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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

自然と共に生きること

2010-07-04 | 環境
日常の些事にかまけていると、いつのまにか文月になってしまった。今年も半分が過ぎ去ったことになる。光陰矢のごとし。梅雨も盛りで、毎日のように雨が降る。長らく北海道に住んでいたので、この梅雨の気分にはまだ慣れてこない。特に最近はかなり強い雨が降るようになったように感じる。昔もそのような集中豪雨が時々観察されたが、梅雨明け前の一時的なものだった。豪雨と雷があるとまもなく梅雨が明けると予想できた。いまや集中豪雨は梅雨の間ずっとだし、ひょっとすると季節さえも問わなくなったような気がする。

 鹿児島県と宮崎県は今日、集中豪雨下にあるようだ。口蹄疫で25万頭以上の牛や豚を殺処分したあと、豪雨が襲ってきた。両県の人たちにはご愁傷様としか言いようがない。日本で畜産を奨励し、農業の構造を変えたのは戦後のアメリカ文化の導入以来であり、それまで日本人はよほどのお祝いでもなければ肉は食べなかった。その食文化が日本人を育ててきたのだ。口蹄疫のこの不幸な流行は日本での農業のあり方を再考する礎にして欲しいものだ。大量に家畜を飼育することの不自然さと不健康さ。いずれ殺されて肉にされる家畜といえども、生きて生活をしている動物なのだから、過密に飼われての不自然な生活にはストレスもかかるし、病気にもなる。

 上関原発の建設に反対している祝島の人たちは、原発に頼らずに自然と共に生きる一次産業で生活をしていこうと決意している。漁業でも魚を獲りすぎないように、一本釣りを主な手段として鯛などを釣ってきた。無農薬のびわとびわ茶の栽培、島で出てきた野菜屑などの有機廃棄物を餌として家畜小屋に囲わないで養豚を行うなど、自然を壊さず、自然と生きる道を探してきた。中国電力の社員は、そんな彼らに「一次産業だけで食っていけると思うのか」と侮蔑の言葉を投げかけた。そんな社員が住む社会は、経済効率だけを推し進め、牛や豚を生き物ではなく肉を生産する機械としか考えていない社会だろう。口蹄疫はそんな社会への自然の報復である。

 そんな上関の原発建設現場では、先週から緊迫した空気が流れている。島根原発での1000カ所を超える点検修理漏れへの対応で忙しく、上関原発建設予定地の長島田ノ浦の埋め立て工事も、しばらく様子見だったが、大型台船を工事現場に動かし昨年の台風で壊れたブイを新しいものに交換している。祝島の漁師は船をだして台船を取り囲み、応援のシーカヤックの若者たちもその列に加わっている。中国電力も今のところ口で妨害行為を止めろと言うばかりで無理に工事を始めようとはしていないが、工事を阻止しようとする住民を裁判所に訴えて、妨害行為一日あたり一人950万円を支払えという地裁のまったく不当な決定を背景に、妨害行為をやらせて損害賠償額をふくらませ、住民たちに工事の阻止をあきらめさせようという作戦と考えられる。

 まだ原子炉の設置許可さえ出ていないのに、埋め立てを強行しようとしている背景には、経済産業省はかならず許可を出すだろうという予測があるのだろう。民主党政権は、自民党時代とまったく変わらず、いやさらに原発推進を掲げている。その大きな理由は、東芝・日立というような原発利権と結びついた経団連の意向があり、経済成長を原発に頼ろうという菅政権の思惑もある。さらに、民主党の大きな支持団体の連合の重鎮である電力労組が、経営者側とまったく一体となった原発推進を強く望んでいるという事情もある。民主党は祝島の人たちから、もっと日本人の生き様を学んで、これからの日本の道を見つけて欲しいものだ。

温暖化をウソという人

2010-02-10 | 環境
ここ一週間の内に二度も東京へ出かけた。底冷えのする京都から出かけると東京は温かい。ヒートアイランド現象のせいだろうけど、ホッとする。しかし、関東の方が風は強い。京都は盆地のせいか、風はあまり吹かない。静かに、そして、冷え込む。けれども東京へ来て何よりうれしいのは、天気が良いことだ。京都は日本海側に近いせいもあって、冬の天候はやはり曇り気味だ。瀬戸内海に面した香川県や広島県、北海道の釧路周辺といい、関東といい、これまで長く住んできたところはどこも冬の天候は良いところばかりだったから、日本海に面しているわけではないが、冬の京都の天候はやはり気持ちも晴れない。

 ところで今日の東京は暑いほどの気候だった。京都もそうだったようだ。立春を過ぎたばかりの今頃は、一年でももっとも寒い時期なのに、この暖かさはやはり異常としか言いようがない。東京の最高気温は19℃とか。サンナシ小屋なら真夏の気温だ。ワシントンでは、記録的な豪雪で交通機関は大幅に乱れ、10万世帯では停電したという。日本も今年は日本海側を中心に大雪だ。それは、冬型の気圧配置が安定せず、まるで冬の終わり頃のように、次々と日本海を低気圧が東進するためだ。つまり、雪の多さもこの暖かさも、同じように温暖化の影響と言えるかもしれない。

 温暖化はウソだ、地球はむしろ冷えつつあるという説を唱えている学者もあるし、養老孟司や武田某のように、温暖化は政治的な謀略だと言いつのるものもいる。彼らの言うことにも少しは理があるかもしれないが、重要なのは自然科学の真実ではなく、環境の悪化がどれくらい確実に予測できるかと言うことなのだ。学者の論争は論争でやってほしいが、一般の人たちが心配しているのは、温暖化がもうすでに実感できるほどの身近に感じられるようになっていることなのだ。だからこそ温暖化による被害が予想されるなら、それが誤りかどうかを議論してばかりいても仕方ない。もしそのような被害が予想されるなら、防止するための政策をとるのが政治をするもののやるべき事なのだ。予想が間違いだったからといって、対策をとったことを責められたりはしない。むしろ、温暖化が真実かどうか疑わしいなどと人々を迷わせるようなことを今言うことこそ、犯罪的なのだ。環境の危機には、「予防原則」が重要だ。

学会のシンポと原発の電気

2010-01-19 | 環境
今年正月明けの1月10日、広島で三つの学会が合同でシンポジウムを開いた。シンポジウムのテーマは、「上関 瀬戸内海の豊かさが残る最後の場所」。埋め立てがいつ始まるかしれないという危機を前にした時期に、上関原発を建てようとしている中国電力のお膝元の広島で、これまで何度も中国電力に埋め立てを見合わせ、もう一度この場所の環境調査を行い、自然豊かなこの上関に原発を建設するのではなく、残していく方向に考え直して欲しいという趣旨で行われた。

 会場は、平和公園の一角にある国際平和記念館。私も京都から駆けつけた。600人はいる大きな会場で、いったい何人人が来るか、心配でもあった。あまり少ないようだと、中国電力にバカにされるだけかもしれないとちょっと心配だった。ところが始まってみると、ほぼこの広い会場が人で埋まった。さすがに広島。核を扱うテーマでは、やはり広島の人は関心が高いことが分かる。

 シンポジウムでは、生態学会が上関の長島という小島の貴重な植物の話をし、鳥学会は、世界でも日本に5000羽しかいないというカンムリウミスズメがこの上関あたりで生活していることが初めて分かったと報告した。ベントス学会は、カクメイ科のヤシマイシンという面白い名前の貝が、本当に革命的に貴重なのだという話をしてくれた。ここのあたりの海には、スナメリというクジラの仲間や、ナメクジウオという脊椎動物の祖先や、カサシャミセンという生きている化石とも言える奇妙な動物など、驚くような動物や植物が生き残っているということだった。

 こんな素晴らしい海を埋め立てて、温排水で無茶苦茶にしてしまおうという原発には、本当に腹が立つ。ところが、このシンポジウムの報告を受けた中国電力の社長が批判をしたという報道があった。それによると、カンムリウミスズメは他のところでも見つかるかもしれないから、ここが大事だというのは偏った見方だと言ったのだそうだ。それを聞いて本当に驚いた。羽があるから鳥はどこにでも行けるから、ここだけが貴重なのではないと言っている。その程度の頭だから、自然なんてどこにでもあると思っているんだろう。お金儲けの方が大事だと思っているのが、よく分かった。

 上関原発の電気は中国電力が関西電力に売るのだそうだ。つまり、中国電力は電気が余っているから、貴重な自然を壊してまで作ろうとしている原発の電気は、よそへ売るために作っているらしい。でも関西圏もこれからは人口が減少する。電気は太陽熱や風力でどんどん作るように変わってくる。原発の電気はこれから関西でも買わなくなるに違いない。上関原発ができるころには、きっと中国電力は膨大な借金で今のJALのようになっているに違いない。それまでに致命的な事故で広島に住んでいる中国電力の社長や社員も放射能で苦しんでいなければいいのだが。

原発はCO2を出さないというウソとメディアの社会的責任

2009-12-20 | 環境
新聞が真実を書かなくなって戦争が始まった。戦争を起こす勢力が新聞を抑圧して戦争が始まったのではなかった。逆だったのだ。そして軍部は言論を抑圧していく。言論が招いた戦争が軍部の言論抑圧も招いたのだった。

 今の社会がいつのまにかその通りになってきている。上関で原発に反対して漁民たちが命がけの闘いを続けているけど、全国紙大新聞はたったの一行もそのことを伝えない。中国電力の社員たちに反対派の若者が羽交い締めにされ、後ろ手にされて首を絞められ失神して1週間も入院せざるを得なかった暴行傷害事件があっても、大新聞は一言も事実を報道しようとしなかった。祝島のおじいちゃんやおばあちゃんが、体を張って座り込みやピケを張って「命の海を売らない」と埋め立て工事の阻止行動に立ち上がったことも、無視し続けてきた。
 その代わりに新聞紙面を全面使って書かれているのは、原発を作っている電力会社の連合体、電気事業連合会の原発推進のキャンペーンである。「CO2を排出しない原子力発電がエコだ」というウソの宣伝だ。原発は原子炉を冷やすために莫大な量の海水を取り込み、沸騰水にして海に温かい水を返している。上関に建設予定の原発では、毎秒190トンの水量だ。その量は、一級河川の水量に匹敵する(広島のデルタに流れる6本の太田川全体の1.5倍くらいの)量だ。これだけの海水が高温に温められる。

 CO2の水への溶解度は温度が低いほど高くなるのは中学校で習ったはず。すなわち、暖められたら水に溶けていたCO2は空気中に排出される。これだけ莫大な水が暖められたら、空気中に出てくるCO2の量はバカにならない。先日、友人の研究者に聞いたところ、日本にある約50基の原発すべてが出している温排水によって排出されるCO2の量は、日本で自動車から排出しているCO2に匹敵するほどだということだった。

 CO2を出さない原発という電気事業連合会の宣伝は大嘘なのだ。でもどの新聞もばかでかい紙面を割いて、原発はCO2をいっさい出さないとウソを書き続けている。たとえ広告・宣伝であってもウソを書いた広告を大新聞が載せても良いものだろうか。サンケイなどという右翼自民党・財界の番犬のゴロツキ新聞なら知らず、朝日や毎日などという日本を代表するという新聞社の広告がこんなにウソを書き続けていて、新聞社の社会的責任はどうなるのか。恥ずかしいと思わないのか。

 ウソを書いて権力にすり寄ることで戦争を引き起こした歴史は、今また繰り返されている。「今からでも遅くはないから、新聞・メディアはジャーナリズムの原点に帰れ。故郷の自然・親兄弟が泣いているぞ」。

核燃料サイクルは核兵器開発と同じ

2009-11-22 | 環境
山口県上関町では、中国電力が原発を建設するために長島の海を埋め立てようと、反対している祝島の住民や反対派の人たちの隙を虎視眈々とねらっており、埋め立て海域にコンクリートブロックを投入したり、反対派の人たちに暴力を使ったりしている。中国電力の社員が反対する人たちに「核実験で放射能物質がいっぱい地球にばらまかれたのだから、少々原発から放射能が漏れたって、たいしたことはない」と暴言を吐いたが、原爆で放射能を浴びて苦悶の死を経験してきた広島に住んでいる人とは思えない人たちが中国電力の社員にはいるということが明らかになった。このような企業に危険な原発を運転させたくはない。

 佐賀県の玄海原発では、プルトニウムをウランと一緒に燃料に入れるプルサーマル運転が始まった。プルトニウムはウラン燃料を使うと核分裂によって生成されるきわめて有毒で危険な物質で、自然には存在せず、核兵器を作るために使われる。原発を運転すると自動的にプルトニウムができてしまうので、プルトニウムを持たざるを得ないので、核兵器開発が疑われるのだ。日本には原発が50基近くも運転しているから、プルトニウムはどんどん作られて溜められてきた。核兵器開発の疑惑を避けるために、日本はプルサーマルでプルトニウムを使って減らすパーフォーマンスをする必要があった。そのためにプルサーマルを燃料に使うというきわめて危険な選択をせざるを得なくなっている。しかし、使う原発はウラン燃料用に作られているので、プルサーマルを燃料として使ったときに安全が保証されるとは限らない。日本各地の原発でプルサーマル運転が計画されている。最初に事故を起こすのはいったいどこなのだろうか。おそろしい。

 アメリカはイランや北朝鮮に核兵器開発を止めるように圧力をかけている。イランに対しては、戦争をしかける脅しさえも使っている。ブッシュ政権では、イラン攻撃が現実的になっていたと言われる。イランは核の平和利用に反対する権利はないと言っているが、オバマ政権になってイラン攻撃の可能性はやや減少したものの、欧米によるイラン脅迫は続いている。欧米が実際に核兵器開発を公言している北朝鮮とは違って、平和利用を言っているイランになぜこれほどの脅しをかけているのだろうか。それは、平和利用という原発は、運転すればかならずプルトニウムが生成され、プルトニウムは所持するだけでも危険なものであること、プルトニウムの有効利用が核兵器開発以外にはないことを、アメリカや欧米がよく知っているからである。

 ではなぜ日本の平和利用は認めているのだろうか。それは原発の燃料のウランが日本には産出しないこと、ウラン濃縮はアメリカの技術に頼らなければできないことがあるからである。日本の原発はアメリカのウラン濃縮に頼り、アメリカはそれで儲けている。いざとなったらウラン濃縮を拒否すれば日本の原発は止まってしまうのだ。いわば日本が原発にエネルギー政策を転換することは、アメリカに生殺与奪の権利を奪われることになる。ところがプルトニウムが日本に溜まりすぎると日本が核兵器開発をやりかねないので、IAEAに日本の査察を厳しくやらせている。さらにプルサーマルを燃料として使わせ、プルトニウムを減らすように求めている。それが日本が危険なプルサーマル運転をしなければならない理由なのだ。

 しかも、プルサーマル燃料を原発で燃やすと、またまたプルトニウムが生成するという。これは原発運転を止めない限り、いつまでも続く地獄なのだ。ドイツやアメリカが脱原発を進めてきたのは、この地獄を知っているからである。日本は一刻も早くこの無間地獄から抜け出す決意を固めなければならない。原爆の悲惨な結果を知っている日本がなぜ少々の放射能漏れくらい大丈夫などと言う人間を許しておけるのか、私には分からない。本当の地獄が広島と長崎に続いて日本のどこかで現れるまで、日本人は原発を作り続けるのだろうか。


低線量放射線が私たちを蝕む

2009-11-09 | 環境
日本の気温が上昇を続けている。各地の水温は気温を上回る勢いで上昇している。地球温暖化を促す二酸化炭素の濃度は、ほとんど直線的に20世紀を通して上昇し続けているのに、気温や水温の上昇は、なぜか1980年代以降に突然上昇を始めた。不思議なことにいろんな現象がそれに伴って起こっている。そのほとんどがあまり良くない方向を示している。地球上の魚が減少しているのだが、その傾向も1980年代以降はっきりしてきた。水産物の水揚げがはっきりその頃から低迷を続けている。日本の人口も1980年代以降頭打ちになり、減少に転じた。

ジェイ・M・グールドとベンジャミン・A・ゴルドマン共著の「死に至る虚構 国家による低線量放射線の隠蔽」という本を読んだ。アメリカでは、4回以上のきわめて多量の放射能漏洩事故が発生している。核兵器開発工場、原子力発電所の2度にわたる大事故、そして繰り返された大気圏核実験による放射能降下物の雨だ。これらによるアメリカ人の乳幼児死亡率の上昇は、極めて高くなった。さらに驚くことにロシアのチェルノブイリで起こった原子力発電所の事故の直後から、アメリカのかなりの部分で人々のガン発生率=死亡率が著しく上昇した。チェルノブイリからは地球の反対側に当たるアメリカ大陸でこのような大きな影響があったということは、われわれはほとんど知らなかったのではないだろうか。ましてや、チェルノブイリ原発からの距離はアメリカに比べてきわめて近い日本では、そのようなことがなかったのだろうか。

 彼らの本には、アメリカ政府が核兵器製造工場の事故も、スリーマイル島原発の事故も、核実験による場合も、あらゆる国の統計資料が改ざんされ、もしくは偽のデータを紛れ込まされ、あるいはデータの公表を突然中止されるなどして、国家規模でこれら国民のガン発生率や乳幼児の死亡率の極端な上昇を隠蔽し続けたことが暴かれている。同じ事が日本で起こっていないと言えるだろうか。

 チェルノブイリ原発の事故は、1986年6月。アメリカのある州のガン発生率は、この年の前半と後半で数倍にも上昇しているという。いろんな地球上の現象が1980年代以降に、突然のように発生し悪い方向へ一直線に向かっているように見えるのは、偶然のことなのであろうか。

 そして今年、地球温暖化対策と称して、世界の国の多くが原発推進へと向かっている。日本の民主党政府は二酸化炭素25%削減という先進的な目標を掲げながら、その実現のために原発を利用しようとしている。原発の温排水は海水を温め、それは海水という巨大な二酸化炭素貯蔵庫を暖めることによって、多量の二酸化炭素を海から追い出し、大気圏の濃度を上昇させることに役立っているのだけれど、誰もそれを知らない振りをしている。なぜなのか。二酸化炭素削減のためと称して原発を発展途上国へ売りつける商売を日本の経済界は狙っている。二酸化炭素削減の目標を達成するためには、経済界の協力を取り付けなければいけないと思った政府が、経済界の要求である原発の推進を後押ししているからである。

 かくて、二酸化炭素排出量削減目標は達成できても、大気圏中の二酸化炭素濃度は減らないという、滑稽な事態が起こるだろう。そして地球の温暖化は続く。さらに国民は原発のまき散らす低線量放射能の恐怖で、次々と子供が生まれなくなっていくだろう。この恐怖が取り越し苦労であることを祈っているが、それにしても、一刻も早く放射能の被害から人々を救う政策が採られなければならない。もう日本に原発はいらない。

電気を使わない選択へ

2009-10-18 | 環境
瀬戸内海に巨大な原発を作るという中国電力の計画は、海面埋め立てを巡って生活と命をかけて反対する祝島の人たちや、危険な原発を瀬戸内海という閉鎖系水域に作ることの危機感から集まった人たちの戦いによって、ブイを設置するという手続きはなんとか卑劣な手段を使って乗り越えたものの、実際に海を埋め立てることができないままになっている。もちろん彼らは次の卑劣な打開の道を探っているのだろう。

 しかし、私たち祝島の人たちと思いを同じくする人間にも、もっと考えてみるべきことがあるのではないか。ブイを台船に積み込ませないように漁船をつないで阻止線を張っている漁民たちに、中国電力の社員が拡声器で投げかけた言葉を聞きながら、そう思いついた。彼らは祝島漁民たちに向かって、島にも電気を送っている、と言った。それは、言葉には出さなかったが、おまえら誰に電気を作ってもらって生活しているんだ、文句を言うなら電気を送ってやらないぞ、という気持ちを投げつけたものだと私は聞いた。

 その言葉を聞き、気持ちを思って、私が考えたのは、「そうだなあ、そんな原発の電気なんかいらないぞ」と私たちが言えるかどうかが問われているんだということだった。原発は嫌いだ、いやだと言う人は多いが、その人たちは原発が作った電気をどの程度拒否できるのだろうかということだ。やはり原発の電気なんかなくってもいいんだとはっきり言える生活をする必要があるのではないだろうか。あまりに電気を垂れ流すような生活をしていないだろうか。そして口だけで原発反対を唱えていないだろうか。

 コンビニの24時間営業は電気の無駄、自動販売機の24時間営業は電気の無駄などと私もいろいろ主張してきた。そう私が言うとき、このように反論されることが多い。「明かりに使う電気なんか全体のほんの一部、工業などの産業に使われる電気が圧倒的に多いから、少しばかり明かりを消して見てもほとんど意味がない。」たしかに事実はそうだろう。でもそれをいいことに自分たちが無駄な電気を使っていていいのだろうか。私は決してそうは思わない。上関の原発に反対なら、中国電力の電気を使用することを少しでも減らす努力をするべきだし、東京電力の東海原発に拒否感を持つなら、東京電力の電気をなるべく使わないようにするべきではないか。

 見ていないときはテレビを消す、部屋のライトは半分に減らす、エレベーターやエスカレーターはなるべく使わない、職場の昼休みなどの部屋の照明は消す、などなど一つ一つの行為がすぐに効果があるとは限らないけれど、一人でも多くの人が心がけることによって、もっと多くの人がそれを行わないことに引け目を感じるような世の中になっていくだろう。そうすれば、きっと原発を作るという危険で高価な選択をしないでも、電気が足りないと言うこともなくなるだろう。

 そもそも今の発電事業は、無駄な電気を作ることを前提に行っている。なぜなら、もっとも電力が使用される時にでも停電しなくても言いように十分余裕のある発電量を確保するという政策があるからである。それは真夏にエアコンとテレビを皆が使うときだという。しかし、そんなに電気を作る必要があるんだろうか。電気を使いすぎたら停電になる方が、みんなが節電をしていいのではないか。去年だったか、地震やデータの不正・改ざんが露見して東京電力の原発がすべて停止になったことがあった。その夏、節電を呼びかけた結果、真夏にも電力が足りないという事態は避けられた。電力会社からの要請で、消費者が使用を控え、工場も一部操業を自粛するなど協力したからだった。やればできる。原発がなくてもなんとかなるし、最近は人口減もあり需要は減ってきているのだ。いま新しい原発を作るという選択をするべきではない。停電したっていいじゃないか。

中国電力の犯罪

2009-10-10 | 環境
山口県上関町の原発建設に反対する祝島の漁民の闘いは、9月13日のブログ「宝の海を守りたい」で書いたが、彼らの闘いは日本各地から集まったカヌーイストたちやサーファーなどの協力で続けられている。しかし、今月7日、台風が明日にも上陸するという日、中国電力は朝から台船を平生埠頭に向かわせ、祝島漁民らが漁船を並べて阻止線を張るのを見届けて、今日の作業は中止すると表明し、台船も引き上げさせた。そして祝島の漁船が引き上げるのを見届けた後、早朝に別の場所から別の台船を使用して埋め立て予定海域にブイを設置したと発表した。そして埋め立て免許の期限が切れる21日を前に、埋め立て工事に着手したと工事着手届けを提出した。中国電力は漁民を騙して工事を行うというまことに姑息な手段を使った。

 無事に工事に着手できて良かったと山口県知事側では述べているようだ。上関町の推進派も工事着手を喜ぶ談話を発表している。知事や町長はいったい誰のために働いているのだろうか。それを疑わせるのは、二井山口県知事の息子も元上関町長の息子も、今は中国電力の社員となっているのだ。中国電力のやり方は、いかにも悪質ではないか。

 先日、阻止線を張っていた祝島漁船の中に、普段はそんなところで漁などしていないのに、むりやり割り込んで刺し網を入れて祝島の漁船に漁の邪魔をするなと意地悪をしてみせた上関漁協平生支店の運営委員長も、息子が中国電力の社員なのだ。中国電力は、このような人びとの息子を自社に就職させることによって、賛成派を抱き込み、籠絡させている。いかにも悪質ではないか。

 反対派の住民が中国電力に電話で抗議をしたところ、中国電力広報係の人間は、「昔、核実験の時、放射能がいっぱいばらまかれたんだから、ちょっとくらいの放射能でむきになることはないではないですか」と言ったという。中国電力はこのような恐ろしい考え方で原発を作ろうとしているのだろうか。とても許せない発言だと思う。ぜひとも中国電力の人たちは原発の敷地の中に住んでもらいたいものだ。ちょっとでも放射能が漏れたら、瀬戸内海の魚はだれも食べなくなる。瀬戸内海の漁業は壊滅するだろう。ちょっとくらいの放射能にむきになるなという中国電力のような人たちは、一刻もこの世から消えて貰いたい。それが核廃絶を願う人びとの気持ちなのだ。

エコカーはエコか?

2009-10-09 | 環境

ハイブリッドカーとか電気自動車など、いわゆるエコカーの販売が好調だという。それにはエコカー減税という政府の政策が効果を現しているという。これは前の自公政権の時に始まった政策だ。この政策によって世界不況の中で落ち込んでいたトヨタなどの自動車工業が息を吹き返したらしい。そしてエコカー減税という政策に使われるお金は国民の税金である。

 もし、「エコカー」による二酸化炭素の排出量が大幅に抑えられれば、それはたしかにエコな政策で、それで自動車工業界も息を吹き返すなら、いわゆるグリーンニューディール政策として歓迎すべきものかもしれない。でも本当にハイブリッドカーとか電気自動車は二酸化炭素の減少に寄与しているのだろうか。そこのところは研究者にきちんと調べて貰いたいところだが、研究者の言うことは時々信用ができないから困る。なぜなら、たとえば薬の安全性を審査している研究者が、実はその薬を製造販売している会社から研究費を貰っていたりするからだ。エコカーが本当に二酸化炭素の削減に有効なのかどうか、自動車業界から金を貰ったことのない研究者に調べて貰いたい。

 でも、素直に考えて、電気で走る車がガソリン車より二酸化炭素を排出していないというのは、ちょっと信じがたい。電気で走れば二酸化炭素は出ないと考えている人が多いようだが、それは大きな間違いだ。なぜなら電気だって化石燃料を燃やして作っているのだから。しかもガソリン車がガソリンを燃やして走る熱効率にくらべ、電気を作る熱効率は非常に低い。重油を燃やして発電する火力発電では熱効率は40%くらいといわれている。原子力発電にいたっては、熱効率は30%しかない。熱効率を考えれば、ぜったいガソリン車の方が熱効率は良いはずだ。だから、道路を走っているときには電気自動車は二酸化炭素を出していないようにみえるが、実は電気を使った時点で多大な二酸化炭素を出していることになる。原発の電気なら二酸化炭素は出さないと思うのも大きな間違いだ。原発で使うウランの濃縮にどれだけの二酸化炭素を使うか、また使用済み燃料を安全に保管するのにどれだけのエネルギーと二酸化炭素を使うか考えてみれば、原発の電気だから江古田とはとても思えない。

 つまり、エコカーというのはけっして本当に二酸化炭素の削減に寄与するものではないのだ。それにもかかわらずエコカー減税という名前で政府が国民の税金で車屋を応援しているのは、詐欺でしかないということなのだ。ましてや、車を持たないで本当にエコ生活をしている人は、税金で他人の車の購入代金を負担させられ、さらに結局は二酸化炭素の放出を手助けさせられてしまうということになる。

 民主党政権に望むのは、なにが本当に地球環境を守ることになるのか、良く本質を見て政策を実行して貰いたいということだ。高速道路の全面無料化も同じ事。公共交通をもっと安く便利に利用できるようにすることが、もっともエコ政策なのだ。

埋め立てが止まる!門は開く

2009-09-19 | 環境
次々とマニフェストに書かれている政策を実行に移していく民主党政府の姿が毎日のニュースや新聞で目に見えて、わくわくするような感動を覚える。いつまでもこうはいかないだろうが、これまでの自公政権では何があっても何も変わらない、悪い方向に向くことはあっても良くなることは期待できなかった。それが今は良くなることが期待できると実感している。

 八ッ場ダムと川辺川ダムの中止は、うれしいニュースだったし、それに続いて全国143のダムの見直しに取り組むというのは、望外の喜びだ。少しでも多くのダムが中止になって欲しいと思う。いや、できればこれまで作ってきたダムを少しでも撤去して欲しいと思う。大型ダムによる治水が環境破壊を引き起こしてきたし、鮎を始めとする魚がすめない川を作ってきた。さっさと脱ダムを行っているアメリカでは、すでに300近くのダムが撤去されたというのに、日本ではまだ一ヶ所もダムの撤去はできていない。

 そして今日、待ちに待った決定が出た。現在では沖縄県最大の干潟である泡瀬干潟の埋め立て事業を、第1期事業は中断、第2期事業は中止すると前原国交相が明言したという。本当にうれしいことだ。地方裁判所では埋め立てのための公金支出差し止めが認められたが、国と社民党だった東門美津子市長までが控訴して、いま高裁で審理中だが、これで高裁で差し止めが認められたら国は控訴しないだろう。泡瀬干潟の多くの動植物や美しい自然が救われる。結局は沖縄県民が救われるのだ。

 さらにうれしいニュースが続く。諌早干拓事業のギロチン「閉め切り堤防」を開門して海水を入れ、干潟を復活させ有明海を少しでも元に戻す開門調査を行うための準備を農水省が始めているというのだ。赤松農水相の明言はまだ聞かれないが、専門家会議でも裁判でも開門調査を求められていながら、いろいろと難癖を付けて開門調査に応じようとしなかった農水省だが、民主党政権になってようやく開門調査をやることに決めたようだ。一度壊した有明海の自然は元に戻すにはほど遠いけれども、過ちを認め少しでも有明海の再生に良い方向を探して欲しいと思う。

 政権交代とはこういうことだったのか、と多くの国民が目を見張っているに違いない。難しいことや間違っていると思うこともいくつもあるが、まずは民主党が国の形を変える努力に拍手を送りたい。日本の海がよみがえるかもしれないとわくわくする毎日だ。政治にこんなに期待するのは、今まで無かったような気がする。いずれさめるかもしれない夢だけど、少しでも長く見ていたい。

 でも、上関の埋め立ては民主党も容認しているらしい。民主党よ、埋め立てはすべて止めて欲しい。ましてや瀬戸内海に原発を造るなんて。