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あみの3ブログ

ラーメン食べ歩きとお城歩き、その他感動したことを写真で綴る雑記帳
更新は不定期です

小田原城@神奈川県小田原市 2023年10月1日

2023-11-03 14:12:34 | 城歩き
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【今も残る惣構の土塁・空堀に難攻不落の城を忍ぶ】
初期の小田原城は、15世紀中頃に大森氏が築いたと考えられる。城の存在がハッキリするのは明応5年(1496)以降に伊勢宗瑞(北条早雲)が入城してからである。小田原北条氏の拠点となった小田原城は、上杉謙信や武田信玄の侵攻も退けた難攻不落の城であった。その後、豊臣秀吉の来襲に備えて、城下町おも含む全周9kmの大規模な惣構が構築された。しかし秀吉軍の包囲によって開城し、徳川の譜代大名大久保氏や稲葉氏によって近世城郭として整備された。明治に入り小田原城の建物はほとんど解体されたが、その後一部の建物が再建された。なお、現在の天守は昭和35年(1960)に再建されたものである。、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)より


【遺構】惣構をたどって2時間10分でほぼ1周する散策コース
まず訪ねたのは
小田原城の北東方向、山王川手前にある「蓮上院土塁」



この土塁には第2次世界大戦の米軍による爆撃で、爆弾が直撃したさいの大きな穴が残っています。
被爆土塁ですね


残念ながら惣構の情報はこの一件のみとさせていただきます


小田原城城址公園マップ



お城の周囲を南側→東側→北側→北入口から城内→天守台下西側→報徳二宮神社(小峰曲輪)→南入口と、グルッと一回りしてみました。
「南堀蓮池」



「蓮池南曲輪二重櫓跡」



小峰橋から東方向



二の丸に建つ現在の観光案内所建物



馬屋曲輪とめがね橋



めがね橋から馬屋曲輪



大手門跡



二の丸隅櫓



学橋



学橋から二の丸



弁財天通りと城址碑



弁財天通りからの天守



お堀通りの城址碑



御用米曲輪
御用米曲輪跡で堀跡,北条氏時代の池、庭園跡が発見され復元計画が進んでいる。



お城の西側を走る東海道本線・新幹線・箱根登山鉄道の線路敷地はお堀だった。
背後の山を遮断する広大な横堀



御茶壺橋



御茶壺曲輪



銅門、御茶壺郭より



内堀と銅門



二の丸観光案内所



馬屋曲輪と二重隅櫓跡



住吉橋・内堀
平成2年には住吉橋が復元された。




住吉橋・中仕切門



馬出門
二の丸正面に位置する門で、平成21年に復元された。



銅門
明治5年に解体されたが、平成9年に古写真や古絵図などの資料を基に再建された。







常磐木門
昭和46年には常盤木門(ときわぎもん)が外観復元された。





内堀跡



本丸にある猿園




天守
江戸時代につくられた雛形や引図を元に昭和35年(1960)、小田原市制20周年記念として再建された三重四階・層塔型天守
天守の木造復元を目指す運動もあるようです。


北条氏滅亡のあと入封した大久保忠世。忠世の子・忠隣は老中にまで出世したが失脚し改易される。その後約70年を経て再び大久保家は小田原藩主に返り咲き明治維新を迎えている。
再興を果たした時期の天守の姿が現在復興されている。


度重なる地震や火災で天守は焼失再建を繰り返し、残った石垣も関東大震災で崩れ、現在の石垣は積み直したものです。



天守からの眺望
相模湾から遠く三浦岬


石垣山城方向





【まとめ】
城下町の惣構をたどって8.2Kmを2時間30分かけて歩きました。
とんでもない方向音痴をまたしても露呈
肝心の惣構跡には1カ所しかたどり着くことができず、時間切れでお城に戻りました

NHK大河「どうする家康」 10月1日放送の第37回は、いよいよ北条攻めが描かれます。
その放送当日に小田原城を訪れることができたのも何かの因縁。来場者の顔つきもなんだか感慨深そうに見えたのは気のせいか。
しかし帰宅して放送を観てみると、肝心の小田原攻め、小田原城の場面はサラッと過ぎてしまい拍子抜け
でも感動は心の中にしっかり刻み込まれましたよ。


ヤマップ行程図




【御城印】


販売先:小田原城天守閣1Fショップ(有料入館)



【小田原城】
《東海道筋の関東入り口の要衝を占めた堅城》

名称(別名);-
所在地;神奈川県小田原市城内6-1
城地種類;平山城
築城年代;15世紀中頃
築城者;大森氏、小田原北条氏、大久保忠世、稲葉正勝
主な城主;大森氏、小田原北条氏、大久保氏、稲葉氏
文化財区分;国指定史跡
近年の主な復元等;平成2年に住吉堀と住吉橋、平成9年に銅門、平成21年に馬出門を復元 平成23年から御用米曲輪を整備中
天守の現状、形態;層塔型三重四階 鉄筋コンクリート造り(復興)

※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
地図;


諏訪原城@静岡県掛川市菊川 2023年9月30日

2023-11-03 12:11:21 | 城歩き
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【歴史】
天正元年(1573)武田勝頼は遠江侵攻を目論み、東海道沿いの牧之原台地に諏訪原城を築かせたという。城名は、城内に諏訪神社を勧請したことに由来する。その後、天正3年(1575)長篠の戦いで武田軍が織田・徳川連合軍に大敗すると、反攻に転じた徳川家康によって諏訪原城も落城した。攻略後、徳川氏はこの城を拠点に武田軍に対抗していたが、天正10年(1582)武田氏が滅亡すると存在意義も薄れ、天正18年(1590)に廃城となった。


【縄張り】
大井川を背にして本曲輪を置き、本曲輪の前面を二の曲輪が大きく取り巻く、後ろ堅固の縄張りである。二の曲輪の大手前方には大手曲輪が配置された。
 縄張りの最大の特徴であり、防御の中心となったものは丸馬出であった。六つの馬出(現存)が虎口の前面を強固に守っていたが、規模の小さなものは武田氏段階、大きなものは徳川氏段階の構造と推定されている。
、、、以上続日本100名城公式ガイドブック(学研)より


【場所】
静岡県掛川市菊川
国道1号線(島田金谷バイパス)「菊川IC」下車、一般道を右折し県道381号線(島田岡部線)で右折。県道234号線交差点を右折し、1号線高架をくぐりしばらく行くと旧東海道と交差します。この交差点から旧東海道を左折すると20mほでで諏訪原城跡の幟が立っている駐車場に着きます。


この駐車場には「諏訪原城ビジターセンター」が建っており、出土品や資料の展示ほか諏訪原城立体模型(ジオラマ)の展示などでわかりやすく解説してあるので、是非登城前に立ち寄っていただきたいと思います。


また御城印や記念グッズの販売も行っています。(現金直接購入ではなく、一旦現金でガチャを回してその中に入っている引換券を窓口に提出するというシステム)







【遺構】
諏訪原城想像図
ビジターセンター収蔵
本曲輪の背後は断崖絶壁で守られ、正面には扇状に二の曲輪が配置され、出入り口は丸馬出で防御する構造になっていることがわかります。



ビジターセンターから順路に従って
「大手南外堀」→「大手曲輪」→「大手北堀」→「二の曲輪中馬出」→「総曲輪」→「二の曲輪北馬出」
「外堀」を渡って「二の曲輪」→「内堀」を渡って「本曲輪」背後の崖から「内堀」、本丸からの眺望を楽しんだ後
「内堀」を渡り(水の手曲輪標識のみ)→「二の曲輪」→「二の曲輪東内馬出」→「二の曲輪南馬出」→「二の曲輪東馬出」→二の曲輪土橋にて外堀を渡り
「諏訪神社」→「二の曲輪大手馬出」→「堀」→「大手南外堀」→ビジターセンターに戻るコースです。

城の案内図(縄張り図)
諏訪原城パンフレットより



「大手南外堀」
大手曲輪は大手北外堀と大手南外堀によってコの字型に囲まれ、西側前面に巨大な丸馬出と三日月堀があった。
現在、大手南外堀の大半は茶園となり全容を見ることはできない。
幅約5m、深瀬薬3.3m、断面がV字型の薬研堀となっており、土塁の痕跡が認められなかったことから、塀や柵が巡っていたと思われます。






「大手北外堀」
大手曲輪は大手北外堀と大手南外堀によってコの字型に囲まれ、西側前面に巨大な丸馬出と三日月堀があった。



「大手曲輪」



史跡石碑



「大手北外堀」
大手曲輪は大手北外堀と大手南外堀によってコの字型に囲まれ、西側前面に巨大な丸馬出と三日月堀があった。



「惣曲輪」



「二の曲輪中馬出」



同、三日月堀
武田流築城術の特徴と言われる丸馬出と三日月堀の組み合わせ。
南側


同北側




「二の曲輪と外堀にかかる土橋」



「二の曲輪北馬出」
最北端に位置し、南側の二の曲輪中馬出と接続する「重ね馬出」で、北側の防備を固めるために付設された曲輪です。
発掘された礎石から復元された門
形式は薬医門(徳川氏時代)



外堀にかかる土橋
発掘調査の結果土橋ではなく、通路中央部が途切れ「木橋」となることが確認されています。
虎口には門の礎石が発見されています



「外堀・北側」



「外堀、二の曲輪中馬出」
城内で一番大きい横堀



「二の曲輪」
本曲輪を扇の要、その外側に扇状に広がる(南北薬315m・東西約75m)広大な曲輪です。



曲輪の中央部には現在も仕切り土塁が残っています。



二の曲輪土塁



「本曲輪・土橋」



本曲輪虎口
発掘調査により門の礎石が発見されています。
宝篋印塔というお墓の石塔の一部が転用されていたそうです。



本曲輪
富士山・大井川を望む高台。城の背後は絶壁で「後ろ堅固の城」の教科書的立地です。
発掘調査の結果、焼土を挟んで上下二時代の遺構面が確認され、下は武田氏時代で上が徳川氏時代と考えられます。



本曲輪内堀
堀幅約20m、深さ約10m、逆台形に掘られた箱堀で堀底の幅は約6.8mもあった。
かわらけや鉄砲玉、炭化米、瀬戸美濃の碗などが出土しています。



本曲輪からの眺望



「北曲輪」



「カンカン井戸内堀」



「諏訪神社」



諏訪神社外堀土橋



外堀



「二の曲輪東内馬出」



「二の曲輪南馬出」
城域の南東端に配置された3カ所の馬出の中で、南西端に位置する馬出。城の南側の防御が目的だったと考えられます。
曲輪内部では27点の鉄砲玉が集中して出土しています。



同三日月堀



「二の曲輪東内馬出」



「二の曲輪大手馬出」






「二の曲輪大手馬出・外堀」
土橋より










【まとめ】
約1時間をかけて1600m程歩きました。
籔が残る時期でしたが、巨大な丸馬出と三日月堀には感動の一言でした。

ヤマップ行程図


ヤマップ3D



【御城印】


諏訪原城ビジターセンター
住所:〒428-0037 静岡県島田市菊川1174
営業時間:10:00~16:00
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)


【諏訪原城】
《武田氏が築いた遠江侵略の拠点の城》

名称(別名);牧野原城、牧野城、扇城
所在地;静岡県掛川市菊川
城地種類;山城
標高/比高;220m/
築城年代;天正元年(1573)、天正3年(1575)以降
廃城年代;天正18年(1592年)
築城者;武田勝頼、徳川家康
主な改修者;松平家忠など
主な城主;室賀氏(城番)、牧野氏(城番)、松平氏(城番)、今川氏(城番)
文化財区分;国指定史跡
主な遺構;土塁、曲輪、堀、馬出、井戸ほか
近年の主な復元等;堀、二の曲輪北馬出の門


※出典、、、続日本100名城公式ガイドブック(学研)
地図;