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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

懐かしい湘南の海

2012-07-26 | 日記風
ほんとに久しぶりに湘南の海に、知人夫婦を訪ねていった。お二人も最近、引っ越してきたばかりだ。海からそう遠くない山際に新しい家を建てていた。引っ越して間が無いので、まだまだ荷物がそのままになっていたりするのだが、それでも広々とした家の間取りで、ゆっくりと湘南の海の匂いを嗅ぎながら、よもやま話に時間を忘れた。

 昔、この近くに私も住んでいたことが有り、鎌倉から逗子あたりの海岸はよく歩いたところだ。私が歩いた昔と比べて、潮の匂いが希薄になったような気がするのは、気のせいだろうか。海岸の道路脇に立ち並ぶ建物も、もう見たことないものばかりだ。そういえば、私が歩いたのはもう20年以上も前のことになる。

 懐かしく思い出すのは、二人の子供といっしょに鎌倉の海に遊びに来て、帰りに鎌倉駅まで歩くとき、交差点に来るたびに3人でじゃんけんをして、買った人の方向へ曲がるという遊びをした。交差点へ来るたびにじゃんけんをする。行ったり来たり、右に曲がったり左へ行ったり、いつになったら駅に着くのか、とうとう夕陽が親子の顔を真っ赤に照らすようになり、山際に沈み、あたりが薄暗くなっても、まだ私たちのゲームは終わりが見えない。駅に近づいたと思えば、いつのまにか海の方へ遠ざかる。ついに下の娘は疲れて私の背中からじゃんけんをするようになった。あんな楽しい親子の遊びは、今ではもうできなくなった。人々も忙しくなったし、町も変わってしまった。

 今でもこの湘南の道路は週末には渋滞するらしいが、出没する湘南ボーイと湘南ガールのけばけばしさも変わっていない。砂浜の風情は好きだけど、この人たちが群れ集っているところは、決して近づかないようにしている。それでも、湘南となれば、この方々のうちの人と思える人があちこちに出没して、うるさい音楽をかけて、周囲を辟易させている。

 こんな若者とは似ても似つかないような若者たちといっしょに、浜辺を歩いた。彼らはまだ二十歳前後だ。海を見たことがないものはいなかったが、海へ来たことが無い若者もいた。他の若者も海は縁遠い存在のようだ。かといって、山へ出かけているわけでは無い。今の若者はどこへ行くのだろう。どこへも行かないで、部屋の中でゲームをしたり、スマホとかいうものをいじっているうちに一日が過ぎていくのだろうか。哀しい人生だね。海辺で茶髪頭を振りかざして、踊っている若者とどちらの若者が、本当に生きていると言えるんだろうか。

 湘南の海と知人夫婦とのおしゃべりを楽しんで、京都へ帰ってきたら、蒸し風呂のような京都が待っていた。今日も昨日も、35度を超える猛暑日だ。今年は暑さが厳しいとの長期予報がでた。10月になると秋が来るという、誰でも分かりそうな長期予報だった。いつまでこの暑さに我慢すれば良いのだろうか。今日一日をなんとか過ごすことだけが、毎日の最大の仕事になりつつある。そして、関西電力は電気があまったにもかかわらず、また高浜原発の再稼働を狙っている。他人の命より自分の金が大事。彼らの非人間的な論理はいつまでも続く。

愛は世界を救わない

2012-07-04 | 日記風
近くにある有名なお寺に、気軽に散歩に行った。ちょうど、このお寺の住職が法話を話すときだったので、気軽に聞きに行った。このお坊さんは、まだ若いが、かなり有名な人のようで、いろんな人から噂を聞いてはいたが、会うのは(見るのは)初めてだった。

 最初はちょっと聞いて途中で出ようと思っていたが、話を聞いている人が10人くらいと少なかったことも有り、途中で出るのも勇気がいる。観光客と思われる若い女の子の二人連れは、途中でさっさと出て行ったが。でも、法話の内容が面白くて、為になるので、最後まで話を聞いた。終わっても去りがたくなり、しばらくお坊さんと話をした。

 この法話の中では、仏教における宗派の違いについての話があった。キリスト教などでは、カソリックとプロテスタント、その他いろいろな宗派があり、それらの間には決して超えられない確執や憎しみがあると、聞き及んでいた。しかし、仏教の宗派にはどうもそういう気配が薄い。いったい仏教の宗派とはなんだろうと、常日頃から不思議に思っていた。浄土宗と浄土真宗、天台宗。最澄、空海、法然らの間にはどのような確執や憎しみがあったのだろうか。その疑問が彼の法話ですっかり解けた。日蓮は少し違うが、最澄、空海、法然らの教えには、根本的な違いは無い。他力本願は、仏の情けにすがって浄土へ行こうという庶民の願いが反映されている。本願成仏も、自分の努力と勉強で、浄土へいけるというもの。どちらも阿弥陀浄土へ行くことの願いを説いたもので、そのちがいはほとんど無い。多少のお経の解釈の違いがあるだけである。だから、日本では、葬式や法要などでは、違う宗派のお坊さんがきてお経を上げていくことも、普通のことなのだ。キリスト教との違いは、はっきりした。

 宗派のことも面白かったが、もっとも印象に残ったのは、「愛は世界を救わない」というお説教だった。「愛が世界を救う」「愛さえあれば」「愛こそ平和」などという言い方を良く聞いている私には、「愛は世界を救わない」という言葉は一瞬、耳を疑った。でも、お坊さんの説教は、すぐに理解できた。「愛は我欲である」「欲は、愛を要求する」「自己愛、夫婦愛、家族愛、故郷への愛は、日本への愛、愛国心へとつながっていく」「これは平和では無く戦争につながる」「仏は愛を説かない」「仏は我欲を排する」「仏の望むのは無我」と法話は私の理解を導いていった。仏教の説くのは、『愛』では無く『無我』であることを教えてもらった。キリスト教が愛を説いているのとは、あきらかに異なる。愛は欲につながる。これは、今日の私にとって極めて大きな収穫だった。散歩はしてみるものだ。京都はそんなことが散歩の効用にある。

眼が見えるようになって

2012-06-26 | 日記風
年度末から続いていた仕事も、梅雨に入ってようやく一息ついたので、かつてから懸案だった眼の白内障の手術を受けることにした。2年ほど前に手術を受けようと思い立って、病院に行ったところ、医者に様子を見ましょうと言われ、ああ、まだ手術するほど悪くは無いんだと思って思いとどまったことがあった。あれから2年、右目の見え方はかなり悪くなったように思う。我慢できないわけではないが、いつも左目だけで世の中を見ているような気がしていた。病院に行くと、今回は手術しますか様子を見ますかという選択肢を示された。どうやら、そろそろ手術をしてもいいよと言うことのようだ。

 まだ待っても良かったような気がしたが、いろいろ思い悩むのも面倒だし、いつまで生きられるか分からない今の日本では、生きているうちにもっと目を見開いて世の中を見ておきたいという気持ちもあった。もっとも、世の中の美しいものはほぼ見てしまったという気持ちもあったが。よく見えるようになると言うことは、美しいものだけが見えると言うことでもない。汚れたものも、よく見えると言うことだ。汚れた人たちの心までも見える。でも、それが見えないとまちがった世の中が、そのまま進んでしまう。

 もっとしっかり世の中の出来事を見ておこうというつもりもあって、手術を受けることに決めた。実際の手術は、わずか10分~15分程度で終わった。眼の水晶体を吸い取って、人工物に置き換えるという手術なのだが、目をつぶっているわけにはいかない。部分麻酔をするから痛くは無いと聞いてはいたが、目を開いたまま眼の手術を受けるというのは、どう考えても恐ろしい。頭からすっぽりとずきんのようなものをかぶせられ、右目だけを出し、目をつむらないように固定される。そして、医師がよく見えるように眼をものすごく明るい照明で照らし出す。太陽を直接見ているようにまぶしい。目をつぶることも許されないので、これは拷問のようなものだ。でも、痛くは無い。ただひたすらまぶしい。

 まぶしさに耐えているうちに、手術は終わった。その日は、右目に眼帯が懸けられ、どうなったかは分からない。次の日に、医師が眼帯を外してくれた。びっくりするほど世の中がクリアに見える。しかも、近眼で0.3しか見えなかった右目のレンズを1.5が見えるような人工レンズに入れ替えたため、遠く山の上の木までよく見える。これで、両眼とも1.2以上が見えることになった。ただ、今まで右目が0.3しか見えていなかったため、右目と左目のバランスが、それを前提にとっていたのが、バランスが崩れてしまった。しかも、近視は治ったが、老眼は治っていないので、ますます近くは見えなくなった。

 でも、遠くまでくっきりと見えることが、これまでメガネをかけてもそれほど実現しなかったのが、いまや実現してしまった。こんなにくっきりと見えて良いのかしら、と思おうほどだ。でも老眼鏡を作るまで、しばらくは近くが見えないので、仕事をするのが難しい。本も読めないから、時間を潰すのが難しい。しかたなく、テレビを見るが、最近のテレビって、見たいと思う番組がほとんど無いのだ。チャンネルの選択肢は、BSも見えるようになったから、20くらいあるのに、本当に見たいと思う番組が無い。みんなこんなアホ番組ばかり見ているのだろうか。

 せっかく手術をしてよく見える目になったのに、その使い道が見つからない。しばらく本が読めるようになるまで、我慢我慢の毎日だ。

 今日、消費増税法案が衆議院を通過したそうだ。圧倒的な多数で。野田政権は許せない。彼らは自民党に戻るべきだろう。国民を騙すために民主党を作ったのか。原発の再稼働は、もっと許せない。金曜日の夜は、みんなで官邸を取り囲もう。

砂糖のないコーヒー

2012-03-27 | 日記風
京都のとある街中で、買い物の途中に疲れをいっとき癒すため、街角にあるちょっと凝った造りの喫茶店に立ち寄った。買い物をした近くの店で、コーヒーを飲むところを聞いたら、ここを教えてもらった。店の中は落ち着いた雰囲気で、壁に禁煙と書いてあったので、安心してコーヒーを飲めるなあと思った。喫茶店に入るときはいつも禁煙かどうかを確認してはいる。雰囲気の良さそうな喫茶店でも、中にはいるとタバコの煙と臭いが充満していると、席が空いていようが、すぐに出てしまう。京都はその点、禁煙の喫茶店が比較的多いので、うれしい。大阪では、まず喫茶店へ入ることも難しい。

 客は誰もいなかった。ゆったりとした木製の長いすに座り、メニューを開いた。どうやらこの店はコーヒーの専門店という感じらしい。コーヒーは店でブレンドしているもっとも安いのを頼んだ。それでも一杯600円する。ちょっと高いなあと思ったが、調度品が気持ちいいし、休みたいという気持ちが強かったから、まあいいかと思った。いかにも珈琲屋のおやじ風の男が、しばらく時間をかけてあわてずにコーヒーを入れ、持ってきた。そこまではよかったのだ。

 見るとコーヒーだけが机の上に置かれている。私はコーヒーはあまり得意じゃない。だから砂糖がないとコーヒーが飲めない。ところが砂糖がない。ミルクもない。そこでおやじに、砂糖をくださいとお願いした。するとおやじはこう言った。「飲んでみましたか?」ううう・・・。どういうことだろう。砂糖をくれという客に、飲んでみたかとは。もう一度、「砂糖が欲しいんですが」と言ってみた。すると、また、「飲んでみて下さい。飲んでから言ってください」という。そこではたと思い当たった。この喫茶店は、コーヒーマニアのための喫茶店だったのだ。コーヒー好きのマニアには、砂糖を足してコーヒーを飲むなどということは、許し難い侮辱なのだろう。

 そこで、私はしぶしぶコーヒーを口に運んだ。おいしいならしかたないと思ったのだが、一口含んで、びっくりした。苦いのだ。とても飲めたものじゃない。コーヒー通は、こんな苦い飲み物を通ぶって飲んでいるのだろうか。苦虫をかみつぶしたような顔で私はやはり砂糖がないと飲めないと言うと、店主はしょうもないやつだと言わんばかりに砂糖壺を店の奥から取り出して持ってきた。なんという喫茶店だろう。コーヒーマニア以外は店に来るなと言わんばかりの態度に、さすがの私も切れた。でも、紳士の私(?)はそんなことをおくびにも出さない。コーヒーカップをひっくり返して店を出たいと思ったが、600円とせっかくの休息に選んだ時間がもったいない。でも、結局休息にはならず、気持ちはストレスを抱えたまま、そそくさと店を出た。

 コーヒーマニアの店があってもいい。でもマニア以外は歓迎しないのなら、店の表にそういう言葉を書いておいて欲しい。コーヒーマニア以外はお断りと。あの店にはもう二度と行かないと固い決心をして帰った。でも、次回あのあたりをうろうろしているときにあの店を見つけたとき、このときのことを思い出すだろうか。意外と忘れていて、店に入ってしまう懲りない私なのだ。

山歩きとコンサート

2012-03-13 | 日記風
雪とはおよそ関係のないと思われる「雪野山」に登ってきた。といっても、わずか309mの丘のようなところ。滋賀県の琵琶湖の南にある小さな山だ。往復の乗り物に乗っている時間の方が圧倒的に多い。それでも引っ越しを二つもして、永らく山歩きをしていなかったから、楽しく歩けた。寒い日だったからか、休みというのに誰にも会わなかった。あちこちにベンチが置いてあって、季候の良い日には、お弁当を持ってハイキングをするには絶好の場所のようだ。麓にあるのは古刹の雪野山龍王寺。喘息封じの寺として有名で、全国から喘息に悩む人たちがぜんそく封じのご祈祷のある旧暦の8月15日には大勢集まってくると言う。

 3月11日の夕方は、東日本大震災から1年目のチャリティコンサートに出かけた。最近お知り合いになった歌手の人が仲間たちとちょっとしたコンサートを無料で開き、カンパを被災地を支援している人たちに贈るというコンサートだった。1時間半、ジャズから童謡、ニューミュージックまで、幅広いジャンルを唄い、演奏した。小さな会場は立ち見が出るほどの盛況ぶり。みんな3.11になにかしたい、せめてチャリティにでも行って、自分なりに貢献したいという気持ちがあるのだと思う。私も同じだ。なかなか行動に移せない自分を悔しく思うから、せめてチャリティには参加したい。

 お知り合いの歌手の人は、ちょっと風邪気味と言っていたが、それでも張りのある美しい声で、私がリクエストした海の歌や「ふるさと」を歌ってくれた。彼女は調子のよくない様子だったが、せいいっぱい歌っているのがよくわかる。参加者も予想以上に来てくれたので、よけいに張り切ったのだろう。ありがとう。私はカンパを張り込んだ(といっても、ほんのわずかだが)。

 一年目の3.11はそうして過ぎていった。来年の3.11は、どこでどうしているだろう。一年前には思いも寄らない人たちと絆を結び、思いも寄らないところで、生活している。年を取ってきたが、まだまだ人生には楽しいことがありそうだ。でも、哀しいこともいっぱいありそうだ。人生は結局、プラスとマイナスが最後にはバランスを取るんだろう。いつ人生を終わるか、それが選べないから、難しいのかもしれない。

懐かしいお雛さまを飾る

2012-03-02 | 日記風
3月に入って、暖かくなってきた。奈良東大寺二月堂のお水取りの行事も始まった。修二会の行事が終わると、ようやく春が体に感じられるようになるというのが、子供の頃からニュースを聞いて感じていたことだった。それと比べても、春が早くなったとは思えない。気温を比べれば、きっと今の方が早く暖かくなっているはずなのだが、冬のしっかりした暖房に体が慣れているせいか、いつまでも寒く感じる。

 明日は、雛祭り。我が家のお雛様は7段飾りのそれなりに豪華なものだ。二人の娘のために、若い頃かなり無理して買った覚えがある。もっともデパートで、規格外れの安い出物があったので、なんとか買えたのだが。それも娘が二人とも自立して家を出てから、もう長いこと箱の中で眠ってしまっている。先日、引っ越しをしたときに、箱のほこりを払ったことから、お雛様のことを思い出した。引っ越した先で、なんとか段ボールの山をかたづけて、そうだ今年はお雛様を飾ろうと思い立った。しかし、7段飾りを広げる空間は、まだ十分確保できそうもない。飾ると生活空間がなくなりそうだった。思案したあげく、今年はお内裏様とおひな様二人だけにお出ましいただくこととした。二人だけなら、なんとか出窓に飾ることができ、生活空間に犠牲をしいることなく飾れる。

 というわけで、いま我が家にはお内裏様とお雛様のお二人が、居間の出窓から私たちの食事を眺めている。長い間見なかったお二人の顔は、いまさらながら美しい。もっと早くこうしてあげたらよかったと後悔している。もっとも三人官女や五人囃子、右大臣に左大臣、靴持ちたちは、今年も箱の中で眠り込んでいるばかりだ。ちょっと可哀想だが、来年は、三人官女に出窓に出ていただこう。



 かつて7段飾りを飾っていた頃、いつも雛人形に身分の差が露骨であることに、違和感を持っていた。雛人形のできた時代は、江戸のいわゆる封建時代であるから、この身分差は当然だったのだろうが、民主主義を信奉する今の時代には、やはり違和感が大きい。ときどき内裏様と靴持ちを入れ替えてみたりして、家族に怒られていたが、なんとなくこの身分による差別を飾るのは、居心地の悪さを背中に感じていたものだった。

 それでも雛人形を飾り、ぼんぼりを置き、桃の花を生けると、春の足音がすぐそこに来ていることを感じることができるような気がする。今年の春は少し遅いようだ。桜も4月にならないと見られないようだ。早く満開の桜を見たいと思うのは、毎年のことながら、とくに今年は強く思う。昨年の桜の時期に、桜を見る余裕がなかったからなのだろうか。京都の桜は、さまざまな縁を結ばせる。春はもうすぐだ。

生きて欲しい

2012-02-24 | 日記風
先週、沖縄へ行ったのは、頼まれたことがあったのが主な理由だったが、同時に昨年の秋のブログにも書いたが、知人の女性が重篤な病に陥り(美空ひばりの死因と同じ病気だとか)、最近は食も細って生命維持装置につながりかねない状態に陥っていると聞いて、お見舞いと励ましに行ったのだった。彼女はその前の週に入院し、見ているだけでも哀しくなるような状態だった。今回、彼女のお父さんにも初めて会ったが、実直そうな沖縄のおじいが、娘のことを思うと辛くて・・と、大粒の涙をぽろぽろと流す様をみると、こちらもただただ目が潤んでくるばかりだった。

 見舞いをしても、われわれには何もしてあげられることはなかったが、とにかく頑張って生きるんだよと言い残して、京都に帰ってきた。その後、彼女のお母さんから、見舞いをしてもらったあと、彼女が「生きたい・・」と言い、頑張って食事も自分から食べようとし始めたと、メールが来た。うれしいことだった。その後、検査の数値がよくなってきたという知らせも届いた。こんなうれしいことはない。私たちのお見舞いが、彼女に生きる勇気を少しでも与えられたとしたら、こんなうれしいことはない。
 
 京都もしばらく寒かったが、ようやく春の気配がしてきた。彼女が回復して京都の桜を見に来ることができれば、この世にも神も仏もいるんだと思うことができる。
 

テレビの高度化についていけない

2012-02-08 | 日記風
引っ越しをしたら、テレビが映らなくなった。アンテナ以外にブースターというものが必要で、それをつけるのに4-5万円かかるという。今までは、大家がそれを設置していたらしいが、自前の家だと自分で買わないと行けないらしい。アンテナさえついていれば、テレビは見られると思ったのは、アナログ時代のアナクロなのらしい。まったく地デジ化などという勝手なことをして、電気製品を作る会社ばかりを儲けさせて、国民は馬鹿にされているようなものだ。と怒ってみても、せっかく買ったテレビが映らなければもったいないので、しかたなく大枚をはたいてブースターを買った。

 ようやくテレビが見え始め、BS放送も楽しめるようになった。ところが、昨日、いきなりテレビが映らなくなった。いったいどうしたことだろう。昨日の大雨のせいだろうか。でも雨ぐらいで映らなくなるようでは、困る。あんなに高いものを買わされて、また見えないのでは、怒り狂ってしまう。なんとかしてくれ。テレビってそんなにたいそうなことをしないと見えないものだったのだろうか。高度化したおかげで、お金はかかるし、複雑で自分で直せなくなってしまった。テレビももっといろんなレベルで楽しめるようにして欲しい。地デジでなくても、画面が少々粗くても、自分で調節できるような方法を残して欲しい。みんな電気屋にお金を払わないと行けないように、いったい誰がしたんだろう。松下幸之助さん、どう思いますか。

電話とインターネット

2012-02-04 | 日記風
日本海側の大雪が続いている。京都は、日本海に面しているわけではないが、それでも位置的には日本海に近いので、気候は太平洋に面している東京都は異なって、冬は曇りがちで、時雨れたり、小雪が舞ったりする日が多い。北山を超えれば、京都市内でも雪は深い。町の中では、積雪はない。積もっても一日たてば雪は消える。それでも冬空はうっとうしい。

 寒に入ってから、公私がともに忙しくなり、寒さに震えながらあちこちに出かけたり、住まいを移したりした。東京に出かけることが多いが、京都に比べるとなんだか東京は暖かい。太平洋に面しているから、晴れる日が多いせいなのかもしれないし、ヒートアイランド現象によるものかもしれない。それにしても、京都はやはり冷え込む様な気がする。

 バタバタしているので、山歩きをする時間もない。しばらくはインターネットに接続もできなかったので、ブログもしばらくのご無沙汰だった。電話もしばらくつながらなかった。電話と言えば、携帯電話を止めてからもう一年近くたつ。私としては、携帯電話がなくっても困ることはないのだが、この社会がどうも携帯電話をみんな持っていることを前提にして動いているようで、携帯をもっていないというと、困惑したような顔をされる。たしかに、携帯を持っていることが前提になっているので、どこかで集合するときも、きちんと時間と場所を決めないで、なんとなく集合するというやり方が若い人中心の集団では取られているようで、その中に携帯を持たない私のような人間が混じると、どうも全体が混乱するようだ。そういえば、私が結婚した頃は、家に電話があることが当たり前で、電話を設置していなかった私の場合は、買い物や入会や役所の手続きでも、電話がないと受け付けてもらえなかったりしたことを思い出した。今の携帯電話がそのようなことになっているらしい。逆に、固定電話をつける人がどんどん減っているらしい。自宅にやってきたNTTの作業員と話をしても、これから3-4月にかけて忙しいですねと聞いても、どうもそうではないらしい。固定電話をつける人が少ないので、仕事が減って困っているという。時代の変化は、めまぐるしい。

 消費者の世界も変化が著しいし、政治の世界もどんどん変化する。価値観がこんなに激しく変わると、何も信じられなくなる。政治不信は、政治家の質の低下だけが原因ではないのかもしれない。政治家を選ぶ人々の質も低下しているのだろう。人はその質にあった政治を選ぶのだろうから。日本が沈んでいくのは、もう止めようもないのかもしれない。山河を廃墟にした原発を、それでも再稼働させようとするんだから。

日常と政治

2011-11-30 | 日記風
11月も終わりになった。今年もあと1ヶ月。なぜかせわしない。もっとゆっくり生きていきたいし、ゆっくりできるはずなのに、いつまでもせわしない日々が続いている。昨日今日と山を歩いた。といっても趣味の山歩きではない。山を歩いて、いろいろ調べる。どんな杉の木が生えているか。どのくらい生えているか。その杉はいつ植えられたか。その面積はどれくらいか。天然林をどのようにして人工林にしたか。などなどを山を歩きながら調べるのだ。頂上を目指す山歩きと違い、この山歩きは達成感はない。でも山歩きの時にも歩かないような道無き道を歩き、道もつけられない険しい斜面を歩く。かなりつらいが、合計すると趣味の山歩きほど歩いてはいない。それでも体はくたくただ。計画的に歩けないからだろう。

 被災した気仙沼の山を歩いて、街に帰ると、3月11日以来変わらない光景がある。がれきはかなり整頓され、集積されたが、壊れた建物は依然としてそのまま、破れ小屋のごとく立ちつくしている。この景色をそのままに、政府は消費増税やTPP参加というマニフェスト潰しをやろうとしている。福島の現実を横にして、原発輸出協定を締結しようとしているし、原発の再稼働をどうどうと主張するものさえもいる。経済発展に必要だという理由で。経済発展は何のためなのか。人の幸福のためでない経済発展などはいらない。1%の人の膨大な儲けのために、99%の命をなげだすことはしない。原発はいらない。TPPは不要だ。

 山歩きをしながら考えた。コイズミ的騙かしが、いまだに人々に信じられているありさまを信じられずにいる。東京も、大阪も、人々は最低の選択をしている。騙されていると知っていても、夢を追っているのだろうか。かえって自分たちの生活が苦しくなると知っていながら、夢を追っているのだろうか。騙されることがうれしいマゾの世界に生きているのだろうか。そして、人々は99%の中に組み込まれる。亀井静香が、橋下徹や石原慎太郎、平沼赳夫などといっしょに新党を作ろうとしているらしい。うまくいかないとは思うが、実現したらかつての青嵐会の復活だ。日本はあきらかに戦争の道を歩いている。