度は登っている。それにしても年100回とはすごい。別に登山を趣味にしているわけではないようだが、健康のために老人がそのように登っている。

 頂上から下り始めると、秋の日はつるべ落とし。林内ははや暗くなった。杖一本のおばあさんたちは、明るいうちに下りられるのだろうか。人のことを心配しながら、暗くなりかかった山道を下っていった。帰り道、登山口近くまで下りたとき、林道のどん詰まりのところで、二人の男女の若者を見かけた。その格好を見て驚いた。いわゆるコスプレとかいうやつなのか。漫画のベルばらに出てくるような格好をして、二人で写真を撮り合っている。杖を突いて山に登るおばあさんと、山に登らず麓でコスプレごっこをしている若者たち。なにか大きな時代の流れを感じた一日だった。

 さあ、気温が低くなってきた。歩き始めるぞ~~~。

大台ヶ原 観光客と山

2010-07-19 | 花と自然

一年に350日雨が降るといわれる大台ヶ原。年間降雨量は5000ミリを超えるという。その大台ヶ原に梅雨明けの一日、出かけた。今度も加賀白山登山をあきらめて、大台ヶ原にやってきた。大台ヶ原は、吉野熊野国立公園の中にあり、山伏修行で有名な大峰山系のとなりの山系にある。頂上付近は広大な平原状をなし、雨の多さから苔が岩や木を覆う深い樹林が特徴であった。青木ヶ原の樹林が標高1500m付近の頂上に広がっているようなものだった。ところが、近年、樹林が枯れ始め、下草にミヤコザサが一面に覆うようになり、苔に覆われた樹林帯は姿を消してしまった。いまは頂上のすぐ下に広がる正木ヶ原の枯れたシラビソの幹が立ち並ぶ風景が大台ヶ原の風景になってしまった。

 その変化の原因に鹿による食害を挙げる人が多い。現地で自然再生の試みを行っている環境省などの事業でも、鹿を追い出す防鹿柵を延々と並べている。たしかに鹿の影響もあるだろうが、それはしかし、結果であって原因ではない。原因はあきらかに人間にある。大台ヶ原ドライブウエイは、この山系を縫って延々と続いている。そこに連休や紅葉の時期には無数の車が列を作る。頂上付近にある駐車場は満員だった。このドライブウエイの建設が、現在の大台ヶ原を作ったといって良いだろう。それを鹿のせいにするのは、自分たちの愚かさを指摘されたくない人たちの言うことだ。そしてそれを真に受ける研究者たち。

 私は麓の駅からバスに乗った。一日たった一便のバス。連休のこの日でもそれが二便に増えるだけだ。なのに乗客はたった5名、帰りのバスは4名だった。大台ヶ原の道に溢れている大勢の人たちはほとんどすべて自家用車で来ている。

 大台ヶ原の西半分は、現在、原則として入山禁止になっている。特別の許可をもらった人が人数を限って西大台ヶ原にはいることを認められる。それも有料である。この制度は始まったばかりなのだが、自然をとりもどし、保全するために試験的に始められた。一方、東大台ヶ原は、観光客のために道路は整備され、木道がかなり設置されている。車で来た観光客がかなりの部分を革靴でも歩ける。Gパンにサンダルの若者たちがウロウロしているかと思うと、本格的な山姿の登山者もいる。標高1500m付近は高原のさわやかな風が吹いている。

まずは、観光客に混じって大台ヶ原の最高峰である日出ヶ岳(1695m)に登る。写真で見ていた木の階段はさすがに息を切らせたが、距離はほんのわずか。あっというまに頂上である。それでもさすがに歩けば汗がしたたり落ちる。頂上でお弁当を頬張り、ゆるゆると大台ヶ原周遊のコースにかかる。近年の大台ヶ原のシンボルであるシラビソの枯木の立ち並ぶ正木ヶ原を通るが、こんな風景は北海道のトドワラでよく見ているので、あまり感動もない。どんどん歩く。

 尾鷲辻からコースを外れて堂倉山を目指す。登山道もなく、大台ヶ原の本来の自然が多少とも見られる。苔に覆われた岩や樹木を見ながら、踏み跡を探しながら歩く。最初はしっかりした踏み跡があったが、そのうちよく分からなくなった。それらしいものを探しながら歩くが、どうもはっきりしない。そのうち誰かが付けたテープを目印にどんどん下っていくと、とうとう沢に降り立ちそれ以上行けない。テープも無くなってしまった。その近くで大きな枯れ木が目に付いた。幹にツキヨタケがびっしりと付いている。そしてその幹の下の方を見てびっくり。あきらかに熊が木の幹を削って穴を開けた跡が見える。大台ヶ原にはツキノワグマがよく出現しているというのをネイチャーセンターで見てきたところだ。木くずは真新しい。きっと昨日か今朝の仕業だろう。ちょっと警戒を強めて、どうするか考えた。どうやら堂倉山への道には迷ったらしいし、このまま沢を越えることもできそうもない。そう決まればすぐにコースに戻ることにした。

 コースまで戻る途中、灌木のミヤマシキミが美しい葉を拡げているのを見、美しいきのこのオオダイアシベニイグチを見つけた。コースを外れて歩いた成果だ。コースだけではやはり得るところは少なかっただろう。だが、時期が遅くてツクシシャクナゲの美しい赤色は見られなかった。バイケイソウの花はいまが盛りだ。



 コースに戻って大蛇ヶに向かう。なかなか高度感があり、今日の中では唯一高山の雰囲気を味わえるところだった。大峰山系はこのような峨々たる峰が続くらしい。とすると、大台ヶ原は、奇跡のような場所なのかもしれない。コースを全部回ってバス停に帰り着いた。合計4時間。コースを外れて歩いた時間が約50分だから、コースタイムよりは早く歩けたようだ。一月に35日雨が降るとか、年間350日雨といわれる大台ヶ原だったが、梅雨明けから2日目、無事に雨にも遭わず歩くことができた。奇跡的かも。日本百名山56座目だった。

帰りのバスもがらがらだ。テープの観光案内を聞きながらつい眠り込んでしまった。窓の外は大台ヶ原から西に向かう吉野川の流れだが、川砂利を採取している事業所があちこちに見られる。川を管理するという名目の事業もいろいろなされているようだ。川をもういじらないで欲しい。川が死にかかっている。吉野川、熊野川などの大きい川の水源である大台ヶ原の自然をこれ以上壊さないようにしたいものだ。

雨の京都東山

2010-06-20 | 花と自然
今日は朝から降ったり止んだりの天候だった。今年初めの予定では、この週末付近で2泊3日の予定で、加賀白山に登りに行こうと思っていたのだが、ネットで調べると白山の登山口までの道路が工事で通行禁止になっており、登山口までの定期バスも運休している。これではレンタカーで行っても林道手前で下りて歩かねばならない。別の登山口からなら登れるかもしれないが、まだ歩くのも体が慣れていないので、白山はあきらめた。その代わりにもう少し楽な、しかしそれなりの高さのある山へ行こうと計画していた。ところが仕事が忙しくなり、天候も雨続きの予報で、梅雨だから雨が降るのは当然なのだけど、やはりなんとなく行く気がしなくなり、結局今日になってしまった。

 なんとか少しは歩かねばと思って、やはり先週に続いて京都東山を歩くことにした。ガイドブックをみると、東山三十六峰の最高峰は「如意ヶ嶽」(472m)らしい。良く散歩がてらに登る大文字山(466m)とほぼ同じ高さだが、最高峰となると登らないわけにはいかない。今日は如意ヶ嶽を目指して登ることにした。

 如意ヶ嶽は大文字山頂上から40分のコースとか。たいしたことはないだろうと、歩き始めた。大文字山は何度も歩いているので、少し違うコースをとることにした。表登山道はいつも多くの人で賑わっており、できれば日曜日の今日は避けたい。そこで、表登山道を登り始めてすぐに横道にそれて、中尾城趾を通る尾根道に出る。京都の東山に限らず近くの山は裏道が縦横無尽に通っていながら、道標が無いところが多い。分岐に来てもどちらの道へ行けばいいのか皆目分からない。地形図を見てもそのような小さな道は書かれていないことが多い。都会に近い低山だから、道を間違っても下りていけばどこか民家のあるところにたどり着くだろうから、遭難というような事態にはならない。だからほとんど道標がないのだろうけど、迷うときは迷うのだ。

 今日も、まず中尾城趾への道が分からずにうろうろした。やがて沢沿いの踏み跡を見つけたが、それからもいくつかの分かれ道でどちらへ行けばいいのか分からず、行ったり来たりを繰り返した。今日のように裏道を歩こうとすると、とくに道標のないことで困ることが多い。書かれている場合でも、ビニールテープに誰かがかなり昔にマジックインクで書いたもの程度だ。

 この大文字山の北側を通る裏道は、途中もほとんどが広葉樹林で、緑のトンネル状態。素晴らしい道だった。いま木々は花の季節を迎え、足元にも樹木の花が敷くように落ちている。ソヨゴやエゴノキのように見れば名前が分かる花もあるが、大部分は花びらのない地味な花が多いから、名前は分からない。やがて頂上近くで表登山道と合流。多くの登山客といっしょになる。幼稚園の団体も登ってきている。遠足なのだろうか。

 頂上でにぎりめしを頬張っていたら、雨が降ってきた。しかも激しい雨だ。急いで合羽を羽織り、フードをかぶる。暑い低山なので今日はショートパンツだったから、合羽は上着だけにしたが、そのためにショートパンツはすぐに水浸しになってしまった。樹林帯の中で雨を避けようとしたが、とてもそれで避けきれる雨の量ではなさそうだ。あきらめて、如意ヶ嶽まで歩くことにする。強くなったり弱くなったりする雨の中を進むが、二つ目の分岐で、またもや道が分からない。5つに別れているが、如意ヶ嶽という名前がない。おかしいと思って2度も道を探して行ったり来たり。地図とガイドブックを見ながらおそらくこの道だという見当を付けて歩き出す。雨はますます激しくなってきた。

 しばらく歩いてから、この道に間違いないと確信を持った。分岐からしばらくは踏み跡程度だった道が、狭いけれどしっかりと固められた道に変わってきたからだ。30分ほど歩いたところで、頂上に近づいたと感じた。ところがいきなり登山道を遮って金網が張られている。どうやらそこが頂上のようだが、頂上には国交省の無線施設が建っており、金網で周囲を囲って立入禁止になっている。東山の最高峰にせっかく来たのに頂上に足も踏み入れられない。国もこんな施設を頂上に作るなら、登山道を迂回させるなど、登山者に配慮して欲しいと思う。無線施設がもっとも高い部分に作りたい気持ちは分かるが、それならそれなりに他の利用者にも配慮しても良いのではないだろうか。

 雨も激しく降っているし、頂上は立入禁止だし、ここにいるのも腹が立つばかりなので、さっさと帰ることにした。雨はますます激しくなり、合羽を着ていても体はほとんど濡れ鼠。上半身は合羽で守られているが、シャツは汗で濡れていて、上下共に全身ずぶ濡れと言う感じだ。ここまで濡れれば何も怖くない。気温も30度近くあり、濡れても凍える心配はなさそうだし、頭と顔は濡れた方が涼しいくらいだ。道路はほんの少し前と様相を異にし、まるで川底を歩いているようだ。滝が所々できている。滑らないようにだけ注意しながら、帰りは表登山道を歩いた。人も少なくなっているだろう。幼稚園の子供たちはどうしただろうか。昨日は風雨の中で野外教室に出かけた中学生がボートが転覆して死者も出ている。低山とはいえ、幼稚園の子どもにとってはかなり危険だ。雨の中を飛ばしながらそう思っていると、麓にたどり着く手前で子供たちを追い抜いた。彼らもがんばっている。疲れたようすの児もいるが、まあ無事そうだ。銀閣寺の横道に下りたときには、雨も小降りになっていた。梅雨の山歩きは雨はしょうがない。来週は白浜の海に出かけるが、雨はどうなるだろうか。

比叡アルプスを歩く

2010-06-12 | 花と自然
家族の長期入院を機に、山へ行かなくなってちょうど一年が過ぎた。そろそろ山行きを復活させたくて、山歩きを始めた。京都周辺では高い山はないので、時間が限られていれば近くの低山を歩くしかない。昨日に続いて30度を超えた京都では、低山歩きは暑さとの闘いになるのを承知で、京都東山で歩くところを探していたら、比叡アルプスという名前に行き着いた。アルプスと名前が付いているが標高は500m未満の尾根歩きだ。しかし、ガイドブックにある落葉広葉樹の林が素晴らしいという言葉に惹かれた。なぜならこれまでいくつか歩いてきた京都東山はほとんどが杉と檜の人工林で、林床は昼なお暗いというあまりにも楽しくない山ばかりであったからだ。

 比叡アルプスという名前は聞いたことはあったのだが、どこにあるのか知らなかった。比叡山には何度も登っているが、比叡アルプスという名前を比叡山で見たことはなかった。きわめてローカルなガイドブックを見ると、自宅から近い瓜生山経由でいけることが判明。さっそく行くことにした。

 自宅から10分ほどで小川が流れている山道を歩き始める。登りもきつくない坂だが、早くも息が上がり始める。長い間歩いていないことや、体重が最大値に近いこともあって、体が重い。あえぎながら登ると40分足らずで瓜生山の頂上に到着。朝早かったためか、人影はない。休まず頂上を越えて地蔵谷に降りる道を進む。急な坂を20分くらいで不動寺川の地蔵谷に到着。そこから川を遡るが、道らしい道はない。川を横切り踏み跡を探しながら歩くと、そのうち登山道がはっきりしてきた。ぐんぐん急な坂を登ると尾根の末端にとりつく。そこが比叡アルプスの末端だ。そこから一本杉までの尾根が比叡アルプスと言われている。末端では標高はわずかに350m程度。

 比叡アルプスの行程は、2時間と書いてあった。少しずつ歩くテンポを取り戻してきた。尾根歩きなのでいくつかのコブを上り下りするのは少々うっとうしいが、アルプスといえども低山なので、緑の木陰が涼しくて良い。登りも多くないので、快調に飛ばす。このコース沿いは人工林はまったく見えないので、気持ちが良い。緑の森林浴をしながら歩く。このあたりの地質は周りの東山連山と違ってもろい花崗岩だ。昔、縄文時代に人間が住み着くよりもずっと昔に、このあたりにマグマが吹き上がったらしい。噴火を伴わないマグマの突き上げがあり、地表に出てきたマグマは急速に冷えて固まったため、きわめてもろい花崗岩ができあがった。そして比叡山よりも高い山ができたという。しかし、風化が早く、今では小さな山と尾根が残されているだけだ。ここからの川の流れが風化した花崗岩の砂を運び、川底は今も白い。白川の流れはこの花崗岩砂に由来する。近くの比叡山への登路には、雲母(きらら)坂と言う名前もあり、これも花崗岩砂から来ている。昔、京に都が作られて以来、公家や僧侶の家、寺院などの建築にこのあたりの花崗岩が切り出され運ばれた。今でも上賀茂神社や竜安寺など庭に敷き詰められる白い砂はこのあたりから取られている。比叡アルプスを歩いていると、尾根道は白い砂で明るい。子どもの頃歩いた故郷の山の風景がよみがえってきた。故郷の山では花崗岩で土壌は白く、そこに松の落ち葉が積もっていた。

 比叡アルプスを3分の2ほど来たところで、向こうからやってきた人に出会った。今日初めて会う人だ。しかし、その人は山歩きをしている風ではない。彼は私に比叡アルプスの行程を尋ねた。ここまで1時間ほどかかったと言うと、げっそりしたような顔をして、私が歩いてきた道を下りていった。話を聞くと、彼の友達が比叡アルプスの途中で滑落したという。その現場に行くところだという。そういえば、途中の木の枝に奇妙な形でタオルが結びつけられていたのを思い出した。まるで印を結ぶようなふうに。あれがそうだったのか。比叡アルプスは低い尾根道だが、痩せた尾根がところどころにあり、まったくの初心者が歩く山ではない。低い山でも滑落すればそれなりに危険だ。しかもこの地質は滑りやすい花崗岩の砂が尾根道に乗っている。ちょっと足を滑らせても、命を失う危険さえないことはない。

 比叡アルプスの終点は標高550mの登仙台である。そこではNHKのテレビ塔が立ち、その周りの立派なカシやナラの木がテレビ塔関係の工事関係者によってばんばん切られている。たとえ所有者であってもこの木の切り方は許されるものなのだろうか。NHKのテレビ塔の高さよりはずっと低く、しかも下に下った斜面の木が切られているのだ。

 登山道をテレビ塔が断ち切るように立てられているので、テレビ塔の金網の横の落ちかかったような登山道でテレビ塔を回り込みながら登仙台に到着する。そこには一本杉の名前の由来である立派な杉の木が立っていた。樹齢1000年くらいはあるのだろう。ひょっとすると平安の時代から京の都を見てきたのではないだろうか。しかし、周りはコンクリートで固められ、駐車場の片隅に押し込められたように立っていた。比叡アルプスの美しい広葉樹の林からいきなりコンクリートの塊に囲まれてしまったので、一本杉の下で昼食にしようと計画していたが、ただちに中止。もときた道に戻った。

 昼食のおにぎりを食べて、比叡アルプスとほぼ並行して尾根の中腹を走る別の登山道を歩いてもとの瓜生山まで帰った。この道は平坦で、まるで林道のようにのんびりと歩ける。その分、尾根道とは違った楽しみがある。もとの小川のほとりから街のなかに出てきたのは、12時半。今日は4時間歩いたことになる。家に帰ってみると体はくたくた。足は痛くてメタメタ。この程度の山歩きでこんなに疲れたのは初めてのような気がする。これでは高い山を長時間歩くのはとても無理だ。少しずつ歩いて、また遠く高い山を目指したい。

ホタルの季節が過ぎていく

2010-06-11 | 花と自然
今年も京都銀閣寺付近を流れる琵琶湖疎水に飛ぶホタルが夏の訪れを教えてくれた。夕ご飯を食べた後、毎日のようにホタルを見に出かけている。なにしろ家から歩いて1分で行けるのだから、ついつい毎日出かけてしまう。闇夜にふわふわと舞うゲンジボタルの幽玄の火を見ていると、心が洗われるように思える。ついつい口数も減り、小さな橋の欄干にもたれて、黙って夢中になって眺めている。ふと気がつくと隣に知らない人が並んで黙ってホタルを眺めているのに気がついてびっくりすることもある。みんなホタルの光に感動しているのだろう。

 今年は昨年よりホタルの数が多いようだ。ところが、見に来る人が今年はぐんと増えた。学生のような若者が群れをなしてやってくる。若い人もホタルの火をみて感動するのも良いだろうとうれしく思うのだが、彼らは一人や二人で来ない。なぜか大勢で群れをなしてくるので、黙ってホタルをみて感動するというのとはちょっと違う。ぺちゃくちゃしゃべって、とにかくうるさい。黙ってみて欲しいと隣で静かにみている私は思うのだが、彼らはホタルを見に来るという機会を作って、おしゃべりに来ているとしか思えない。

 疎水には桜などの木が植えられているが、その周りは住宅街だ。街灯もある。ホタルがか細い灯りをともしているのだが、周りの街灯や家の照明、自動販売機の照明など、明るくて、肝心のホタルが見えにくい。せめてホタルの季節くらいあたりを暗闇にして欲しいと思うのだが、ホタル?そんなもの何になるの?と思う人が多いのか、疎水のホタルを守る会の人が照明を暗くして欲しいと頼みに行くと、けんもほろろにされることもあるという。もちろん、協力してくれる家も多いが。

 ホタルは一年の長い間幼虫で水の中で生活する。成虫になって地上に出てくるのはほんのわずかの期間。餌も食べず、水だけすすって短い命を光り続け、生殖を果たすと雄は死に、雌も卵を近くの土やコケの中に産んで死んでいく。ホタルの短命を思えば、その間だけでも灯りを最小限にするくらい何でもないと思うのだが、人の価値観もさまざまだ。

 価値観と言えば、昨年は多くのホタルが明滅していた京都の街中を流れる鴨川の上流の高野川だが、今年はどうやらほとんどホタルがみられない。昨年、かなり大規模は河川改修が行われたり、河床を重機を使って整地したりしたようなのだ。ホタルがいなくなるのも当たり前かもしれない。一部の人がホタルのために河床の整地に反対したそうなのだが、結局、実施されたという。ここでも価値観の違いが鮮明になる。川は自然に水の流れによって流れ、生き物もそこに住み着くのだが、川はただ人間に牙をむかないように水を流すところだということに価値を見いだす人もいる。行政に携わる人はどうやらそういう教育を受けているのかもしれない。悲しい日本のお役所だ。

 疎水でもホタルがたくさん飛んでいるところと、ほとんどいないところがある。歩きながらみていると、やはり木や草が生えて、茂みが適度にあるところでは、ホタルも多い。河床にさまざまな変化があるようなところにも多い。これはホタルの幼虫の餌となるカワニナがそういう複雑な地形に集まることによる。疎水はもともと人間が作った用水路なので、あまり自然がないのだが、それでも多少とも自然に近いところにホタルは集まっている。地元の人が一生懸命草を抜き、ゴミ一つ無いように掃除をしているようなところはやはりホタルも棲みにくいのだろう。

 今夜もホタルを見に行こう。疎水のホタルを毎日数えている地元の自治会の人の話によると今年のピークは6月2-3日頃だったそうだ。ちょうど私は京都を離れていた時期だった。そのときは、わずか200mくらいのあいだに、700匹くらいのホタルが飛んでいたと言うから、驚きだ。今はもう200匹くらいに減っているらしい。あと一週間もすればホタルの影もなくなるだろう。短い命を燃やしているホタルの生き様を、今夜も静かに見つめておこう。