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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

危機一髪の日本

2013-04-05 | 政治
彼岸を過ぎても寒い日が続いていたと思っていたが、4月に入って、今日はいきなり夏日の予想だ。そして、その後はまた冷え込むという予想。いったい気候はどうなってしまったのだろうか。おかしい。やはりおかしい。

東京の桜は、いつもよりずいぶん早く咲いたようだ。京都では、少し早かったようだが(開花宣言は3月22日)、それでもようやく満開を迎えた。満開の時期は平年とあまり変わりないように思う。もっとも私の子供の頃と比べると桜の咲く時期は早くなっている。昔は入学式に満開の桜の下でというのが、普通だった。最近は卒業式にもう桜が咲いている。気候の不順さと温暖化が、地球がおかしくなっていることを実感させられる。

あれから2年が過ぎた。あれとは3月12日の原発事故発生のことだ。ただちに健康に影響が無いという政府の言ったことの本当の意味が、今頃になってそろそろ現れてきたようだ。じわじわと健康に影響が出ている。福島県飯舘村で、事故後も居残って飼育馬を飼い続けてきた人がいる。30頭ほどの馬を飼い続けてきた。もちろん出荷などはできない。しかし、馬を捨てて餓死させることは我慢ならなかった。馬は、餌を与えられ、これまで生き延びてきた。ところが昨年秋以降になって、その馬たちがバタバタと死に始めた。その人は馬の内臓や血液などを検査してもらった。感染症にかかったのかもしれないからだ。しかし、検査の結果は、病気では無い、飢餓でも無いと言うことだった。考えられることは、放射線の影響しかない。この人は、すでに白骨が皮を被っているだけの馬の死体をそのまま保存している。原因を追及して欲しいという思いからだ。次は人間だと誰でも思う。彼もすでに覚悟を決めているという。これから、福島県の人たちに恐ろしいことが始まりそうだ。もっとも、放射線の影響を受けるのは福島県の人だけとは限らない。ホットスポットは日本各地のいろいろなところに見られる。アメリカの西海岸でも甲状腺異常の子供や乳児の増加が報告されている。

 福島県では、2011年の終わり頃に、産婦人科病院の新生児の7人のうち5人に異常が見られたという看護師からの裏情報が知らされた。最近の裏情報でも、高率の異常児出産があること、そして中絶率が非常に高くなっていることが、知らされた。政府が決して発表しない内容である。そして、公的な統計報告では隠される情報だろう。ある地域の70%の新生児に異常があったとしても、福島県全体の統計で見れば、0.001%の差でしか無いことになる。それは誤差の範囲に収まってしまう。ここに統計のウソがある。

3月に福島第一原発で停電があり、1、3、4号機の冷却装置の全電源が失われた。29時間後に、故障した緊急用変圧器を別の変圧器に切り替えることで、ようやく復旧した。それまでの間、炉心や貯蔵燃料プールの水温は、上昇し続けていた。そのままあと2日も冷却できなければ再びメルトダウンが起こる可能性もあった。そしてもしもその間に大きな地震があったら、おそらく日本はもう立ち直れないほどの地獄になるだろう。アベノミクスなどという小手先のごまかしに乗って浮かれている日本人は、明日の死を知らずに栄華にふけるボンペイ市民のようなものだ。

福島第一原発の終息に、政府も東電も全力を挙げるべきである。いや、東電はもう破産させてしまい、政府がすべてを引き受けて処理すべきである。そして、日本のすべての原発を廃炉にし、もちろん外国への輸出なども止めるべきである。事故を起こした国や会社が原発を輸出するなど、不謹慎そのものだ。許せない。国会は、今すぐ日本での原発の製造・販売を禁止する法律を作って欲しい。原子力は、軍事であろうが平和利用であろうが、すべて禁止である。核廃絶は、日本人の心からの願いだ。

南の海にジュゴンを見に行く

2013-03-26 | 南の海
しばらくブログの更新ができなかった。2月末からフィリピンへ10日間ほど出かけていた。今年もミンダナオでジュゴンを見る旅をした。ジュゴンもすぐに現れてくれたが、現地の人に聞くと、ジュゴンも少なくなっているという。私たちが危惧したように、陸上のバナナのプランテーションの拡大が、深刻な影響を海に与えている。それは一目見ればわかる。海が濁ってしまっている。日本の近海のように赤潮の汚れなどではない。土壌が海に流れ込んでいるせいで、透明度が極端に落ちている。いつもジュゴンを見ているところの透明度は、ここに来始めた10年前頃には、20mは十分あった。ところが今では、2-3mにまで落ちている。ジュゴンの餌の海草は、これでは衰退するばかりだ。ジュゴンの絶滅もそう遠くないかもしれない。



 もう一ヶ所、ジュゴンを見に行った。そこの湾には海草が繁茂しており、ジュゴンの生息も問題無さそうだった。でもわれわれの前には姿を見せてくれなかった。その方が、ジュゴンにとっては良いことなのかもしれない。あおい海、海底までよく見える透き通った水、これこそジュゴンと海草が喜ぶ海だ。ジュゴンが無事子供を育てる環境が永遠に続きますように。

ジュゴンの食べ跡があちこちに見られる。潜水してジュゴンの食べ跡をみる。

食人と生け贄

2013-02-15 | 読書

ジェームズ・クック「太平洋航海記」(上・下)を読み終えた。18世紀に初めて南太平洋の島々の人々と出会った最初のヨーロッパ人であるクックがみた島々の様子が、日記に描かれていて、行ったことのあるところも多いので、たいへん興味深かった。とくに、食人の習慣が多くの島で行われていたことを知り、おどろいた。私が知っていたのは、ニューギニアくらいだったのだが、フィジーに行ってみて、ここでも食人が行われていたと知って驚いたことがある。

 しかし、クックの航海記を読むと、それ以外にも南太平洋では、食人が普遍的に行われていたようだ。とくに、ニュージーランドのマオリ族では、食人は食糧確保のためにもっとも普通に行われていたらしい。これまでニューギニアで聞いた話では、食人は戦闘で死んだ敵の勇者の肉を食べて、彼の勇敢な魂を自分の体に取り込むという半ば宗教的な儀式的な食人行為だと聞いていた。ところが、クックの航海記によると、ニュージーランドのマオリ族やニューヘブリデス諸島など多くの島の住民は、食糧を手に入れる目的で人を殺し食べることが日常的であったという。これには驚いた。クック船長の乗った船の僚船の乗組員がボートでニュージーランドの暗礁に乗り上げたところで原住民に襲われ、銃の弾丸を使い尽くしたところで、全員殺されて食べられたという記述もある。

 かつて、フィジーのビチレブ島にある国立博物館で、いにしえにフィジーを訪れた白人が書き残した食人のレシピに驚いたことがある。人をどうやって解剖して肉を取り食べるかを図解入りで詳しく書いたものだった。それをみて、フィジーの食人が100年前まで行われたいたことを知った。けれども、それはニューギニアやフィジーという特殊な島で行われていたのだろうと思っていた。ところが、そうでは無かったらしい。クック船長の日記には、ニューギニアやフィジーの記述は無い。それは、それらの島については他の国の冒険家がすでに出かけていて、報告を書いていたからのようである。クック船長は、あくまでまだヨーロッパ人が見つけていない島を見て、位置を測量し、イギリスの領土であることを宣言することを最大の目的としたからである。

 彼の日記を見る限りでは、それ以外の、ニュージーランドやタヒチ島など多くの島で食人が行われ、それが儀式的なものではなく、食うために行われたと言うことが分かる。広い世界のなかでも、食人の習慣があったのは、あまり多くは無いようだ。なぜ、南太平洋の島々に住む人たちに食人の習慣があったのか。不思議だ。考えられることの一つは、小さな島には多くの人は住めない。だから、間引きの効果があるのではないか。でも、それは結果としての効果だから、食人が起こる原因と言えるかどうかは、分からない。

 もう一つ驚いたのは、タヒチでは、神に捧げる生け贄の儀式が行われ、その生け贄にされるのは、豚や羊だけではなく、人間も捧げられる。そして、誰が生け贄になるかは、ちょっとした神官役の気持ちで決まってしまい、突然棍棒で頭を殴られて生け贄にされる人が、クック船長が知り合いになった人にもいたということだ。有名なインカ文明でも、太陽の神に捧げる生け贄に、人間も捧げられていた。若い処女が生け贄になったという。同じような習慣が、南太平洋でもあったということは、インカ帝国の祖先は南太平洋のポリネシア人と同じ祖先をもっていたのだろう。ヘイエルダールが証明したように、中南米とポリネシア、ミクロネシアは、航海可能な範囲であったのかも知れない。ひょっとして、一夜にして沈んだと言われるムー大陸の住民だったのかも、と妄想が広がる読書であった。

京都北山 天ヶ岳に登る

2013-02-13 | 花と自然
かなり長い間山歩きをしなかったような気がしている。これ以上、山歩きをしないと私の体はダメになりそうだ。ということで、バスに乗って大原へ。観光客がそろそろ増えてきそうな時間の寂光院の前を通って、山道を歩く。雪が少し残っている。山道に入った頃から、雪が静かに降り始めた。分かれ道の峠まではきつい登りが続く。峠に出て、天ヶ岳への道をたどる。ここからは尾根と平行したトラバースの平坦道だった。雪があるのでちょっと危険なところもあるが、楽な道だ。1時間ほど平坦な道を歩く。途中までは植林の縁の鹿よけネットに沿った道だが、途中から植林帯が無くなり、雑木林になる。新緑の頃なら、この道をのんびり歩くのは楽しいだろう。ぜひその頃、また来てみたい。天気は時々青空になり太陽が降り注ぐが、それでも細かい粉雪が常に降り続いている。足下の雪も増えてきた。ところどころ滑りやすい斜面がある。
 祝日で連休だというのに、ほとんど人に会わない。途中、外人さんの男二人連れに遭遇した。英語で挨拶しようかどうしようかと思いながら、コンニチワというと、コンニチワと答えが返ってきた。今日の一日、山で出会ったのはこの二人だけだった。百井への道と分かれて、天ヶ岳経由鞍馬駅行きの道に入ったところで、今日は終わりにした。頂上はもうすぐだと思うが。到着が12時32分。



頂上付近で蛇のような枝を持つ樹木があった。雪の重みでこうなったのだろうか。蛇年の今年の記念に写真を撮る。



 帰りは慎重に下りたいので、簡易アイゼンを装着。初めて使ったアイゼンだったが、装着に時間がかかった。簡易アイゼンだと言うことで、前もって足に合わせて調節していなかったから、装着には時間がかかった。雪道で滑落したら危険と思うところが2-3ヶ所あったが、アイゼンを付けていればなんと言うこともない。平坦だが、横が切れ落ちているトラバースを半分歩いて、ヒノキの人工林に来て、アイゼンを外した。ところが、アイゼンがザックに絡まって、横の斜面をころころと転がっていった。10mほど落下して、木の陰に止まった。どうしようか。簡易アイゼンなので、高いものでは無いが、新しいし、また買いに行くのも面倒だし。ザックを降ろして、慎重に立木にすがりながら斜面を下る。かなり急な斜面で、木から手を離すとそのまま下まで落下しそうだ。ゆっくりと雪の中に足を入れて、地面を確認しながら下りていく。アイゼンを回収して、また急な斜面を登る。寂光院前に2時に到着。
 夜、のどがおかしいことに気がつく。どうやら風邪をどこかでもらったらしい。今日の雪山で汗をかいたのが、引き金になったようだが、ウイルスをもらったのは新幹線の中だろうか。葛根湯を飲んで早めに寝る。雪山は久しぶりだった。しかも北海道ではアイゼンを使うことも無かったので、アイゼン装着は本当に久しぶりだ。久しぶりのアイゼンウオークで、足が痛くなってきたのは二日後からだった。

淡路人形浄瑠璃を鑑賞

2013-02-07 | 日記風
先日、京都の春秋座で淡路人形浄瑠璃を鑑賞した。昔一度、国立文楽劇場で文楽を見たことがあり、テレビでは何度か文楽を見たことがある。ビデオでも何本か文楽の出し物を持っており、たまに見ることがあった。しかし、人形浄瑠璃は初めてである。人形浄瑠璃として知っているのは、阿波の人形浄瑠璃で、「・・して、トトさんの名は? 阿波のじゅうろべえと申します。 ・・・してカカさんの名は?・・・ 」という名台詞で有名な「傾城阿波の鳴門」だった。ところが、阿波の人形浄瑠璃の発祥の地は、淡路島だという。日本の国の文化という文楽が、人形浄瑠璃から発しているから、日本の文楽のそもそもの発祥地は、淡路島だということになり、淡路人形浄瑠璃が、その始まりでもある。

 鑑賞した淡路人形浄瑠璃の演目は、「賤ヶ岳七本槍 清光尼庵室の段」だった。この演目は、淡路人形浄瑠璃の独創の演目で、文楽などでは上演されることは無いそうだが、淡路人形浄瑠璃ではもっとも代表的な演目だという、本能寺の変で織田信長が殺され、織田家の跡目相続をめぐって柴田勝家と羽柴秀吉の間で繰り広げられた賤ヶ岳の合戦のときの、前田利家が両者の間で苦悩し、柴田勝家の息子勝久と恋仲になった自分の娘の清光尼を、羽柴秀吉の命令で撃たねばならなくなった蘭の方(織田家転覆を狙った滝川将監の娘)の代わりに殺さざるを得なくなる父の心を描いたものだが、この複雑な敵味方の入り乱れた関係がよく分からず、浄瑠璃を見ていても理解ができない場面が多い。浄瑠璃の語りもなれない劇場ではよく聞き取れない。テレビで見ている分には、語りもよく聞き取れるのだが。テレビで見る歌舞伎やお芝居は、やはり特等席なのだろう。

 実は、この淡路人形浄瑠璃を見る前の週に、南あわじ市に出かけていた。これはまったくの偶然で、他の用事で南あわじ市を訪れたのだったが、そこへ行って初めて淡路人形浄瑠璃のことを詳しく聞くことができた。そして京都へ帰ってみると、連れ合いが淡路人形浄瑠璃のチケットを2枚手に入れていたという具合だった。偶然とは思えないが。しかも、いっしょに見に行くことになった友達が、南あわじ市出身だと言うことだし、もう一人の友人は、浄瑠璃に使われる人形のミニチュアを自作するのが趣味の人だという。偶然がこんなに重なることもあるんだなあ。なんとなく人形浄瑠璃が身近なものになってしまった。

 そして、最近 淡路島がテレビで取り上げられることが多くなったような気がする。南あわじ市には広大な水仙のお花畑があり、500万本の水仙がいま盛りと咲いているらしい。南あわじ市へ日帰りで出かけたときは、話を聞いただけだった。見に行く時間はなかったのだが、今思えば一泊していても、見てくれば良かったとも思う。南あわじ市では、タコとフグが有名らしいと言うことも知った。タコは、現地でごちそうになった。明石だこは知っていたが、島の南側でもタコが美味しいらしい。渦潮の中でもまれたタコの筋肉はよく締まって美味しいのかも知れない。淡路島三昧の最近だ。

体罰の責任は橋下市長がとれ

2013-01-22 | 政治
大阪市立桜宮高校における体罰自殺事件で、橋下市長がスポーツ関係の学科の入学試験を中止するよう教育委員会に圧力をかけ、教育委員会は、普通科に変えて入試を行うことにしたという。橋下市長はベストの選択だと、評価しているそうな。

橋下市長は、体罰はしようがない、あってもかまわないとこれまで言い続けてきた。体罰くらい無ければ教育はできないという趣旨の発言もしばしばしてきた。そして、今回の自殺が顧問教師の体罰が原因だと言うことがはっきりしたとたん、体罰は許せない、言い訳はできないと言い始め、体罰が常態化していた高校の改革を進めるためという名目で、スポーツ関係学科の入試を中止するよう要求した。橋下市長の責任はどこへ行ったんだ?

高校の責任、教育委員会の責任は、もちろんあるだろうが、もっと大きい責任が橋下市長にはあるのではないか。上に立つ市長が体罰を容認する姿勢を示しておれば、教師が体罰を常態化しても罪の意識はないだろう。そういう意味で、まず市長が責任をとって辞めるのが当然ではないか。それを高校生や受験生に痛みを押しつける形で、改革しようとは、恥知らずだ。

もともと、いじめや体罰の根本にあるのは、子供たちにそういう世界を見せてきた大人たちにある。橋下市長の公務員バッシングや、組合いじめ、日の丸君が代を踏み台にした教師への締め付けは、イジメ体質そのものだ。大人の世界のそういうイジメを見てきた子供たちが、イジメをするからと責めるのは、違うのではないか。橋下のような大人こそイジメ社会を作って来たのだ。

桜宮高校の生徒たちのコメントは、その点、しっかりと橋下市長のまやかしを見抜いているように見えた。高校生たち、橋下のイジメに負けないで、頑張れ!

そもそも市長だろうが,県知事だろうが、文部科学大臣だろうが、教育の内容に口を出してはいけない。教育委員会はそのために、独立した権限を与えられている。橋下の言うように形式的には、市長が予算に関する権限を持っているけれども、それを楯に教育委員会に圧力を加えるのは、教育基本法で厳に排除している「不当な支配」にあたる。教育委員会は断固として、橋下市長の脅しをはねのけるべきである。橋下は高校生の前で、自分の意見に合わないのなら、選挙で落とせば良いのだ、と言ったとか。相変わらず選挙にとおれば何でもあり、という傲慢さ。選挙は、そんなものでは無い。あきらかに脅しでしか無い。教育委員会は、本来の独立性から、公選制であった。それを政府の良いなりの人間を作るために、自民党が教育二法を強行採決して、教育委員を任命制にしたのだ。それなら、大阪市教育委員会は再び選挙で選べる公選制に戻すべきだ。

都合の良いところだけを、自分の主張に合わせ、教育を不当な支配の下に置こうとする橋下市長は、ただちにイジメを推進してきた責任を取って市長を辞めて欲しい。

二上山と中将姫・大津皇子

2012-12-26 | 花と自然
奈良県葛城市の二上山に行くことにした。8時に家を出て、大阪経由で当麻寺駅まで約3時間。11時ころに到着。当麻寺(たいまでら)でまずはゆっくりと大曼荼羅を拝観する。中将姫が蓮の糸で織り込んだというもの。4m四方もある。伝説ではこれを岩屋の中で一晩で織ったという。

 中将姫は、藤原鎌足の曾孫藤原豊成の娘で、生みの母を4歳で亡くした後、豊成が妻とした継母の照夜の前にいじめられる。中将姫は美貌で才女であったようで、9歳の時、孝謙天皇に召されて、百官の前で琴の演奏をし、賞賛された。これはさらに継母にいじめられるきっかけになり、14歳の時、豊成が諸国巡視の旅に出たときに、継母は家来に中将姫の暗殺を指示する。家来は、命乞いもしないでひたすら西方浄土へ召されることのみを願い、読経を続ける姫を殺せず、雲雀山青連寺に姫を隠した。姫はそこで1000巻の経文を写したという。

 その後、天平宝字7年(763年)16歳の時、淳仁天皇に後宮に入るよう望まれたが、姫はそれを断り、二上山の麓の当麻寺で尼となる。そして、翌年当麻寺に今も伝わる大曼荼羅を蓮の糸で織り上げる。当麻寺の本堂には、国宝に指定されている六角堂がヤコウガイを象眼した須弥壇の上に乗り、そこに4m四方の大曼荼羅が納められている。本堂の横には、新しい建物があり中将姫の像が祀られている。建物は糸繰り堂と名付けられており、ここで蓮の糸を繰ったということになっているらしい。二上山の雌岳頂上の下に天然の岩屋があり、ここで一夜にして大曼荼羅を織り上げたという言い伝えにもなっている。しかし、この大曼荼羅を科学的に分析した結果では、大曼荼羅は絹で織られているようで、蓮の糸が使われたとしてもほんの一部だけだろう。それなら一晩でもできそうだ。大曼荼羅自体はどうやら大陸から持ってきたものらしい。

 それはともかく、中将姫は29歳の若さで入滅。しかし、西方浄土から阿弥陀如来をはじめとして25体の菩薩が彼女を迎えに来て、生きたまま西方浄土に向かったと伝えられている。そんな阿弥陀仏を信じ、西方浄土に召されることだけを望んで生きた、美貌と才能に恵まれながら現世に恵まれなかった女性の物語を、心に刻んで二上山に登ることにした。

 当麻寺を出ると、雪が舞っている。門前の料理屋で昼食をとったあと、二上山を登る。1時間ほどで雄岳の頂上。途中の渓谷も低い山ながらなかなか風情がある。雄岳頂上には殺された大津皇子の墓が・・・。大津皇子は天武天皇の第3皇子であったが、天武天皇の死後1ヶ月にして、川島皇子による密告で謀反の疑いを受け、24歳の若さで自害させられた。草壁皇子を天皇の位に就けるために大津皇子を亡き者にする謀略があったと伝えられている。大津皇子の辞世の歌が万葉集にある「ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」(磐余の池に鳴く鴨を見ることは今日までか。私は死んでいくんであろうな)である。妃の山辺皇女は、裸足で髪を振り乱して彼のもとに駆けつけ、殉死したと伝えられる。大津皇子は、恨みを呑んで死んだため、死後に祟りをなした。草壁皇子は、大津皇子の亡き後3年で死亡。その後、文武天皇も25歳の若さで死亡。皇子の祟りと怖れられた。

 いったんコルに戻り雌岳へ。雌岳の頂上は整備されてまるで街中の交差点のよう。国定公園なのにこんなことをするとは。登山道も整備されている。きっと良い季節には人があふれるのだろう。頂上まで車道を通さないように願うのみだ。下りも1時間足らず。麓のたいま温泉を探すが、26年前に廃止になったという。ところが最近整備された道標にはちゃんとたいま温泉の名前があちこちに書いてある。これはどういうことだろう。代わりの市営施設のお風呂につかり、ゆっくりとして帰る。帰宅したのは20:45。

南の海が心を癒やす

2012-12-19 | 南の海
 1週間ほど、タイのリゾート地プーケットに出かけていた。仕事だったのだが、ついでに少しリゾート気分を味わうことができた。寒い京都を離れ、あまり暑くもなく寒くも無いプーケットで涼しい夕風に吹かれていると、いやな日本のことなど忘れてしまう。のんびりとコーヒーを飲み、朝昼晩の美味しいごちそうを食べ、タイ伝統のマッサージに体をゆだね、疲れを忘れた。

 一日、マリンツアーに出かけた。SCUBAダイビングツアーとシュノーケリングツアーがあったが、ダイビングは2月にフィリピンに行く予定があるので、今回はシュノーケリングツアーにした。ちいさなダイビングボートに満員のツアー客を乗せて、シャロン湾の沖に浮かぶコーラルアイランドへ向かう。リゾートのプーケットといえども、海岸線のほとんどはプライベートビーチなので、なかなか泳ぐところがない。このあたりの小さな島もほとんどがリゾートやツアーのための観光ビーチなので、どこも人がいっぱいだ。

 島の桟橋にボートが着くと、そこはきれいな砂浜で、魚がたくさん泳いでいる。しかし、砂浜に並んだ安楽椅子は有料で、その前の砂浜にいてもお金を請求される。きれいな海に似合わない。シュノーケリングツアーというものに参加したのは初めてだったので、ちょっとびっくり。どこか人気の無い海岸でのんびりとシュノーケリングできるとおもいきや、人があふれている海水浴場の片隅で泳ぐとは。もっともここが本当の目的地ではなく、海水浴場でも少しお金を落とさせようという主催企業の思惑があるのだろう。そこからボートで少し海岸を回り込んで、サンゴが比較的発達しているところへボートを停泊し、そこから次々飛び込んでサンゴ礁をみるという趣向だった。




 プーケットはタイの海岸としてはサンゴ礁が発達しているところなのだが、それでも八重山諸島や慶良間島、パラオ諸島やニューギニア、ニューカレドニア、フィジー諸島などのサンゴ礁を見てきたものの目には、貧弱なサンゴ礁にしか見えない。それでも、シュノーケルを咥えて、透き通った海水を通して海底のサンゴを見ているのは、心が躍る。魚も色とりどりのサンゴ礁おなじみの魚がフル出場してくれた。だれかがボートで売っていた魚の餌用のパンを与えたらしく、餌付けになれたここの魚たちが泳いでいる私たちの周りに集まってくる。これも初心者には楽しいことなのかも知れないが、私には余計なことに思えてしまう。




 乾期に入ったはずのタイなのだが、毎日のようにスコールがあり、天候も安定しない。落雷もあり、停電もあった。リゾートホテルはさすがにただちに自家発電に切り替えていたが、心配でエレベーターは乗らないようにしていた。ホテルのプライベートビーチに下りるには、専用のケーブルカーが運転されている。これは途中で止まっても、歩いて行くこともできるから、そう心配することは無い。海岸には安楽椅子が並べてあり、ゆっくりできる。これは宿泊客にはもちろん無料だ。金曜日の夜にはディナーショウもあり、タイのコミカルな踊りも堪能できた。

 心安らかになって、寒い日本に帰ってくると、おそろしい選挙結果がまっていた。原発推進を隠さない政党がわずか有権者の20%の支持で、80%の議席を占めて、戦争準備のための憲法改定を狙っている。原発にこれだけ多くの人が被害を受け、日本を人間の住めないところにしてしまっていながら、原発を止めようという政党が選挙に勝てないのは、いったいどうしたことなのだろう。日本人に、そして日本に絶望した。日本を捨てることを真剣に考える時が来たのかも知れない。

選挙に出かけたが・・

2012-12-10 | 政治
京都は今朝から雪が降った。初雪だ。積雪は無い。凍えるほどの寒さになった。午後から雪も止み、陽が射すと、雪が溶けて木の枝などからしずくが垂れ落ち、陽に映えて虹色に光る。心なしか春のような気配がした。寒くなれば、春も近いと思える。

 期日前投票に出かけた。区役所が近年、遠くに移転したので、投票に行くのも大変だ。車を捨てて、バスを利用していると、バスの便が不便なところへ行くのは、困ってしまう。区役所など、人が大勢出入りするところがこんなにバスの不便なところで良いのだろうか。聞くところによると区役所の職員も通勤に不便をしているとか。受付で不満を言うと、受付の人も困っているという。いったいどのような理由で、市民にこのような不便を強いて区役所を移転したのだろうか。区役所行きのバスは、家の近くからは出ていないので、自転車でバスが出ているところまで行かねばならない。そこから区役所行きのバスは1時間に1本くらいしかない。しかも、帰りのバスは別のルートを通るので、区役所前から元のところへ帰るバスは無い。

 ところで、選挙の話だった。最近、本当の第三極ということで結成されたばかりの政党に入れようと思っていた。脱原発、反消費税増税、反TPPの主張がはっきりしているし、いかにも清潔そうな党首が好感を持てた。環境問題にもしっかりと取り組んでもらえそうだったので。ところが、私の選挙区では、この党の候補者はいない。比例区でこの党に投票しようと思っていた。ところが、新聞のアンケートを読んでびっくりした。この政党の候補者の多くが、憲法改正をどう思うか聞かれて、改正すべきだと答えているのだ。これには驚いた。もちろん憲法改正にはっきりと反対を述べている候補者はいる。しかし、多数は憲法改正論者だった。9条は変えないとしても、改正要件の96条は変えるとか、いろいろの理由を挙げているが、改憲を是としていることには変わりない。これでは比例区に投票するわけにもいかない。

 迷った末に、石原暴走老人に「化石みたいな」と言われた政党に入れた。暴走老人にそう言われるというのは、名誉なことだ。彼に褒められるような政党は、どうしようもない。ただ、「化石みたいな」格式のある二つの政党は、存続さえも危なくなっていると言われている。旧態依然であることは、支持している私にさえ、感じられる。憲法を守ると言うばかりではなく、憲法に基づいて今の政治をどう変えるかを積極的に打ち出すべきでは無いだろうか。例えば、意味の無い戦闘機やミサイルにお金をかけないで、その分を消費増税分に回せば、消費税を据え置くことができることとか、福島県の全県民を他県に避難させ、東電本社を福島県に移住させる、などなど。

 最高裁判所裁判官の国民審査はすべて×をつけた。原子力ムラの最後の砦だった裁判所をもっと人々の生活と心に向けるためには、今の裁判官はすべて辞めさせるべきだろう。そして、最高裁判所の官僚機構を解体し、本当に裁判官が国民目線で良心に従った裁判ができるようにしたい。

 マスゴミはそろって自民党が過半数を占めると、自民党の提灯持ちをしている。安部ナショナリスト政府ができる。戦争への道が見えてきた。恐ろしいことが起こりそうだ。あとは、3分の1を超える支持政党無しの人々が、平和のために投票して欲しいとひたすら祈るばかりである。安倍内閣ができたら、そう長い間、生きていてもつまらない。早く死にたくなる国にはして欲しくない。

宇都宮けんじと未来の党

2012-11-28 | 政治
嘉田由紀子滋賀県知事が「日本未来の党」を立ちあげて、脱原発の受け皿を作った。「国民の生活が第一」や「みどりの風」「脱原発・・・」などが合流することになった。うれしいことだ。マスゴミたちが第三極だと騒いで、石原や橋下などのゴミ右翼をもてはやしていたが、あいつらはけっして第三極などでもない。民主党が自民党に先祖返りして、自民党、民主党、公明党、日本維新の会などは、ひとまとめの第一極でしかない。違いは目くそ鼻くその違いだ。

 結局、これら第一極は原発推進路線だ。30年代にゼロなどという公約は、おそらく守られることは無いだろう。経済を命に優先させる以上、いつまでも原発を持ち続けたい輩ばかりである。原発は原爆といっしょで、いつかかならず事故を起こす。地震や津波が無くても、原発事故は起こる。チェルノブイリやスリーマイルの原発事故は地震も津波もなくても起こった。人間が操作している以上、間違いが無いわけが無い。自動機械に操作させれば、もっと怖い。

 総選挙は、原発推進=維持路線の第一極か、脱原発の『未来の党』かが選択肢になる。社民党も共産党も、これまでの行きがかりを捨てて、未来の党と統一名簿を作って戦おう。東京都では、都知事選挙に「宇都宮けんじ」さんを立てて、東京から脱原発を!と、共産党も社民党もいっしょに戦っている。これが衆議院選挙でできないことはない。政党を存続させるのが大事か、原発を止めさせるのが大事か。既成政党は今こそよ~~~く考えて欲しい。

 東京都知事は「宇都宮けんじ」で、衆議院は「未来の党」で、原発の無い未来を。