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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

ホタルの光ようやく

2010-05-30 | 花と自然
一度しまった冬物の衣装やマフラーなどをまたタンスから掘り出して来なければならないほど、今年の天候は不順だ。もう5月の終わりだというのに、3月頃の気候になっている。暑くて困るよりはいいが、なんとなく気持ちが悪い。

 ここのところの不順な天候のせいか、昨年よりも10日ほども遅れて、京都の琵琶湖疏水でゲンジボタルがようやく飛び始めた。なかなかホタルが現れないので心配していたが、昨日から疏水の植え込みや石垣の上でゲンジボタルの明るい明滅が見られるようになった。しかし、寒さがまだのこるせいで、ホタルもほとんど飛ばない。じっと草むらや木の枝、石の上に止まったまま、しずかに光を放っている。今年はいつ頃までホタルの飛び交う姿が見られるだろうか。明日から千葉の海に出かける。帰ってくる頃にはきっとホタルも元気に飛び交っているだろう。楽しみだ。

桜、桜、そしてまた夜桜

2010-04-04 | 花と自然
久しぶりに良く晴れて、一気に春が来たように暖かだった今日の日曜日だった。みんな外へ出て浮かれていたように見えた。ちょうど桜も満開に近く、各地で花見の人で賑わったようだ。私も浮かれて花見に出向いた。テレビでやっていた京都平野神社の桜が見事に思えたので、出かけてみることにした。京都市内はあちこちで交通渋滞が始まっている。それでも家から30分くらいで平野神社に到着した。道路の反対側から見ただけで、その賑わいが察しられる。道路の人波が次々と赤い鳥居の中に吸い込まれていく。鳥居の下に着てみると、境内の空がピンクに染まって見えるようだ。どうやら桜は満開らしい。しかも、食べ物屋の出店が建ち並び、紅白の幕で仕切られた花見の桟敷席が用意されており、まさにお祭りのようだ。



 昔、東京に住んでいた頃、上野の花見に行って驚いたことがあった。とにかく人が多くて、桜を見ている人なんかいなかった。ほとほと人の波に酔い、埃にまみれ、疲れ果ててもう二度と上野に花見になど来るもんかと誓った事があった。今日の人はその時とは比べものにならないほどの少なさではあったが、それでも人の多さに驚いた。桜の木も100本くらいはあったのだろうか。でも桜の花はにぎやかに咲いているので、それで良いのだろう。桜の花見は、花を愛でると言うよりは、その華やかさと賑やかさが人々を満足させるのだろう。私は、40品種もあるという平野神社の桜の品種を見て歩いたが、ソメイヨシノは満開だったが、それ以外の品種はほとんどまだ咲いていないものが多かったので、どの花が何という品種なのかはよく分からないままだった。もっとも40品種も一度に咲いていたのでは、とても覚えるのもできそうもない。

 桜の花の下に懐かしい春の草花が咲いている方に、私の関心は向いていた。なにしろ、京都の町はきれいに作られすぎていて、町の中では道ばたにも家の庭にも雑草の花もほとんど見られないのであるから、久しぶりにタンポポの花や、スミレの花、ムラサキハナナ、オドリコソウ、ヒメオドリコソウ、ムラサキケマン、ミミナグサ、ツボスミレなどの雑草・野草の花を見て、心が和んだ。タンポポは、セイヨウタンポポではなくカンサイタンポポだったので、うれしかった。神社の外ではセイヨウタンポポしか見られなかったからだ。

 家に帰ってから、夜桜を見に行った。琵琶湖疏水の小道に沿って、桜の花がいまを盛りに咲いている。自宅から歩いて1分のところでこれだけの桜の並木が見られるのだから、昼間に人混みの中を出かけていったのがなんだか馬鹿らしくなる。なんとなく遠くに行けば良いものが見られるように思って出かけるのだが、よく見ると、家のもっとも近くでもっと良いものが見られると言うことは良くあるものである。隣の芝生は青くみえるのだろう。疏水道路のすぐそばに、古びた木造のアパートがあり、門などは今にも崩れそうに傾いていたりするのだが、その庭に一本の紅枝垂れ桜があって、これが実に美しい。知る人ぞ知るという名木なのだが、昼間も夜も、その桜を見に来る人が常にそのアパートの前で写真を撮っている。私も撮ってみたが、この古くて人も住んでいないようなアパートの様子とこの桜の木がなかなか良い組み合わせなのだ。家から近いので、連れ合いは毎日のように眺めに行っている。毎年、この時期には、われわれの目をどれだけ楽しませてくれるか分からない。


 
 ただ一つ残念なのは、全体の大きく枝垂れている枝の一部が、そこを走る電線のために、根本から切られていて、ややバランスが欠けてしまったことだ。非常に残念だ。この枝を切るくらいなら、電線を切って欲しかった。いや、電線なら、張り方を変えるなどいくらでも対応ができたのではないか。桜の枝は切ってしまえば、その桜の姿バランスは永劫失われてしまう。枝を切られた枝垂れ桜のみっともなさは、有名な円山公園の大枝垂れ桜の例で十分である。なぜあんなにみっともなく名木を切ってしまったのだろうか。枝が折れると危ないからというのが、切る名目のようだが、それなら周囲をしばらく立入禁止にすればいいのであり、木の枝が風などで自然に折れたら、桜の木はその後を自然に忠実に再生する。人間が無理に切った枝の後は、桜は再生しようとするが、その姿はまるで両手両足を切り取られて不具になった動物を思わせて、心から哀しくなる。もっと都会の植物への扱いを考え直して欲しいと思う。

北山小屋と今西錦司

2009-12-28 | 花と自然
昼間がもっとも短い冬至を過ぎ、これからは一日一日が昼の時間が長くなる。生きものの活動も日射しの長さにつれて活発になってくる。とくに植物は、昼の長さが長くなり始めるのに非常に敏感だ。春の訪れを予想して、その準備を始める。近所の庭では早くも蝋梅の花が咲き始めた。ちょっと早すぎるとも思うが、今年の秋がかなり高温であったことと関係しているのかもしれない。

 そんな年末の一日、京都北山を歩いた。ガイドブックを読んで、北山でありながらクマザサの草原が広がり展望がきわめて良いという記述と一面のクマザサの中から遠くの景色を展望している写真を見て、北山にもこんなところがあるんだといたく興味をひかれ、ぜひとも行ってみたいと思ったからだった。

 叡山電車に飛び乗って二の瀬で降りる。駅から歩き始め、ユリ道を登る。最初は北山の典型的な景色、薄暗い杉の人工林の中を歩く。尾根に出てからも杉と檜の人工林が続く。ガイドブックに書かれていた展望はいつまで経っても現れない。そのうち貴船山のピークを過ぎ、滝谷峠への下りにかかってもいっこうに展望の良い場所は現れない。クマザサもほとんど見られない。少しだけクマザサと思われる笹が茎だけを残して枯れてしまっているところを通り過ぎた。

 どうもガイドブックは間違っているのではないかと思い始め、あらためて読み返してみた。そして思い至ったのは、このガイドブックの発行年は1995年だったということ。昔、関西の山を登る予定もなく買っておいたガイドブックを、京都へ引っ越すときにこれこれと思って持ってきたものだった。どうやらガイドブックに書かれていた展望は、その頃植えられた檜の幼木が15年経ってすっかり生長し、まったく展望を無くしてしまったものらしい。しかも、生長した檜の人工林によって下生えになったクマザサもすべて枯れてしまっていたというわけだった。古いガイドブックを信じて山へ行くとときどきこのような事がある。

 今日の山行で楽しみにしていた景色と展望が無くなったので、少々がっかり。あとは予定通り魚谷山(いをたにやま, 816m)を登って帰るだけだと先を急いだ。ところが、ここからの山は私の北山のイメージをすっかり変えるほど素晴らしいものだった。滝谷峠を越えて、どんどん直谷に降りる。そこからは踏み跡もはっきりしない沢沿いの道だ。5万分の1の地図にもない。道標もないので、沢の中を川を何度も徒渉して、なため代わりのテープを探しながら、沢を詰めていく。沢の両側はみごとな落葉樹林が広がっている。

 柳谷に入り少し歩いたところに、川のほとりに小さな広場があった。そこに立っていた看板によると、ここにはかつて小屋が建っていたという。小屋ができたのは1927年。老朽化のために倒壊したのは、1942年という。建てたのは、当時、京都大学の学生だった西堀栄三郎さん。日本山岳会会長や南極観測隊の隊長をした人だ。さらにそのすぐ横には、今西錦司さんの碑が建っていた。今西さんといえばご存じ「棲み分け理論」「サルの社会構造論」「今西進化論」などで有名な学者。生涯2000山を登り、学生時代から内蒙古探検、ポナペ島調査、ヒマラヤ遠征など探検家としても登山家としても有名な人。思いもかけず西堀さんの小屋跡と今西さんの碑を見つけ、このなんとも快い空間で、彼ら京都大学の学生たちが週末などにこの北山の小屋の中で、遠い山への夢を語り合っていたと思うと、彼らが本当に羨ましい。今では手軽に登ってこられるこの場所も、当時は遠くから歩き続けてやってきたのだろう。そんな難儀をものともせずに、彼らは若い夢をこの小屋で膨らませたに違いない。ちなみに、雪山賛歌の歌詞に出てくる「煙い小屋」とは、ここの小屋のことらしい。雪山賛歌の歌もここで育まれたのだ。


今西錦司博士の碑

北山小屋の跡。ここちよい沢と落葉樹林

 この沢を詰めていくと、魚谷山の頂上に届く。この谷は頂上付近にアセビの群落が見られることを除けば、ほぼすべてが落葉広葉樹の林なので、葉を落としたこの時期は、林の中がどこまでも明るい。落ち葉が厚く降り積もっていて、冬の日射しを浴びて歩くのが本当に楽しい。


柳谷峠

 魚谷山を過ぎるとすぐに魚谷峠に着く。そこからは長い林道歩きになる。林道は半分くらいが舗装されており、舗装道路の周辺は人工林で、単調でつまらない。しかし、舗装されていない部分の林道周辺は、まだ広葉樹も多く残っていて、舗装した林道部分はさっさと脇目もふらず歩き、そうでないところは、のんびりと景色を眺めながら歩いた。降りたところは雲ヶ畑の山里。おりよく午後2:30のバスがあったから良かった。このバスに乗り遅れると、次のバスは午後6:30までない。

 期待したところは期待はずれで、期待もしなかったところでは、京都北山の本当に良いところを見ることになった今日の山行だった。北山の本当の良さが少し分かりかけてきた。春にはこの谷を歩きたい。

瓢箪崩山の広葉樹林

2009-12-13 | 花と自然

暖かな小春日和が続いていたが、ようやく冬の訪れだ。今日は天気予報では一日晴れだったが、残念なことに一日中曇り空だった。午後は寒さが増して、いよいよ冬が来たと思わせる。今日は、地図を開いて近くで適度に歩ける山を選んで登ってみた。大原へ行く途中にある標高532mの「瓢箪崩山」という低い山があった。低いけれども頂上までの道はそれなりに距離があり、のんびり歩くにはちょうど良いと思って、登ってみることにした。名前も面白そうだ。

 叡山電車で八瀬まで行き、そこから地図に載っているやや広い道で峠を越えて岩倉の登山口に出るつもりで歩き始めた。2週間前は紅葉がきれいだった八瀬の周辺もすでに葉が落ち、冬支度を始めている。地図で見当を付けた甲ヶ淵あたりから入る道は、入り口に金属の格子戸が入って、立入禁止の大きな看板が立っていた。地図に出ているこの道は、どうやら私有地だったのだろうか。ここからは登れそうもない。あわてて大原行きのバスに乗って、戸寺で降り、瓢箪崩山を反対側の北から登ることにした。

 戸寺の地元物産店で、お昼の弁当にキノコの炊き込みご飯とおはぎを買ってザックに入れ、登り口を目指す。高野川を渡る道がわからずウロウロしていたら、近くのテニスコートでテニスをしていた女性が、わざわざ道を教えに来てくれた。京都はたしかに人が親切にいろいろ教えてくれる。観光客が多いから、遠来の人には親切にするようになったのだろうか。東京ではみんな知らん振りをする。

 登山道はいきなり暗い杉の林だった。低山で京都の北山なので、きっと頂上まで人工林が続く味気ない山に違いないと歩き始めてすぐに確信した。湿った山道を杉の葉を踏みながら歩く。途中で2ヶ所ほど少し開けたところがあって、杉や檜ではない広葉樹が見られたが、結局頂上まで杉と檜の人工林の道だった。予想通り味気ない。わずか50分で頂上に到着したが、しかし勾配はかなりきつかった。とくに頂上手前の登りは手強い。

 頂上についたときは、ぱらぱらと小雨が落ちてきていた。いよいよ雨になるかと心配しながら、キノコの炊き込みご飯の弁当を食べた。まだ温かく、美味しかった。おはぎは大きすぎて食べる気にならない。降りてからゆっくり美味しい緑茶を飲みながら食べる楽しみにとっておいた。帰りは岩倉に向けてほぼ真南に尾根上を歩く。登りの人工林の様子から、帰りもまったく期待はしていなかった。ところがどっこい。帰りに尾根沿いの道は京都に来てからもっとも楽しい道になった。檜が少し生えてはいたけれど、ほとんどが広葉樹林だったし、しかも長い尾根をわずかの標高差で降りていくので、勾配はきわめてゆっくりとしている。足元の登山道はふかふかの布団のように落ち葉が溜まっている。周りにはいろんな樹種があり、初冬なので花はなかったが、十分楽しめた。この道なら低山だが、ハイキングに最適だ。奥多摩の冬の尾根道を思い出した。

 

 下りの道はあちこちで落ち葉をかき回してみたり、真っ赤な木の実を眺めたり、木の幹にくっついて成長している大きなキノコを触ってみたり、楽しんで歩いた。まもなく岩倉の街にはいるという直前に、携帯電話が鳴って、北海道でいっしょに仕事をしていた人の訃報を聞いた。あの人は昨年会議で会ったとき、急激に痩せていたっけ。きっと辛い病気なのだろうと想像はしていたが、こんなに早く亡くなるとは予想していなかった。下りの脚が早くなった。合掌

比叡山再び

2009-12-06 | 花と自然
時間的にも精神的にも山へ行けない状態が続いていた。そのためにストレスを溜め込んでもいた。でもどうやら少しずつでも山歩きをしたいと痛切に思いだした。でも私の体が山歩きに耐えられるかどうかも心配だった。体重は生まれてこのかた経験したことのない重量ゾーンに突入せんとしている。脚が私の体重を支えきれるだろうかという心配も冗談ではなくしなければならなくなった。

 京都の東山は遅い紅葉できれいに山裾を染め上げている。どこの山へ行こうかと思案していたが、体力にぜんぜん自信が無くなっていることもあり、まずは手近な東山を歩いてみようと思った。そして朝もゆっくりと比叡山目指して登った。ちょうど一年前のブログにも比叡山に登ったことを書いている(2009-12-20)。その時は、頂上まで人に出会わなかった。今日もそのつもりで登り始めたが、いきなり登山者といっしょになった。やがて次々と登山者の群れが現れ、びっくり。昨年の今頃と何が違うのだろうか?今年の方が少し早いから、まだ紅葉を見るために訪れる登山者がいるのだろうか?12月1日からケーブルカーは冬の運休に入っている。



 中腹から京の街を見下ろすと、最後の紅葉が山裾を彩る。老人がひとり、そこに座り込んで「最高の眺めだよ」と教えてくれた。体重が重くなり脚に負担がかかっていると普段感じていたので、登りの途中で脚が痛くなるかもしれないと覚悟をしていたが、うれしいことに脚は快調。とうとう頂上まで標高差750mほとんど休み無くちょうど2時間で到達した。ひとまず安心。頂上の茶店でお昼ご飯でも食べようと思っていたら、二軒あった茶店がどちらも重機で壊されて跡形もなくなっている。冬の休みに入ってその間に建て替えようというのだろうか。それとも営業不振でとうとう店をたたんでしまったのだろうか。自販機だけが建ち並んでいた。頂上付近はさすがにもう広葉樹は葉を落としてしまって、冬に向けて寒さに耐える準備を始めている。小春日和の今日は、葉を落としてしまった木々がややとまどったように見えた。

 今日はどのくらい歩けるかを試してみるつもりで登ってきたので、縦走をするのも、延暦寺のお堂をめぐるのも止めて、今日来た道を戻った。麓ではまだまだ遅い京都の紅葉が迫り来る冬に向けて真っ赤に染まった小さな八つ手のような葉を地面に落としていた。まもなく冬。これから少しずつ山歩きを再開したい。京都にいるのもそう長くはないから、いまのうちに近畿地方からいける山を歩いてみたい。


奥三河の紅葉とダム

2009-11-17 | 花と自然
紅葉が盛りになってきたせいで、市内の道路が混み始めた。あちこちのモミジの名所で夜間のライトアップなどが始まり、人混みができている。モミジの紅葉もきれいだが、銀杏などの黄色も目が覚めるようにきれいだ。黄葉もけっして馬鹿にならない。職場にある銀杏の黄葉が今盛りで、本当にすばらしい色になっているのだが、お寺のライトアップしたモミジには人が注目しても、こんなイチョウのすばらしい黄色に注目する人はあまりないのが不思議だ。

 週末、三河の奥に出かけた。奥三河の足助というところに香嵐渓という紅葉の名所がある。足助の街に入るずっと前から、道路が混み始め、いっこうに前に進まない。車で出かけたわれわれの目的地は別のところだったので、いらいらしてしまったが、忍耐するしかない。渋滞の列を抜けたのは一時間以上も後のことだった。名のある名所なので人々が集まるのだろうが、渋滞の最後の方に並んだ車は香嵐渓に着く前に日が暮れてしまうのではないだろうかと心配になった。

 その渋滞から何とか裏道を探して抜け出た後は、快適なドライブだった。もう少し先に行くと、きれいな渓谷に茶店が一軒あり、そのまわりにはすばらしいモミジの樹があり、紅葉の盛りであった。しかし、ここはほとんど誰もいない。車が1-2台停まっているだけで、紅葉をゆっくり楽しむことができた。それは見事なモミジの大木だった。でも名前の知られていない場所、人が集まらない場所には、人々は興味がないように見える。彼らはひょっとすると紅葉のすばらしさを求めているのではなく、人混みを求めてきているのではないかと思ってしまう。そうすると、あの渋滞も彼らは結構楽しんでいたのだろうか。

 京都よりは500m以上標高が高いところだったので、紅葉もいまがちょうど盛り。きれいな赤や黄色を眺め、渓谷の水の流れを楽しんだ。でもこの川にはいっぱいダムができており、いたるところにダムがある。紅葉はすばらしいが巨大なダムのコンクリートにせき止められた水の流れは哀しいものに見える。ダムはムダっっ!と叫びたい。ここも新しいダム建設の予定があるらしい。もうこれ以上美しい景色を壊して欲しくない。

秋が来て、一年経った

2009-09-22 | 花と自然


今朝、窓から流れてくる涼風に乗って、かすかに金木犀の香りがした。おや、もう金木犀の花が咲き始めたのかなと思って、あらためて秋の訪れを思った。昨日まではまったく金木犀の花が咲いているのを見かけることはなかったから、この香りはひょっとするとどこかのトイレに置いた消臭剤の香料かもしれないとも思った。

 9時過ぎに、バス停に行く途中の家の庭から金木犀の香りがしてきた。よく見るとわずかではあるが、金木犀の花が咲き始めている。花の数はわずかのようだが、あの強い香りはもうすでに花の盛りがすぐそこに近づいていることを教えてくれる。わずか一日の違いで、秋が確実に来ていることを鼻の中まで実感させてくれた。そういえば毎年この時期に、突然のように金木犀の香りが始まる。

 午後、曇り空の中を帰る途中の銀閣寺のそばの哲学の道には、曼珠沙華が見事な花を咲かせている。そういえばもう彼岸なのだ。暑さ寒さも彼岸までというが、昨日は暑かった。30℃を超えて真夏がよみがえったようだったが、今日はひんやりしている。今年は彼岸までに夏の暑さは終わったのかもしれない。京都の夏の暑さには閉口していたから、言い伝え通り夏の暑さが終わってくれるとしたら、こんなうれしいことはない。疏水沿いの桜の並木は、一足早く枝の葉が紅葉を始めている。桜はまもなく葉を落とし、一足早く翌年の春の花盛りの支度に眠りにつく。

 哲学の道から琵琶湖疏水の流れに沿って歩くと、ところどころ曼珠沙華の真っ赤な塊りが見られる。昨年も見つけたのだが、哲学の道沿いには、数カ所見事な白い曼珠沙華が咲いている。赤と白の対照的な色の塊りが、見事なコントラストになって、風景を彩っている。曼珠沙華はわずか一週間の花の命という。一年前に京へ来たときにこの紅白の曼珠沙華を見たと言うことは、ちょうどあれから一年経ったということだ。長いようで短い、いや短いようで長い、いろんなことが起こった一年だった。




 京都の2年目が始まる。さっそく秋の紅葉の狂想曲が再び迫ってくる。今年はどこでどんな紅葉を見ることになるだろうか。楽しみでもあり、怖くもある。

京都はすごい!

2009-07-18 | 花と自然
京都はすごい!

京都には、いろいろと名所旧跡は多いし、祇園祭など昔の風情を伝える行事は数多い。でも私には、うどんがまずいこと、物価が高いこと、仕事がのろいこと、管理された自然であること、などなど不満なことも多い。

 でも、京都はすごいなあと思うこともあった。その一つが、京都の町のあちこちにゲンジボタルが生息していることだった。それまでゲンジボタルは山の渓流に行かないと見られないと思っていただけに、京都の町の中の川にたくさん生息するのを見て、感動したものだった。

 今日、あらたに京都はすごいなと思ったことは、通勤途中の小道でタマムシを見つけたことだ。タマムシとは、体が玉虫色をする金属光沢をもつ甲虫の一種で、私が子供の頃は珍しいものではなかったが、それでも四国で最大の人口を持った田舎の都市でも、町の中でタマムシをみることは比較的稀なことだったと思う。国宝の玉虫厨子は、このタマムシの羽を厨子の表面にびっしりと貼り付けた工芸品で、一度だけ奈良国立博物館で見たことがある。もっとも変色を怖れた展示は薄暗く、あの輝くようなタマムシの羽の色を見ることはできなかった。

 実にタマムシを見たのは、何十年ぶりだろうか。それもこんな京都の町の真ん中で。京都はやっぱりすごい。

 見つけたタマムシは、まだごぞごそと動いていたが、よく見ると頭がない。どうやら鳥に襲われて頭を食いちぎられたところだったらしい。近くでその鳥が私が来たことを舌打ちしてみていたのかもしれない。タマムシの羽の輝きに通勤の忙しさをひととき忘れて見入った。虫を追いかけて、近くの野山を駆けめぐっていた子供の頃が、急に頭の中を駆けめぐった。あの頃は楽しかった。手塚治虫が虫を観察し、天才の片鱗を見せ始めていた頃、私はただただ虫を追いかけて、楽しんでいた。でも、そのような子供を育んでいた日本の自然は、今どこへ行ってしまったのだろう。

 京都の町の中でみつけたタマムシ。京都の町にはタマムシが飛び交う自然がどこかに残っているのだろうか。ゲンジボタルの飛び交う景色と同じく、京都の町の奥深さが感じることができた。京都はすごい。

伊吹山の花たち

2009-07-14 | 花と自然
 標高1377mの伊吹山は、日本百名山の中では筑波山と並んで低い山であるが、山が石灰岩でできていることもあって、独特の高山植物相をもち、固有種も多いので有名である。同様な山は、北海道の夕張山、東北の早池峰山などが有名である。イブキジャコウソウ、イブキトラノオなどの伊吹山の名前を持った種も多い。

 林があまり発達していない伊吹山は、暑い夏向きの山ではないが、しかし、花の名山としては、暑い花の時期を逃すわけにもいかない。暑さに弱い私としては、避けたいところだったが、花も見たい。そこでひたすら雨を乞い願うという普段の山行きとはまったく違う心持ちで山に登ることになった。

 京都を出るときは、朝早くから日射しが降り注ぎ、今日一日が暑くなりそうな予感がしていたが、東海道線で近江の近辺に来ると黒雲が空を覆い、いかにも望んだ天候になってきた。近江長岡の駅からバスで15分。伊吹山登山口に到着した。神社の横をただちに登山道へ入る。

 杉林の間を一合目に向かう。スキー場のリフト前で一合目。曇っているとはいえ、さすがに真夏の暑さは北の山とは違う。暑さから逃れるために、ズボンを脱ぎショートパンツになって、そこからスキー場の横の草原をひたすら上を目指して登る。さすがにショートパンツは涼しい。どんどん登山客を追い抜いていく。三合目からすこしずつ高山植物が出現し始める。まだ600mくらいなのだが。そこから頂上までに花を見ることができた高山植物は以下の通り。

 オタカラコウ、ツクシアザミ、ミヤマコウゾリナ、ホタルブクロ、ヤマホタルブクロ、キバナカワラマツバ、カワラマツバ、キツネノマゴ、クワガタソウ、クサボタン、ウツボグサ、イヌゴマ、ミヤマトウバナ、イブキジャコウソウ、イブキトラノオ、ミツバ、トラノオ、シシウド、ナツトウダイ、ハクサンフウロ、イワオウギ、ミヤマダイコンソウ、ネコノメソウ、ミヤママンネングサ、キリンソウ、カラマツソウ、オオレイジンソウ、ミヤマナデシコ、トウギボウシ、オオバキボウシ、ユウスゲ、ノシラン

 なによりもイブキジャコウソウとイブキトラノオを見ることができたのが大収穫だった。暑さに負けずに登りに来たことを後悔しなくて良くなったのは、花たちのせいだ。それほど大きなお花畑が展開しているわけではないが、それでも登山道の周辺だけで十分花を楽しめた。

 伊吹山は1377mという低山だが、登山口が200mくらいなので標高差は1200m近くある。これは日本第2の高峰である南アルプスの北岳登山の標高差とあまり変わりがない。さすがに日本百名山になるだけのことはある。歩きやすい道ではあるが、登山を十分堪能できた。頂上について驚いた。頂上にはお土産やさんや商店が軒を並べている。観光客がその間を右往左往している。それまでの喜びも一気に吹き飛んだ。反対側にはハイウエイが頂上まで通じているので、頂上は観光の人びとでごった返している。早々に頂上を辞して、元来た道を花を見ながら下り始めた。

 下りの途中で、重たい雲が吹き去り、太陽の光が漏れて来始めた。そうこうしているうちに雲はみるまにいなくなり、直射日光が頭を直撃し始めた。暑いったらない。まるで灼熱地獄だ。地獄の中をひたすら麓へ下る。登山口へたどり着いたときは、熱中症の初期症状。神社のすすぎ水を頭からかぶって体を冷やした。水を何杯飲んでものどの渇きは収まらない。いやあ、登りが曇りで良かった。登りもこの調子だと、ぜったい熱中症だ。

 あとで調べてみて分かったことだが、伊吹山は夏の登山はもっぱら夜間登山が行われているらしい。夜間だと花は見えないが、頂上まで夜中に登り、頂上で日の出を眺めて、朝まだ涼しいときに、花を眺めながら下るというのが一般的らしい。何にも知らずに登って、暑さにやられるところだった。おかげで帰りに携帯電話を忘れてきてしまった。やはり頭がもうろうとしていたんだろう。今週は携帯電話無しの生活が楽しめそうだ(笑)。

 でも、花の山に登りながらカメラを忘れていったのは、行く前から暑さで頭がもうろうとしていたことかもしれない。京都の夏は暑い!


カモシカの遊ぶ街を

2009-06-28 | 花と自然
テレビのニュースを見ていたら、どこかの町にカモシカが現れ、警察や役場の人たちが総出で2時間だか3時間だか追いかけ回したというニュースが放送されていた。それをみて、前から不思議に思っていたことを思い出し、書いてみようと思った。

なぜ警察はカモシカを追いかけるのだろうか。カモシカに限らない。警察は、猿が出たと言っては追いかけ、イノシシが出たと言っては追いかけ、どこかでカメが歩いていたといっては出動し、動物たちを追いかけている。警察ってそんなことをするところだったの?私が不思議と思ったのは、そう言う疑問だった。警察ってそんなことをするところだったの?

カモシカが街を歩いていたら、私なら素敵だなと思う。奈良にはシカが歩いているが、警察が追いかけたという話はあまり聞かない。熊が歩いているというのも、素敵だなと思うけれど、まあ熊の場合は危害を加えられることもあるので、警察なりが熊を追い払って欲しいと思うが、熊の場合は警察よりも猟友会などがしゃしゃり出て、すぐに鉄砲で殺してしまう。これも不思議だ。野生動物は野生動物の立場があり、人間に直接の危害を加えない限り、いっしょに生活できるはずだ。カモシカが街を歩いていたら、それこそ自然と共生できる町ということで、町の知名度アップにもつながる。それをみんなで追いかけ回し、捕まえたり、殺したりする。なぜなんだろう。不思議で仕方ない。

ニュースを聞いていると、どうやら住民がカモシカを見つけて、警察に連絡したらしい。まず、ここが分からない。なぜカモシカが歩いていたら警察に届けるのだろうか?カモシカは不審者なのだろうか?カモシカはひったくりもしないし、幼女を誘拐もしない。それでも警察に連絡するという住民はいったいカモシカをなんだと思ってれんらくするのだろうか?

連絡を受け取った警察も警察だ。そんなことは俺たちの出る幕ではないと一喝すればいいものを、へっぴり腰で駆けつける。よっぽど警察って暇なんだろうか。それともカモシカを見たことがないので、一度見てみたいと思って駆けつけるのだろうか。もしそうなら、好奇心いっぱいの警察官を尊敬したい。しっかり見て、写真も撮って、そしてさよならって言えばいい。役場にも連絡していっしょになって追いかけ回し、捕まえることはするべきではない。野鳥を勝手に捕獲すれば鳥獣保護法違反になるが、カモシカなら、警察がやれば、違反にならないのだろうか。

 もっと野生の動植物に寛容な町を作って欲しい。町の中にリスが遊び、ツルが舞い、カモシカが歩いている、そんな町に私は住みたい。