無病息災のとびら

21世紀の健康について考えています

目のラジオ体操

2011年07月18日 16時11分00秒 | Weblog

もう、*(コム)*子供たちは、夏休みですね。
夏休みといったら、*(ハート3つ)*ラジオ体操ですね。

いま私は、*(キラキラ)*デジタルオーディオプレヤーにラジオ体操の音楽を入れて、*(晴れ)*毎朝ラジオ体操をやっていますが、ついでに、目のラジオ体操もやっています。

ラジオ体操の*(音符)*音楽に合わせて、*(うるうる)*目の運動をやるんです。
上、下。右、左。ぐるぐる回したり、まばたきしたり。目をぎゅっと閉じて、パッと開け、近くを見て、遠くを見て、目玉を出したり、引っ込めたり・・・

体の運動と比べて、目だけの運動は単純な運動しか出来ないかもしれませんが、しかし、やっているうちに、同じ*(オランダ)*上下、*(フランス)*左右運動でも変化をつけて出来るようになります。

視力トレーニングもいろいろやってみましたが、いつも*(ジロ)*三日坊主で終わっていました。ですが、ラジオ体操は音楽に合わせてやるのであまり苦にならず、目のラジオ体操もこの1年くらい毎日飽きずにやっています。

もし、目の筋肉がひどく緊張してこわばっていそうなら、最初はあまり力を込めずに軽くやり、慣れたら徐々にテキパキとメリハリをつけて運動するといいかもしれません*(笑顔)*


その後

2011年07月12日 10時15分00秒 | Weblog

結局、息子は9年がかりで医学部に入ることができました。
名前通りに、浪人生活もすさむこともなく、彼女とも、家族ぐるみのお付き合いが続いていました。
ところが、入学すると二人の仲が少しずつおかしくなりました。

息子は大学に入ると、いろんなことに夢中になりました。特に部活は、ボート部に入って、医大のチームではまず無理だとされていた大会で優勝するくらいに夢中になりました。

もともと好きだった釣りにも熱中しましたし、友達付き合いに、バイトに、それに、留年してこれ以上親に迷惑をかけられないと思うのか、勉強にと、とにかく忙しいのです。

詳しいことは分かりませんが、浪人の頃と比較して、彼女と過ごす時間が極端に少なくなったようです。
別れ話もあったようです。

私は、彼女の気持ちがよく分かっていましたから、今は、浪人のときにはやりたいと思っても出来なかったことに熱中しているだけだからと話し、婚約もさせ、家内も彼女に、今は彼女自身何か夢中になれることをやってみたらどうかという話もしてみたりしたようです。

それを汲んでか、彼女は看護学校の試験を受けて岡山に行くことになり、卒業は息子と同じ年になる予定でしたが、結局二人は別れることにしたようです。
そして、彼女はもう息子に会わないつもりで、卒業後は長崎から離れた大村の病院に勤めることに決めたようです。

しかし、なぜか卒業する頃には一転して結婚が決まり、彼女は決めたばかりの職をキャンセルしようと思いましたが、手前勝手すぎると考え直し、とにかく籍だけは入れようと、彼女の希望でその年の七夕の日に決めましたが、職場の都合で10月に延びて、結婚式もこの7月になってしまったような次第です*(笑顔)*



挨拶

2011年07月07日 18時06分00秒 | Weblog

あさって、上の*(コム)*息子の結婚式があります。
*(チューリップ)*披露宴で、新郎の父親は、挨拶をしないといけないそうで、何を話したらいいのか…

息子が生まれた頃、私は胃の調子が最悪なころでした。コーヒーを飲んでも胃がきりきり痛んで、好きな*(コーヒー)*コーヒーを飲むこともできませんでした。

胃が悪くなると、漢方では、*(曇)*くよくよ考え込むような気分になるといわれています。
漱石が「吾輩は猫である」を書いていたころも胃病にかかっていたそうで、*(ダイヤモンド)*傑作が生まれたのも、くよくよ考え込んだおかげでかもしれません。

しかし、胃が慢性的に悪くなると、*(コメント)*気分的にうつうつとして、すこしも晴れ晴れとしないのです。
そういう頃でしたから、息子の名前は*(晴れ)*おてんとうさまの太陽から一字をもらい、とにかく晴れ晴れとした「明るい子」になってほしいと思いました。

息子が小学校に入る頃はファミコンが出てきた頃で、わたしは真っ先に買ってあげ、息子はゲームに*(ハート6つ)*熱中しながら、思い切り明るい子に育ちました。

ところが、息子が高校2年か、3年の頃、*(学校)*大学に行きたいけど行かせてくれるかと聞いてきました。
うちが貧乏でしたから、大学にやってくれるのか心配だったのでしょう。

いったいどこに行きたいのかと聞くと、本当は医学部にいきたいが、無理だから、薬学部を受けたいと言います。
今まで勉強らしい勉強などほとんどしていないのですから仕方ない話でしたが、しかし、最初からあきらめずに、行きたいのなら、まずは医学部を*(星)*目指してみたらどうかと言いました。

翌日、息子は部活をやめてきたと言って、その日から机に*(怒り)*かじりつくようになりました。
しかし、それまで明るくのびのび生きてきた息子にとって、受験はかなり大変だったようです。

最初私は、無理ならせいぜい1,2年であきらめると思っていました。ところが、あきらめません。
ですが、さすがに3,4年になると私も見かねて、もし目的をかなえようと思うなら、*(ビール)*お酒と女は御法度ですよと、アドバイスをしたものでした。

そのころ息子が酒を飲んで、*(チアフル)*女友達と遊びまわっていたというわけではありません。
同じ年頃の子は大学を卒業する頃になっていましたし、もうそろそろ精神的にも*(青ハート)*くさくさしてくるのではないかと心配し、それに、医学部を目指すように言っておいて、私から方針を変えろとは言えなかったのです。

ところがです。それから何日も経たないうちに、友達だと言って、かわいい娘さんを連れてきたんです。そして、その娘さんこそ、あさって*(ケーキ)*式を挙げるお嫁さんというわけです…

つづきは、またいつか…